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 病院から大通りに出ると、一気に喧騒に呑み込まれる。ただ、その様子はいつも違って緊張感のあるものだった。それに、道行く人たちが皆、ある方向に向かっているように見えた。
 エリオと顔を見合わせて、辻馬車の御者を呼び止める。

「何かあったのか?」
「ん? あぁ、俺も見ちゃいないんだが、神殿の方で死体が降ってきたとかなんとか。そんなことあり得るのかねぇ」
「死体……?」
「神殿まで乗せてくれ」
「あいよ」

 乗り込めば、すぐさま馬が嘶いて馬車が走り出した。神殿の通りに入れば、人がごった返していて、神殿前広場まで歩くことになってしまった。一応杖は持ったままにしておく。

「神子任命式、今週末だろ?」
「気味が悪いねぇ」

 そんな声が聞こえた。
 彼らの視線の先では、神官たちが十五階建てのビルぐらいある神殿の屋根の上に足場を作って、何かを運び入れている。
 広場に集まる皆と同じように上を向いてその様子を眺めていた時、こちらに駆け足で向かってくる足音が聞こえた。さりげなくエリオが僕を背後に隠す。

「ユノス様!」

 人混みを掻き分けて目の前に現れたのは、顔を真っ赤にした、今にも泣きだしそうな新米司祭だった。将来有望で、ユノスの奉仕のことも知っていた人物。

「エリオ、この人は大丈夫」

 身構えていたエリオに警戒を解くように言えば、新米司祭はその場で跪きそうなほど動揺しながらも、「ありがとうございます」と繰り返した。司祭服を着ている彼の取り乱しように、周りの関心が集まってくる。

「ここでは目立ちます。中にお入りください。あなた様も是非」

 そう促されて礼拝堂に入れば、そこも騒然としていた。市民は追い出されていて、身内しかいないみたいだけど、神殿内がこんな大騒ぎになるなんて。事件の内容がすっごく気になる。

「何があったのですか?」
「……それが、」

 言いにくそうではあったけれど、布をかけられた何かが横を通り過ぎたのを見て、決心したように話し出した。
 神殿の避雷針のように尖った装飾に死体が刺さっていたのだという。それは計六体。ユノスを襲った男たちのものだった。降って来たというのは体の一部で、鳥に食いちぎられて落ちてきたらしい。それがなければ発見がもう少し遅れていただろうって。

「あいつら死んだの……? じゃあ、僕の指示じゃないって証明できないってこと……?」

 もしかしてそれが目的?
 その上、ユノスが口封じのためにやったとさえ思われてしまう。
 エリオの服をギュっと握ると、エリオがその手を包み込んだ。

「違います! 全くの反対です! ユノス様の潔白が証明されたのです!」
「え……?」
「――こちらへどうぞ。全てお話します」

 司祭が前のめりで訴えてくる。それから、表立っては話せないのか、奥の小部屋に通された。一緒に入ろうとしたエリオは当然のことだけど追い出されそうになる。

「ご友人様は失礼ですが外でお待ちください」
「彼は僕の主です。身寄りがなくなった僕を憂い、この身を預かって下さった方です。何事も秘密にはできません」
「ユノス様の……そうでしたか、失礼致しました。どうぞ中へ」

 小さなテーブルを挟んで座ると、何かに興奮しているのか指を弄びながら司祭が口を開いた。

「神子に危害を加えることは神に刃を向けるものと等しいこととされ、まともな人間は決して神子を傷つけようとは思いません。そのような者がいれば神によって直接罰を下されます。そして、神によって亡きものにされた者に目印のように表れる現象があるのです。それが《咎人の刻印》と呼ばれるものです」
「咎人の刻印……」
「はい。神の怒りとも言われ、心の臓だけが真っ黒に変色し炭のようになるのです。神殿に関わる者であれば皆知っています。そして、今日我々はその刻印を初めて目にしました。あの者達の心の臓は伝承の通り、炭のような黒く固い物質になり果てていたのです。これはユノス様が当時神の愛し子――神子であったということを示しているに他なりません。……当然のことです。私はユノス様の祈りをほんの数日前まで目にしていたのですから……。潔白が証明されて喜ばしいと同時に、本当に、本当に悔しくて堪らないのです」

 そう司祭は拳を握りしめ、無念をこぼした。
 そっか、信じてくれている人も沢山いたんだ。君は絶望に呑まれてしまったけど、こんなふうに思ってくれている人もいたんだよ、ユノス。君は僕とは違って、真っ直ぐで本来は皆から慕われるような子だったんだから。

