どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた

布施鉱平

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終章

旅立ち

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「────……ゃん」



















「────……ルナおばあちゃん」




















 ────自分を呼ぶ声に夢の中から引き上げられ、ルナはうっすらと目を開いた。

「ルナおばあちゃん、ご飯できたって。今日もこっちで食べる?」

 自分の呼んでいたのは、どうやら曾孫ひまごの一人であるようだった。

 名前は……なんだったか。
 
 ルナは少年との間に二十人以上の子を産み、その子らもまた多くの子を産んだため、曾孫ともなると名前と顔を一致させるのが難しいほどの人数になっていた。

「……いや、わたしは、いいよ。……今日は、あまりおなかが空いてないから……」

 名前の分からぬ曾孫にそう告げると、曾孫は「わかった!」と元気よく言い、走って部屋から出て行った。

 その後ろ姿を笑顔で見送ると、ルナはゆっくりと息を吐いた。


 ……夢から覚めるのが、最近では億劫になってきていた。


 夢の中では、リディアも、ミゼルも、アレックスも、マリアベルも、そして愛しい少年も、その元気な姿を見せてくれる。

 だが現実は、そうではない。


 みんな、ルナを置いて逝ってしまった。


 少年と彼女たちの間に出来た子供や、その子孫たちは周りに沢山いるが、それでも、ルナの心はずっと過去に縛られていた。


 楽しい日々だった。


 美しい日々だった。


 だが、それをはっきりと思い出せるのは、もはや夢の中だけになっていた。

 最近、体調が思わしくない。

 そして頭の方はそれ以上に具合が悪く、常に霞が掛かったようにボンヤリとして、曾孫どころか我が子の名前すら思い出せない時があるくらいだった。

 もう一度ゆっくり息を吐いて、ルナはベッドから体を起こし、近くにあった愛用の揺り椅子ロッキングチェアに腰かけると、窓の外を眺めた。

 多くの子供たちが、笑い声を上げながら走り回っているのが見える。

 人間、獣人、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ……そして、それらの血が混ざり合った混血ハーフの子供たち。

 その全てが、少年に愛された女たちの子孫だ。

 少年との間に生まれた子供たちは、不思議と美醜の観念に囚われることなく、多くの種族と結ばれた。

 そしてその子供たちから生まれた子もまた、美醜によって人を差別することは無かった。

 まるで呪いが解かれたようだ、と誰かが言っていたが、ルナはまさしくその通りだと思っていた。

 たぶん少年は、本当に天使だったのだ。

 外見の美しさこそが全てという、この歪んだ世界を正すために、ひとり天から降りてきた、心優しい天使だったのだ。

 今では世界最大の国家となったこの『奇跡の国マーヴェルランド』には、多種多様な外見を持つ人々が、互いに尊重し合い、助け合い、愛し合いながら、幸せな暮らしを送っている。

 どこまでも穏やかで、平和な光景が、窓の外には広がっていた。


 だが…………


 また深く息を吐き、ルナは薄れゆく記憶の中から、一生懸命大切な仲間たちの姿を拾い集めた。



 ────リディア。

 はぐれ者たちマーヴェリックスの頼れるリーダーにして、今や奇跡の国マーヴェルランド出身の冒険者にとっては必須の技能と言える、『魔動体術アクティブ・キャスト』を編み出した伝説の魔剣士。

