僕って一途だから

珈琲きの子

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番外編

守りたいもの ①

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秘書の堤さん視点です。

_________


 
 それは偶然だった。
 
 手っ取り早く金が欲しくて、顔だけは良かった俺はホストクラブで働き始めた。性に合っていたのか、トントン拍子で指名が取れた。
 そしてナンバーワンホストに気に入られ、槙野晶子という太客にヘルプとして入ったことに始まる。

 その槙野晶子はその時から数年もの間、飽きずに俺を指名してきた。
 そんなある日、俺も二十半ばに差し掛かろうという頃、将来について憂いていたのが、ついポロっと漏れてしまった。

『なら、運転手にでもなる?』
 
 金持ちの考えは良く分からない。
 俺の人生もちょっとしたお遊びとして使われるんだろう。 
 まあいい。

 俺はその場のノリのようなもので契約を取り付け、槙野晶子――奥様の運転手となった。

 仕事と言えば、言うまでもなく送迎。
 奥様だけでなく息子二人の通学についても俺の仕事らしい。
 自慢の息子らしく、どれほど賢くどれほど有望かを熱く俺に言い聞かせた。
 確かに二人は子供らしくない兄弟だった。気持ち悪いほどに礼儀正しく、発言は的確で、この小さな頭の中にある脳みそがどんな形をしているのか不思議になるほどだった。

 雇われてから一年も経たないある日だった。
 
 月に一度も帰ってこない槙野家の主人が二歳ほどの幼児を連れて帰って来たのだ。
 「こいつを育てろ」と言われ、それが愛人との子供と知れば、奥様は当然大激怒。物が飛び、ガラスが割れる音と金切り声が響いた。充分に冷え切っていた関係がその場に散らばったガラスのように元に戻らなくなった瞬間だった。

 すごい修羅場に遭遇してしまった上に、一番の厄介ごとが俺に回って来ることになる。
 
 ――幼児の世話役。

 奥様が愛人の子供と知りながら育てるわけもなく、その場にいた俺に白羽の矢が当たった。
 未婚の子育てもしたことのない男がなぜこんな役を言い渡されなければならないのか。しかも住み込みで。
 
 「かぁたっ」と母を呼び、ふえふえと顔を赤くして大粒の涙を零しながらも、初対面の俺の指を握ってくるその子供。そいつを放って置けるわけもなく、とにかく安全な場所へと抱えて走った。

 途端に火の付いたように泣き始めて、俺は軽いパニック状態。

「どうした!?」
「…しっ、し…。しっしぃ…っ!」

 泣きながらも自分の股のあたりをポンポンと叩く仕草に、おむつが水分を吸って膨らんでいることに気が付いた。

 おむつ!?
 おむつの替え方?! どうすんだ?!
 ってか、自分の子でもない奴の汚物処理すんのか!?

 おむつなんてものを当然買ったこともなく、触ったこともない。そんな時に現れたのが長男の理様だった。

「おむつ替えやったことある」

 と言った理様に二歳児を任せて、おむつを買いに走った。サイズなんて分かるわけもなく、Sからビッグサイズまで買ってきた俺を見て笑いを零し、テキパキとおむつを替え始めたその小学生。新しいおむつに笑顔を浮かべる二歳児を見て、俺はどうしてか無性に敗北感を味わった。

 騒ぎを聞きつけて自室から出てきた丞様が珍しいものでも発見したかのように目をキラキラとさせ、おむつ一丁で駆け回る二歳児を追いかけ始めた。きゃっきゃと二人で遊び始めた姿を見て、俺は少し肩の荷が下りた気がした。

「ね、堤。この子の名前は?」
「……そういえば、知りません」
「ええー」

 丞様は理様よりも比較的素直に感情を出すことが最近わかって来た。

「ねぇ、じぶんのおなまえ、いえるかな?」

 理様が目線の高さを合わせて、二歳児に聞くと、「うん!」と明るく答えた。 

「あぢゅさ」
「あずさ?」
「うん!」
「そっか、あずさって言うんだ。よろしくね」

 優しく撫でる小学生二人。
 出来すぎだろう、こいつら…。
 それでも、この二人がいることで大いに助かったことは事実だった。

 だが、すんなりとうまくいくわけもない。今まで一緒に過ごしていたはずの母親がいないことに気付いては泣き叫ぶ梓を慰める方法など知るわけもなく、泣き疲れて寝落ちするまでただただ耐えるだけだった。

