妹が吸血鬼の花嫁になりました。

緋村燐

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8.始祖の再来

日が落ちるまで 後編

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「くっ……てめぇ……」

 永人はサッと小瓶を隠し、睨みつける。
 けれど、伊織の表情は変わらない。

 この状況で笑みを浮かべられていることがすでにおかしいんだ。


「まだ睨む元気があるのかい?……ああ、そうか。今夜は君の上昇の月だったね。もう力が上がり始めているのか」

 伊織は目を細めてそう言うと、後ろに控えていた人達に何やら指示を出した。


「なにを……⁉」

 叫ぶ私からその人達は永人を奪うと、彼の鼻と口を布でふさいだ。

「ぅぐっ」

 私も永人も抵抗しようとするけれど、体が思うように動かせない。

 永人を取り押さえる一人に止めてと掴みかかることしか出来なかった。


 そうしているうちに、永人の瞼が完全に落ちる。

 体の力も抜けてしまったようで、意識が無くなってしまったみたいだった。

「なが、と……?」

 そのまま永人は床に放置され、彼を取り押さえていた人達が今度は私の腕を掴み引き上げる。

 無理やり立たされて足がふらつくけれど、両腕をしっかり持ち上げられている状態だから倒れることはなかった。


「濃度を高めにした薬を吸わせたんだ。しばらく意識は戻らないだろう」

 優し気な微笑みは消えたけれど、また別の笑みを口元に宿しながら伊織は岸を見下ろす。

 そのほの暗さを宿した目が私に向けられた。


「“唯一”との別れがこんな形になってしまってすまないね。でも大丈夫、早ければ四、五年で彼のもとに戻れるから」

「四、五年……?」

 子供を一人だけと望むには長い年月に疑問を浮かべる。

 すると伊織は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「今回君を連れ去るために協力してくれた家もいくつかあってね。そこの当主達の子供も産んでもらわなきゃならなくなったんだ」

 すまないね、と謝られるけれど謝罪になっていない。


 あまりのことに薬の効果とは関係なくめまいがしてきた。

 これじゃあ本当に産む道具扱いだ。

 そんな目に遭ってたまるものか。


 怒りで頭が沸騰しそうになる。

 好きでもない相手の子供を産むなんて論外だし、五年も永人と離されることも有り得なかった。

 上昇の月の効果か、意識は少しハッキリしてくる。

 でも、まだ体には力が入らないみたいで引きずられるように会場から連れ出されてしまった。


「あなたは、シェリーと“唯一”同士なんでしょう? どうして彼女と一緒にならないの?」

 時間を引き延ばすためにも話しかける。

 完全に夜になって、力が上がれば私でも逃げ出すことくらいは出来そうだ。


「……岸から聞いたのかな……?」

 シェリーの名前に伊織の肩がピクリと揺れ、感情を押し殺したような低い声が返された。


「一緒になるために、君にわたしの子を産んでもらうんだよ」

「そんなのおかしいでしょう⁉ 好き合っている相手がいるのに、他の人に子供を産んでもらおうなんて……シェリーは仕方ないって言いながらも悔しそうだった。あなたは嫌じゃないの⁉」

 感情のままに叫ぶと、次の瞬間には首を掴まれていた。


「っ!」

「嫌に、決まっているだろう……?」


 こちらを向いた伊織の表情に笑みはない。

 無表情で、その茶色の目だけが怒りで赤く燃えているかのようだった。


「それでも君の……始祖の血が必要なんだ。この際男児でなくてもいい、始祖の血を月原一族に取り込むことが出来ればあいつらを黙らせることが出来る」

「っ……」

 その目に圧倒される。

 絞められてはいないけれど、掴まれている首が苦しい。


 伊織の怒りと、相応の覚悟を感じて私は言葉に詰まった。

 でも、これだけは聞きたい。


「月原家を捨てて、シェリーと逃げようとは思わなかったの……?」

 シェリーは、伊織は優しい人だから出来ないのだと言っていた。

 一族を見捨てることが出来ないからなんだと思っていたけれど、今感じた怒りに一族への情のようなものはそれほどないように思える。


 私の質問に、首から手を離した伊織は怒りを鎮めて淡々と話す。

「……私が逃げたところで同じ思いをする者が増えるだけだ」

「どういうこと?」

「私が逃げれば次に当主として担ぎ上げられるのは私のはとこになるだろう。彼は月原家とは関わりのない場所で生きている。聞けば、その彼にもすでに“唯一”がいるらしい」

 つまり、そのはとこを守るために逃げられないと言っているんだろうか?


