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ひとり
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ガチャ・・・、キー・・・、バタン。
1LDK,家賃4万5千円の格安アパートに備え付けられた古い扉は隣人に不快な思いをさせてしまっているのではないかと心配になるほどの悲鳴をあげながら大きな音を立てた。
「・・・ふう・・・。」
実家暮らしだった頃は帰宅時に誰も居ないことがわかっていても「ただいま」と挨拶をしていたものだが、そんな習慣はすっかりなくなり、社会人生活6ヶ月目の私は、帰宅と同時にほっと一息つくようになった。
誰かが待っていない家に帰ることに最初こそ慣れないものであったが次第に自分だけが入室することを許可された聖域に戻ってきたんだという認識に変わった。
帰宅時に体から自然とガスが抜けたような状態になるようになったのは、そのような認識になってからだろう。
私は玄関でやや乱雑に靴を脱ぎ、帰宅途中で買った夕食の袋をキッチンの台に置いた。
私はwebデザイン関係の仕事をしてる都合から、普段は家で仕事をすることが多い。しかし、月に何回かはこうして外に出て会社のオフィスに顔をださなければならない。オフィスといっても、ビジネスビルの一角のにある小さなスペースを陣取った事務所のような場所だが。
私は帰宅途中で買った夕食である冷凍つけめんを電子レンジに入れ、いつもどおり600Wで5分半という慣れた手つきで解凍を始めた。
ウイーン・・・。
電子レンジから放たれる淡いオレンジ色の光によって少し薄暗かった部屋にあかりが灯された。
加熱している間に手早く手洗いとうがいを済ませ、たんすの中から部屋着を取り出し、完全にOFFモードに入った。
日頃から家に引きこもっていることもあり、たまの外出では多少なりとも外見に気を使った身なりにならなければならないと考え、得意ではないオシャレをしていたこともあり、部屋着に着替えた途端、また一息ついてしまった。
そうこうしているうちに電子レンジは指定された時刻を告げ、ホカホカとした蒸気を上げながら最終工程へと進んだ。
私は魚介スープのつけ麺が大好きだ。
特に、つけだれの味は濃いほうが好きで、濃縮還元のスープではいつも少し濃い目になるように調節する。
この配分はあまり多くない友人に変わってるとよく言われる。
変わってるもんか。
つけ麺はスープ割ならともかく、食べ進めるごとに麺に付着した水分でスープの味が薄くなることから、味の変化を楽しむためには最初は濃い目にすべきなのだ。
別皿に用意しておいたつけだれに熱湯をいれて薄めていく。
菜箸をつかってスープを溶いていくと、たちまち芳しいカツオだしの香りが立ち込めて、私の食欲を刺激する。
実は今日は慣れない仕事をしたせいで疲れが出たのか、そんなに食欲がなかったのだが、こういう日だからこそとお気に入りのつけ麺を購入してきたのだ。
この選択は紛れもなく正解であった。根本的に空腹状態であった私の体は好物を前にして完全に戦闘態勢へとシフトしてしまった。
ここまで仕上がってしまえば後は手早く麺をザルにあげ、流水でほぐし、麺に絡みつくぬめりを取れば完成である。
今年に入ってから何度この工程を実践してきたことか。
本来であればもっと栄養の取れるものを食卓に並べるべきなんだろうが、背に腹は変えられない。こんなに美味しくて手軽なものを250円という破格で、しかも、そこらじゅうのコンビニで手に入るときたら、食卓界のヒエラルキーの上位に居座っていたとしても何の違和感もない。
私は調理したとは言い難いが紛れもない絶品の品をリビングに移し、先月のボーナスで購入した液晶テレビの電源をつけた。
テレビではちょうどいつも見ている情報番組が放送されており、今日一日を振り返るニュースが報道されていた。
「いただきます」
私は実家暮らしだった頃の習慣であった食事前の挨拶をしっかりと告げたあと、まずは一口と麺を啜った。
おいしい。
