どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた

布施鉱平

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終章

深淵

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 ────ミゼル。

 かつての名は、アッシャーノ・ミゼル。

 ティナーク王国創設期から王家に仕えてきた名家のひとつ、アッシャーノ伯爵家の令嬢であったミゼルは、はぐれ者たちマーヴェリックスの誰よりも貴族という人種の恐ろしさについて理解していた。

 美を尊ぶこの世界において、最も美を尊重し、美を誇りとする存在。

 だからこそ、そうでない者に対してはどこまでも冷酷に、どこまでも残酷になれる存在。

 それが貴族だった。

 だからこそ、愛すべき少年を攫ったのがアイーシャではないかという推測を立てたとき、ミゼルは血が凍り付くような恐怖を感じた。

 アイーシャ自身はまだいい。

 絶世の美貌と、それに付随するカリスマを有するアイーシャではあるが、その思想の異端さから、遥かに格下であるクロード子爵家に、半ば放逐のような形で降嫁させられていたからだ。

 だが、彼女に流れる血は、三公とまで呼ばれる大貴族の一角、フォワール家のもの。

 そのフォワールが…………マイト、キシェールと共に王国を三分する力を持つフォワールが、初代国王ファナカにも等しいと言われる美貌を持つアイーシャを、格下の家に入れてただ放置しているとはとても思えなかった。

 必ず、彼女を見張る『目』がどこかにあるはずだ。

 そしてその『目』は、自らが見たものを間違いなく主に伝えるだろう。

 もしすでに、その『目』に少年が見られていたら。

 もしすでに、フォワール公爵家が少年の存在を認識していたら。

 ────絶対に、はぐれ者たちマーヴェリックスだけで少年を守り抜くことは出来ない。

 不可能だ。

 どれだけリディアやアレックスが強かろうと、どれだけルナが万能であろうと、どれだけマリアベルの癒やしが優れていようと、どれだけミゼルが魔術の扱いに長けていようと。

 広大なティナーク王国の三分の一に等しい力を持つ相手に、抗えるわけがない。

 はぐれ者たちマーヴェリックスは、それぞれが超人と言っていいほどの力を持つ者たちだが、だからと言って無敵でも、完璧でもない。

 現に、すでに少年を奪われているのだ。

 それもフォワールですらない、格下の冒険者の手によって。

 この先、無事に少年を取り戻せたとして、そこで終わりではない。

 むしろ、そこからが始まりなのだ。

 守り続けなければならない、だが、その力が自分たちにはない。

 どうすればいいのか、どのような手段を講じれば、少年と共に在り続けられるのか。

 ミゼルには、最後まで答えは出なかった。


 …………


 …………


 だが…………


 …………


 …………リディアは、そうではなかった。

 
 彼女の中には、明確な『答え』があった。

 フォワールから……いや、フォワールだけではなく、他の二公や天使教からすらも少年を守り抜き、かつ自分たちが少年とともに在り続けることができる、唯一と言ってもいい手段を、ミゼルはリディアから告げられた。

 その『答え』は、確かに最善のものであった。

 だが、それと同時に、失うものはあまりにも多かった。

 受け入れれば、これまでの生活は全て消え去るだろう。

 家も、仕事も、かつては唯一の拠り所であった冒険者としての名声も、何もかもが失われ、そして二度と同じものが手に入ることはないだろう。
 
 それは、これまで必死になって、歯を食いしばって生きてきた、人生の全てを失うことと同意だった。

 残るものは、少年と、新しい家族となった仲間たちだけ。

 …………

 ミゼルは、迷うことなくリディアの提案に賛成した。

 彼女にとっては、少年や仲間と天秤に掛けて惜しむものなど、何一つとして存在しなかった。
 
 そしてそれは、ミゼルだけでなく他の仲間たちも一緒だった。
 
 円陣を組んだはぐれ者たちマーヴェリックスは、手を重ね、心を一つにして誓いを立てた。


 ──我ら五人、生まれも育ちも違えど、生きる目的はただ一つ。この命も、この体も、この心も、この愛も、全てを我らが夫に捧げ、死するその時まで彼を守り、彼に尽くすことをここに誓う。

