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第五章 宿命【英雄への道編】

第08話 神の依り代

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 何かがおかしい……そう思いながらも僕は、女性陣のために敷物を広げて岩の地面に敷いた。

 アースドラゴンとミラの戦闘の様子についてようやくエヴァが語る運びとなったものの、イルマが魔法袋からティーセットを取り出し、水やそれを沸かす焚火のためにエルサが魔法を唱える。ハーブティーを淹れる準備をしているのだ。

 お茶菓子でも出ればお茶会の体を成すが、さすがにそこまでにはならなかった。
 いや、そうではない。一四階層に上がってから話をすればいいではないか。

 いまさらながらに僕がそれを指摘しようとしたとき。

『ダ……っ、待っ……コウ……』

 どこからともなく虚ろな声が響き、僕は顔を歪めて辺りを見渡す。が、僕たちが囲む焚火がふく焔に連動して影法師が揺れているだけ。誰一人としてその声に気付いた様子は見られない。

「イルマ、聞こえた?」
「ん、何がじゃ?」

 念のために隣にいるイルマに尋ねたけど、やはり聞こえなかったようだ。

「変なこと言っておらんで、ほれ、コウヘイ。そっちへ回してくれんか?」
「ん、ああ――」

 イルマからご丁寧にソーサーとセットになったティーカップを差し出され、反射的に受け取った僕はそれを左隣にいるエヴァに渡す。

 エヴァは、「悪いわね。ありがとう」と言ってハーブティーを啜る。エヴァの隣にいるエルサは、ミラの頭を膝の上に乗せて彼女の髪をくように撫でていた。

 うーん、二人にも聞こえなかったみたいだ。

 一〇階層でテレーゼさんたちと話していたときもそうだったけど、幻聴だろうか?

 それはともかく、二人はなぜこうも落ち着いていられるのだろう。

 エヴァとエルサは僕とイルマの会話を聞いていなかった。それでも、エヴァならドラゴンが出た一五階層から早く離れようと言いそうな気がするも、そんな様子は見られない。
 エヴァは、ミラの寝顔を眺めながら微笑んでいるのだった。

 そもそも、早くここを離れようと提案したイルマが率先して準備をしているのは、どんなつもりなんだろうか。

 イルマがついに僕の分を注ぎ始めている。このままでは、本当にティータイムとなってしまう。

「ねえ――」
『待って!』

 今回はハッキリと聞こえた。鈴が鳴るような女性の声だった。

「もう少しじゃ、ちと待っておれ」

 イルマは、中途半端になってしまった僕の言葉を催促と勘違いしたのか、俯いたままポットの傾きに神経を集中させている。

 僕はイルマを無視して今度こそ声の主を探すように首を巡らせる。目に留まったのは、眠るように穏やかな表情のミラだ。

 僕は「そんな、まさか。いや、でも……」と、声質の違いからミラの可能性を否定する。

「待たせたの、コウヘイ。それではエヴァの説明を聞こうではないか」

 この異常な状況に気持ち悪さを覚えつつ、心を落ち着かせるために、僕はイルマから新たに受け取ったハーブティーの香りを取り込むように深呼吸をする。 

 そうしている間にエヴァの説明がはじまり、僕は流れに身を任せることにした。当然、ミラから意識を外すことはしない。

 エヴァの話によると、僕が最後に見た光はアースドラゴンのブレスで間違いなかったようだ。ただそれも、ふらっとその前にミラが立ちはだかり、魔法障壁を展開させたらしい。
 そのおかげで、僕たちはこうして息をしていられるのだとエヴァは力説した。

 もう、先程までの落ち着いたエヴァはいない。思わず僕は苦笑する。それでも、僕が気を失ったのはアースドラゴンがブレスを吐いた瞬間だったため、すかさず肯定した。

「そっか、間一髪だったんだね。もし、ミラの裏人格が現れなかったら今頃どうなっていたことやら――」
「そうよそうよ! いやあ、ミラちゃんが壊れちゃったのかと思ったけど、そうじゃなくてよかったわ。まさかあのミラちゃんがねー」

