蝶と共に

珈琲きの子

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第一部 第二章

愛しき子⑤

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 ティーロを抱き上げて、屋敷に戻ろうとしたが、ルーファが呼び付けてきたギルベルトが部下を連れ到着し、俺を呼び止めた。

「おいこれ、どうすんだ…」
「見世物にはちょうどいいでしょう?」
「…キレると物騒だな、おまえ…」

 ジャングルのように緑に覆いつくされた市場の一角に絶句する兄に傭兵を取り込んでいることを説明すると、解放するように言われるが、俺にはどうでもいいことだった。
 雇い主を知りたいなら協力しろと言われだが、成長してしまったものは枯れるまで待つしかない。又は切り落とすか。

「その際は、中の傭兵まで真っ二つにしないようにお願いします」

 兄上にはとてつもなく嫌な顔をされたが、抑えている激情を察してか、後は任せろと、帰るよう促された。
 
「アルベルト。早く着けてやれよ」

 その場から離れようとすると、ルーファが小さな箱に指輪を入れ、持ってきてくれていた。

「ああ、ありがとう。巻き込んですまなかった」
「おまえが謝る必要なんてないよ。ティーロと一緒にまた遊びに来てくれな」

 ルーファの嬉しい言葉に頷きつつ、馬車に乗り込み市場を後にした。

 ティーロをベッドに寝かせ、傷の手当てをする。頬は少し腫れ、背中とわき腹を中心に打撲痕が広がっている。薬を塗布した湿布を貼り終わると、穏やかな寝息を立て始めるティーロ。
 その時やっとティーロを失わずに済んだことを実感した。

「ティーロ…」

 少しかすり傷のある額に口づけ、髪を撫でた。
 
 ティーロが目を覚ましたのはそれから二日後だった。外傷も酷くないというのに、目を覚まさないティーロに身が竦む思いをしたのは言うまでもない。

 少し身を捩り、わずかに吐息が漏れ、ゆっくりと瞼が開くとその艶のある漆黒の瞳が姿を現した。
 
「ティ!」

 ここがどこなのかを確認するかのように少し目を泳がせ身を起こしたティーロを俺は思わず抱きしめた。

「アル…」

 耳元で聞こえる小さな呟き。
 ティーロの声だ…。ティーロの。
 久しく出したせいなのか、掠れてはいるが、ティーロが自分の名を呼んでくれている。それだけで心から喜びが溢れてきた。
 みっともなくティーロの前で泣き始めてしまいそうになるのをぐっと堪え、もう一度抱きしめた。

 しかし、ティーロは急に泣き始め、縋るように俺の名を呼んだ。ティーロの不安な気持ちが痛いほどに伝わってくる。
 浚われたことで、酷く混乱しているのかもしれない。盗賊に囚われていた時の恐怖を思い出してしまったのかもしれない。
 
 ティーロの憂いを取り除いてやりたくて、安心して欲しくて、俺はティーロにキスをした。
 いつも一緒に寝ているとは言え、そういった行為はしてこなかった。
 触れるだけのキスだというのに、ティーロは目を丸くして瞬き、驚きで涙は止まってしまったようだった。

 愛らしい、ティーロ。

 不思議そうに自分の唇に触れ、じわりじわりと頬を赤く染めていく。その姿が何とも愛しくて堪らなかった。そんな表情を見て、疼いてしまうのが悲しいかな男のさが
 気付かれないようにと体勢を変えたのだが、ティーロは目敏く勘づき、迷いもなく俺のズボンの紐に手をかけた。

 カッと血が上る。

 ティーロに処理のようなことをさせたくない。傷も完全には癒えていないのだ。
 それに指輪や結婚の事を伝えてから、ゆっくり愛し合えばいい。優しく髪を撫で、ティーロへの欲望を我慢する。
 ティーロに手を出さない、欲をぶつけてはならない。俺の中ではそれが崇高な考えだと思っていた。

 いつでもティーロが起きて食べれるようにと作っておいた、野菜とハーブをくたくたに煮たスープを温めなおす。
 指輪の事を話せばティーロは喜んでくれるだろうか。断られることすら考えていない自分を自嘲しながら階段を上った。
 ティーロの部屋のドアを怖がらせないようにゆっくりと開け、――俺はトレイごと、手から落とした。

 ティーロが、ティーロの姿が向こうの壁がみえるほどに透けていたのだ。

 その光景を見て、頭に一つの言葉が浮きあがる。

 ――墜ちた天使。

 それは伝承のようなもので、その天使は落ち人ともよばれ、異界からくると言われている。
 愛を得れば、落ち人の暮らす土地は栄華を誇り、絶望を感じれば、姿を消してしまうと。そして、そこには何もなくなると。

「ティ!」

 姿は透けていたが、抱きしめることはできた。
 俺は何度も、何度も呼んだ。

 そして、俺の『崇高』だと思っていた考えが、ティーロを傷つけたのだと。ティーロにはあの行為が必要とされていると思う唯一の判断材料だったのだと思い至った。

「ティーロ、行かないでくれ!」

 何度も揺さぶり、何度もキスをし、ティーロを呼び留めた。

「ティ、愛している。だから…どこにも――」

 ティーロの体がピクリと震えた。声が聞こえているのかも知れない。
 俺はなりふり構わず、呼び続けた。愛していると叫び続けた。

 色が、存在がゆっくりと戻ってくる。
 ティーロが睫毛を震わせ、ゆっくりと瞼を開いた。

 俺を瞳に映し、どうして?、と問いかける様に俺の頬に触れた。

「ごめん、ごめんね、ティーロ」

 謝りながら啄むようにキスを落とした。

「アル…?」

 擽ったそうにするティーロを押し倒し、胸元を開けさせる。怖がらせないようにゆっくりとボタンを外し、唇で肌に触れると、細い体がピクリと跳ねる。

「ティ、もう絶望など、味わわせたりしない」

 俺はそう誓いの言葉を立て、ティーロの唇を塞いだ。

  
 

 
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