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番外編
書籍化記念SS ―温かい背中―
しおりを挟む「どうした?」
エミールは掛けられた声にぴくりと反応し、彷徨わせていた意識を手繰り寄せた。二人分の隙間を開け、木のベンチの端に座る隣国の皇太子にエミールは視線を向けた。
彼は首を傾げ、エミールが話し出すのを待っている。
「いえ、何も」
「何も、って顔してないけどな」
「…………」
今、心の中にあるのは、不出来な自分に対する苛立ち。だが、皇太子という立場である彼の貴重な時間を割いてもらっているというのに、浪費させるわけにはいかない。
エミールは一度俯き表情を作り直すと、シグヴァルトに笑顔を向けた。
「大丈……」
言いかけた時、目に入ってきたのは彼の優しい眼差し。込み上げるものがあり、エミールは唇を震わせ、言葉を詰まらせた。
「エミール、そっち向いて」
「はい……?」
「いいから」
促されるままに背を向けて座ると、どすんと背後にシグヴァルトが腰を下ろした気配があった。そしてその直後、背中にとんとシグヴァルトの体が触れる。
エミールは慌てて振り向いたが、視界を埋めたのは、シグヴァルトの黒く艶やかな後ろ髪だった。こちらに背中を向け、ベンチに長い足を投げ出している。
「あ、あの」
意図を汲み取れずに戸惑いつつ声を掛けると、シグヴァルトは肩を揺らしながら笑った。
「今から俺は壁な?」
「壁……?」
「そう、だから今からエミールが口にすることは全部独り言。俺は聞いてないから」
「えぇ……」
「ほら」
シグヴァルトに急かされてエミールは向き直り、背中合わせのような形で二人並んで座った。
ただ、急に壁だからと言われても、気持ちを切り替えることなどできない。しかし、シグヴァルトは本当に壁になったつもりなのか、ひと言も発しなかった。
エミールは話していいのか、話すとしても何から話せばいいのか。そんなことをぐるぐると考えていた。
その時、柔らかな風が頬を撫でた。意識が内側から外側へと働く。そうすれば、背中にじわりと伝わってくる体温に気付いて、エミールは胸に手を当てた。久しぶりに感じる人の温かさに脈が速くなる。しかし、それはエミールの心を後押ししてくれるものだった。
エミールは一度軽く息を吐く。そして空を見上げ、おもむろに口を開いた。
「……もう……もうこれ以上能力の成長は見込めないだろうと宣言されてしまったのです」
口に出すと自然と嘲笑が漏れ、視界がぼやけてくる。
「まだ十四なのに、もう伸びないなんて信じられますか? ……第二王子の婚約者という立場に釣り合わない自分が情けなくて、目の前が真っ暗になってしまって、」
唇を噛み、次の言葉を紡ぐために感情を必死に抑えた。
「結局求められているのは数値で、きっとこの力がなければ、王家は僕に見向きもしなかったはず……。卑怯な手を使ったんだろうと言われて、何も言い返せなかったのです」
定められた枠の中であれば判断がしやすく、数値で評価されるのは自然なことだ。物差しで測れないことは皆の不安を煽るだけになることもわかっている。そして、その物差しの中で高い値を弾き出さなければ納得させられないということも、嫌というほどに身に沁みていた。
「この力はもっと秀でた人に与えられるべきものだったんじゃないかって。僕では宝の持ち腐れになってしまう……」
「――なら特異性を伸ばせばいい」
「え?」
「何を言われようが、唯一無二の力だと王家を納得させればいい。国が欲しているなら堂々と振る舞い、周りを黙らせればいい」
「黙らせる……」
「エミールならそれができるだろ?」
シグヴァルトは、エミールが精霊使いだと知っている、国外においては唯一の人物。精霊使いだと正確に明かしたことはなかったが、彼の目が特別であることはエミールも把握しており、シグヴァルトの意図はすぐに察した。
「……そうですね……それができたらいいのですが、罪悪感が強くて……」
そう、問題はもう一つある。
エミールは庭を飛び回る精霊たちから目を逸らすように、そっと瞼を伏せた。
「罪悪感?」