 熱くなり易いけど、基本的に冷静なエヴァがこうも興奮するのは珍しい。だから、僕は少し心配になった。

「だ、大丈夫?」
「え、何が?」
「何が? って、声が少し変だけど……」

 エヴァは、普段の話し声より少し上ずっていたのだ。

「ああ、ごめんなさいね。なんか神々の大戦の逸話みたいで少し興奮しちゃったみたい」
「ああ、そうなんだ……」

 興奮している自覚があるようで安心したけど、やっぱりそっち方向に考えが及んだんだなと、僕はエヴァの信仰心に感心する。

 神々の大戦は、遥か昔に起こったとされる神々の戦争。その名の通り、この世界を管理していた神々が原因で大陸を巻き込んだ戦争らしい。

 この話は、これまたありきたりなもので、平和に暮らしていたヒューマンの生活を見守る生活に飽いた神が現れたところからはじまる。

 要は、邪神の誕生である。

 そして、ヒューマンにちょっかいを出す邪神とそのしもべである魔族を止めるべく他の神々が、邪神たちと戦う物語。

 詰まる所、ファンタジー世界のファンタジー物語である。

 しかも、このファンタズムでは神々の大戦を実話だと信じている人が大半らしい。それもそのはず、邪神と戦った神々は、最大勢力を誇るデミウルゴス神教の神々であるらしいのだ。

 デミウルゴス神教は、創造神デミウルゴスを頂点とした四柱の神からなる宗教。
 民の繁栄の基盤となる安寧と豊作の女神モーラ。
 困難に立ち向かうための愛と戦の女神ローラ。
 そして、女神モーラと女神ローラを率いて民の希望となる英雄神テイラー。

 神々の大戦は、元々神界で発生した。それが、その四柱に追い詰められた邪神が人界に降り立ったらしい。
 その邪神が、冥王ディースと恐れられ、下界で暴虐の限りを尽くすとかそういうお話。

 そもそも、その邪神は向上と堕落の神ディースと呼ばれていた。元は創造神デミウルゴスの仲間だったらしいのだから、下界の住民からしたら迷惑な話だ。

 ただそれも、エヴァからの受け売りであり、正直そこまで僕は詳しくない。 

 簡単に言うと、神界では勝てないと悟った邪神が逃げ出し、戦場を下界に移した。それなら、他の神々も冥王ディースを追いかければよかったのだ。つまり、そうはしなかった。

 新たな邪神が現れないようにするために、神々は勝手に人界に影響できないように制約を設けたのだとか。しかも、一度設けた制約は撤廃できないとかで、なんとも間抜けな展開だった。

 一応、僕が腑に落ちた説明もある。それは、高位の存在が一斉に下界に降りたら世界のバランスが崩れてしまうため、したくてもできなかったとの説。

 所詮は空想だ。

 諸説ありながらも、結末は全て同じ。神々は邪神を討つためにヒューマンに憑依して神の力を行使したとされている。

 幸い、その部分だけは知っていた。故に僕は、エヴァが興奮している理由がなんとなくわかってしまった。

「じゃあ、何? ミラのあの人格は神様が乗り移って僕たちを助けてくれたと言いたい訳?」
「もちろん!」

 即答だった。

 しかも、グレーの双眸を光り輝く白銀のようにキラキラさせて、

「もしかしたら、あの愛と戦の女神であるローラ様と会話したかもしれないのよ! いや、絶対そうよ!」

 と、より一層興奮して悦に浸ったような表情を浮かべている。
  
 見た目は一番年上なのに、エヴァはたまに純粋な子供のような心を前面に押し出すときがある。

 何だろうか……そう考えると年齢はべつとして、僕のパーティーには子供しかいないのだろか、と憂鬱な気分になってしまう。

「なんじゃ?」
「あ、いや、お代わりをもらえるかな……」
「うむ、そうか」

 イルマと目が合ってしまい、僕は空になったカップを手渡して誤魔化す。
 イルマを見て子供だと思ったなどとは、口が裂けても言えない。

 それはさておき、僕としてはなぜそうエヴァが言い切れるのか謎でしかない。
 これまた信仰心が成せる賜物なのかもしれないけど、定かではない。

 イルマに聞いた話によると、エヴァは拠点にしている白猫亭の部屋でデミウルゴス神皇国の方を向いて祈りを捧げているらしいのだ。
 そう、エヴァは、敬虔なデミウルゴス神教徒なのである。

