上 下
32 / 85
3.狙われる花嫁達

岸、再び 前編

しおりを挟む
 はじめは一時間の延長だった。

 元々フリータイムで予約していたし、混んでいなければそのまま部屋を使っても良いって状態だったから。


 俊君と浪岡君は少し渋っていたけれど、一時間だけだからと皆で頼み込んだ。

 それだけだったら良かったんだけど……一時間経っても退室を願う電話が鳴ることは無くて……。


 あと何曲歌えるかなって時間を気にしていたから、中々鳴らない電話に不思議に思った。

 それでも忙しいのかなって思ってはじめは気にしていなかったんだけれど……。


 五分、十分と過ぎても鳴らないのはおかしい。

 それに何より俊君達と約束した一時間は確実に過ぎてしまっていた。


 とにかくもう帰らないと。

 外で護衛にあたっている人達にも悪いし。


「……聖良先輩、そろそろ……」

 丁度浪岡君にもそう耳打ちされ、「うん」と返した。


「有香、そろそろお開きにしよう?」

 有香が歌い終わったのを見計らってそう提案する。

 なのに有香は「え? 何で?」とか言ってとぼけるから、私はスマホのロック画面を見せながら言った。


「約束の時間はもうとっくに過ぎてるの! 流石に護衛の人にも悪いから私もう帰るよ」

 時間に気付いていないだけだと思ったから、そう言えば納得してもらえると思った。

 なのに――。


「ダメでしょ? 帰っちゃあ」

「は? 有香、何言って――」

 こんな聞き分けのないことを言う子じゃないはずだ。

 いぶかしんで聞き返すとスマホを持っていた腕を掴まれる。

 思いがけない強い力に、そのままスマホを落とした。

「いったっ! 何?」

 いつになく乱暴な有香に当惑する。

「聖良が欲しいって言ってる人がいるの。あなたはその人のところに行かなくちゃ」

 焦点の合わない目で見下ろされた。

 有香なのに、有香じゃない感じ。


「有香……? どうしちゃったの?」

「聖良先輩! っ⁉」

 異変を感じたらしい俊君が私を呼んだけれど、近くに来ることはなかった。


「ちょっ! 離してください!」

 浪岡君の声も聞こえて、頭だけ振り返る。


 二人は友人にしがみつかれていた。

 俊君と浪岡君の力なら振りほどけるだろうけれど、一般人相手だからか少し躊躇っているみたいだった。


「二人とも! ねえ有香、冗談はやめて。離してちょうだい」

 有香に向き直りもう一度語り掛ける。

 でも、その声は震えてしまっていた。


 冗談でもなんでもないことは嫌でも感じる。

 有香の目は、私を見下ろしているのに私を見ていない。

 まるで、催眠術でも掛けられて操られているかのような……。


「っ!」

 そこまで考えて、一つの可能性が思い浮かぶ。


 吸血鬼は催眠術を使うという事。
 有香の腕にあった見覚えのあるあと

 信じたくない。

 でも、可能性としてはとてもあり得ることだ。


「有香……誰か、吸血鬼の人と会ったの? 腕の虫刺され――ううん、キスマークみたいな痕と関係ある?」

 今の状態の有香が答えてくれるかは分からなかったけれど、確認せずにはいられなかった。


 でも有香が何かを言う前に俊君が反応する。

「腕に痕? まさか⁉」

 そして彼が何か行動を起こす前に部屋のドアが勢いよく開かれた。

 ドアから知らない男の人達が四人くらい入って来たかと思うと、あっという間に俊君と浪岡君を友達ごと取り押さえる。

 何が起こったのか理解するよりも先に、聞き覚えのある声がその場に響いた。


「思ったより察しが良いんだなぁ? 聖良」

「っ!」

 来るだろうとは思いつつも、出来れば聞きたくなかった声。

 覚えたくなんてなかったその口調。


 ゆっくりと余裕の歩みで入ってきたのは、初めて私の血を吸った吸血鬼――岸永人だった。


「確かにあんたのお友達には催眠術も使ったけどな、思い通りに動かすにはそれだけじゃ足りねぇんだよ」

 近付いて来る岸に、わずかに体が震えた。

 克服したとはいえ、やっぱり本人に対しては恐怖を覚えてしまう。


「あんたが言った通り、その子の腕にある痕が関係してる」

 近くに来た岸は、掴まれている私の手を掴み有香の袖を少しまくる。

 咬み痕とは違って一つだけだけれど、そこにはやっぱりキスマークみたいな痕があった。


「ここからな、俺の血を少し入れたんだ」

「え?」


 有香に、血を入れた?
 何で、そんなことを?


 言葉にも出せずただ驚いていると、岸は私を後ろから抱くようにして続ける。

「っ!」

 体が強張った。


「吸血鬼は人間に少量の血を入れることで、その人間を意のままに操れることが出来るんだよ」

 期間は限定されるけどな、と耳元で囁かれる。

 それは睦言のように鼓膜を震わせるけど、私は拒絶したくて涙が滲む。


 泣きたくなんかない。

 私は怒ってるんだ。

 有香達に……私の友達になんてことしてくれるのよ⁉ って。

 でも、体が恐怖を覚えていた。

 他の人は大丈夫になっても、原因である岸に対しては震えは収まってくれないらしい。

 文句を言いたいのに、この怒りをぶつけたいのに、喉が震えて声が出なかった。


「んん? 何だ聖良、震えてんのかぁ? 可愛いとこあるじゃねぇか」

 そう言って岸は私の耳のふちをなぞるように舐めた。

「っっっ⁉」


 っこっのぉ!