 幸いだったのは、寝始めると朝まで起きないらしく、睡眠時間を全く削られなかったことだった。運転手としての仕事にも響かなかった。もちろん送迎中は家政婦に様子を見てもらっていた。帰ってこればすぐに梓の相手だ。
 理様と丞様も新しい弟として認識し始めたらしく、梓がかわいくて堪らない様子で、梓に与えられた部屋では毎日笑い声が絶えなかった。

 時を置かずして奥様の送迎はなくなり、槙野家主人に契約主が移行したようだった。通帳には二度見するほどの給料が振り込まれており、梓に使う必要経費分が含まれているとはいえ、多すぎる額だった。何かヤバいものに足を突っ込んだような気になってきていた。
 
 ある日、いつものように総慎学園へ二人を送り届けて、屋敷に戻って来た時だった。
 聞いたこともない激しい泣き声が聞こえ、俺は梓の部屋に飛び込んだ。

 そこに家政婦の姿はなく、梓は一人でそこにいた。

「どうした? 梓。話せるか?」

 そうゆっくりと聞いても、丸まって泣きわめくだけの梓。その尋常じゃない泣き方に途方にくれそうになるが、無理やり起こして抱っこしようして、酷く腫れた頬に気が付いた。そして、嫌な予感が脳裏を掠めた。

 俺は家政婦を呼び、どういうことかと問い詰めた。俺のいない間に何があったのかと。
 怯えたように目を逸らした家政婦が言うには、奥様が俺がいなくなった時に梓の部屋へ入って怒鳴り散らしているというのだ。
 なぜ止めないのかと感情的に詰め寄れば、睨み返してくる家政婦。

「ここを追い出されたら、困るのよ! 貴方が代わりに何をしてくれるっていうの!?」

 俺は言葉が出なかった。
 ……それは俺も同じだったからだ。
  
 それからは奥様に接触させないように、梓を車に乗せて送迎することにした。幸い梓の腹違いの兄達は大喜びでそれを歓迎してくれた。
 時間ができれば手を繋ぎながら散歩し、公園で遊ぶ。まるで父と子のように。複雑な気分にはなるが、日に日に梓が成長する姿は何とも表現しがたい感情を生んだ。梓の笑顔が俺にとって宝となるぐらい、梓は大きな存在になりつつあった。

 主人の指示で梓が幼稚園に通い始めると、俺は世話係を外された。もう世話は必要ないと。
 次に任されたのは秘書とは名ばかりの雑用係。
 
 幼い梓のこれからが心配過ぎて、抱き締めながら何度梓に謝ったか知れない。時間にすればたったの一年半ほどだったが、梓は俺を誰よりも慕っていてくれた。ほとんど一日中一緒にいたのだから。

「梓の事は俺たちが守るから」
「堤は心配するなって」

 この二人が言うのなら、心配しなくてもいいだろう。本当に何とかしてしまいそうだしな、と笑いが漏れる。

 二年近くも住み込みで働いていた屋敷から離れ、主人の槙野忠信が経営する貿易会社の近くにアパートを借りた。
 その一人の空間の静けさに驚くばかりだった。うるさいと感じるほどに賑やかだったあの部屋が恋しくなるほどに。
 一緒に寝ていた梓の体温がないことがこんなに寂しいなんてな、と子離れできない親の気持ちが何となく分かり可笑しくなる。


 それほど遠くに住んでいるわけでもなく、またいつでも会えるだろうと考えていた俺が甘かった。
 俺の仕事は梓と過ごしたあの穏やかな日々とは一転、多忙を極めた。嫌がらせですべての雑用が俺に回ってきているのかと感じるほどに。
 ただ、給料は面白いほど振り込まれ、使い道のない金は貯まっていく一方だった。
 
「専属にしてやる」

 その一言でまた俺の人生は変わる。
 雑用係から社長室に連れてこられ、ここで働けと一言。俺はそれを断る理由もなく、次の仕事場は社長室へと変わった。
 
 雑用係だったころよりはマシになったものの、二十四時間体制のため、プライベートなどないに等しかった。だが、金遣いはかなり荒くなったと思う。そこそこ美味いものを食べ、そこそこいい服を着て、そこそこいい生活を送る。
 久しく会った、俺を小馬鹿にしていた同級生が、俺を羨望の眼差しで見てくる。それが何よりの活力だった。

「そういえば、おまえ、晶子の運転手をしていたよな」

 面白がるようにそう言った槙野忠信は俺に秘書業務も兼ねて運転手をさせた。
 
 送れ、と言われて向かったのは、懐かしいあの屋敷。梓と離れてからすでに八年が経過しようとしていた。
 
 梓は小学五年生になっているはずだ。
 元気だろうか。大きくなっただろうか。
 きっと俺の事は覚えていないとは思うが、姿を見れればいい。覚えていてくれていれば万々歳だと、そんな期待を持ちながら、社長の鞄をエントランスで待っていた家政婦に渡した。

