月を狩る者狩られる者

緋村燐

文字の大きさ
上 下
17 / 21
月を狩る者狩られる者

~遭遇~

しおりを挟む
 数年ぶりに憎む相手を目の前にし、私の体は小刻みに震えた。

 それが武者震いなのか、もしくは恐怖からくるものか。
 どちらなのかは分からなかったけれど。

「十六夜……」

 私はとても小さな声で囁く。
 だというのに、目の前の男にはちゃんと聞こえたようだ。

「名前を覚えてくれたみたいで嬉しいよ」

 優し気に微笑む十六夜。
 その微笑みは優し気で、人を殺した事があるとは思えない。
 でも、こいつは確かに私の両親を殺したんだ。

 今と同じく、優しく微笑みながら。


「あいつの姿を見せれば来てくれると思ったよ。あの朔夜という男は邪魔だから、君だけ来てくれて助かった」

 ラッキーだとでも言いそうな様子だけれど、おそらく朔夜も一緒に来ていたら姿を現すことはしなかったんだろう。
 十六夜の目はどこか確信めいたものがあったから。


「……あの男はどうしたの?」

 ここまで誘導してきたあの吸血鬼はどこに行ったのか。
 警戒して聞いたけれど、十六夜はフフフ、と楽しそうに笑った。

「どうしただろう……死んでるかもね。かなり無理させたから」

 笑いながら、死という言葉を簡単に使う。

 怖い。
 狂ってる……。

「何でそんな顔をするのかな? 君をおびき寄せる事が出来ればそれで良かったんだ。あんなやつのその後なんて知らないよ」

 本当にどうでもいい様な口調。
 私は納得出来なかったけど、他にも聞きたい事があるから男のことはそれ以上聞かなかった。

 そう、それよりも聞きたい事。
 ずっと疑問だった。

「何で、私の両親を殺したの?」

 この疑問は、いくら考えても分からなかった。

 両親は恨みでもあるかのような残酷な殺され方をしていた。
 でも二人はそこまで恨まれる様な人達じゃなかったし、大体吸血鬼と面識があるとは思えなかった。


「『何で』だって? 君の母親が僕を拒んだからさ!」

 十六夜の口調が突然荒々しくなる。
 私は思わずビクンと体を震わせた。

「何度好きだと言っても、何度愛を囁いたとしても、彼女は僕を好きになってくれなかった!……そしてしばらく姿を見ないと思ったら、彼女は結婚してるじゃないか⁉」

 話が続くごとに、十六夜の声の荒々しさは増す。

「だから殺したんだよ。僕のものにならないのなら、この世からいなくなればいいんだ」

 そして十六夜は声高々に笑った。


 狂ってる。
 十六夜は、完全に狂っていた。


 廃ビルにこだまする十六夜の笑い声が、私の鼓膜だけでなく全身を震わせる。
 今度の震えは、確実に恐怖からくるものだった。

 笑い声が徐々に小さくなり、十六夜の視線がヒタリと私をとらえる。
 私は、金縛りにあったかの様に動けない。
 まるでヘビに睨まれたカエルだ。

「本当はね、望。君も殺すつもりだったんだよ?」

 美しく優しい微笑みも、先ほどの狂気を見た後では恐ろしいものにしか映らない。

「だってさあ、彼女と別の男との子だよ? 言わば愛の結晶だぁ! 憎まないわけがない!」

 でも、と付け加えて十六夜が近付いて来る。
 なのに私は動けない。
 十六夜の狂気は私の心を侵食して、僅かな抵抗すら出来なくさせた。

 数歩で目の前に来た十六夜は私の顎を掴み上向かせる。

「望、お前は出会った頃の彼女そっくりだったんだ……」

 十六夜は嬉しそうに目を細め、猫撫で声で囁いた。
 しばらく私の顔を見つめ、優しく微笑む。

「うん、やっぱり彼女そっくりだ……あの時殺さないでおいて良かった」

 何だろう……この嫌な感覚は。
 気持ち悪い。
 恐怖も手伝って、吐き気がしてきた。

 つまり、私はお母さんの代わり?
 お母さんを自分勝手な理由で殺しておきながら、私をその代わりにするの?