 
 互いに目を合わせ、その意思と決意に偽りがないことを確認すると、はぐれ者たちマーヴェリックスは重ねた手を下ろし、行動を開始した。

 まずはミゼルの転移魔術によって、リディア、アレックス、マリアベルの三人をキャスク平原へ転移させる。

 十中八九罠だろうが、アレックスの突破力、リディアの判断力と応用力、そこにマリアベルの回復力が加われば、大概の窮地は凌ぐことが出来るだろう。

 彼女たちの役割は、時間稼ぎだ。

 ミゼルとルナが役割・・を終えて到着するまでの間、できるだけ敵の注意を引きつけておくのが主な目的だ。

 次にミゼルは、ルナと共に自らも転移で跳んだ。

 行く先は大陸南方の地、世界最大の樹海『モンベール』。

 巨大な湖や天を突く山脈をその内に有し、未だにその生態系を把握できないほど多数の魔獣が生息する、人外魔境の大樹海である。


 そして同時にそこは、容姿の醜さから世に蔑まれるエルフたちの里────


 ────ルナの生まれ故郷である、『アールヴァーナ』が存在する場所でもあった。




 ◇

 
 ……ルナと共に素早くアールヴァーナでの役目を終えたミゼルは、すぐさま転移魔術によってキャスク平原に跳んだ。

 そして到着すると同時に、平原全体を〈広域把握ワイドエリアサーチ〉で精査した。

 ……見つけた、少年の気配だ。

 間違えようもない、小さくても暖かなその魔力に、ミゼルの瞳から涙がこぼれ落ちた。

 だが、泣いている暇などはない。

 すぐさま少年のもとに駆けつけたくなる気持ちをぐっと堪え、ミゼルは次なる魔術を展開させる。

 はぐれ者たちマーヴェリックスの拠点にも張り巡らせていた〈守護結界イージス〉を改良し、外からではなく中からの衝撃に対して特に強い耐性を持たせた、〈封印結界インプリズン〉とでも言うべき魔術である。

 それを、キャスク平原全体を包み込むように展開した。

 通常、〈守護結界イージス〉は結界の核となる触媒を必要とし、その触媒に込められた魔力によって維持される性質のものだ。

 それは、改良を加えた〈封印結界インプリズン〉であろうとも変わらない。

 そして触媒なしにこの魔術を使用した場合、術者は自身が核となって維持するための魔力を注ぎ続けなければならないため、魔術を扱う際と同様に、その場から動く事が出来なくなる。

 しかも、範囲が平原を覆うほどの大きさともなれば、魔力の消費も尋常なものではない。

 並の魔術師では発動すら出来ず、高位魔術師と呼ばれる一握りの者たちですら、数十人単位の規模で取りかかる必要があるだろう。

 しかしそれを、ミゼルは事もなげにやってのけて見せた。

 彼女の二つ名は────『深淵』。

 底が見えぬほどの魔力を有する、世界最強の魔術師。

 今回は作戦上裏方に回っているが、もし彼女が全力を出せば、ドラゴンのブレスすら正面からかき消し、そのまま上半身を消し飛ばしてしまうような威力の魔術を、まるで初級魔術のような気軽さで連発することも可能だろう。

 かつてアイーシャがミゼルに誘いを掛けたとき、もしミゼルが彼女の側に付いていたなら、今回の事件は全く違う局面を迎えていたかも知れない。

 その心の弱さをアイーシャにつけ込まれ、彼女に心酔する側近として、その深淵なる魔力から繰り出される容赦ない一撃の下に、はぐれ者たちマーヴェリックスを消滅させていたかも知れない。

 ……だがそれは、起こりえたというだけのIFもしもの話だ。

 今のミゼルは、仲間を信じ、自分を信じ、少年と再会する未来を信じて疑わない、一人の強い女として成長しているのだから。
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