「あ、んたにっ! 名前呼ばれるとか、不快でしかないんだけどっ!」

 声が震えようが、弱々しく聞こえようがどうでも良くなった。


 とにかくこの不快感を……嫌悪感を言葉でぶつけてやりたい。

 涙が滲んでいても、怒りを込めて睨みつけてやりたかった。


 でもそんな私の行動は逆効果だったようで……。


 私の腕から有香の手を外した岸は、くるりと正面に回り込み私の腰と顎を固定する。

 すぐ近くに、凶悪なほどに楽し気な岸の顔があった。


「ははっ! 震えてても強がるとか、あんたらしい。いいぜぇ? それでこそ聖良だ。もっと泣かせたらどうなるか、考えただけでゾクゾクする」

「っく!」

 その黒い瞳に映りこみたくなくて、顔を逸らしたいのにしっかり掴まれていて動かせない。

 仕方ないので、代わりに睨みつける。


 岸相手には逆効果だと分かっても、泣き顔は見せたくなかった。


「っく! 聖良先輩から、離れろ!」

 浪岡君の声が聞こえる。

 顔を動かせなくて見えないけれど、浪岡君より大きい男性二人に押さえつけられていたはずだ。

 流石に動くことは出来ないだろう。


「その手をどけろ。お前みたいなのが触れていい人じゃない」

 俊君の、聞いたことが無いような怒りのこもった低い声も聞こえる。

 何とか男二人がかりの拘束を外そうとしているのか少し苦し気だ。

 岸は、そんな二人に視線を向けて「へぇ」と意地悪く笑った。

 その表情からは嫌な予感しかしない。

「お前ら、聖良のこと好きだってかぁ? はは! 良いじゃねぇか、じゃあ見せつけてやるよ」


 嫌な予感は、的中する。

 極悪な笑みを浮かべた岸は、私に視線を戻しハイエナのような目を向けてその唇を重ねた。


「⁉」

 くち……唇が重なって……キス⁉

 初めての行為に、私は衝撃を受けるばかり。

 ファーストキスまで奪われた事実にめまいがしてくる。


 だから、更に続きがあるなんて思わなかった。


 ぬるっ


 岸の舌が私の唇を割って入ってくる。

 予測していなかったから歯を食いしばって抵抗することも出来なかった。


「んっ⁉」

 たやすく侵入を許してしまったそれは、逃げる私の舌を絡めとる。


「ふっやぁ、ん!」

 嫌だと声を上げようにも、すぐに塞がれ奥深くに入ってきた。


 離れたくて岸の胸や肩を押すけれどビクともしない。

 そうしているうちに酸素が足りなくて力も入れられなくなる。

 むなしい抵抗も出来なくなってきたころ、ひとしきり蹂躙じゅうりんした唇が離れて行った。


「……エロい顔。このまま襲ってやりたくなるなぁ」

 そう言って獲物を咀嚼そしゃくするような目で見ながら岸は笑う。


 このっ! 好き勝手して!


 岸は怖い。

 でも、段々怒りの方が強くなってきた。


 息を整えながら、キッと睨みつける。

「まだ睨む余裕あんの? もっかいいっとくかぁ?」

 そうしてまた近付いて来る岸だったけれど、制止の声がかかった。

「おい、あまり煽るな。押さえつけるのだって楽じゃないんだぞ?」

 位置的に、俊君を抑えている男のどちらかみたいだ。


「さっさと“花嫁”を連れていけ。こっちはこいつらを拘束出来れば十分なんだ」

「はいはい、分かったよ」

 男の言葉に岸は面白くなさそうに息をつき、私を抱く腕を外した。

 ただし、手首だけはしっかり掴んで。


「さあ聖良、お友達にケガさせたくなかったらついて来てもらおうか」

「っく……」

 了承なんてしたくない。

 でも岸は本気なんだろう。


「……俊君達にも、ケガはさせないで」

 選択肢がないなら、せめてもと条件を付け加える。


 それに岸は答えず、代わりに男達の方を見た。

 岸と男達の関係は良く分からないけれど、完全に仲間っていうのとは違うのかもしれない。


「まあ、動けなくするだけだからな。抵抗しなければケガはさせないさ」

 俊君を抑えている体格のいい男が答えたことで、岸は「これで良いだろ」と私の腕を引いて行く。


「お前だけついてこい」

 岸は有香にそう命令すると、押しつぶされている俊君と浪岡君の前を通って部屋を出た。


「聖良、先輩……」
「うっくそっ!」

 二人の悔しそうな声を聞きながら、彼らの様子を良く見ることも出来ず私は連れられて行く。


 引かれて歩きながら考える。

 私がこの状況ということは、愛良も無事ではないかもしれない。

 愛良の状況が知りたいけれど、今連れて行かれているのは愛良と同じ場所なんだろうか?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...