酔仙楼詩話

吉野川泥舟

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第十一話

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「のう、子美よ。子柳のヤツ、あまりに遅いではないか」
「姉さま。たまにはそんなこともありますよ。なにせ彼は科挙を目指す学生、今ごろは試験問題と格闘しているのでしょう」
「それはそうじゃろうが。今までもこんなに遅れたことはあるまいに。約を違えるようなヤツでもなかろう」
「ねえ、太白ちゃん。あたし、思うんだけど」
「摩詰か。よい、申してみよ。発言を許可する」
「もしかして、他に面白い遊びでも見つけたんじゃない? 彼、まだ若いし」
「ほほう、なるほどなるほど。その路線はあり得るかもしれぬな」
「しかし、姉さま。美食を楽しむのなら、ここに来るのが一番では?」
「あのな。美食は美食やもしれんが、ここでは味わえぬもののことじゃぞ? にぶちんめ」
「ちょっ……いやらしいよ、もう。言葉は選んで使わないと、ねっ?」
「摩詰のまじめっ子ぶりにはつける薬が見当たらぬわ。だてに数百年も詩仏をしておらぬな」
「ふざけないでよう。あたしの方が、太白ちゃんよりはほんの少しだけ先輩なんだから」
「今さらパイセン風か、何を生意気な。確かにそなたはパイセンで、生前の官職もワシよりずーーーっと上だったのは認めてやってもよい。しかしそんなものは空しく儚いものじゃ。功名も富貴も、永遠のものではない。もしも永遠に続くのなら、長江の流れは逆流し、ワシのへそで酒の燗ができるであろう」
「姉さま、摩詰さま。マウントの取り合いはそれくらいにして」
「取っておらぬわ!」「取ってないようっ!」
「……すいません」
「ふん、マウントをすぐに取ろうとするのは子美、そなたの方じゃ。二言目には詩聖、詩聖、耳にタコができる。死んでからつけられた尊称に依存しおってからに。生きてた頃から詩仙と呼ばれたワシとは年季と格が違うのよ」
「ねえ、太白ちゃん。話を元に戻そうよ」
「そうじゃな。さしずめ『死後に詩聖という尊称を奉られた割に隠語の何たるかを知らなかった件』、といったところか」
「………………」
「やめてあげようよ、ねっ?」
「さすがは詩仏、慈愛に満ちておる。よし摩詰よ。筋道立てて順序よく、ナニについて優しく詳細に教えてやるがよい。パイセンとしてな」
「………………え?」
「え? ではない。早ういたせ」
「できないよう! そんな罰当たりなこと! 太白ちゃんがやってよ、自由奔放、傲岸不遜で豪放磊落、ついでに天衣無縫なんでしょっ」
「分かった分かった。そこまで言うなら仕方あるまい。よいか、子美よ。ようく聞いてしっかり想像せよ。そなたならば、鮮明に思い描くことが出来るであろう。美食とはな、すなわち女を喰い漁ることじゃ。貪るのじゃ。そう、例えば……桃色の燭が仄かに揺らめく中、微かに聞こえる衣擦れの音。夜の静寂に溶け込む粉黛の香、枕辺に流れるのは乱れた黒髪。薄く輝く絹の掛け布団には豪奢な鴛鴦の縫い取りが施され、その中では雲雨の契りにえっちらおっちらと励む才子と佳人が」
「ちょっとちょっと、言い過ぎだよう。ほら、子美ちゃん赤くなってるじゃない」
「ふひゃひゃ! 刺激が強すぎたか。まあそれはよいとして、やはりその手の遊びであろうな」
「うん、たぶんねえ」
「まあだいたいパターンとすれば、悪友にそそのかされて女遊びに走ったあげく、身を持ち崩すっていうのが鉄板ではあるが。ただ、それではあまりにありきたり、何のひねりもない。街の講談でも使い古されたネタじゃし。陳腐なストーリーでは集客も難しかろうて」
「うん。ついでに言うと、借金作って首が回らなくなって、科挙は滑って女にも捨てられるんだよねえ」
「わかるわかる。だいたい江南出身の書生など、決まってそうなるものじゃ。田舎者に長安の刺激は強すぎるのであろうな」
「姉さま。それがもし本当で、その通りなら、子柳君を救ってあげた方がよいのでは?」
「そうよな。あやつはワシらの朋友の一人、何とか……おおっ! 今閃いたぞ。思いつきが降りて来おった」
「えっ、姉さま。また思いつきですか?」
「よく考えた方がいいよ、絶対。いっつもノリでやらかしちゃうんだから」
「やかましい。まずはワシの閃きに耳を傾けよ。子柳が女にハマったとするなら、話は簡単じゃ。それ以上に魅力的な女をあてがい、道を踏み外さぬよう導けばよい」
「でもでも、そんな子に心当たりあるの?」
「無論ある。古人曰く『先ず隗より始めよ』とは蓋し名言であるが、しかし」
「あの……なぜあたしの胸を見ているんですか?」
「これには期待できぬ。よって摩詰よ、そなたが適任じゃ」
「えええええーーー! イヤだよ、無理だよう! あたし仙人だよ? なんで人間の男の人と、その、そんなことっ。太白ちゃんがしたらいいじゃない」
「何を言う。ふわふわぽよぽよのそなたなら完璧じゃ。案ずるな、ワシが過不足なくプロデュースしてやるでな。大船に乗った気でいてもよいのじゃぞ?」
「ちょっと勝手に進めないでよ。いくら何でも自由すぎるよ」
「それはワシの専売であるゆえ、どうにもならぬ。それにな、見よワシのこの姿を。十歳の幼童じゃぞ? さすがにまずい。いろいろとまずい。天衣無縫と呼ばれたワシじゃが、こればっかりはないわー」
「天帝にお願いして、呪いを解いてもらったらいいでしょ?」
「それは確かにそうじゃがな。この姿では飲酒もできぬし。ちっ、天帝のヤツめ、ちょっとイタズラしたくらいで目くじら立ておって。あやつの幼女趣味だけはほんとキモくていただけぬ。ふん、酒仙から飲酒を取り上げるだけでは飽き足らず、下界追放までかましてくれたのじゃからな。恨み骨髄よ。……それと、ワシも仙人じゃから、そこ忘れるな」
「あたしは無理ですよ、姉さま。そんなに見つめたって、嫌ですし無理ですから」
「心配するな、おぬしのことは嫌になるくらいよく分かっておるつもりじゃから。まな板のようなそのお胸では、男を誘惑するには無理がある。荷が勝ちすぎよう、確かにそなたの言う通り。ふひゃひゃ、飽きもせずガツガツ食っておる割に、栄養がお胸に行かないのは残念よな」
「姉さまだってちんちくりんじゃないですか!」
「ふん。ワシの真の姿を忘れたのか? ボンボンでキュッキュじゃぞ?」
「忘れました。いったい何百年その姿なんですかね」
「もう、やめようよ、二人とも。また次回会ったときに、子柳君に聞けばいいじゃない。それで諫めてあげようよ。ね、ねっ」
「そうじゃな。もう夜も更けた。月も陰っておる。仕方あるまい、今宵はこれで散会としよう」
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