 常に誠実で、常に凜々しかった彼女は、突然降ってきた隕石が直撃して亡くなってしまった。



 ────ミゼル。

 並ぶ者なき膨大な魔力の持ち主であり、いくつもの新しい魔術や魔道具を世に生み出した天才であった。

 しかし、その才能を鼻にかけることなく、常に謙虚であった彼女も、魔道具の実験中に大爆発を起こしてこの世から消え去ってしまった。



 ────アレックス。

 誰一人として、彼女を超える戦士は現れなかった。
 常に最強であり続けたアレックスは、同時に誰よりも多く少年の子を産んだ強い母親ビッグマムでもあった。

 だが、道に生えていた毒キノコを食べて、あっけなく死んでしまった。



 ────マリアベル。

 少年を愛し、同時に信仰を捧げていた彼女は、エルフと共に新しい宗教を立ち上げた。

 その名も『イル・エ・ミニオン聖教会』。

 古代エルフ語で『愛らしい少年』を意味する名を持つこの教会は、瞬く間に信徒を増やし、天使教を超える世界最大の宗教へと成長した。

 おそらく布教の際に少年の生写真イコンを配ったのが効果的だったのだろう。

 だが、聖教会のトップとして精力的に活動していたマリアベルは、ミゼルの起こした爆発事故に巻き込まれ、この世を去ってしまった。


 
 ────そして、少年。

 彼は最も長く生き、仲間たちが亡くなった後も、常にルナと共にいてくれた。
 下界での寿命を全うし、天に帰るその直前まで、ルナの事を愛し、慈しんでくれた。

 ……しかしそれも、遙か昔の出来事だ。

 少年とルナでは、寿命が違う。

 例え少年の正体が天使であったとしても、その肉体は人間のものなのだ。

 故に三百年近い長きに渡り、ルナは一人で生きなければならなかった。

 子供たちはいた。

 孫も、曾孫もいた。
 
 それらは確かに、ルナの心を慰めてくれた。


 だが、足りないのだ。


 ルナの頭を撫でてくれる優しい手が恋しかった。


 ルナの目を見つめてくれる暖かな瞳が恋しかった。

 
 ルナを抱きしめてくれる柔らかな体が、心地いい響きの声が、眩いほどの笑顔が。


 恋しくて、たまらなかった。










 ────









 
 ────










 ────









 
 ────っ










 …………ふと、ルナはどこからか、名前を呼ばれたような気がした。

 とても、とても懐かしい声で、呼ばれたような気がした。

 重い瞼を必死に開くと、そこは光溢れる広大な草原だった。

 
 ────ルナ


 もう一度、今度ははっきりと、声が聞こえた。

 聞き違えるはずがない。

 それは、ずっとずっと会いたかった、愛しい人の声なのだから。

 ルナは声に向かって草原を駆けた。

 肉体は若かった頃のしなやかさを取り戻しており、風のような速さで、羽のような身軽さで、ルナは駆けた。


 そして────見つけた。

 
 色とりどりの花に囲まれ、ルナを手招きする、五つの人影。


 リディア

 
 ミゼル


 アレックス

 
 マリアベル

 
 そして────



 両目からボタボタと涙を溢れさせながら、ルナはその柔らかな体に飛び込んだ。

 
 寂しかった。


 苦しかった。


 恋しかった。


 ……逢いたかった。

 
 ルナが泣きじゃくりながらそう言うと、彼はいつものように、優しく髪をなでてくれた。


 ────行こう。


 その声に、ルナは頷いた。

 
 もう二度と離すものかと、キツく彼を抱きしめた。



 今度こそ、ずっと一緒だ。




 ずっと







 ずっと────



































 ◇


「……という夢を見た」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………?」

 はぐれ者たちマーヴェリックスと少年がアールヴァーナに亡命してきてから、数日が経ったある日。

 突如として食事の席で昨夜見た夢を語り出したルナに、言葉を理解できずに首を傾げている少年以外の家族は、微妙な表情を浮かべていた。

「……とりあえず、ルナが私たちの事を認めてくれている、ということは分かった。
 彼に対する強い愛も、しっかりと伝わってきた。
 ……だが、なんだその死に様は。適当すぎるだろう」

