蝶と共に

珈琲きの子

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第二部 第一章

過去と現在

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 ユーエンの家は市場にある長屋の一角にあって、通りに面した部分が店舗になっていた。店の奥に入ると、うなぎの寝床と言われるだけあって奥行きがあり、家としては十分の広さが確保されている。

「ようこそ」

 迎えてくれたのは恰幅のいいおじさん。ユーエンとは全く似ても似つかずで、父です、と紹介してくれなければ、店員かと思ってしまうほどだった。

「ユーエンが世話になっておるようで恐縮です」
「いえ、こちらも勉強を兼ねてやらせていただいていますから」

 優しそうな印象の人だったけど、商売人らしい貫禄がにじみ出ている。少し気圧されているとアルが営業用の人当たりのいい笑みを浮かべて応対し、その上「お忙しいなら」と構う必要はないことを伝えてくれる。

「では、お言葉に甘えて失礼させてもらいます。またいつでもおいで下さい。ユーエンも喜びますので」

 そう言って会釈をすると、ユーエンに夕食までには戻るからと食事の準備するように言いつけて、早速店の方に行ってしまった。
 ホッとしたけど、ユーエンに対しての態度が親子のものではないような気がして、気持ちがモヤモヤとする。まずこの足の状態を放っておく自体考えられないことなんだけど、普通に家事をさせてるなんて。
 アルも思うことがあったのか俺と目を合わせて、小さく首を振った。

「すみません。忙しくていつもあんなかんじで」
「気にしなくていい。早速足を診ようか」

 アルが促すとユーエンが居間へと案内してくれた。杖は問題なく家でも使えているようで、ホッと胸をなでおろす。
 椅子に腰を下ろしたユーエンの脚に触れると、足の腫れはほぼ治まり、足首がちゃんとくびれて足首らしくなっていた。

「良くなってるね」
「うん、買い物に行って荷物も少しは持てるようになったんだよ」
「無理してない?」
「平気。一番ひどい時を思えば体が軽く感じるから。全然違うんだよ、本当に」

 ユーエンの笑顔が増えたのは間違いなくて、俺は少し誇らしい気持ちになる。それを察してか、アルが俺の頭をぽんと撫でてくれた。

「二人共頑張ったね。後は隔日で貼り薬をしながらマッサージすることにしようか」

 アルに教えられるままに貼り薬を一旦剥がす。用意してもらった湯に薬を入れて薬湯にして足を数十分浸し、その後少しずつ関節を解すようにマッサージを始めた。傷を放置してしまったため関節の可動域は今まで通りというわけにはいかないけれど、それでも随分マシになるだろうという話だった。
 ユーエンはこそばがりのようで、くすぐったさを震えながら耐えていて、アルと顔を見合わせては笑いを零した。

「この分なら、杖がいらないぐらいにはなるんじゃないかな」

 アルがそう言うとユーエンが患部を擦りながら「嬉しい」と小さく呟いた。

「ありがとう、ティーロ。アルベルトさんも……」
「お店、手伝えるようになったらいいね」
「うん。――今度ご飯に誘ってもいいかな? お金はないけど、父さんがいないときに料理なら振る舞えるから。僕、結構料理の腕には自信があるんだ」
「そういうことなら、もちろん。いいよね、アル?」
「構わないよ」
「じゃあ、お二人の都合のいいときに」

 来週父親が買付けで家を数日間空けるらしく、その時に合わせてまたお邪魔することを約束して、二人で街に繰り出した。食料品やらの買い出しをするため市場に赴けば、やはり人でごった返していた。
 王都だけあって人口はそこそこ多い。一箇所に集まるから人口密度もあっちの世界の大都市と同じぐらいで、祝祭日となれば市場はすごい賑わいになる。

「アルベルト!」

 低音の太い声がアルを呼ぶ。振り返ればアルの兄であるギルベルトが野菜やら果物が入った紙袋を抱えていて、あまりの違和感に目を瞠ってしまった。

「兄上、こんにちは」
「よお、買い物か?」
「はい。それにしてもすごい荷物じゃないですか。何かあるんですか?」
「…………」

 アルの問いにすぐには返さず、俺にちらりと物言いたげに視線を投げてくる。でも結局何も言わずにアルを向いた。

「わかりました。あと一時間ほどで戻るので、その時に受け取ります」
「……おう。じゃあ、あとでな」

 二人は目で会話を済ませてしまい、俺が入る隙がないままギルベルトは背中を向け、市場の中心とは反対に歩き出した。
 ギルベルトは何かと俺を構いたいらしいけど、直接何かを言ってくることはない。最初の出会いが出会いだったから俺に気を使ってか、こうしてアルを介してしか言葉も交わさないし、一定以上の距離を置いたままだ。
 アルのことを大切にしていて、今は優しい人だと知っているし、俺もあの時のことは過去のことだと割り切っているんだけど、そうあっさりしたものじゃないのかもしれない。

「兄上はあれで気が済むみたいだから、ティーロもあんまり気にしないようにね。でも嫌だったらはっきり言うんだよ」

 ギルベルトの行動に思うことがあるみたいだけど、王家の人であり兄であり、強く言えないようだった。
 アルはギルベルトの背中が消えるまで見送ってから、兄上のおかげで今日の夕飯は豪華にできそうだね、と微笑んだ。

「アル。俺、ギルベルトさんのこと恨んでなんかないから」
「……ふふ、ティのそういうところに俺は惹かれるんだろうな。きっと兄上も」
「そういうところ?」
「強いとも前向きとも違うんだけど、ティーロは人を恨まないでしょ。端から見てるこっちは辛いんじゃないかと思ってしまうけど、ティはすべてを受け入れてちゃんと自分で立ってて。だから手を差し伸べたくて仕方なくなるんだけど」

 受け入れているなんて、自分では思ってもみなかった。今まで諦めてなすがままに振り回されていただけ。最初は恨んだし、どうして自分がって思った時もあった。ただそれすら考えることが億劫になっていただけなのに。

「そんなふうに見える?」
「うん」

 なら、きっとそれもアルのおかげだ。アルが俺のことをまっすぐに愛してくれるから。
 そこまで考えて、朝アルに告白してしまったことを色々と思い出し、顔がかぁと火照りだす。

「ティーロ?」
「俺、朝すごく恥ずかしいこと言った気がする」
「うん、熱烈だったよ。俺は嬉しかったけど。……そんな顔されたらまた襲いたくなっちゃうからやめようね」

 と、アルは俺に外套のフードを被せて深く深くため息を吐いた。

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