「今度こそは、必ずモノにしたかった。だから……」

 だから私を……?

「だから君に最高の痛みと憎しみを与えたのさ」

 優しそうでありながら凶悪な笑み。

「僕を憎んだだろう? 僕を忘れられなかっただろう? だから君は僕を追いかけた!」

 子供の様にはしゃぎ、私を抱きしめる。
 私は十六夜とは対称的に全身を強ばらせた。

「君が大人になるまで待ってたんだ。今度は最高の快楽を教えてあげるよ」

 私の首の後ろを掴み、頭を固定する。
 私は、これからされることに恐怖を抱きながらも、拒否の声一つ出せなかった。

 視線が交わる。
 優しい眼差しなのに、その瞳の奥に宿るものは昏い。
 視線を逸らすことも出来ないまま、私の唇は奪われた。

「っ⁉」

 すぐに舌が入り込み、私の口内を蹂躙じゅうりんする。

 イヤ……。

 服の上から胸を掴まれる。

 気持ち悪い……。

 手が服の中に入ってきて、柔肌を撫でた。

 やだっ……朔夜ぁ!

 目を閉じ涙を零して、想い人の名を心で叫んだ。


「望から、離れろ……」

 息切れで途切れがちな朔夜の声がする。

 十六夜が私の唇を離して朔夜の方を向く。
 そうすると私にも朔夜の姿が見えた。

 数メートル離れたところに、疲れた様子の朔夜がいた。


「聞こえなかったのか?  望から離れろ」

 さっきよりは息が整ったのか、今度はしっかりした口調。

「もう来たの?  早かったね。それともあいつ、相当弱ってたかな?」
「ふん……俺の血を吸ったんだ。あの程度の男が耐えられるわけがない」

 朔夜の言葉で、二人の言っている男が誰のことなのか分かった。
 十六夜は知らない様な事を言っていたけれど、実際は朔夜の足止めに使われていたらしい。

「あんな弱っているヤツを囮にするとは、俺も舐められたものだな」
「純血種に舐めてかかるつもりは無かったよ。ただ単に、手駒が他に無かっただけさ」

 十六夜はそう返すと、わざとらしく嘆息した。


「……それで? いつになったらそいつを離すんだ?」

 朔夜が怒りにも似た冷たい眼光を十六夜に向ける。
 十六夜は全く動じず、寧ろ笑みを浮かべて話した。

「何故僕が僕のものを手放さなきゃならないんだい?」
「――っ貴様……」
「間違ってはいないだろう? 貴方はまだ望を抱いていないようだし」
「……」

 言葉を返せない朔夜に十六夜は尚も言い募る。

「良かったよ。他の男の手垢がつく前に取り戻せて」

 無邪気に笑う十六夜。
 もう完全に私は物扱いだ。

 怒りも湧いてきたけれど、私はとにかく朔夜のもとへ行きたかった。
 十六夜から離れたかった。

 目の前にいるのに届かない。
 もどかしい。
 動けない自分が不甲斐ない。

 助けて……。

「助けて……朔夜ぁ」

 それが、やっとのことで出せた声だった。

 でも、私のその言葉を聞いた十六夜の雰囲気が一変する。
 内にくすぶっていた狂気が、一気に表に出てきたかのようだった。

 私の首を掴んでいた手が髪を掴み引っ張る。

「うっ!」

 痛みで歪む私の顔に十六夜の顔が重なった。

 噛み付く様にキスをされる。
 優しさなんて欠片もない、痛くて、苦しくて、気持ち悪いだけのキス。

「うんんぅ!」
「貴様!」

 ガツッ

 朔夜の怒りに満ちた叫びの後、鈍い音がすぐ近くで聞こえた。
 朔夜が十六夜を殴り飛ばしたんだ。

 十六夜と一緒に飛んでいかないように、朔夜が私の腕を引っ張る。
 そのまま私は朔夜の胸に飛び込んだ。

「朔夜ぁ……」

 朔夜は泣きながらしがみつく私の肩を掴んで、しっかりと抱き締めてくれる。


「殺してやる……」

 殴られた十六夜がユラリと立ち上がって、低い声を出す。

「望ぃ……君は僕だけを見ていなきゃいけないんだ。他の男の名を呼ばないでくれよぉ……」

 一定制の無い口調。
 目がイッてる……。

「君が僕以外を見るなら、僕はそいつを殺してあげるよ。そうすれば君は僕だけを見るだろう?」