 四人の気持ちを代弁するかのように、隕石で死んだリディアが声を上げた。

「そうだぞ、毒キノコくらいで、おれが死ぬわけないだろうがっ!」

 最強の戦士でありながら、拾い食いで命を落としたアレックスもそれに続く。

「……ごめんね、マリア。巻き込んじゃって……」

「い、いえ、夢の話ですから……」

 遺体も残さず消滅したミゼルが、巻き添えにしたマリアベルに謝った。

 いつものじゃれ合い、いつもの賑やかな食事風景だ。

 …………だが、

「……でも、いつか、わたしがひとりになるのは事実」

 俯きながら口にしたルナの言葉に、全員の表情が真剣なものに変わった。

 確かに、この中でルナだけが長命なエルフ族である以上、それはいずれ確実に訪れる現実だ。

 夢と違って全員が健康で長生きしたとしても、寿命の違いからルナだけが取り残される。

「ルナ……」

「△%○$#……?」

 沈痛な面持ちでリディアが声をかけ、少年もまた何かを察したのか、ルナを案じるような声を出した。

「……だから」

 と、俯いたままルナは二人の声に反応し、

「……亀を倒しに行こう」

 と、訳の分からないことを言った。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………?」

 意味の分からない行動に定評のあるルナだが、今回ばかりは本当に意味が分からなかった。

 言葉を理解できない少年はともかく、それ以外の全員の顔にも「亀……?」という疑問が浮かぶ。

 そんな反応を見越していたのか、ルナはあらかじめ用意してあった紙芝居を取り出すと、そのまま物語りを始めた。

「……むかしむかし、エルフの耳がまだ短かった頃、エルフの寿命は、人間とほとんど変わりませんでした……」

 一枚目の絵には、外見的には人間と変わらないエルフたちが描かれていた。

「……しかしある日、とあるエルフが、森の中で光る大きな亀を見つけたのです……」

 二枚目の絵には、小山ほどの大きさの金色に光る亀を見上げる、一人のエルフが描かれていた。

「……エルフは、亀を狩りました……」

 三枚目は、容赦なく亀の首を落とすエルフの姿だった。

「……そしてその亀の肝を食べたら、あら不思議……」

 四枚目は、生のまま亀の肝に食らいつくエルフだった。
 妙にリアルな絵で描かれているせいで、少年を含めた五人は若干引いた。

「……エルフの耳がニョキニョキ伸びて、なぜか寿命もニョキニョキ伸びたのです……」

 五枚目は、今のエルフと同じように、耳の長くなったエルフたちが笑顔で手を繋いでいる絵であった。

「……おしまい」

 そして六枚目には、金色の亀に立ち向かう、はぐれ者たちマーヴェリックスの姿が描かれていた。

「……なるほど、言わんとすることは分かった。つまり、その亀を探して皆で食べて、エルフと同じ寿命を手に入れよう、と言っているわけだな?」

 ルナの紙芝居を理解したリディアが、頷きながら確認する。

「でも、その亀は実在するの? エルフに伝わるおとぎ話とかではなくて?」

 次にミゼルが問いかけた。

「……いる。……これはおとぎ話じゃなくて、エルフの歴史だから。……長の家には、先祖代々伝わる金色の甲羅もあるし」

「あるんですか、甲羅……」

 自信満々に答えるルナに、マリアベルが驚きに目を見開きながら呟いた。

「おれはかまわないぜ! 冒険者もやめちまって、暇してたからな!」

 最後にアレックスが大きな声でそう言うと、リディアは一度大きく頷いてから、家族の顔を見回した。

「反対する者は…………いないようだな。では、彼には後で説明するとして、私たちの次の冒険は、金色の亀を捜索し、その肝を手に入れることとする」

「ええ」

「……よしっ」

「おうっ!」

「わかりました」

 リディアの宣言に、ミゼルが、ルナが、アレックスが、マリアベルが、次々に応えた。

 エルフの里に亡命したことによって、はぐれ者たちマーヴェリックスというA級冒険者パーティーは、世界から消えてなくなった。

 だが、そんな肩書きは、もはやどうでもいいことだ。

 一人の少年に愛されたことでその生き方を変えた女たちは、もっと、ずっと素晴らしいものを手に入れていた。

 彼女たちはまだまだ多くの冒険をし、そしてその興奮と喜びを分かち合うだろう。


 これから先は、六人で、ずっと────






























 ────ちなみに少年は、何が何だか分からないが、それでも一緒に拳を突き上げて、彼女たちのマネをしていた。

 そんな少年の愛らしさにノックアウトされた彼女たちが、まだ日も高い内から少年をベッドに連れ込もうとするのだが……





 それはまた、別のお話。





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