こころの花

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ひとり

自信作

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トン・・・。トン・・・トン・・・。

ピカピカの包丁を持つ手ははたから見ると、とても見ていられないぐらい危なっかしい。
不揃いの大きさに切られていく野菜たちは今日の夕食となる食材である。

料理暦一週間の彼女は今のところは無事、怪我することもなく調理が進められている。

料理を始めてまだ間もない彼女はこれまでに何度も自分の指に刃を入れてきた。
おかげさまで左手のいたるところがテーピングされており、猛特訓の様子が目に浮かんでしまう。

度重なる失敗が彼女を成長させ、今日の食材の下準備では一度も手に傷を付けずに済んだ。

彼女はフライパンにサラダ油を敷きコンロに火をつけフライパンを熱し始めた。
料理を始めた頃はコンロに火を点火するだけでも大騒ぎだったが、今では慣れた手つきで着火できるようになった。

今日のメニューは手料理の定番ハンバーグのようだ。
なんでも、彼女は料理を始めるにあたって購入した料理入門本に掲載されていたハンバーグの写真を一目ぼれし、一度作って見たいと思っていたのだ。

今日は特に予定も無く、ゆっくりと料理に専念できるということで、待望だったハンバーグに挑戦した、というのが今日の献立が決定した理由だ。

フライパンが十分に熱され、下準備していたハンバーグのたねを焼いていく工程となった。

ハンバーグはここからが重要である。
むしろ、ここまでは比較的順調で、料理本に書かれている工程を丁寧にゆっくりと進めてくることができた。

しかし、焼きの工程が始まるとのんびりはしていられない。まさに時間との戦いとなる。
焼き加減を細かく確認するようなことをすれば、ハンバーグ全体の加減が均等にならないだけでなく、中途半端な焼き加減でひっくり返そうとするものなら形がくずれてしまう。

彼女は慎重な面持ちで高温に熱されたフライパンにハンバーグのたねを投入した。

ジュ~~!

ハンバーグの表面が焼かれる威勢のいい音がした。走り出しは完璧である。
彼女は手早くもう一つのたねも丁寧に並べフライパンにふたをした。

フライパンの窓から覗くハンバーグの生っぽい表面は内部からあふれ出る蒸気で次第に曇り、フライパンの中の様子はまったく伺えなくなった。
しかし、ハンバーグが焼かれる音は衰えずに大きな音を立てている。

少し火を強めすぎたか?と心配になった彼女は火を少し弱めようとした。
しかし、火を強めようとしたその瞬間、あることをが脳裏をよぎった。

それは、先日作ったチャーハンだ。
彼女は料理本の指示通り、フライパンを高温に熱した状態にしてからご飯を炒めようとした。
料理本の工程によると、最初に溶き卵を入れ、すばやくご飯を投入するという流れのようで、彼女もその工程に従い、溶き卵をフライパンに投入した。
しかし、彼女の想定以上に卵が固まるタイミングが早く、温度を強めすぎたかと思い、ご飯を投入してすぐフライパンの温度を下げてしまった。
思った通り、しばらくするとフライパンの様子も落ち着き、ご飯が炒められる音も小さくなった。

しかし、これがよくなかった。
チャーハンとはご飯一粒一粒を均等に炒めることによってパラパラな状態になる。つまり、ご飯を炒めるフライパン自体の温度が下がってしまうと、ご飯全体がただ温まるだけで、表面がまったく炒められないのだ。
それだけでなく、ご飯をかき混ぜればかき混ぜるほど、ご飯粒の形がくずれ、ご飯粒内部の水分がにじみ出てくるため、更にフライパンの温度が下がる。
結果としてべたついたチャーハンになってしまうという訳だ。
どれだけフライパンをかき混ぜようともパラパラにならないのはこのためで、パラパラのチャーハンを作るためには高温で短時間で仕上げなければならない
彼女は最初の工程で面を食らい、温度を下げてしまったがために、失敗作となってしまったところが大きい。

その時のことが気になって、今目の前にしているフライパンの温度を下げるかどうか判断に迷ってしまった。

数秒の自問自答の結果、彼女はフライパンの火を弱めず現状維持を貫いた。
フライパン内部では時折心配になるほど大きな音を立てながら巻き上がる蒸気でふたを揺らしていた。

待つこと五分、一度表面をひっくり返してみることとなった。

フライ返しを使い、彼女は恐る恐る、ハンバーグをひっくり返して見た。

表面は狐色、というにはかなり度が過ぎた軽いこげ茶色状態となっていた。

しまった、少し焼きすぎたか、火が強すぎたか、と自己反省をする前に、もう片方のハンバーグも手早くひっくり返す。
こちらも変わらず、少し焼きすぎたか、という見た目になっていた。

