蝶と共に

珈琲きの子

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第二部 第二章

アルの戦う姿

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「もう少しだよ」

ユーエンの声が救いだった。体がもう限界を迎えていたから。
道すがら何度も吐いてしまったし、ユーエンが水筒に汲んでくれた水も底をついて、どうしようという思いが強かった。
俺の嗅がされていた香は媚薬のようなものらしく、三日は足元が覚束なくなる代物だとユーエンが教えてくれた。それだけ歩けるのがすごいと驚かれたけど、それはユーエンにも言えること。
杖があるとはいえ、俺の体重を半分支えてもらっているのだから、足にかかる負担は相当なもののはず。踏み出す度に歯を食いしばっていることが伝わってくる。見ていて辛いものがあった。

森の木々は今も俺たちを隠してくれている。追われている気配はあるものの、こちらのことが見えていないみたいで、自分たちのペースで歩けることが唯一の救い。

「ティーロ、ほら!」

薄暗かった周囲が木漏れ日が差して道を照らした。疲れが吹き飛ぶ瞬間っていうのは本当にあるみたいで、気分が一気に上向く。
でも、その高揚した気持ちを引き留めるように服の袖に枝が引っ掛かった。

「待って。森から出たらだめだ」
「え?」

二人して足を止めたものの少し判断が遅かった。森から出るのにあと二メートルといった所だったけれど、密度が薄くなった木々の合間からじろりとこちらを見る目玉と目が合ってしまった。
その直後、頭のすぐ上を掠めるように一陣の風が通り過ぎる。かとおもえば、ミシミシと音がして複数の木が傾き、こちらに倒れ込んできて……。
こういうとき足が動かない。向かってくるものをじっと見上げることしかできなかった。

「ティーロ!」

その叫び声と共に地面を突き破るようにして生えてきた木。その木が俺とユーエンを庇うようにみるみると枝を茂らせた。唸るような音をさせながら木々が倒れ込んでくるけれど、すべてを受け止めるようにその大木は聳え立つ。その頼もしい姿は力の持ち主そのもので。
涙で潤んだ視界の中に竜と対峙するアルの姿が見えて、余計にぼやけてしまった。

「アル……」

でも泣いてる暇はない。俺はアルに倣うようにユーエンを支え、竜たちの視線を遮るように背中に隠した。

「ティ!」

こちらに駆けてくるアルを竜の起こす突風から守るのは幾本もの木でできた壁。俺が身を寄せていた大木の影に体を滑り込ませると、追い掛けてくる竜を蔦のような植物で絡めとり、空から引きずり下ろした。こんなふうに力を使っているのを初めて見て驚きを隠せなかった。
でもそれ以上に今感じたいのはアルの体温。
俺がアルに向けて腕を広げれば、まるで胸に埋め込むように俺を抱き寄せた。お互いの無事を確認する。それだけで十分だった。

「ティーロ。兄上と一緒に逃げるんだ、いいね」
「アル! 竜と交渉したいんだ」
「交渉!?」
「ユーエンが……ユーエンは俺と同じ落ち人なんだ。だから……それに竜の王の番で、」
「落ち人? 竜の番……? ユーエンが?」
「竜たちにユーエンが落ち人だと認めさせれば、全部解決するんだ。全部」

アルは少し懐疑的な様子で、空中浮遊している竜たちを仰いで肩を竦めた。

「あの調子じゃ何言っても……」
「大丈夫。俺を殺せないから、きっと攻撃はしてこないはず。だから話をしたくて」

空にいる竜は五体。そのどれもが動きを止めてこちらを窺っている。それから地上にいる人の姿をした二人も同様で、先ほど俺たちに攻撃してきた竜はその一人に地面に押さえつけられじたばたともがいていた。きっとあの竜の勝手な行動だったんだ。

「……俺が知らない理由があるんだね?」
「うん。後でしっかり話すから」
「わかった。俺が見るにあの右に立つ人物は地位が高い。交渉するならあいつに。森は味方とはいえ逃げ場はないから、不利になればギルベルトと一緒にここを――」
「アル。俺はアルと離れる気はないよ。今回それを痛いくらい感じたから」
「ティーロ……」

俺の腰を支えるアルの腕にぐっと力が入る。見下ろしてくる困ったような眼差しが愛しくて、俺はその視線を真正面から受け止めて一つ頷いた。

「わかった。何があっても一緒にいる」
「うん。絶対に」
「最後に一つ聞いてもいい? 竜にとって天使は『なに』?」
「純血を産むための存在」
「……なるほど、ね」

アルが唸るように低い声を発した。それは初めて聞く腹の底から怒りを吐き出すようなものだった。

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