僕って一途だから

珈琲きの子

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番外編

守りたいもの ③

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 半年後に老夫婦の元を訪れると、梓は庭の手入れをしていた。聞くと、塀の外に出れないらしい。中学も行かず、ずっとこうして庭いじりと老夫婦の手伝いをしているのだという。
 
 梓は俺の顔を見ると、表情を強張らせたが、老夫婦が余りにも自然に俺に接していたため、怖がるようなことはなかった。

「堤さん、梓がぼったサツマイモ持って帰るかい?」
「いえ、私は…」
「ばぁさん、今焼いてやれ。持って帰っても腐らすだけじゃ」
「そうやねぇ。堤さん、これは梓が育てたんやよ」

 のんびりしながらも強引な誘い。しかも梓が育てたと聞いて断るなどできるわけもなく、結局よばれることになったのを、梓は不思議そうに見ていた。

「あ、あの…堤さん、サツマイモ好きなんですか?」
「……違います」

 端的に答えると、梓は若干ショックを受けたような顔をしながらも、思い詰めたように俯くことはなかった。
 少し変わった。纏う雰囲気が少し明るくなった。
 
 この穏やかな空間。そしてこの面倒見のいい夫婦。
 梓の心が徐々に癒されている。それがひしひしと伝わって来た。

 俺がいなくても、ここでなら…。
 そんな思いが心を占める。

「また懲りんとおいでなさいな」
「いつでも梓んこと、見にきたらええ」
「わたしらは年寄りやから、たまに若い人が会うてやらんと可哀想やろう?」

 この老夫婦はすべてお見通しらしい。

「仕事ですから」

 そう答えても、老夫婦は顔に穏やかな笑みを湛えたまま、俺を見送った。



  ◇ ◇ ◇



 後は、あの女から情報を聞き出すだけだった。
 梓の話を持ち出すと態度は軟化するものの、「情報」について一言でも口にすると、それっきりになってしまう。それがもう三年も続いた。
 女が持っている情報の見当はほぼついているのだが、肝心のデータがない。

 俺はほぼ諦めていた。もう目的を失っていたと言ってもいいかもしれない。あのまま、梓がのんびりと暮らしてくれればそれでいいのだから。俺が出る幕じゃない。

 そんな時だった。
 理様から電話が掛かってきたのは。

『梓を若桜木学園に入れるように手配してくれないか』
「若桜木に? それはどういう…」
『梓を助けられるかもしれない』
「…助けられる?」
『ああ。若桜木には俺の知り合いがいる。それに、槙野うちと取引のある家がほぼないと言っていい』
「しかし…梓には今の一ノ瀬での生活が合っているようなのです。あそこから離すのは…」
『もし、親父の気が変わって、総慎に戻すと言われたらどうする? その前に手を打っておいた方が良い。高校で伝手を作らせるとでも言えば、親父は喜んで行かせると思う』

 理様の必死な口調に俺は「わかりました」と答えるしかなかった。

 予想通り社長は、役立たずが少しでも役に立てるときが来たな、と俺を疑いもせずに快諾した。この時ばかりは、こいつにしっぽを振り続けていて良かったと思う。


「イヤです!」
「そういう訳にはいきません」

 老夫婦に事情を話すと、梓を守れるなら、と快く梓の荷物を準備していてくれた。
 しかし梓には父親に何かされるかもしれないから学園に行けと言えるわけもない。そんなことを聞かせようものなら梓はまた傷ついてしまう。
 社長に話したように、伝手を作るように言われていると梓に伝えれば、梓は塀の外に出れないんだから無理だとごねた。

 当たり前だ。

 俺もここにいた方が梓は幸せに暮らせると思う。こんな風に俺に反論できるほどに心が強くなってきているのだから。
 けれど、いつ梓に矛先が向くか分からない。無理やりにでも連れて行かなければならないのだ。

 人質のように梓の全ての荷物が入ったキャリーバッグを車のトランクに詰める。

「大丈夫やよ。梓ならやってける」
「おばあちゃん…」
「そうじゃ。行ってみたらええ」
「おじいちゃんまで、堤さんの味方なの?」
「観念してください。寮にさえ入ってしまえば、この敷地と大して変わりませんから」
「そんなめちゃくちゃ…」
「悪いようにはならんと思うよ、梓」

 不安に目を泳がせる梓。
 老夫婦に背中を押されて、意志は揺らいでいるらしい。ここに留まるという決断に向かってしまう前に梓を無理矢理に後部座席に詰め込み、車を発車させた。
 敷地の外に出てしまえば、梓が車から出られないことは予想が付いていたからだ。

 バックミラーでちらりと梓を見遣る。懐かしい光景だ。少し頭の位置が変わっているから、背も伸びたのだろう。それさえ嬉しく感じる。
 梓は俺の心とは反対に少し不貞腐れているようだ。そんな表情ができようになったのか、と俺は老夫婦に感謝するばかりだった。

