ゴブリン飯

布施鉱平

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第二章

44話 父と娘

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「────じゃあ、先輩は五年も前にこの世界に?」
「ああ、気づいたら、素っ裸で森の中に倒れてた」

 ステータスを確認したことにより生じた様々な劣等感は胸の奥にしまい込み、チロはゴーダとこれまでに経験したことを語り合った。

 その結果分かったのは、フグを食べて死んだのはほぼ同時だったというのに、ゴーダはチロより五年も前にこの世界に生まれ変わっていた、ということだった。

「それで、いろんな魔物と戦ったり、ゴブリンの群れと遭遇して族長に祭り上げられたりした後、森で狼に襲われていたエルフを助け、一目惚れして口説き落としたと……」

 異世界に転生するという超常現象が起こっているのだから、今更ふたりの間に生じた時間的な差違に驚くようなチロではない。

 それよりも気になるのは、ヒナの母親であるエルフのことだ。

「そうだ。あいつは、レナは……なんというかもう、この世のものとは思えないくらいに美しくてな。気づいたら『結婚してくれ!』って叫んでた」
「俺が言うのもなんですけど、よくOKしてくれましたよね」
「ああ、こんな見た目だしな」

 と、ゴーダは毛髪のない頭をペシャリと叩きながら、男くさい笑みを浮かべた。

「あいつも、最初は戸惑ってたよ。冒険者をやってるとかで、そもそも森にはゴブリンを退治に来てたらしくてな。それなのにゴブリンに命を助けられて、そのうえ求婚までされたんだから、そりゃ戸惑うよな」
「でも、受け入れてくれた……」
「ああ。あいつの持ってる剣の先を俺の胸に押し当てて、『断るなら、そのまま心臓を突き刺してくれ。おまえに拒絶されるなら、生きていても死んでるようなもんだ』って言ってな……」

 そのセリフをゴブリンの見た目で言い放ったゴーダの強メンタルに、チロは尊敬の念を抱いた。

「でまあ、結婚してヒナも生まれて、俺はもちろん、あいつも毎日幸せそうだったんだが…………ある日、急に出て行っちまった。
 なんでもエルフってのは、ものすごく長生きらしくてな。だから俺もヒナも、間違いなくあいつより先に死んじまう。そのことが耐えられないと言ってな……」
「そう、ですか……」

 幸せだからこそ……ゴーダを愛し、ヒナを愛してしまったからこそ、エルフのレナは愛する家族を見送る覚悟を持つことができなかったのだろう。

 想像以上に切ない別れの経緯に、チロは返す言葉もなかった。

「……わたし、お母さんのこと、あまり、覚えてないけど……」

 チロの横に座って話を聞いていたヒナが、手をキュッと握りながら、呟くように声を出した。

「わたしのこと、ヒナ、ヒナ、大好きよって言って、にっこり笑いながら、頭をなでてくれたのは、覚えてる」
「ヒナ……」

 うつむきながら、小さな声で母との少ない思い出を語るヒナを、立ち上がったゴーダがヒョイと持ち上げた。
 そしてニカッと大きな口を広げて笑うと、

「ヒナ。父さんも、お前のことが大好きだ」

 はっきりとした声で、そう言った。

「お父さん……」
「いままで、あんまり母さんの話をしてやらなくてゴメンな。
 あいつが出て行ったときヒナはまだ一歳にもなってなくて、だから俺は、ヒナがもう少し大きくなってから母さんの話をしようと思ってたんだ。
 でも、まだ子供だ、まだ早いって勝手に決めつけて、ずっとそれを先延ばしにしてた。
 お前はもう、自分で好きなひとを見つけられるくらい、すっかり大人なのにな」
 
 ゴーダはヒナを下ろし、その頭を優しくなでると、チロに視線を移した。

「チロ。ヒナのことを、よろしく頼む」

 そしてチロの目を真っ直ぐに見つめながら、そう言った。

「先輩……」
「もう、俺のことを先輩とは呼ぶな。ひとりの男として、お前に娘を預けるんだからな」

 ゴーダの目は、どこまでも真剣だった。
 
「俺は、昔のお前を知っている。お前は仕事に対する情熱も責任感もなく、同僚との信頼関係もなく、プライベートでは友人すらいなかった。
 先輩として面倒を見てやろうとは思っていたが、正直お前自身にはなんの期待もしていなかった。
 もし、お前が昔のままだったら、どれだけヒナが望んだとしても、俺はお前たちを引き離しただろう」
「はい」

 はっきりと告げるゴーダの言葉を、チロは正面から受け止めた。
 それは紛れもない事実であり、チロ自身もそのことを悔いていたからだ。

「だが、お前は変わった。
 とんでもなく弱いのに、試行錯誤を繰り返してこの危険な森を一ヶ月間生き抜いた。
 安易に得られるもので満足するのではなく、挑戦してより良い環境を手に入れた。
 ヒナの為に、自分よりも強そうなゴルジに立ち向かった。
 そしてヒナの話を聞き、父親である俺と話し合うことを決めた」

 ゴーダは指を一本ずつ立てながら、チロの評価できる点を挙げていった。

「だから俺は、お前を認める。 
 俺よりもずっと弱いが、ヒナを守ってくれる男だと信じることができる。
 ヒナを笑顔に出来る男だと、期待することができる。
 約束してくれ、チロ。ヒナを幸せにすると」

 ゴーダに言われ、チロは一度、ヒナを見た。
 
 そして、その澄んだ水色の瞳を見つめながら自問した。
 

 自分に、ヒナを守ることが出来るのか。

 自分に、ヒナを笑顔にすることが出来るのか。

 自分に、ヒナを幸せにすることが出来るのか…………


「────俺は、ヒナを幸せにする」

 チロは、ヒナを見つめたままそう言った。

「絶対に、ヒナを幸せにする」

 そして、ゴーダに視線を戻し、もう一度言った。

 出来るのか出来ないのか、それを考えることに意味はない。

 覚悟を決めて、それを言葉にすることに意味があるのだ。
 ヒナにでも、ゴーダにでもなく、自分自身の心に誓うことに意味があるのだ。

「いい顔だ」

 ゴーダは一言だけそう言うと、その厳つい顔に笑みを浮かべた。

「ヒナ、チロと仲良くするんだぞ」

 そしてもう一度ヒナの頭に手を置くと、優しい手つきで頭を撫で、背を向けた。

「お父さん……」
「ゴーダさん」

 その広い背中にふたりの声がかけられるが、ゴーダは一度も振り向くことなく、洞窟の外に向かって歩いて行くのだった。















「あ、週に二、三回は肉持って遊びに来るから、そのときはめしよろしくな」

 ……最後の最後に、そんな言葉を残して。
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