 俺がいた時とは全く雰囲気の違う、子供の笑い声のない空間。静まり返っているその屋敷の中は酷く暗く感じた。

 しかし突如として上がった聞き覚えのある金切り声。

「今日は晶子がいるのか?」

 はい、と気まずそうに家政婦が答える。延々と続きそうなその罵倒するような声に耳を傾けながら社長が興味深そうに笑みを浮かべた。

「おい、あいついるんだろう。呼んで来い」

 家政婦が屋敷の奥に消えた後、失礼します、と礼をして立ち去ろうとすると、社長に呼び止められる。

「もう一つ仕事をやろう」
「は、」

 家政婦に呼ばれてきた人物のスリッパの音がパタパタと廊下に響く。
 そして姿を現したのは、酷く怯えた様子の少年だった。

「父、さん…? おかえりなさい…。……あ、あの、何か…」
「こいつの送迎をしろ。総慎には行ったことはあるだろう?」

 俯き加減で発せられた少年の言葉など聞こえてないかのように社長は俺に顔を向けた。

 嫌な予感しかしなかった。
 まさか…、この少年が?

 
 翌朝から、出勤前に総慎学園への送迎が始まった。
 玄関扉の前に所在なさげに立つ少年の前に車を止め、車外に出る。おはようございます、と頭を下げると後ずさるその少年。

「今日から送迎を担当いたします、堤と申します」
「つ、堤さん…。よろしく、お願いします」

 そう言ったっきり、無言で俯くだけ。
 
「お名前を…」

 俺の知る名前を言わないで欲しい、それだけを思いながらながら、そう聞いた。

「え……?」

 名前を聞かれたことに心底驚いて目を瞠った少年の口から出てきたのは期待を裏切るものだった。

「…あ、……梓、です…」

 声をかけられることにすら怯え、目を合わせようともしないこの少年が、あの梓?
 毎日俺に抱きついてきては零れそうな笑顔を浮かべていた梓…?

「理様と丞様は…?」

 口を突いて出た。あの時約束したはず。梓を守ると。俺に心配するなとあの二人は…。

「…兄さん達の事、知ってるの…?」
「ええ。何度かお会いして…。一緒に通われているのではないのですか」
「……兄さん達は若桜木学園に行ってるから…」
「そう、でしたか。では、行きましょう」

 コクリと頷いて、俺がドアを開ける前に後部座席に自ら乗り込む梓。
 俺と離れた後に何があった?
 あの小さな手を離してしまった罪悪感。

 俺は梓に言えなかった。
 昔、一緒に過ごしたことがあることを。
 今まで、八年も一度も会わずにきた人間が、梓を気にもかけなかった人間がそれを言ったとして何になる?
 
 俺は逃げた。梓に「どうして?」と聞かれるのが怖かった。

「梓様、今は何年生でいらっしゃいますか?」

 だから運転しながら何度も話しかけた。この八年という離れていた時間を埋めるように。
 
 毎日のようにそうしていれば、梓も俺に少しずつ気を許し、学校で習った事、興味のある事、好きなもの、そして兄二人の話も自発的にするようになってきた。
 俺は梓を送迎するその時間が楽しみで仕方なかった。

 兄二人と再会したのはそれからしばらくたってからの事だった。金曜の夜、学園寮から戻って来た二人とばったりと門の所で出くわした。

「堤老けた」
「変わったな。年取った」
「当然です。お二人ももう高校生になられたんですから」

 歳の事ばかりを言ってくるガキ達は、図体はデカくなり、一層凛々しい顔つきになっていた。が、相変わらず生意気だった。

「梓には会った?」

 そう振って来た理様。俺が昔のように送迎を頼まれているのだと言うと目を伏せた。

「ごめん、堤…。俺たちができることには限りがあった」
「梓を守りたいのに、梓から遠ざけられるんだ」
「それで若桜木に…?」

 その兄弟は同時に頷く。 

「家に居る間だけでも、って梓の傍にいるけど、梓は家でも、学校でも何があったか絶対に口にしない。でも、何かされてることだけは分かる。それが辛い」
「だから、堤。梓の話、できるだけ聞いてやってくれないか」
「言われなくても、そうさせて頂きます」

 その年高校を卒業した理様は、イギリスにある大学に入学するため、日本を発った。何かあったときのためにと、俺に一つの電話番号を託して。
 
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