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第四章
彼女たちの焦燥と苦悩1
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「フゥーン………フゥーン…………」
少年を失い、まるで光が消えたように暗く静まり返る家の中に、悲しげな声が響いていた。
…………アレックスである。
「フゥーン…………フゥーン…………」
部屋の中をウロウロと歩き回りながら、アレックスは情けなく鼻を鳴らし続けている。
その姿に、はぐれ者たち最強の戦士たる面影は欠片もない。
それどころか、まるで親を失って途方に暮れている、子猫のようですらあった。
初めて感じる悲しさや喪失感に戸惑い、自分でもどうすればいいのか分からなくなってしまっているのだろう。
「……とりあえず、主要な街道と街を監視するよう、ギルドに話は通してきた」
少年が何者かに連れ去られてから、数時間後。
冒険者ギルドに『A級冒険者』として正式に少年の捜索を依頼したリディアは、仲間たちと情報をすり合わせるため家に戻ってきていた。
そして、ずっと悲しげな声で鳴き続けているアレックスにチラと気遣わしげな視線を送りつつも、「お前たちの方はどうだ?」と他の仲間たちに短く問いかけた。
「〈広域把握〉には、何も引っかからなかったわ。……やっぱり、もう街にはいないみたいね」
まずはミゼルが、唇を噛みながらそう答えた。
少年の手がかりを何も得られなかったことが悔しく、そしてやり切れないのだろう。
「……誘拐犯の痕跡は、いくつか見つけた。……消しきれてない足跡が庭に、指紋や掌紋がトイレの通風孔にあった。
……手や足の大きさ、足跡の深さから、犯人はたぶん身長170センチ前後、体重は50キロ前後の女。……種族は分からない」
その次に答えたのは、犯人の物理的な痕跡を探していたルナだ。
初めて出た犯人の具体的な人物像に、リディアは無言で頷きを返すと、次にその視線をマリアベルに移した。
「魔力の痕跡は、やはりほとんど消えていました。ですが、僅かに残った残滓から、エルフ族の特徴を感じ取ることができました。なので…………」
「犯人は、エルフか…………」
マリアベルの答えに「ふぅ……」とひとつため息をついて、リディアは目を閉じた。
そして、そのまま数秒間考える仕草を見せたあと、
「────なら、犯人の背後に天使教が絡んでいることはないだろうな。あそこは徹底した亜人排他主義だ」
とひとつの結論を出した。
「そうね、私も天使教は関わっていないと思うわ」
「……同感」
「私もそう思います」
リディアの意見に、ミゼルたち三人も同意を示す。
世界最大の宗教団体である『天使教』は、ティナーク王国初代国王であるティナーク・ファナカを、神の御使いである『天使』として崇めている宗教だ。
その信徒数が人間の人口とほぼ同数という巨大な宗教であるが、『天使ファナカ』と同種である『純粋な人間種』を至上の種族と考えているため、エルフや獣人といった亜人種のことを徹底的に見下し、差別している。
もし天使教が『天使ファナカ』に匹敵する美貌をもつ少年がいると知れば放っては置かないだろうが、人間至上主義である彼女たちがエルフに協力を仰ぐとも思えなかった。
「となると、やはりティナークの貴族がエルフ族の冒険者を雇って……というのが一番可能性が高いか」
少しずつ『敵』の姿が見えてきたなと思いつつ、リディアは呟いた。
豪商や個人、他国の貴族も可能性としてなくはないが、やはりA級冒険者を敵に回すほどの自信を持ち合わせているとなると、世界最大にして最強の国家である『ティナーク王国』の権力者────それも、かなり高い爵位を持つ者が裏で糸を引いてると考えて間違いないだろう。
「ミゼル、貴族の中で彼を…………っ、なにかに利用しようと、考えるような奴はいるか?」
一瞬、好色な貴族に弄ばれる少年の姿を想像してしまったリディアは、言葉を詰まらせながらも、元貴族であるミゼルに尋ねた。
「そうね…………私たちを敵に回しても彼を手に入れたいような貴族となると…………」
ミゼルは目を瞑り、その人並み外れた記憶力で条件に合致しそうな貴族の名前を脳内に羅列していく。
そして────
「────ひとり、いるわ。現クロード子爵家の当主、クロード・アイーシャ子爵よ」
藍色の目を薄く開くと、思いついた名前を仲間たちに告げた。
「クロード……子爵?」
予想外の答えに、リディアが疑問の表情を浮かべる。
それも当然だろう。
子爵といえば家格としては下から二番目の爵位であり、主に田舎の農村地帯などを治めている程度の、金も権力も武力も持たない下級貴族でしかないからだ。
最低でも伯爵、もしくは侯爵あたりを敵に回すことを想定していたリディアとしては、いささか拍子抜けである。
だがミゼルは深刻そうな表情を崩すことなく、
「……ええ、確かにただの子爵なら、私たちと敵対するような力も度胸もないでしょうね。でも、現当主のアイーシャは、入嫁なのよ────あの、フォワールからの」
はっきりと、そう告げた。
