【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第一章

薔薇園

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  翌日、久しぶりに祖母と夕食の食卓を囲んだ。
 祖母は痩せた、厳しい雰囲気の人で、襟元の詰まった昔ながらのドレスに、きっちりコルセットを締めている。――最近の流行ではコルセットをしないドレスや、ブラウスにロングスカートが主流だが、祖母はそういう服装を嫌うので、わたしもやや古臭い、襟の詰まった薄いブルーのドレスを着て、食卓に着く。料理はメアリーが、給仕は執事のジョンソンが行い、堅苦しい夕食の時間が始まる。収入に全く見合わないが、祖母はかつての、伯爵家時代の格式に拘る。

 ジャガイモたっぷりのシチューに、チキンのロースト。ライ麦のパン。
 メニューを見た祖母が、溜息を零す。

「ジャガイモばかりじゃないの。……なんともみすぼらしいこと。それにライ麦のパンだなんて」
「つい最近まで戦争だったのよ、おばあ様。料理に文句を言うのははしたないと、いつもわたしを注意なさるのに」

 わたしの反論に、祖母が眉を顰め、ギロリと睨みつける。

「文句をつけているのではありませんよ。わたくしは格式の問題を言っているのです。ジャガイモなどというものは、昔はパンも食べられない、貧しい農夫が飢えをしのぐためのもので、まともな人間の食べるものではなかったの」
「そうですか。でも、メアリーのジャガイモ料理はいつも工夫があって美味しいわ。冷めないうちに召しあがらなければ、メアリーに悪いわ」

 祖母もメアリー夫妻の忠誠には感謝しているので、メアリーに悪い、という言葉に、渋々、スプーンを手にする。ジャガイモと、大豆、キャベツと、豚の塩漬け肉がほんの少し。それでも、そこそこ美味しい料理に仕上げてくるメアリーは本当に得難い人材だと思う。メアリーでなければ、祖母を宥めることもできなかっただろう。

「全く、この王都という場所は本当に忙しなくて……不衛生でしかも不道徳がまかり通っていて、不愉快極まりないわ。今朝も新聞で読んだけれど、婚約者を奪われた令嬢が世を儚んで自ら死を選んだとか。恐ろしいことですよ! かつてわたくしの周囲では聞いたこともなかった! 最近の若い人は、男女で出かけたり、自由恋愛などと、ふしだらなこと。エルスペス、まさかお前はそんなことに巻き込まれたりはないでしょうね!」
「もちろんです、おばあ様」

 清く正しくあり過ぎて、可愛げがないなんて陰口さえ叩かれている。そもそも若い男性になど近づかないし、向こうから近づいてくるのは、鬱陶うっとうしいハートネル中尉くらいだ。この点に関しては、おばあ様のご期待に背くことはあるまいと、わたしは神妙に頷いておく。
 祖母の愚痴にひたすら相槌をうって食事を終え、食後のお茶が出る。最近、紅茶のカフェインは眠りを妨げるから、と誤魔化して、夜は庭で採れたハーブティーに替えた。祖母が好む高級紅茶を、少しでも節約するためだ。ミントはいくらでも殖えるので、貧乏人にはありがたい。

「……それで、エルスペス、お前はいつまで働くつもりでいるのかえ?」
「それは……」

 わたしの給金がなければ、この家はたちまち、明日の食事にも困るのだが、祖母は現実を一向に理解しようとしない。

「……近々、マクガーニ中将閣下は陸軍司令をご退任になり、陸軍大臣に昇進なさいます。それで、次の司令には第三王子のアルバート殿下が内定なさっているとか。……それを潮にわたしも職を退こうと思うのですが……」
「そう、アルバート殿下が。……それはよかった。王家の方の下でなど、働くものではありませんよ。命を懸けて働き、国事に死んだのに、家族が路頭に迷っても手も差し伸べない。……ここだけの話ですが、わたくしは幻滅しましたよ」
「そうですわね……」 

 ハーブティーのお代わりを注ぎながら、ジョンソンがわたしをちらりと見る。我が家の家計的には、わたしの収入がなくなれば非常に厳しくなるから、不安そうなのも当然だ。

 ……わたしだって不安だ。でも、他にどうしろと言うの。

「由緒あるアシュバートン家の娘が、いつまでも働くなんてみっともない。そろそろ相応しい相手と結婚しなければ――」
「そうはおっしゃっても、簡単に相手はみつかりません」

 祖母は理想だけは高いのだが、自分であれこれ、縁談を見つけてこようとはしない。それが救いでもあり、問題でもあった。

「とにかく仕事など早く辞めて、いいお相手を見つけてお嫁に行きなさい。アシュバートン家に相応しい家に」
「……はい」

 祖母の言ういいお相手、というのは身分も金もあって人品骨柄優れた男の意味だが、爵位も金もないわたしのような女が、そんな男と知り合い、さらに結婚する機会など絶対にないと思う。

 一瞬、ハートネル中尉の顔が浮かんだけれど、あり得ないと否定する。
 あの男は口ばかりだ。調子のいいことを言って、本気にしたら、馬鹿にされるだけ。

「で、退職はいつごろなの?」
「ええと、アルバート殿下のご帰国と就任が六月ということですから、引継ぎを済ませると七月に入ってからでしょうか」

 自分で言ってから、あと半月ほどで新しい職を探さなければならないのかと気づき、つい、溜息をついた。その見つけた職を、祖母に説明し、許可を得るなんて不可能だ。――だが働かなければ飢え死にしてしまう。いったいどうしたらいいのか。 

「なんです、溜息などついて、はしたない」

 目ざとく祖母に窘められ、わたしは目を伏せてあやまる。

「申し訳ありません。……少し、疲れておりまして」
「女のくせに仕事などしているからですよ。アシュバートン家の娘が。……全く、お前が男だったら……いいえ、ウィリアムが死んだりしなければ、こんなことにならなかったのに」

