後宮に潜む黒薔薇は吸血鬼の番となりて

緋村燐

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熱い一夜①

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 二人で石榴宮を離れると、令劉の希望で大明宮の彼の房ではなくいつも二人で話し合いをしていた人気の少ない房へと向かった。
 明かりも灯っていないその房へ入ると、明凜はすぐに令劉を椅子に座らせ手当を始めるために動く。
 ひとまず近くの燈盞とうさんに明かりを灯し、清潔そうな布を適当に見繕った。

(後は水を……あっ)

 片手に布を持ち、血を拭くために綺麗な水を用意しなくてはともう片方の手で桶を掴もうとした。
 すると胸元が急に涼しくなる。
 露わになった素肌。ずっと破かれた部分を掴んで隠していたが、このままでは手当てするのにも困る。

(とりあえず適当な布を巻いておこう)

 簡易的に布を巻き、水も用意した明凜はすぐに令劉の前へと戻る。
 大丈夫だとは言っていたが、やはり辛そうだ。
 ここまで来る前に止血だけはしたが、傷は深そうだった。まだ血は止まらないだろう。

「失礼します」
「……ああ」

 声を掛けて、令劉の上衣を脱がせていく。
 引き締まった男らしい体に、場違いにも頬を染めてしまう。

(暗くて良かったわ。燈盞一つの明かりだけならあまり見えないでしょうし)

 それでも気取られないようにと少し顔を伏せる。
 どきどきと鼓動が早まるのを誤魔化すように、明凜は苦言を口にした。

「令劉様……あなた様なら避けられたのではございませんか?」
「ん?」
「この怪我です。吸血鬼であるあなた様ならあのような苦し紛れの攻撃くらい避けられたのではないのですか?」

 こんな怪我を負う必要は本当にあったのだろうかと疑問でならない。

「確かに避けるのは簡単だ。だが、僅かでも捕まえている手を離せば逃げられてしまっていただろう。……明凜のことを明らかにされる訳にはいかない、確実に忘れるよう催眠を掛ける必要があった」
「それは……」

(それは、私のため?)

 間者だと知られたままではもはや殺される未来しかなかっただろう。
 令劉の番だということでも同様だ。
 ならば、確実に忘れるようにしたというのは自分のためなのだ。

(私のために、このような怪我を……)

 それはとても悲しくて、同時に嬉しくもあった。
 傷口を清め、清潔な布を巻いても尚滲んでくる血に胸が締め付けられる。

 令劉は嘘をつくような人物ではないので、大丈夫だというならばこの怪我が死に繋がるものではないのだろう。
 だが、痛くないわけがない。辛くないわけがない。
 自分を守るためにこのような怪我までする令劉を……悲しくも愛しいと感じた。

「……手当をありがとう、助かった」
「いいえ……でも本当に大丈夫なのですか? まだ血は止まりませんが」

 礼を告げる令劉へ明凜は心配の言葉を掛ける。
 令劉の言葉を疑う訳ではないが、心配なものは心配なのだ。

「大丈夫だ。この程度の怪我ならば食事をすれば治る」
「食事?」

 はじめはよく分からなかったが、確か令劉は血を飲むことを食事と言っていた。
 ということは、血を飲めば治るということか。

「……」

(それは、なんだか嫌)

 思い出されるのは女官の首筋に顔を埋めている令劉の姿。
 初めてその光景を見たときは驚きと恐ろしさしか感じなかったが、今は胸の奥底から黒いもやのようなものが噴き出してくる気がした。

「紫水宮へ送ろう。怪我に関してはその後自分で何とかする」
「……嫌です」
「明凜?」

 立ち上がろうとする令劉を抑えるように彼の膝に手を置き、明凜は不機嫌さを隠しもせず見上げた。
 自分を送り届けた後に、知らない女の首筋に咬み付くのだろう。
 それを想像しただけで、焼け付く様な感情がわき上がる。
 この感情は何か、そんなこと考えずとも分かった。

(私は、令劉様がこれから血を吸う見ず知らずの女性に嫉妬しているのだわ)

「血を吸えば怪我が治るというのならば、私の血でも良いのではないですか? 私のために負ってしまった怪我なのですから」
「それは……」
「何故目の前にいる私ではなく、他の女の血を飲もうとするのですか?」

 何か理由があるのかもしれない。
 そうは思っても、嫉妬で焼け付く心は令劉を非難する言葉ばかりを口に運ぶ。
 睨み上げた透き通った瞳が、戸惑いに揺れていた。

「明凜、駄目だ。おまえの血を飲めば、私は自分を抑えられなくなる」
「何が抑えられなくなるというのですか?」

 逃げるように視線を逸らす令劉に、明凜は更に近付き顔を覗き込む。
 何かを耐えるように眉間のしわを濃くした令劉は、絞り出すように答える。

「明凜の全てが欲しいという衝動を抑えられないと言っているんだ。番はただでさえ特別なのだ。怪我をし、血を求めている状態で番の血など飲んだら、そのまま全てを奪ってしまう」
「……奪えばよろしいではないですか」

 全てが欲しくなるという言葉に僅かに驚くが、明凜は大きな動揺も見せず告げる。
 すでに心は奪われている自覚がある。
 体も奪われることに抵抗はなかった。
 むしろ。

「私以外の女の肌に口を付けるなんて……そんなことをするくらいなら、私の全てを奪ってくださいませ」
「明凜? お前……」

 意図を読み取った令劉の目が見開かれる。
 明凜はそんな令劉の硬い手を取り、頬を寄せた。

 温かい、令劉の手。
 怖さよりも、安心感のある手。
 触れると胸が高鳴り、喜びが沸き上がるその手に愛しいとまた思う。

「愛しています、令劉様。他の女になど触れないでください。私を……あなたで満たしてください」
「っ! 明凜!」
「あっ……んっ」

 思いを伝えた明凜を令劉は強く抱き締めた。
 そのまま唇が奪われ、すぐに舌が絡む。
 くちゅりと唾液が混じり合う音に今更ながら羞恥が沸いたが、熱い舌は明凜の理性を解かしているかのようだった。

 銀糸の橋を残しながら離れると、空色の目は深い藍色となって明凜を見つめる。
 欲を隠さなくなった令劉は、獣を思わせる男の顔をしていた。

「全く、私の理性を壊すなど……もう、泣いても止められないぞ?」
「むしろ泣いても止めないでくださいませ。私はあなた様が良いのです」

 最後の確認のような言葉に、明凜は喧嘩でも買うように答える。

「ははっ……全く、愛しの番殿はいつの間にそこまで私を求めてくれるようになっていたのだろうな?」

 笑い、幸福という名の微笑みを浮かべた令劉はゆっくり明凜の首筋にその美しきかんばせを埋めた。
 熱い吐息がかかり、「んっ」と僅かに甘い声が明凜の口から漏れる。

「はじめは痛いかもしれないが、すぐに良くなる」
「は、い……」

 気恥ずかしさと、ほんの少しの怖さに小さく震える。
 令劉はなだめるように背を撫で――牙を立てた。

「うっあぁあっ!」

 首筋に与えられた痛みに、明凜は嬌声に似た悲鳴を上げた。
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