自由の鎖~すべては愛する人のために~

珈琲きの子

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一、自由 前 

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「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」

 触れるだけの軽いキスをして、抱擁し合う。広い背中を撫でれば、固く引き締まった筋肉を服の上からでも感じられた。名残惜しいけれど、この手を離さなければいけない。僕の大切な人、フィデルは誇り高い職に念願叶って就くことができたのだから。

「シーナ、そんな顔されると行きたくなくなるな」
「ご、ごめん」
「明日の昼には戻るから」
「うん。お昼用意して待っておくね」

 フィデルは柔らかく目を細めて頷いた。海を思わせる青い瞳が近づき、瞼を閉じれば唇にもう一度キスが降ってくる。優しく触れる唇が愛おしい。ゆっくりと離れ、「じゃあ」と手を振り去っていく彼の背中を見送りながら、ジワリと黒い影が僕の心を侵食していくのを感じていた。


  †


 ――騎士になりたい。
 フィデルの幼いころからの夢。辺境の田舎に住まう彼にとって実現不可能と言われる夢だった。
 ところがある日、国境へ訪れた上位騎士に見いだされ、騎士養成所に推薦されるという奇跡が起こったのだ。
 フィデルは堅実な性格で、とんとん拍子で養成所への入所が決まっても高慢になったりはしなかった。王都に出るその日まで鍛錬を怠らず、日々剣を振るっていた。
 一方、僕は幼馴染と言う立場を利用して、彼の隣にずっと居座り続けたズルい人間。何かと世話を焼き、誰も近づけさせなかった。もちろん今までこの役目を譲ったことはない。そんな僕が剣のことしか頭にない幼馴染を一人王都に行かせられるわけもなく、同行を申し出た。すると、彼は破顔して僕を抱きしめた。

『俺から頼もうかと思っていた。ただ断られたらどうしようかと、言い出せずにいたんだ。シーナには敵わないな。いつもありがとう』

 それから、はにかみつつも腕を緩めて顔を見合わせると、こう言った。

『結婚を前提に付き合って欲しい』と。

 ずっと想いを寄せていた僕は何度も何度も首を縦に振った。嗚咽でうまく言葉が出せなかった代わりに。
 フィデルのその時の嬉しそうな顔は今でも鮮明に思い出せる。
 出発の準備が整えば、二人で馬車に揺られ王都へ向かった。手を繋いで、不安と興奮を分かち合いながら。
 王都に着けば、喜びと高揚のまま体を繋げた。フィデルはどこまでも優しく情熱的で、僕はその甘さに酔いしれた。借りた部屋は狭かったけれど、初めて味わう二人だけの時間を楽しんだ。朝、フィデルを見送り、僕は宿の下働きとして、わずかながらも生活費を稼ぐ。新しい生活は順調に滑り出した。


 しかし、甘い生活はすぐに終わりを迎えることになる。
 王都に出れば、フィデルよりも才のある人間が山ほどいた。やはり、騎士になるなど、夢のまた夢の話だったのだ。
 養成所から返ってくると、溜息を吐きながら剣を磨く。その背中が余りにも小さくて、僕は励ましの言葉さえかけられなかった。すべてが陳腐に聞こえてしまいそうで。
 優しく真面目だったフィデルは毎日のように酒を飲むようになり、酔ったまま乱暴に僕を組み敷くこともあった。でも、それでよかった。フィデルの気持ちが痛いほど僕にはよくわかったから。少しでも僕が背負うことができるのなら、それでよかった。
 我に返って歯を食いしばり謝るフィデルの少し癖のある紺色の髪を抱きしめた。そうすれば、安心したように眠った。
 フィデルの理解者は王都には僕だけ。なにがあったとしても、僕だけはフィデルの味方。ずっと傍にいる。ずっといるから。そんな思いを込め、僕は何度も彼の髪を撫で梳いた。



 あれは、いつになくフィデルの帰りが遅かった日のことだった。
 落ち着きなく待っていると、少し強く戸が叩かれた。
 慌てて顔を出すと、そこには見知らぬ人とその人に肩を貸してもらっている泥酔状態の婚約者の姿。

「フィデル! す、すみません。こんなになるまで」
「……あぁ。いい。あんたにはこいつを運ぶのはきついだろう。寝室は?」

 そう言われ、僕は部屋の中に招いた。二間しかないため、寝室というものは存在しないけれど。
 聞くと、その人はフィデルの訓練教官だという。

「あ、あの……、フィデルはどうしてこんなに……」
「今日の試験の結果が悪かったからだろう。推薦されたって聞いて、楽しみにしてたんだがなぁ、その騎士に見る目がなかったのか、こいつには素質がないみたいでな」
「そんな……」

 余りにも直球な言葉に目の前が真っ暗になった。王都まではるばる来たというのに。
 養成所の入所金は、出世払いだな、とフィデルと僕の両親が貯めていた大切な財産を充ててくれた。村の皆も生活費の足しにとお金を包んでくれたのだ。
 そんな村の皆と両親の期待を背負うフィデルは、僕には想像もできないほどの重圧を感じているに違いない。それなのに……。

「田舎から出てきて、可哀想なことだが……まぁ、一つ、手伝ってやれん事もない」

 そう言ってその男は僕の腕を掴んだ。フィデルと同様に屈強な相手だ。僕は抗うこともできず、床に引き摺り倒された。そのまま服を裂かれるかという勢いで開けられる。

「や、めっ」

 フィデルに助けを求めて伸ばした手は男の手に掴まれ、同時に口も塞がれる。見上げれば、男の口端がニタリと上がった。

「いいか?簡単なことだ。俺が少し点を高くつけてやれば、こいつは無事養成所を卒業できて、騎士になれる」

 男が耳元で僕を諭すように言った。

「そうだな……反対に点を悪くするのも……なぁ、わかるか? いいんだぜ? 俺はこいつがどうなろうと。でも、あんたがほんの少し頑張るだけで、こいつは騎士になれる」

 な、簡単だろう? と男は僕に囁いた。
 簡単なことだった。僕がここで抵抗すれば、どうなるか。男がこれからしようとしていることなど、分かりきっている。でも、僕は力を抜くしかなかった。
 男は笑みを深くして、僕の口を押さえていた手を退けた。

「フィデルに恋人がいたとは驚きだな。今日はツイてた」

 この男はこの部屋に入ってきたときから、そのつもりだったのだ。

「あなたは……っ」
「おっと、デカい声出すなよ? あんたの大事なフィデルが目を覚ましちまうぞ? それにまず俺にお願いすることがあるんじゃないか?」

 僕は唇を噛んだ。どうにもならない力の差がそこに存在していたのだから。胸が締め付けられ、涙が滲んだ。

「……ぃて、下さい……」
「あぁ?なんだって?」
「っ……お願いします……抱いて、下さい……」
「お願いされちゃぁ断れないよなぁ?仕方ねぇな、一肌脱いでやるか」

 男はフィデルをちらりと見遣り、嘲るように笑った。
 その日、僕はフィデルの眠る横で男を受け入れた。あれほどに心身共にズタズタにされたことなどなかった。



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