それは、商品をカゴにいれた瞬間から予想されていた感情だった。
すこし太麺で、ほんのり卵風味のするプリっとした食感の麺とダシの効いた鼻に抜けるカツオの香りが完璧なバランスで、本当に日本という国はとんでもないものを作る国だなと関心してしまう。
これじゃあいつまでたっても自炊がはかどらないではないか。
テレビでは変わらずニュースキャスターが熱心に報道しているにもかかわらず、今の私にとってそんなことはどうだっていい。
おいしい。
食べれば食べるほど溢れてくる感情と、満たされていく空腹感。
ふと、冷蔵庫にお気に入りのぶどうジュースが冷えていたことを思い出した。
私は一旦はしを止めて冷蔵庫へと向かった。
今朝、会社に向かう前に洗っておいたグラスを食器棚から取り出しテーブルにおき、冷蔵庫からぶどうジュースがたっぷりと入ったビンを取り出した。
キンキンに冷えたビンは持ち手どどんどん冷たくしていき、ジュースを注ぐ手は少し震えていた。
少々あふれ気味に注ぎ終わったグラスを持ち上げてみると、手に伝わってくる冷たい感覚と、底が見えないくらいに濃い紫色に誘われて、私は冷蔵庫の戸を閉める前に一口。
「うーん・・・!」
爽やかな酸味とほのかな渋みがたまらない。
これについては、「おいしい」という感情よりも、病みつきになる感情というほうが正しい
一口飲んだことによってグラスにすこしの余裕ができたので、上から空きを埋めるように注いで、ビンを冷蔵庫にしまった。
ぶどうジュースが注がれたグラスを持って、私はリビングに戻り食事を再開するのであった。
麺を一口啜る。
おいしい。
またしても同じ感情。
少しはグルメにならねばと、ほかの商品も試してみようとするのだが、どうしてか手が勝手につけ麺を掴んでしまうのだ。
明日は違うのを買ってみようっと。
口下手の私は心の中でもうひとりの自分とよく会話をする。
私はもうひとりの自分と明日の目標を宣言した。
そんな一人芝居をもう何度繰り返しただろう。
私は大好きなつけ麺を啜り、おいしさを噛み締めながら、明日のメニューを考えるのでした。
きっと明日こそは。
お気に入りのメニュー【完】
1LDK,家賃4万5千円の格安アパートに備え付けられた古い扉は隣人に不快な思いをさせてしまっているのではないかと心配になるほどの悲鳴をあげながら大きな音を立てた。
「・・・ふう・・・。」
実家暮らしだった頃は帰宅時に誰も居ないことがわかっていても「ただいま」と挨拶をしていたものだが、そんな習慣はすっかりなくなり、社会人生活6ヶ月目の私は、帰宅と同時にほっと一息つくようになった。
誰かが待っていない家に帰ることに最初こそ慣れないものであったが次第に自分だけが入室することを許可された聖域に戻ってきたんだという認識に変わった。
帰宅時に体から自然とガスが抜けたような状態になるようになったのは、そのような認識になってからだろう。
私は玄関でやや乱雑に靴を脱ぎ、帰宅途中で買った夕食の袋をキッチンの台に置いた。
私はwebデザイン関係の仕事をしてる都合から、普段は家で仕事をすることが多い。しかし、月に何回かはこうして外に出て会社のオフィスに顔をださなければならない。オフィスといっても、ビジネスビルの一角のにある小さなスペースを陣取った事務所のような場所だが。
私は帰宅途中で買った夕食である冷凍つけめんを電子レンジに入れ、いつもどおり600Wで5分半という慣れた手つきで解凍を始めた。
ウイーン・・・。
電子レンジから放たれる淡いオレンジ色の光によって少し薄暗かった部屋にあかりが灯された。
加熱している間に手早く手洗いとうがいを済ませ、たんすの中から部屋着を取り出し、完全にOFFモードに入った。
日頃から家に引きこもっていることもあり、たまの外出では多少なりとも外見に気を使った身なりにならなければならないと考え、得意ではないオシャレをしていたこともあり、部屋着に着替えた途端、また一息ついてしまった。
そうこうしているうちに電子レンジは指定された時刻を告げ、ホカホカとした蒸気を上げながら最終工程へと進んだ。
私は魚介スープのつけ麺が大好きだ。