 その言葉がわたしの胸を抉る。死んだのが弟のウィリアムではなく、わたしだったら。祖母は城を追い出されることもなかった。

「……はい、おばあ様」
「わたくしはリンドホルム伯爵に嫁ぎ、マックスも生まれ、ウィリアムへと爵位を継いでいくはずだったのに。まさかマックスが戦死し、ウィリアムが急死するなんて……おかげで、あの忌々しいサイモンに爵位を奪われる羽目になった。爵位も領地も奪われ、カッスルも出る羽目になってしまった。本当にお前が――」
「奥様、お代わりはいかがですか」

 さりげなくジョンソンが祖母に話しかけ、話題を逸らしてくれた。

「ええ、いただきますよ。……このハーブティーというの、最初は慣れなかったけれど、確かに、夜はよく眠れる気がしますよ。メアリーも本当に気の利くこと」
「奥様のおほめに与かり、メアリーも恐縮でしょう」 

 ジョンソンが祖母のカップに熱い茶を注ぎ、蜂蜜を薦める。ついで、わたしのカップにも注いで、眉尻を下げてほんのわずかに首を振る。

(お気になさらないでください――)

 わたしもわずかに口角をあげてジョンソンに応え、熱いハーブティーを飲む。

 先行きは真っ暗だが、どうしようもない。わたしはもう一度零しそうになる溜息を懸命に飲み込んだ。







 生まれ育った屋敷は「カッスル」と表現されるとおり、まさに巨大な城塞のようで、三百年ほど昔のご先祖様が建てたものである。その由緒正しき由来について、わたしは祖母から、耳に胼胝タコができるくらい聞かされたため、今でも、滔々とうとうと述べることができるだろう。屋根の形の形式とか、その時代の王様の名前とか。――城内の由来のある家具や、絵画などの美術品についても。大広間の天井画は有名な画家のもので、王都のとある公爵様の邸宅の天井画をも手掛けた人で、こんな田舎まで呼ぶのに余計なお金がかかったのだとか。応接室ドローイング・ルームのチェストを作った高名な家具作家の名前も、もちろん憶えている。

 でもわたしは、重厚で巨大な屋敷の建物や豪華な内装よりも、何よりも周囲に広がる庭園が好きだった。

 かつて、住んでいるときはそれが当たり前だと思っていたけれど、あの城を出て王都に暮らしてみれば、いかに広大であったかわかる。……王都の下町の訛りで言うところの、「べらぼう」っていう表現がぴったりだと思う。何しろ、門から玄関まで数マイル、なだらかに連なる緑の野原に、森に、湖まであった。ところどころ、馬車の窓からの目を楽しませるための、異国風の塔や、古代の神殿を模した建物なども配置され、庭をさらに広く見せていた。噴水を中央に左右対称の幾何学式の庭園、生垣の迷宮ラビリンス、温室、果樹園に菜園……祖父は東洋風の庭園を造ろうとしたらしいけれど、それは果たせなかったのだそうだ。


 城を出て、もう三年。
 閉じられた広大な箱庭のような世界を飛び出して――いや、違う。わたしたちはあの城から追い出されて、王都に出てきた。

 わたしが、女でなければ、と祖母が繰り返し言う。
 わたしが女でなければ。死んだのが弟のウィリアムでなくて、わたしなら、爵位も城も失うことはなかった。わたしが女だったばかりに、あの忌々しい、サイモンに、父の従兄に、すべてを奪われてしまった。お前が男ならよかったのに。

 弟が死んでからのこのかた、何度も耳にした言葉。自分でも思う。なぜ弟ではなく、わたしが死ななかったのだろうと。死んだのがわたしだったら、祖母は今も、あの懐かしい城で暮らすことができたのに。
 貴族の暮らししかしたことのない祖母にとって、王都の、小さな家での暮らしはきっと我慢できないくらいに辛いだろう。ただでさえ狭くて不満なこの家が、わたしの母の遺産だというのも、ことさらに気に入らないに違いない。母は王都で成功した商家の出で、中流階級ミドル・クラスの出身を理由に、事あるごとに祖母にいびられていたらしいから、見下していた相手の遺産で細々暮らしている現在が、さらに耐え難いのだと思う。わたしをののしることで祖母の気が多少なりとも晴れるのなら、この小さな家の平和のために甘んじて受けよう。 

 祖母の小言が始まると、わたしはいつも、神妙な表情で聞いているふりをしながら、祖母の向こう側、暖炉マントルピースの上の壁に飾った、小さな油絵を見つめる。

 特別に素晴らしいわけでもないその絵は、名のある画家の作品ではなく、美術品としても財産としても価値がないので、あのカッスルから持ち出すことが許された。誰が描いたものか忘れたけれど、あの城の、薔薇園ローズ・ガーデンの風景を描いたものだ。

 広大な庭園の中で、幼いわたしの一番のお気に入りだった、薔薇園ローズ・ガーデン

 生垣と壁に囲まれた中に、さまざまな薔薇を集めた庭。初夏には、蔓薔薇を這わせたアーチをくぐると、色とりどりの薔薇が視界を覆いつくし、甘い香りが漂う。小さな野性の品種も、改良された大輪の花も。かつて城に暮らしたある人が特に愛し、丹精込めて作りあげたその小さな庭は、その人の死後もずっと、年老いた園丁が手入れを続けていた。――彼は、まだあの庭を守ってくれているだろうか。

 無名の画家が描いた薔薇園ローズ・ガーデンの絵を眺めて、もう二度と戻らない幸せな日々に思いをはせる。辛い現実からは逃げられないのだけれど。
 
 
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