絶望と希望の在り処

珈琲きの子

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「なん、だ、これ……」

遠目からも見えていた異質な物体。人工的な壁は村の周囲をぐるりと取り囲んでいた。街道まで続いていた細いながらも村の生命線だった小径は跡形もなくなり、まるでそこだけが世界から隔離されているかのようだった。

《黒曜の獅子》として名を上げていたアレクは遠征依頼も受けるようになり、そこで黒髪黒眼が人口の多数を占める国や街が大陸に点在していることを知った。それから決行の日の直前まで伝手を頼り、それらの情報を集めていたのだ。
メモに記された街をしらみ潰しにまわるつもりにしていたが、何かの勘が働いたのか、一番に目指す場所は決定していた。

住み慣れた街がある場所とは正反対に位置する大陸の西。
主要な街からは随分と離れた山の中腹にある小さな村で、立地も酷似していた。
アレクの生まれ育った村は湧泉を神の水と祀り、実りにも恵まれたそれなりに美しいところで、そんな景色を久しぶりに見られるのかと期待していたのだ。
だが、今、目の前にあるのは一体何なのか。山の麓から見上げた景色は間違いなく村周辺のもので、懐かしささえ感じたというのに。

岩でできた分厚く聳え立つ壁。背中に冷や汗が流れるのを感じながらその上に飛び乗れば、目に映ったのは荒廃した田畑と家と思わしき残骸。そして、得体の知れない何か・・だった。
それは人の形をしているが、上背が人の二倍ほどあり、下顎から突き出した大牙と異常に発達した筋肉が人間でないことを物語っていた。

「魔物……? なんで、……村を襲った、のか?」

壁で囲まれた内側で動いているのはその一体のみ。気配感知をするが、周囲で引っかかるのは野生の獣たちだけだった。村の人たちはどこへ行ったのか。無事に逃げられたのだろうか。
魔物はその閉鎖空間をうろうろと歩き回り、時折雄叫びをあげる。そして、壁に体当りして崩そうと試みているようだった。

「まさか、こいつを閉じ込めてるのか……?」
「せいかーい」
「――っ!!」

それは何年も聞き慣れた、高くも低くもない涼やかな声だった。弾かれたように振り向いた後、背後に立っている美少年の姿を認めて、アレクは背筋がゾッと冷えるのを感じた。

「この日が来るとは思ってたけど、予想より早かったなー。俺の教え方が良かったのかぁ」

アハハ、とラヴェルは場違いな笑いを響かせた。

「あんた、知ってたのか」

声が震える。目の前のよく見知った少年が全く見知らぬ異形のモノに見えた。それを感じ取ったのか、ラヴェルは「ま、そうなるよな」とアレクから視線を外し、魔物へと視線を落とした。その横顔は前髪で隠れ、表情を窺い知ることはできない。

「アレクはアレが何かわかる?」
「…………」
「あーそっか、まだ途中までだったよな。『魔素溜まりは魔素が拡散せずに停滞した領域。その領域で一定期間過ごすと獣は魔物化して、魔物は変異する』。そこまで教えたよな?」


――じゃあ、人間はどうなると思う?


その質問にアレクは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。暑いわけでもないのに、こめかみから頬を伝って汗が落ちる。

「あ……あれが人間だって言いたいのか?」
「……人間が魔素溜まりで生活すると遅かれ早かれ死ぬ。ただ、一厘にも満たない確率で魔物に変異することがある。魔素に耐性のある特異な血筋で見られやすく、親子で魔物化する例もある」

親子?
妙にその言葉に引っかかりを覚えた。得も言われぬ不安が足元から這い上がってくる。

「そろそろ答えに近づいてるんだけど、俺、あんまり言いたくないんだよなー。可愛いバカ弟子が泣いちゃいそうだし。まぁ、お前が村の人間に殺されかけた理由を考えれば答えは既に出てるけど」
「それ、どういう……」
「本当にわからない?」

おもむろに振り返ったラヴェルの、黄金の光沢をもつ瞳がアレクをまっすぐに射抜いた。その瞳には複雑な感情が入り混じっていて、何を考えているのか読み取れなかった。だが、その時、頭の片隅でかちりとピースが填まったような気がした。ただ呆然とし、それを頭から否定しようとする自分がいる。

「アレはお前の、」

ラヴェルの形の良いふっくらとした唇が無情にも言葉を紡ぐ。

「――お前の父親だ」

心臓を貫かれた気がした。頭が真っ白になり、次の瞬間にはラヴェルに殴りかかっていた。箍が外れたのか、今まで一度たりと掠りもしなかった拳がラヴェルの頬に直撃する。華奢な体は吹き飛び、壁の下へと落ちていった。アレクはその後を追い、地面へ向かって飛び降りる。

「……痛ってぇな。人に当たんじゃねぇよ」

上半身を起こしたラヴェルの頬には少し擦れた痕があるものの無傷と言って差し支えなかった。

「なんで放置した! なんで魔素を散らさなかったんだよ! てめぇにはそれができただろ!!」
「……言ったよな。俺の持ってる知識は世の平穏のためには使わないって」
「だからって人が死んで、魔物になっていく様を傍観してたのかよ、てめぇは! 俺たちは実験道具じゃねぇんだよ!」

アレクの悲痛ともいえる叫び声が壁に反響し、森にこだました。その後、まるで水を打ったように無音の時が流れる。何十秒、何分経っただろうか、その静けさを切り裂くように笑い出したのはラヴェルだった。

「アハハ、傑作! 俺たち? 何言ってんだよ、お前は『不死身』だろ? 自分も変異した側の人間だって何でわからねぇの?」
「っ、俺は……、」
「人間が『不死身』に変異する確率は神の気まぐれ、涅槃寂静。今はお前と俺だけ。世界に二人しかいない特別な存在なんだよ」
「特別? 特別がなんだ! 特別だからって何しても許されるってのか。ふざけんじゃねぇ! 俺は、てめぇとは違う!」

アレクが感情を吐き出すように唸る。父のこと、村の異変を隠蔽しようとしていたこと。今まで平然と嘘を吐き続けていたこと。全身が怒りと悲しみと虚しさに覆い尽くされていた。
ふらりとラヴェルが立ち上がる。アレクを見ようともしなかった。

「あっそ……なら、好きに生きればいい」

何の言い訳も取り繕いもせず、ただその一言を残して、滑り込むように亜空間に姿を消した。
あまりにもあっけない去り際。怒りの矛先を失い、アレクはただ拳を握るしかなかった。

「ちくしょう……っ」

荒れ狂う激情を目の前にある壁にぶつければ、ミシミシと音を立ててその一角が崩れ落ちる。その先にいたのは一体の魔物。閉鎖空間から開放されたと気付いたのか、アレクの方へ一直線に向かって来ていた。

「父さん……」

醜い姿だった。
寡黙だが優しかった父の面影はそこにない。魔物化したものは元に戻らない。いつか聞いたラヴェルの声が耳に響いた。

「ごめん、父さん」

長い間そんな姿でいさせて。
アレクは歯を食いしばり、手をかざした。



青い炎はその地に眠る死者たちを弔うように三日三晩燃え続けた。
異変を察知した近隣の街の兵士達が調査に訪れた時には、山の中腹にある平地を埋め尽くすように花畑が広がっていたという。


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こちらの作品は、2万字程度の短編で10話で完結します。
『地図から消えた村』アンソロジーの寄稿分として一年ほど前に書いたものになります。
楽しんで頂けますと幸いです。
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