 楽しそうに笑う十六夜。
 私はそんな十六夜に何も言えなかった。
 何を言っても無駄な気がしたから……。


「ではお前が俺を殺すと?」

 楽しそうな十六夜に、水を差すかの様に朔夜が言った。

「面白い冗談だ。お前程度の男に俺が殺せるか」

 朔夜は鼻で嘲笑う。

 すると十六夜は、少し正気を取り戻したようなしっかりとした目付きになった。


「今は無理だ……でも、策がないわけじゃないさ」

 暗い瞳に怒りを宿し、十六夜は目を見開いて異常な笑顔を作る。

「待っててよ、望ぃ~。出来るだけ早く準備をして、そいつを殺してあげるからぁ」

 気持ち悪い……。
 本当に吐き気が込み上げてきた。

 十六夜はそのまま高笑いしながらいずこかへと消えていく。

 私は、恐怖と気持ち悪さで震えてが止まらなかった。
 朔夜の体温だけが拠り所とでもいうように、彼の胸にしがみついている。

「……馬鹿が。何も考えず突っ込んで行くからだ。いつも俺が助けてやれるわけじゃないんだぞ?」

 悪態をついてはいたものの、朔夜の声は優しかった。

「うっ……朔夜……さくやぁ……」
「……何だ?」

「朔夜が、いい……」
「何?」
「朔夜じゃないとやだぁ……」

 十六夜と再び会って、身体を触られて……それで分かったことがある。

 やっぱり朔夜が好き。
 抱かれるなら、朔夜でなければ嫌だ。

「唇も、髪も、この身体の全て……朔夜にしかあげたくない!」
「望?」
「朔夜が、好きなの……」

 ついに言ってしまった。
 私の、朔夜への想いを……。

 その想いの行き着く先が死だと分かっていても。
 朔夜が、受け止めてくれないのだとしても。
 もう止められない。

 朔夜が欲しい。

 涙と一緒に、想いは溢れて止まらない。
 もう言葉では表しきれない。

 私は、言葉の代わりに朔夜に抱きついた。
 背中に手を回し、朔夜の体温を全身で感じる。

 朔夜は何も言ってくれなかったけど……ただ、抱き返してくれた……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヴァンパイアキス

志築いろは
恋愛
ヴァンパイアおよびグール退治を専門とする団体『クルースニク』。出自ゆえに誰よりもヴァンパイアを憎むエルザは、ある夜、任務先で立ち入り禁止区域を徘徊していた怪しい男に遭遇する。エルザは聴取のために彼を支部まで連れ帰るものの、男の突拍子もない言動に振り回されるばかり。 そんなある日、事件は起こる。不審な気配をたどって地下へ降りれば、仲間の一人が全身の血を吸われて死んでいた。地下にいるのは例の男ただひとり。男の正体はヴァンパイアだったのだ。だが気づいたときにはすでに遅く、エルザ一人ではヴァンパイア相手に手も足も出ない。 死を覚悟したのもつかの間、エルザが目覚めるとそこは、なぜか男の屋敷のベッドの上だった。 その日を境に、エルザと屋敷の住人たちとの奇妙な共同生活が始まる。 ヴァンパイア×恋愛ファンタジー。 この作品は、カクヨム様、エブリスタ様にも掲載しています。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

かりそめ婚のはずなのに、旦那様が甘すぎて困ります ~せっかちな社長は、最短ルートで最愛を囲う~

入海月子
恋愛
セレブの街のブティックG.rowで働く西原望晴(にしはらみはる)は、IT企業社長の由井拓斗(ゆいたくと)の私服のコーディネートをしている。彼のファッションセンスが壊滅的だからだ。 ただの客だったはずなのに、彼といきなりの同居。そして、親を安心させるために入籍することに。 拓斗のほうも結婚圧力がわずらわしかったから、ちょうどいいと言う。 書類上の夫婦と思ったのに、なぜか拓斗は甘々で――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...