しかし、実はこれは失敗ではない。
ハンバーグはひき肉をこねて作られているため、肉汁があふれやすいメニューなのだ。
なので、こうして表面をしっかりと焼いて肉汁を閉じ込めることで、ジューシーなハンバーグが出来上がる。
そのため、最初は少し大げさに焼くほうがおいしく仕上がるのだ。

そんなことをあまり知らない彼女は、焼きすぎたことに落胆しつつ、次の工程に移った。
次の工程では、先ほどひっくり返した面を3分ほど焼き目をつけたあと、フライパンに水を入れ、蒸し焼き状態にする。
この工程で中までしっかりと火が通るということらしい。

焼き目をひっくり返したせいか、ハンバーグのとても香ばしい香りが漂ってきた。
彼女は、においだけは上出来、見た目は及第点か、といったレベルのものが完成しそうだなと予想し、今回はぎりぎり成功かな、と評価した。

焼き目をつけている間につけ合わせの野菜の準備を始めた。
ピカピカの真っ白の皿の上に並べられた不揃いの野菜が非常に不恰好であるが、ここに先ほどのハンバーグが乗せられるのかと考えると少しワクワクしてくる。

片面を焼き始めて約3分が経過したので、フライパンの背を這わせるようにしながら水をたぷたぷと投入した。

フライパンの温度が急激に下がり、先ほどまでの威勢が一気に無くなりキッチンは急に静かになった。
本当にこの工程であっているのか、という不安で何やら不気味ささえ感じてしまう。

水に浸されたハンバーグを見て一瞬の疑念を感じながらも、いや、自分の浅はかな考えよりも料理本を信用しようと、彼女は意を決してまたフライパンにふたをした。

ひとまずこれで当面はフライパンに注意しておく心配はなくなったはずなので、隣のコンロを使ってハンバーグソースを暖めることにした。
といっても、こちらは市販のものを暖めなおすだけなのだが。
彼女はハンバーグにかけるソースでは、デミグラスソースが好きなのだが、さすがにデミグラスソースを手作りするのは手間がかかりすぎると判断して、市販されている缶詰形式のデミグラスソースを使用することにした。

久々に使った缶きりの扱いに注意しながら丁寧に上ふたをあけていく。
上ふたを開けた途端、慣れ親しんだまろやかな香りと、コクのありそうなソースが現れた。
こちらは小さめの鍋に移し変えて、弱火でゆっくりとかき混ぜながら暖めていく。
熱することによってデミグラスソースの香りが部屋中に立ち込め、まるで洋風のレストランのような雰囲気となった。

しばらくソースをかき混ぜることに夢中になっていると、どうやらハンバーグを熱していたフライパンの水分もだいぶ飛んでいたようだ。

彼女は壁にかけてあったミトンを装着し、巻き上がる蒸気に気をつけながらフライパンのふたをとった。

見た目には何の変化もなく、少し焦げ気味のハンバーグがあるだけだった。
彼女は形を崩さないように恐る恐る用意しておいた皿の上に盛り付け、先ほど暖めていたデミグラスソースをかけた。

「わあ・・・。」

焦げ目がデミグラスソースでカモフラージュされ、見た目にはとても上等そうなハンバーグに見える。

彼女は少しだけ誇らしげな気持ちになり、最後の仕上げでとして上からパセリを振りかけた。

なんてことだ、先ほどまでの不安が180度ひっくり返り、これは大成功じゃないかと思えるほどの見た目となった。
あまりの達成感で彼女はポケットからスマートフォンを取り出し、何枚も写真を撮影した。
立ち込める湯気と匂いが記録されないことで、その魅力は半減してしまっているように思えるが、これは今まで自分が作った料理の中でも間違いなくトップレベルの成功と言っていいだろう。

彼女は意気揚々とその大成功の品を食卓に運び、夕食の支度を始めた。
用意するのは2人分。
自分の分と彼女が料理を始めたきっかけとなる人の分である。

料理とは作る楽しみ、眺める楽しみ、食べる楽しみ、そして、食べさせる楽しみがある。
彼女はこの数日でそのすべてに魅了され、まさにやる気満々なのである。

彼女は先日の失敗作からの名誉挽回が約束されたような自信作をもう一度見て、目を細めた。

さて、この見た目は完璧なハンバーグの味はいかがなものか。
それが明らかになるのはあと数分後。
おなかを空かせたあの人がやってきてからだ。


自信作【完】
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