絶望と希望の在り処

珈琲きの子

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肌寒さを感じて寝返りを打てば、クスクスと笑い声が聞こえた。

「もう朝だけど」
「……あぁ」

半身を起こせば、薄っぺらい布一枚を身に着けた女が帰り支度を整えている。酒場で引っ掛けたんだった、とアレクは昨晩のことを振り返りつつ、手元にある紐で髪を縛った。

「ふふ、それとももう一回する?」
「いや、いい」

猫なで声でくびれのある肢体を寄せてくる女を躱して立ち上がる。金をベッドに投げ置くと、上着を羽織ってそのまま部屋を出た。

行き先は傭兵ギルド。
金は捨てるほどあるが、それが日課になっていた。依頼をこなして、女を抱いて。かれこれ何年もこんな生活を送っている。
あの時、大事なものを落としてきてしまったように思う。何かを楽しいと思うこともなく、何かに腹を立てることもない。淡々と日々は過ぎていく。

「よぉ、兄ちゃん、今日も指名入ってんぜ」

勝手知ったる、といった様子でカウンターに置かれた依頼書を引っ掴んだ。
ふらりと現れて数ヶ月ほど滞在し、またふらりと次の街へと移動する。仕事を選ばない流れ者。アレクはそんなふうに呼ばれるようになっていた。
胸の痛みを塗りつぶすように汚れ仕事を片っ端から引き受けた所為で、賞金首入りしてしまった時は流石のアレクも笑みを零した。もちろん自分を嘲るように。
変装し、複数の名前を使い分け、器用に生きられるようになった今、《黒曜の獅子》の面影はなかった。

「いやぁ、助かりました。こちらが報酬金です。お収めください」

高そうな服に身を包んだ男が金貨を積んだトレイをアレクの前に滑らせる。長居は無用。手早く金を片手に取り、ポケットに無造作に突っ込んだ。

「じゃあ、これで」

機嫌を損ねると皆殺しにあう。どこから流れたかも知らない噂を信じているのか、即座に踵を返したアレクに口を出す者はいない。しかし、屋敷の入り口を警備していた刈り上げ頭が首を傾げたかと思うと、唐突に声をかけた。

「お前……アレク、……やっぱりアレクだよな!?」
「…………」
「ほら! 覚えてないか?ホオズキ亭で一緒に飲んだだろ?」

懐かしい店の名前に立ち止まり、アレクは顰めた眉を緩めた。ラヴェルと暮らしていた頃、通っていた街にあった酒場。居心地がよく毎週のように飲みに行っていたことを思い出す。この男も常連だった。

「ああ……短剣使いの、」
「おうよ! 覚えてくれてるとは光栄だな! それにしても、お前が近所に住んでるとはなぁ。急に顔見なくなったから、皆心配してたんだぜ?」
「そうなのか? 悪かったな。今は放浪の旅ってやつをしてて」

久しぶりの顔にどん底で停滞していた心が少し浮き上がった気がした。

「稼げるやつは自由気ままでいいねぇ」
「いや、稼げる時に稼いどかねぇと」
「だな。俺は傭兵から足洗って、お抱えの衛兵やってんだ。お前は変わらねぇな、まだ二十半ばって言っても通じる」
「あー……実はもう億劫で歳数えてないんだよな」
「おいおい、しっかりしろよ。でもまあ、あれから十年以上経ってんだから、お前も三十越えてるわけだろ?お互いもう若いとは言えねぇな!」

かはは、と上機嫌で笑う男。確かに最後に会った時よりも目尻に皺が目立っている。だが、結婚して子供ができたと頭を掻く様は、幸せそうで眩しかった。ポケットに入っていた金貨を祝儀として渡し、アレクは代わり映えしない宿へと戻った。

体に残る血の匂いを消すためにシャワーを浴びる。男に言われたからか、珍しく鏡に目が行った。映るのはざっくりとナイフで切っただけのざんばら髪と無精髭。鏡の中にいる男の目に生気はなく、「酷いな」と独り言つ。その形相を見れば随分老けたように見えるが、三十路だった父の顔を思い起こせば、確かに若い、とアレクは奇妙な感覚に陥った。

(止まったのか、成長が)