特に、つけだれの味は濃いほうが好きで、濃縮還元のスープではいつも少し濃い目になるように調節する。
この配分はあまり多くない友人に変わってるとよく言われる。
変わってるもんか。
つけ麺はスープ割ならともかく、食べ進めるごとに麺に付着した水分でスープの味が薄くなることから、味の変化を楽しむためには最初は濃い目にすべきなのだ。
別皿に用意しておいたつけだれに熱湯をいれて薄めていく。
菜箸をつかってスープを溶いていくと、たちまち芳しいカツオだしの香りが立ち込めて、私の食欲を刺激する。
実は今日は慣れない仕事をしたせいで疲れが出たのか、そんなに食欲がなかったのだが、こういう日だからこそとお気に入りのつけ麺を購入してきたのだ。
この選択は紛れもなく正解であった。根本的に空腹状態であった私の体は好物を前にして完全に戦闘態勢へとシフトしてしまった。
ここまで仕上がってしまえば後は手早く麺をザルにあげ、流水でほぐし、麺に絡みつくぬめりを取れば完成である。
今年に入ってから何度この工程を実践してきたことか。
本来であればもっと栄養の取れるものを食卓に並べるべきなんだろうが、背に腹は変えられない。こんなに美味しくて手軽なものを250円という破格で、しかも、そこらじゅうのコンビニで手に入るときたら、食卓界のヒエラルキーの上位に居座っていたとしても何の違和感もない。
私は調理したとは言い難いが紛れもない絶品の品をリビングに移し、先月のボーナスで購入した液晶テレビの電源をつけた。
テレビではちょうどいつも見ている情報番組が放送されており、今日一日を振り返るニュースが報道されていた。
「いただきます」
私は実家暮らしだった頃の習慣であった食事前の挨拶をしっかりと告げたあと、まずは一口と麺を啜った。
おいしい。
それは、商品をカゴにいれた瞬間から予想されていた感情だった。
すこし太麺で、ほんのり卵風味のするプリっとした食感の麺とダシの効いた鼻に抜けるカツオの香りが完璧なバランスで、本当に日本という国はとんでもないものを作る国だなと関心してしまう。
これじゃあいつまでたっても自炊がはかどらないではないか。
テレビでは変わらずニュースキャスターが熱心に報道しているにもかかわらず、今の私にとってそんなことはどうだっていい。
おいしい。
食べれば食べるほど溢れてくる感情と、満たされていく空腹感。
ふと、冷蔵庫にお気に入りのぶどうジュースが冷えていたことを思い出した。
私は一旦はしを止めて冷蔵庫へと向かった。
今朝、会社に向かう前に洗っておいたグラスを食器棚から取り出しテーブルにおき、冷蔵庫からぶどうジュースがたっぷりと入ったビンを取り出した。
キンキンに冷えたビンは持ち手どどんどん冷たくしていき、ジュースを注ぐ手は少し震えていた。
少々あふれ気味に注ぎ終わったグラスを持ち上げてみると、手に伝わってくる冷たい感覚と、底が見えないくらいに濃い紫色に誘われて、私は冷蔵庫の戸を閉める前に一口。
「うーん・・・!」
爽やかな酸味とほのかな渋みがたまらない。
これについては、「おいしい」という感情よりも、病みつきになる感情というほうが正しい
一口飲んだことによってグラスにすこしの余裕ができたので、上から空きを埋めるように注いで、ビンを冷蔵庫にしまった。
ぶどうジュースが注がれたグラスを持って、私はリビングに戻り食事を再開するのであった。
麺を一口啜る。
おいしい。
またしても同じ感情。
少しはグルメにならねばと、ほかの商品も試してみようとするのだが、どうしてか手が勝手につけ麺を掴んでしまうのだ。
明日は違うのを買ってみようっと。
口下手の私は心の中でもうひとりの自分とよく会話をする。
私はもうひとりの自分と明日の目標を宣言した。
そんな一人芝居をもう何度繰り返しただろう。
私は大好きなつけ麺を啜り、おいしさを噛み締めながら、明日のメニューを考えるのでした。
きっと明日こそは。
お気に入りのメニュー【完】
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