「はい。人が長年継続し積み上げてきた知識を、僕は精霊と話すだけで得られてしまう。人の理を歪めてしまうような気がして最近は……」
言い淀んでいると、シグヴァルトがごつんとエミールの後頭部に頭をぶつけた。
「いッ――で、殿下!?」
「あのな、力を与えられたってことは、ある種、神からの許可だろ」
エミールは頭を擦りながらも、あっけらかんとした物言いに、目をぱちくりとさせた。
力のことを神の許可だなんて考えたこともなかったからだ。
「俺は見えなくていいものが見える。会うだけで属性、魔力量、特異能力……ほとんど相手を丸裸にできる。それこそ大体の値から、その人の努力や得意分野まで読み取れるんだ」
「……そんなに」
「だが、俺は罪悪感は持たない。ここまで来るのにそれなりの努力をして、自分の力として身に着けたものだからだ。同じ目を持った奴が現れたとしても負ける気はしない」
その溢れる自信にエミールはぐっと胸を掴まれた気がした。
「エミールはどうだ? 自分の力を見極められているのか?」
「……いえ、できていないと思います」
幼い頃は皆の助けになるならと率先して精霊の知恵を借りた。
しかし今は、これ以上踏み込んではいけないと、触れないようにしてしまっているかもしれない。
「剣術には上手い下手があるが、それは取り組んでいる人の母数の多さがあってこその相対的な評価だ。エミールには同じ力を持った人間が周りにいなくて、巧拙の定義がない。もしかすると、その中では、エミールは赤子に近い存在かもしれないな」
「え……」
「知識があっても自分で実行できなければ、それは知らないのと一緒だ。試したことがないものに対して悩んでどうする。納得するまでやり尽くせばいい。考えるのはその後だ」
きびしい言葉だが、シグヴァルトの言わんとしていることが見えてきて、心の中で足りない歯車が嵌められたかのようだった。ゆっくりと思考が回り出し、自分が何を迷っていたのか、これからどうすればいいのか、答えに手が届いた気がした。
「僕は……」
自分の力と向き合うことから逃げていたのかもしれない。
だから、普通を羨んだ。
人の理から外れるという不安。人が知るべきでない世界の真理を知ることへの責任。それらはあまりにもエミールには重すぎた。
だが、精霊使いとして生まれてきたからには、そこに何かの意味があるはずなのだ。その運命からは決して目を逸らしてはいけない。必要とされるその時に力を発揮できなければ、それこそ力の持ち腐れになってしまう。
「殿下」
「ん?」
「ありがとうございます。きっと……――いえ、もう迷うことはありません。殿下の言葉……しっかり胸に刻んでおきますから」
「ああ」
俺ってやっぱ才能に溢れてるよなぁ、とシグヴァルトがしみじみと呟く。その変わらないシグヴァルトらしさに、自然と笑みがこぼれた。
「はい、溢れてます。でも、流石に壁になるのは無理がありましたね」
「あ」
シグヴァルトも設定をすっかり忘れていたらしい。
彼なりに恰好をつけたかったようだが不発に終わり、痛恨のミスに頭を掻いた。
「しかたないだろ、お前が努力してるって俺はわかってるから、なんか腹立って」
と言い訳を零すシグヴァルトを、エミールは目を見開いて振り返った。変わらず見えるのは、艷やかな黒い髪だけだったが。
シグヴァルトは、人の努力が読み取れると言っていた。一人でも自分の努力を認めてくれる人がいるだけで、こんなに救われたような気持ちになるなんて。
エミールの金色の瞳にうっすらと水の膜が張る。
「殿下には、負けてられないですね」
こぼれそうな感情を抑えるために、エミールは強く言い放った。するとシグヴァルトが「あぁー」とため息混じりに唸る。
「絶対戦いたくない相手だな……」
皇太子が零す言葉としては少し情けなくて、エミールはくすくすと肩を揺らす。その表情は溌溂としており、先ほどのまでの暗鬱とした雰囲気は消え去っていた。
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レンタルかあ泣
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