ラヴェルのように。
街を転々とし、アレクを知る者がいなかった所為か、自分の年齢も外見も気にしたことがなかった。

「同じになったんだな、あの人と」

この世界に二人だけの特別な存在。
アレクはクッションの効いたベッドに体を沈め、天井を仰いだ。

『てめぇとは違う!』

全否定するかのように食ってかかってしまった。裏切られたという、やりきれない思いがそうさせたのだとしても、あの言葉はきっと、いや、確実にラヴェルを傷つけた。

「偽善者か」

その通りだとアレクは思う。
今だからこそわかることがある。自分の中にある膨大な魔力を制御できるようになったのも、金を稼げる力を手に入れられたのも、全てあの人の教えがあったからこそ。
本当に守りたいものは何だったのか。
何の努力もせず与えられただけの知識を使って、ただ陳腐な正義感を振りかざし、薄っぺらい価値観のままに行動して。俺は何を守りたかったんだろうか。

「クソが……」

秘密を勝手に暴いておいて、弁解する余地すら与えなかった。あれだけ村に戻るのを阻止されていたのだ、否が応でも隠したかったもののはず。
ならばなぜ父を生かしておいたのか。あの村を跡形もなく消し去っていれば、見つかることもなかったのに。
まさか。

「……俺の、父親だから……?」

でも、父が魔物に変異したのはラヴェルが――

(いや、あの人の所為じゃない)
魔素溜まりは自然現象。散らすことはできても、作ることはできない。それに、自然現象には介入しないというのがラヴェルの信条だった。
嵐が来ようが土砂崩れが起きようが、そこで人が死のうが、ただ知らぬふりをしていた。それに対し、酷い奴だと、なじったこともあった。だが、その振る舞いは残酷なようで平等だったように思う。
自分の思い通りにならなかったからとただ責め立てて。裏切られたなんてどの口で言ってんだ。お門違いも甚だしい。

「本当に馬鹿じゃねぇか、俺」

アレクは額に手を当てて、乾いた笑いを零した。
あの人の本質が悪でないことは知っていたのに。

『バカ弟子』

何年も聞いていないというのに、ラヴェルの声がはっきりと耳に残っている。今すぐにでも、お前はバカだと叱りつけてほしい。
アレクはその日、一月滞在予定にしていた宿を迷うことなく引き払った。






眼下に広がるのは城壁に囲まれた街とその周辺一帯の景色。周りに森しかない崖の上にぽつんと建つ家。アレクはなんとも懐かしい風景に目を細めた。
息を詰めながらドアノブを回す。ラヴェルは当然アレクがいることに気付いているはずだ。

室内に入れば、炊事場にラヴェルはいた。変わらぬ少年の姿のままで。
それは十年前に見た日常。
まるでタイムスリップしてきたような錯覚を起こす。ただ、そこにあるグレージュの癖毛も金色の瞳も、アレクが求めていたものだった。

「随分老けてんじゃねぇか……」

拗ねたような声色。でも、その声は震えていて。
アレクは駆け寄り、その背中を掻き抱いた。

「なっ! なんだよ! 気持ち悪ぃな!」

そう叫びつつも、ラヴェルは振り払おうとはしなかった。アレクが髪に顔を埋めても、ただされるがままにじっとしていた。

「すみません」
「っ、お前が素直だと調子狂うだろ……」
「すみません」

腕の中にある身体が予想以上に小さくて、アレクは過ぎた時間の長さを感じた。

「俺が馬鹿でした」
「……だからずっと言ってんじゃん、バカって」
「返す言葉もねぇ。……あんた、泣いてる?」
「…………」

返事がなくとも、瞼のきつく閉じられた横顔を見ればわかる。

「なぁ、全部教えて欲しい。隠すなよ。俺だってもうガキじゃねぇんだから」
「……泣いて帰ってくるかと思ったのに……生意気になりやがって」
「色々貴重な経験してきたんだよ。――それよりさ、あんたのこと、聞かせてほしい」
「っ、バ、カやろ! 耳元で喋んな!」

ラヴェルは片耳を押さえながら、アレクを突き飛ばすような形で腕から逃げた。首から上は真っ赤で、しかも目は潤んでいる。何かと思えば、ちょうど耳元で囁くような形になっていたらしい。アレクは初めて見る狼狽えたラヴェルに高揚して仕方がなかった。

「あれ、おかしいな。こうやったら大体の女は一発で落ちんのに」

と、揶揄からかってしまいたくなるほどに。

「なっ、なっ! 俺は、女じゃねぇえ!」

早々にラヴェルの容赦ない蹴りが炸裂し、アレクは家の壁を突き破って、外まで飛んでいった。

「相変わらず、つえぇ」

腹にぽっかり空いた穴を見て、帰って来たんだな、とアレクは実感する。その顔にはやんちゃな笑みが戻っていた。



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こちらの作品は、2万字程度の短編で10話で完結します。
『地図から消えた村』アンソロジーの寄稿分として一年ほど前に書いたものになります。
楽しんで頂けますと幸いです。
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