酔仙楼詩話

吉野川泥舟

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第四話

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 さて子柳は旅の基本を忠実に踏まえ、朝は日が昇るよりも早く出発し、夕方になると日が沈む前に宿を取り、順調に行程を進めました。この旅路には、特に記すこともございません。平穏な旅の様子は、天が子柳を支えているかのようでさえありました。初めこそ旅慣れていなかったものの、次第に旅の空にも慣れ、気がつけば都長安に着いておりました。

 子柳の定宿は支援者の楚興義が用意してくれたものでした。宿の主は楚興義に恩義があるとともに、子柳とは同郷でもあったので、二つ返事で引き受けてくれたのです。

 宿はちょうど科挙を目指す学生たちが生活をする街区に面しており、すぐそばには書物や文房を扱う店舗がひしめいておりましたので、学生たちにとって非常に暮らしやすくなっておりました。しかもありがたいことに、格安で食事を提供する菜館まであったのです。

 子柳はこの宿を拠点にして、学友たちと交わりながら、己の学問をさらに深めていきました。いかに神童、俊才とはいえ、子柳は江南の田舎育ち。故郷には己ほど学が深い者はいませんでした。しかしさすがは大都会長安、ここには中国全土から素晴らしい才能を持った若者たちがたくさん集結しています。子柳はそうした麒麟児たちと交わりを結び、たくさんの刺激を受け、これまで自分が見ていた世界がいかに狭かったのかを思い知ったのでした。

 子柳はまるで乾いた大地が水を吸収するが如く、さまざまな知識を身につけていきました。そして、上京したての頃は堅物として一笑に付されることもままありましたが、今や押しも押されもせぬ、江南出身の風流才子として、長安人士の口の端に上るようになったのです。

 ある日、子柳は長安の歓楽街にある「酔仙楼」へ登りました。ここは風流人士御用達の酒楼です。建立されたのは唐の時代、玄宗皇帝の御代と伝わっておりますが、真偽の程は分かりません。一説には隋の煬帝の頃から続く老舗との噂もあるのです。

 そのかみ、大酔した李太白がここの酒と料理を絶賛し、壁に七言絶句を書き付けたという伝承が残されておりまして、それからというもの、李太白に憧れる文人墨客たちが足繁く通うようになったため、名前を酔仙楼へと変更し、扁額には「太白遺風」の四文字を飾るようになりました。しかし元末明初の戦乱によって楼は焼け落ちてしまい、現在の酔仙楼は再建されてようやく二百年を経過したばかり。今となっては李太白の真筆を拝むことはもちろん、その詩が何であったのかさえ不明になっているのです。

 くどい話は抜きにして、この酒楼は三階建てになっており、上の階に進むほど代金が跳ね上がります。子柳も長安で過ごす文人として、一度くらいは三階に上がってみたいと思ってはいたものの、なにせ学問を究めるために出資してもらっている身、いつも一階で安酒を汲んでおりました。

 ところが、この日だけはわけが違っておりました。宿の主人が、一度くらいは三階に上ってご覧なさい、楚興義さまからたくさん支援を受けているから遠慮するには当たらない、とその背中を押してくれたのです。子柳としましては、楚興義や主人の厚意に甘えすぎるのは、と心が痛んだのですが、握らされた銀子を突き返すのもこれまた失礼と思い直し、温かい懐をさすりながらやって来たのでした。

 厚い情けに頭を垂れて
 更に一階を進む酔仙楼

 さて憧れの三階に請じ入れられた子柳ですが、どこに座ればいいのかまるでわかりません。どうも一階とは様子が異なっておるようで、それぞれの座卓には間仕切りが設えられてありました。珍しそうにキョロキョロする子柳でしたが、案内の店員に促されて、ようやく席を決めることができました。

 早速菜譜を開き、ざっと見渡してみたところ、一階の料理や酒とはまるで金額が違います。たちまち顔が青ざめてしまいましたが、なにくそと己を奮い立たせて店員を呼びました。そして酒を三斤と簡単なつまみを注文します。子柳はひとまずそれを口にしながら、周りの常連たちを観察することにしました。

 やや場違いな感が否めないものの、子柳は三斤の酒をあっという間に飲み干してしまいました。緊張が手伝ったせいもあったのでしょう、普段の彼とはまるで違う飲みっぷりです。いい気持ちに酔った子柳は、日頃から愛唱していた詩をそっと吟じました。なにせここは李太白ゆかりの酔仙楼、詩を吟じない方が無粋なのです。

 私に尋ねる者がいる どうしてこんな山奥が過ごしやすいのかと
 ただ静かに微笑むばかり 心は自ずとのびやかなのだから
 桃の花びらを浮かべた川の流れ 遙か彼方まで流れ去る
 そうなのだ ここにこそ俗世間を隔てた別世界があるのさ

 この詩こそ、詩仙と謳われた大詩人、李太白の代表作の一つ、絶唱との呼び声高い「山中問答」なのです。

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