「確か彼は君と同じ年だったかな……。彼が逃れても、また別の者が担ぎ上げられる。……だから、誰かがやらなければならないんだ」

「……」

 そうか……彼が守ろうとしているのは月原家そのものではなく、月原家の犠牲になる一族の若者たちということだ。

 確かに、優しい人だ。

 彼の守ろうとしている人の中には面識のない相手もいるだろうに、その人達まで守ろうとしている。

 シェリーの言葉に少し納得がいった。


 ……でも、だからと言って思い通りになってあげられるわけがない。

「……だからって、他に方法はなかったの?」

 怒りで全身が熱くなりながら、伊織を睨む。


「何?」

「逃げられないのは分かった。その中で“唯一”と共にあるためにあがいているってことも」

 でも、だからって私が利用されてあげる義理はない!

「でも、一族の者以外ならどんな目に遭っても良いと言うの? こんなことをして、あなた達が本当に幸せになれるとは思えない!」

 事実、シェリーも伊織も辛そうだ。

 消去法だったとしても、この方法がその中で最良だとは思えない。

 他に方法があるんじゃないかって、どうしても思ってしまう。


「くっ……」

 私の勢いに、僅かに伊織はたじろぐ。

 でも、彼の意志も簡単に折れるようなものじゃなかった。


「……月原家のことを何も知らないから言えることだな」

 冷静さを取り戻した彼はそう言うと私を捕らえている二人に指示を出す。

「聖良さんも今夜が上昇の月なのかもしれないな、薬が効いているにしては元気そうだ。……もっと濃度の高いものを吸わせておけ」

「はい」

「なっ⁉ やだっ!」

 もう少し弱ったふりをしていれば良かったのかも知れない。

 でも、怒りを我慢することが出来なかったんだから仕方ないことだった。


 意識はハッキリしてきたけれど、体はまだ自由には動かせない。

 思うように力が込められなくて、さっきの永人のように鼻と口に布をあてがわれる。


 吸うもんかと思っていても、ずっと呼吸をしないのは無理な話で。

 細く息を吸った際に、薬を吸い込んでしまう。


「うっ……」

 途端に視界が揺れる。

 体は完全に力が入らなくなって、意識が朦朧とした。


 周囲の音も聞こえづらくなって、「連れて来い」という伊織の声だけが耳に届く。


 運ばれながらも、気を失うことにならない様に意識だけは保つよう耐えたけれど、それ以外はどうも出来ない状態。

 そのまま外に運び出されて、車に乗せられそうになったときだった。


「行かせるか!」

 聞き覚えのある声が、暗くなりかけた空に響く。


 その声の主が突進してきたようだと理解すると、声とはまた別の人物の腕が私を引き寄せて伊織たちから離す。


 ギュッと抱きしめられて、覚えのある腕に安堵した。

「な、がと……」

 気を失っていたはずなのに、来てくれたんだ……。


 さっき言っていた中和剤を飲んだのかもしれない。
 でも確実に中和できるわけじゃないみたいだったのに……。

「聖良……っく!」

 やっぱり薬の効果はまだ残っているのか、ここまで来るのが限界だったらしい。

 私を抱きしめたまま、地面に倒れてしまった。


「岸、無理はするな。とにかくそのまま聖良さんを離さない様に守れ!」

 私達と伊織達の間にさっき突進してきた田神先生が立ちふさがる。


 そういえば、田神先生は会場の外の警備を担当すると言っていたっけ。

 そのため薬を吸わずに済んだのかも知れない。


 でも、伊織達がそちらの警備を放置していたとも思えなかった。

 それでも来てくれたんだ。

 宣言した通り、ちゃんと助けに来てくれたことに胸が熱くなる。


「お前は……シェリーはどうした⁉ そちらの対応は彼女に任せたはずだ!」

 田神先生を見てわずかに焦りを見せる伊織。

 どうやら今回シェリーは会場にいない吸血鬼達の対応をしていたらしい。


「ああ、あの女がシェリーだったのか。聖良さんを吸血して殺しかけた女……もっと痛めつけてやれば良かったな……」

 憎々し気に吐き捨てた田神先生だったけれど、伊織には冷静に返した。

「少々手こずったが、あの女は取り押さえた。月原伊織、お前も観念したらどうだ? 日本中の当主が集まるこのパーティーでこんな大掛かりなことをしたんだ。もう言い逃れは出来ないぞ?」