「……なら、僕は信じてもらえるのですか?」
「はい。神殿は全面的にユノス様を援護致します」

 その返事を聞いて、心がまた一つ軽くなった気がした。そう、ユノスも喜んでるんだ。よかった。

「そう……そうですか……嬉しい……」

 司祭が机に置いていた僕の手を握り、エリオが僕の背中をゆっくりと擦ってくれる。それは温かくて心地のいいものだった。
 僕は顔を伏せて緩む口元を隠した。ここは感動的なシーンだから普通は泣いてしまうはず。でも、こんな便利な判断基準があったなんて、びっくりを通り越して可笑しくて、感動できるような状態じゃなかった。

「もう大丈夫ですから、ユノス様、ご安心ください」
「ありがとうございます、司祭様……」
「それから、貴方様にも感謝を。ユノス様の後見人になって下さった方がいるとは伺っていたのですが詳細を知らず……すみません、お名前をお聞かせ願えますか?」
「エリオです。エリオ・マーティス」
「エリオ様……ありがとうございます。……エリオ、エリオ・マーティス……――まさかとは思いますが、紺碧の?」
「こんぺき?」

 何のことかわからず振り返れば、エリオが「まぁ」と歯切れ悪そうに頷いた。すると、途端に司祭の表情が明るくなる。

「そうですか! あぁ……安心いたしました。あなた様がついて下さるのなら、本当に心強い……ユノス様をどうかよろしくお願い致します」

 司祭がエリオに深々と頭を下げた。神殿の上位数人に入るような高貴な存在にそんな態度を取らせるとか、何者?

「エリオ、どういうこと?」
「んー、ちょっとした慈善事業してるだけ。そういうの恥ずかしいから内緒にしてんの」
「……慈善事業……そうなんだ」
「ここで預かっている孤児たちに、寄付をして下さっているのです。最近は教育にも力を入れられるようになって、孤児の就職率も上がり、ここを出た後に犯罪を起こすことも少なくなってきましたから――」
「司祭様、その、そこは内密に」
「あぁ、失礼しました。本当に謙虚でいらっしゃいますね。――では、私は教皇に報告をしなければなりませんので、ここで。今日の事件のことは国にもすぐに伝わるでしょう。陛下も協力を惜しまないでしょうから、きっと手引きした者もすぐに見つかります」

 教皇に報告……今からお偉いさんたちの会議でもあるのかな。なら丁度いい。
 主犯が神子候補ってなると、神殿も国もどちらも動いてくれなくなるかもしれないけど、王子だけなら変わりはいるし大丈夫なはず。

「……陛下の協力……?」

 僕は司祭の目を訴えかけるように見つめ、口を開こうとしてそのまま俯いた。
 そう、相手はユノスの婚約者。大好きだった人なんだから、簡単に情報を差し出したら現実味がない。戸惑うふりを見せておかないと。

「ユノス様? いかがされたのですか?」
「いえ、何も……」

 首を振って、助けを求めるようにエリオの服をきゅっと握った。

「どうした? 言いたいことがあるんじゃないのか? 司祭様もちゃんと聞いてくれるから」
「エリオ……」

 平民の神子候補の話を軽々しく信じ、婚約者を裏切った男。悲しいね、ユノス。
 瞼を閉じれば、下瞼に溜まっていた涙がぽたと机に落ちて染みを作った。

「……いいのです。僕が神子に向いていなかっただけです。この心の弱さをきっと見破られていただけのです……。だから、誰も悪くなどありません。僕が神子の立場から降りて、誰かが幸せになれるのなら、それで……」
「そんな……神子は神に指名された者。決して向いていないなど……」
「今日、彼らが神から罰を受けたことで僕は信じてもらえる。それだけで十分です。これ以上の調査は必要ありません」
「ユノス様、そういう訳にはいかないのです。これは国を陥れるような重罪。許してしまえば、司法が崩壊してしまいますから」
「……でも」
「もしかして誰か庇ってるのか」

 エリオが硬い声を出せば、司祭は目を瞠る。そして、険しい表情で僕の傍らに跪いた。

「ユノス様、本当に誰かを庇っていらっしゃるのですか?」 
「…………」
「どうか、私に打ち明けて頂けませんか。罪を犯した者により、また神子が犠牲になるやもしれません。未来のために、どうかお教えください」
「……未来……」
「それが誰であれ、我々はユノス様の味方です」
「司祭様……」
「はい」

 膝の上で握っていた拳があたたかい手のひらに包み込まれる。僕は顔を上げて、彼の目を見つめた。

「……僕を……僕を襲わせたのは――……」


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