赤ずきんと女王の森

月極まろん

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黒狼との出会い

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「……余計な時間をとられたわ」
 赤ずきんはバスケットを拾うと、ワインのボトルにコルクをきつく嵌めなおして元通りに籠の中へと放り込みました。
 薄手のハンカチをかぶせなおします。
 魔物ハンターは、決して油断してはいませんでした。
 しかしこの赤ずきんは魔女の卵たちの中でも特に優秀であり、この森に住む、魔女の女王たる“おばあさま”のあとを継ぐ者になるだろうと見込まれています。
 嬌声めいた歌声も誘うような仕草もすべて含めて巧妙な魔法であり、ワインのボトルに彼を飲み込ませるための罠にしかすぎなかったのです。
 そして赤ずきんは、遅めの初潮を迎えた最初の満月であるこの日から、翌日あすの夜明けまでのたった一夜のあいだに、広大な女王の森で人生最初の使い魔を――誰よりも強くて立派で忠実な魔物を――自分の物としなくてはいけません。
 優秀な魔物を護り手として、初めて正式な女王候補となれるのです。
 ハンターごときに邪魔されるようでは、何千人もいる魔女たちの頂点には立てません。
 赤ずきんはふたたび歌います。魔力を込めた歌は光の粒となって少女の生まれたままのなめらかな肌の表面をシャボンのように転がり、染み込み、ハンターに破られかけた守りを強化していきます。


「……うわぁ」
 感心したといった響きの、かすかな吐息。
 赤ずきんは長い三つ編みを束ねる赤いリボンを引き抜くように瞬時にほどき、「誰っ!?」木の上へと投げつけました。
「うわあっ」
 木から転がり落ちてきたのは、真っ黒な狼の頭と尾を持った、たくましい男でした。上半身はふさふさとした毛に覆われていて、ズボンだけを履いています。
 遅れて、蛇になったリボンも落ちてきて布へと戻ります。赤ずきんは腕のひと振りでそれを手元に招き寄せると、元通りに三つ編みの先へと留めました。
 本来ならばこのリボンは狼の全身へと巻き付くはずでしたが、とっさのことで少しズレてしまったようです。
「びっ、びっくりした……。あのハンターはタチが悪いから助けようと思ったんだけど、君は強いんだねぇ」
 闇のように美しい毛並みを持った黒狼は、立ち上がってズボンの土埃をはたくと、照れたようにほんわかと笑いました。
 声も優しくて凶暴な種族だとは思えません。
「……助けなんて、結構ですわ」
 赤ずきんは、つんっとそっぽを向きました。
 人狼はとても強い種族ですが、真っ黒なものはありきたりで数が多く、茶色や灰色ほどには平凡ではないにしろ、狼の中でも特技がない弱いほうの魔物です。
 腕力が強くてひときわ頑丈な銅色の毛並みの『あかがね』や、魔力と悪知恵に優れていると言われる『銀狼』はとても少なく、変身能力がある『金狼』はさらに稀少です。また、神の使いとも言われる『星狼』は少なすぎてその姿を見ることすらめったにありません。
 魔女の女王であるおばあさまが初めに得た使い魔は、金狼だったそうです。そこまで強い魔物を最初に狩った魔女は過去にも先にも彼女だけでした。


 赤ずきんとしては、茶狼や灰狼や黒狼は論外で、優秀な魔女たちがよく最初の使い魔にするあかがねですら不足。金狼とまではいかなくとも銀狼ぐらいは狩りたいところです。
「いえ、わたしならちゃんと金狼レベルでも狩れるはずですわ……」
 あるいは、女王陛下の偉業と比較されてしまう狼よりは狐や熊や鳥の魔物のほうがマシでしょう。どちらにしても、弱い者を使い魔にする気はありません。この、年齢にそぐわない古風な言葉遣いは、女王を目指している彼女の自信から来るものでした。
 ただの黒狼に興味をなくした赤ずきんは、覗き見をしていた彼に背を向けて、森のさらなる奥へと向かっていきました。三つに分かれた道があり、迷わず真ん中を選びます。
 後ろから慌てた声がします。
「お嬢さん、気をつけて。君は魔女の『試し』に来たんだろ? そっちは花畑だよ!」
「もちろん、知ってるわよイケメンの狼さん」
 女王陛下の試しの森での詳細については、初潮前の魔女には秘密とされていましたが、そのぐらいの情報も得られずに女王候補となれるでしょうか。
 赤ずきんは、無邪気なようにも見える朗らかな笑顔を向けました。
「花畑は、この森でいっとう強い魔力の蜜が溢れる花が咲いているのでしょう? つまり、この森でいっとう強い魔物の縄張のはず」
「無茶だって。やめなよ。いつもならまぁ、銅色や銀色の狼とか、鈍鉄色の熊や四枚翼の鷹なんかがいるところだけどさ。今は金色の狼がのさばってるんだよ。しかも、特別に大きくて残酷で凶暴な奴」
 あとを追い、驚かすように言った黒狼は、振り返りながらキラキラした目で見上げてきた赤ずきんの表情を見て、言葉選びを失敗したことをさとりました。
「だめだって! 前回の満月に何が起こったか知らないでしょ」
「魔女の卵が三人はいって、誰も出て来なかったわ。いちばん弱かった子は、千切られた片足だけが森の外に投げ捨てられていた」
「! 知ってんじゃん!」
「まさか金狼のせいだとは思わなかったわ。森に出現したのは何十年ぶりかしら。期待はしていたけれど、わたしは本当に運がいい……」
「ちょっ……と」
 花畑へと向かう赤ずきんの腕を、黒狼が慌てて止めます。鋭い爪でしたが柔らかな彼女の肌を傷つけはしませんでした。
「なぁに? わたしのこと気に入ったの? 好きになった? 使い魔になりたい?」
「いやいやいや、まったくもってそんな気も無いし、勇気も無いので辞退しますが」
「……心が傷ついたわ」
「そもそも君は、僕のように弱い種族に興味無いでしょ。でも、可愛い女の子がいたぶられるなんて、見てらんないんだって、あいつの趣味はなぶり殺しだよ。使い魔ならどこかにもっといいのがいるって」
「……プライドが傷ついたわ。わたしって、そんなに弱く見えるの?」
 赤ずきんはあきれたようにため息をつきました。ただし「可愛い女の子」と言われたことで、機嫌だけは少し直っています。どうやらこの黒狼は、魔物とは思えないほどお人好しのようです。
「あなた、特技は?」
「……うーん。逃げることかなぁ」
「頼りにならないのね。……でもまぁ、いないよりはマシ……かな、と」
「うわあっ」
 至近距離から飛びかかってきた真っ赤な蛇を、黒狼はすんでのところで避けました。どうやら、先ほど赤ずきんが失敗したのも偶然ではないようです。
「本当に逃げるのが上手なのね。おとなしくリボンに捕まりなさい」
「やだよ、それ従属の首輪だろ?」
「そんなことまで知っているの?」
「この森に何年も住んでいるからね。君たち魔女のこともよく見かけるよ。――蒼銀色の髪の、おっかない姐ちゃんとか」
「……おばあさまを?」
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