そしてその言葉は、一瞬の気の緩みを吹き飛ばすほどの衝撃を、リディアに与えたのだった。
少年を失い、まるで光が消えたように暗く静まり返る家の中に、悲しげな声が響いていた。
…………アレックスである。
「フゥーン…………フゥーン…………」
部屋の中をウロウロと歩き回りながら、アレックスは情けなく鼻を鳴らし続けている。
その姿に、はぐれ者たち最強の戦士たる面影は欠片もない。
それどころか、まるで親を失って途方に暮れている、子猫のようですらあった。
初めて感じる悲しさや喪失感に戸惑い、自分でもどうすればいいのか分からなくなってしまっているのだろう。
「……とりあえず、主要な街道と街を監視するよう、ギルドに話は通してきた」
少年が何者かに連れ去られてから、数時間後。
冒険者ギルドに『A級冒険者』として正式に少年の捜索を依頼したリディアは、仲間たちと情報をすり合わせるため家に戻ってきていた。
そして、ずっと悲しげな声で鳴き続けているアレックスにチラと気遣わしげな視線を送りつつも、「お前たちの方はどうだ?」と他の仲間たちに短く問いかけた。
「〈広域把握〉には、何も引っかからなかったわ。……やっぱり、もう街にはいないみたいね」
まずはミゼルが、唇を噛みながらそう答えた。
少年の手がかりを何も得られなかったことが悔しく、そしてやり切れないのだろう。
「……誘拐犯の痕跡は、いくつか見つけた。……消しきれてない足跡が庭に、指紋や掌紋がトイレの通風孔にあった。
……手や足の大きさ、足跡の深さから、犯人はたぶん身長170センチ前後、体重は50キロ前後の女。……種族は分からない」
その次に答えたのは、犯人の物理的な痕跡を探していたルナだ。
初めて出た犯人の具体的な人物像に、リディアは無言で頷きを返すと、次にその視線をマリアベルに移した。
「魔力の痕跡は、やはりほとんど消えていました。ですが、僅かに残った残滓から、エルフ族の特徴を感じ取ることができました。なので…………」
「犯人は、エルフか…………」
マリアベルの答えに「ふぅ……」とひとつため息をついて、リディアは目を閉じた。
そして、そのまま数秒間考える仕草を見せたあと、
「────なら、犯人の背後に天使教が絡んでいることはないだろうな。あそこは徹底した亜人排他主義だ」
とひとつの結論を出した。
「そうね、私も天使教は関わっていないと思うわ」
「……同感」
「私もそう思います」
リディアの意見に、ミゼルたち三人も同意を示す。
世界最大の宗教団体である『天使教』は、ティナーク王国初代国王であるティナーク・ファナカを、神の御使いである『天使』として崇めている宗教だ。
その信徒数が人間の人口とほぼ同数という巨大な宗教であるが、『天使ファナカ』と同種である『純粋な人間種』を至上の種族と考えているため、エルフや獣人といった亜人種のことを徹底的に見下し、差別している。
もし天使教が『天使ファナカ』に匹敵する美貌をもつ少年がいると知れば放っては置かないだろうが、人間至上主義である彼女たちがエルフに協力を仰ぐとも思えなかった。
「となると、やはりティナークの貴族がエルフ族の冒険者を雇って……というのが一番可能性が高いか」
少しずつ『敵』の姿が見えてきたなと思いつつ、リディアは呟いた。
豪商や個人、他国の貴族も可能性としてなくはないが、やはりA級冒険者を敵に回すほどの自信を持ち合わせているとなると、世界最大にして最強の国家である『ティナーク王国』の権力者────それも、かなり高い爵位を持つ者が裏で糸を引いてると考えて間違いないだろう。
「ミゼル、貴族の中で彼を…………っ、なにかに利用しようと、考えるような奴はいるか?」
一瞬、好色な貴族に弄ばれる少年の姿を想像してしまったリディアは、言葉を詰まらせながらも、元貴族であるミゼルに尋ねた。
「そうね…………私たちを敵に回しても彼を手に入れたいような貴族となると…………」
ミゼルは目を瞑り、その人並み外れた記憶力で条件に合致しそうな貴族の名前を脳内に羅列していく。
そして────
「────ひとり、いるわ。現クロード子爵家の当主、クロード・アイーシャ子爵よ」
藍色の目を薄く開くと、思いついた名前を仲間たちに告げた。
「クロード……子爵?」
予想外の答えに、リディアが疑問の表情を浮かべる。
それも当然だろう。
子爵といえば家格としては下から二番目の爵位であり、主に田舎の農村地帯などを治めている程度の、金も権力も武力も持たない下級貴族でしかないからだ。
最低でも伯爵、もしくは侯爵あたりを敵に回すことを想定していたリディアとしては、いささか拍子抜けである。
だがミゼルは深刻そうな表情を崩すことなく、
「……ええ、確かにただの子爵なら、私たちと敵対するような力も度胸もないでしょうね。でも、現当主のアイーシャは、入嫁なのよ────あの、フォワールからの」
はっきりと、そう告げた。
そしてその言葉は、一瞬の気の緩みを吹き飛ばすほどの衝撃を、リディアに与えたのだった。
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