「堤さん、お願いがあるんですけど…」
「帰りたいというのであれば却下です」
「…違います…。その……髪染めたいんです」

 俺は「は?」と心の中で呟いた。
 俺が聞かずとも訳を話し始める梓。

「髪を染めて、印象を変えたいんです」
「そんなことをして何の意味が?」
「僕、地味だから、少しでも明るい奴だって思われたくて」

 要約すれば、『心機一転して臨む』と言いたいのだろう。

 学園に行く道すがらにサロンに連れて行く。

「え、染めるの? しかもそんなに明るく…。勿体ない。こんなきれいなのに」
「いいんです。染めちゃってください」

 そんな話し声が聞こえてきたが、学園に通ってくれるのなら何色に染めようが俺は反対しない。
 
「堤さん、すみません」
 
 呼ばれて傍に寄れば、痛いほどの染料独特の匂いに包まれている梓。
 目を通していた雑誌のカラコンの広告を指差し、「これ、買えないですか?」と聞かれ、カラコンも手配した。それで梓の気が済むというのなら付き合ってやるだけだ。

 そして出来上がった梓は、梓ではなかった。
 
 梓の持つ清楚で純粋な雰囲気がまるでかき消され、全く可愛くなかった。それ以上に似合っていない。
 キンキンの金髪ではなく、何かくすんでいるように見えるその色は俺の予想の範囲を大きく外れていた。

「うわぁ、こんな色になるんだ」

 と、一人感激している。サロンの美容師も無言だ。
 鏡を見て感嘆の声を上げている梓をサロンから連れ出し、また車に乗せる。

 入寮説明会が明日。
 ホテルの部屋に梓を詰め込んで、最終手続きに向かおうとしたのだが、できなかった。
 梓が出かけようとする俺に必死に縋って来たからだった。
 鍵さえ開けなければ、誰も入ってこない。車も通らないから大丈夫だと、宥めても無理だった。
 
「行かないで、お願い」

 さっきとは打って変わってガタガタと震える梓。
 鍵が閉まる部屋でさえ、梓にとっては『外』なのだろう。サロンではあんなに普通にしていたというのに。
 そこまで考えて、冷たく接していた俺でさえ梓の心の支えだったのだと、その時になって気づいたのだった。
 そんな梓を置いて行けるわけもなく、

「仕方ないですね」
 
 と大袈裟に溜息を吐いた。
 結局、学園に梓も連れて行くことになってしまった。

 結果的にはそれはうまい方向に転がった。
 学園の出入りに関して厳重だということが確かめられたからだ。24時間体制で門を見張る守衛と、飛び越えようとも思わないほどの高くそびえる塀。
 
「大切なご子息を預かっておりますから、警備は徹底しております」

 というのがこの学園の一つの売りらしい。中はどうかは分からないが、外の世界とほぼ分断されている空間なら心配はない。
 梓もそう感じたらしい。

 ホテルに帰れば、梓はホッとした様子でルームサービスで頼んだ夕食に手を付けていた。 
 
 そして手配していたカラコンが届き、梓は興奮気味だった。すごい、こんなのなんだと楽しそうに微笑む梓。その笑みに俺の視線は釘付けだ。髪を染めていようが、可愛くて仕方なかった。久しぶりに見る梓の笑顔に俺も内心興奮していた。
 
 カラコンをつければもう別人。
 それが目的であり、本人は満足しているのだが、俺は複雑な気分になった。
 
 少し浮かれた梓を学園に連れて行けば、もちろん注目の的だ。若桜木学園は校則はそれほど厳しくないが、家が厳しいらしく、総慎学園に比べると皆真面目そうに見えた。それなりに髪を染めている生徒もいるが、これほどに派手な生徒はいない。
 俺は横に立つ梓を見た。なんだかんだで前向きなのかもしれない。あれだけ明るい子だったのだから。

 寮の入り口まで荷物を運び、梓とはそこで別れた。余り長く接することは良くない。俺にとっても梓にとっても。
 次にここに来る時は、梓を迎えに来る時だと心に決め、寮長と話す梓の背中を見送った。

 

  ◇ ◇ ◇


 
「梓が高校に入った」

 女がこちらを向いた。

「総慎学園じゃなく、若桜木学園という槙野とは全く関係のない学園だ。安心しろよ」

 いつものように病院のベッドの横の丸椅子に腰かけ、老夫婦の置いて行った箱入りのお土産に手を伸ばした。女にも個包装された菓子を手渡してやれば、静かに袋を開けた。

「にしても梓は前向きだな。社長には似ても似つかないな。…いや、前向きの方向が違うだけか」

 何の気なしに呟くと、女は手からその菓子を落とした。

「……ち、がう…」

 ……しゃ、喋った!
 今まで声を発したこともなかった女が言葉を発したのだから、俺は咄嗟に立ち上がった。

「違うって…。梓が後ろ向きってことか?」
「…かい、ちょ…ぅ…」
 
 かいちょう? 会長? 社長じゃなくて会長?

「槙野会長なんだな? 梓の父親は」

 女は何かを呟きながら頭を両手で抑えながら振る。

「わかった。もう大丈夫だ。もう思い出さなくていい」

 十分だ。
 梓を槙野から引きはがすには十分な情報。
 俺は女の背中を発作のようなものが治まるまで擦ってやり、立ち上がった。

 梓をあのくそ野郎どもから解放してやる。


 ――その時、女が俺の腕を掴んだ。

 
  
 
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