「まあ、この国にはいられないだろうね」

 伊織も冷静さを取り戻し淡々と告げる。

 それでも“唯一”であるシェリーが捕らえられたと聞いて多少は動揺しているようにも見えた。


「だが、始祖の再来である聖良さんを手に入れることが出来れば海外で隠れる場所はいくらでもある」

「……渡すと思うか?」

「そちらこそ守りきれると思っているのかい? まともに戦えそうなのは田神さん、あなただけのように見えるけれど?」

 ピリッと、空気が張り詰める。

 戦闘前の緊迫した空気に、私も息を呑んだ。


 シンと静まり返る中、先に動いたのはどちらだったのか。

 一対三の闘いが始まった。


 田神先生一人で大丈夫なんだろうか?

 心配になるけれど、彼と永人しか来ていないということは田神先生以外にまともに戦える人がいないんだろう。
 それか、こちらにまで来られない状況なのか。

 会場は今どうなっているの?
 愛良は大丈夫なの?


 色々なことが分からない状況を不安に思っていると、ギュッとまた強く抱き締められた。

「聖良……間にあって良かった……」

 苦し気に言葉を紡ぐ様は、まだ薬が抜けていないのがよく分かる。

 すぐに気を失ってしまうほどの濃い薬を吸わされたんだ。
 むしろ今ここに来れている時点で奇跡だろう。


「なが、と……きて、くれて……あり、がと……」

 何とかお礼を言うと、「当たり前だろうが」と絞り出すような声が聞こえる。

「お前を失いそうになるなんて……二度とごめんだって、言ったはずだぜ?」

 だから、どんな無茶な状態でも来てくれた。


 いくら今夜が上昇の月で、すでにパワーアップが始まっているとはいえ薬の効果を無くすことが出来るわけじゃない。

 永人が用意したという中和剤も、本当に気休めのようなものみたいだし。


 きっと、意識が朦朧とするのを無理矢理引き戻して中和剤を飲んだんだろう。

 そして、僅かに戻った力と気力で体を動かして……。

 そうしてがむしゃらになって来てくれた。


 それだけで、泣きたくなるほど嬉しくて胸が苦しい。



 日はもう沈んでいる。

 辺りは薄暗く、月のない今日は太陽の残滓ざんしが無くなればすぐに闇に包まれるだろう。


 ホテルから明かりが盛大に漏れているから、真っ暗になることはないけれど……。


 何にせよ、そうなったらこちらのもの。

 新月を上昇の月とする私達の時間だ。

 早く、早くと気が逸る。


 そんな中、やっぱり三対一では分が悪かったようで田神先生が吹き飛ばされてしまった。

「ぐはぁっ!」

「たがみ……せんせ、い……」

 心配だけれど、駆け寄って様子を見ることも出来ない。


「チッ、手こずらせやがって……」

 伊織のお付きの人達が悪態をつきながら近付いて来る。

「さぁて、これで助けはなくなったぜ?」

 座り込んでしまっている状態の私と永人の前に、囲むように仁王立ちする二人。


「っく……」

 勝ち誇ったような彼らに永人は悔し気な声を出す。

 パワーアップしてはいるものの、薬は未だに効いている。
 二人を相手に逃げ切れるかは不安にもなるだろう。


 ……でも、大丈夫。


「聖良さんも岸も、諦めなさい。さあ、彼女を連れてくるんだ」

 男二人の向こう側で、少し息を乱した伊織が指示を出す。

 その指示に従い彼らが一歩踏み出すのと同時に、私はゆっくり立ち上がった。


「……聖良?」

 驚く永人の声が聞こえる。

 大丈夫。

 永人が――みんなが私を守ってくれた分、私もみんなを守るから。


 薬が効いているのに立ち上がった私を不審に思ったのか、一歩を踏み出した状態で止まっている二人。

 そしてその向こうにいる伊織に向かって、私は言葉を放った。


「下がりなさい……始祖の力を継いだ私に許可なく触れるなど、無礼にもほどがある!」

 そう……今はもう、新月の夜だ。
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