 それを思うと、エヴァをと呼んでいた人たちにその姿を見せたい気持ちに駆られる。

 僕は、疑問を解消すべくエヴァに直接尋ねた。

「でもさ、エヴァはなぜそう思うの?」
「なぜって、そりゃあ簡単じゃないのよ」
「簡単?」
「そうよ! だって、コウヘイはどうやってこのファンタズムに来たの?」

 なるほど、僕はエヴァが何を言いたいのか理解できた気がする。

「もしかして、僕がそのテイラー……様が伝えたという魔法で召喚されたからかな?」

 エヴァにキッと睨まれ、僕はつい呼び捨てにしそうになるのをどうにか訂正して言い切る。

「そういうことよ。きっと、神界からの加護なのよ」
「ふむ、そう来るか」

 イルマは、何か思うところがあるのか口を挟む。

 当然、イルマの鼻持ちならない言い方に、エヴァが反応した。

「何よっ」
「いやぁ、なんじゃ、実はミラはのう……」
「うん、いいと思うよ」

 イルマがそこまで言って僕の方を窺うように視線を向けてきたため、頷いて促す。

「実は、精霊王から託されたのじゃ」
「え――ッ!」

 今日一番の大声かもしれない。エヴァは、イルマの発言を聞いて素っ頓狂な声を上げ、目を見開いた。

「そ、そそっ、そうなったら絶対そうじゃないのよぉ……」

 エヴァの声が震え出し、尚も続けて断言した。

「精霊王ってことは、地上で一番神に近い存在なんだから、もう絶対よ! うん、絶対!」

 エヴァの想像が本当だったら良いなと思いつつ、の僕はべつの可能性を考えていた。

 これはイルマから聞いた話だけど、他にも色々と宗教が存在しているのにその名をあまり耳にしないのは、デミウルゴス神教が凄すぎるだけらしい。つまり、他の宗教は知名度が低いのだ。

 先ず、僕がかっこいいなと思ったのは、竜神教だ。その名の通り、ドラゴンを神聖視しており、いにしえの白銀竜がその代表格だ。さらに、その配下の古竜も信仰の対象になっているらしい。
 古竜が生息する地域は、魔獣が活発的でないことからその土地の守護神的――土地神様のような立ち位置なのだとか。

 だがしかし、その古竜と言われるアースドラゴンと戦った僕は、信じる気が失せてしまった。

 そして、一番危険なのは、あかつき常闇とこやみ。宗教と言うよりダークサイダー、サイコパス集団や魔族崇拝者とも呼ばれているらしい。
 その信者は、邪神である冥王ディースを祭っているらしく、その教えは魔族と交わり力を得ようとする者たちなのだとか。

 まさに、闇の宗教だ。

 唯一の救いは、ミラの別人格が何かしらに憑依しているせいであるとの根拠が、何もないくらいだろう。
 逆に、そうではないとの根拠もない。

 あくまで、何者かに憑依されていると仮定した場合の考察だけど、ミラがもし何れかの神のしろならば、「暁は常闇」だけは勘弁してほしいと切に願う。

 そんな風に、ミラが何かしらの依り代である可能性を考えるほどに思考を巡らせていると、大分時間が経過していたようである。

 いつの間にかイルマが僕にぴったりとくっ付いており、覗き込むように僕の顔を見上げてきた。

「そろそろ移動した方がよいのでないか?」
「……え?」

 思わず、そんな間抜けな反応をしてしまう。

「じゃから、ここにおってはいつ魔獣に襲われるかわからん。一旦は、一四階層へ上がるべきじゃ」

 ティータイムの主催者がそれを言うか! と突っ込みそうになるのを堪え、改めて辺りを見渡す。

 また、あの声が聞こえるかもしれないと思ったのだ。

 最終地点の一五階層は、相も変わらず闇に染まって向こう側の壁は見えない。全容を確認したい気持ちに駆られるも、一〇階層の安全地帯と違っていつ魔獣が現れるかわからない一五階層である。

 盛大にため息を吐いた僕は、ティーセットをイルマに押し付けながらエヴァに言った。

「それじゃあ、さっき話した通り、僕がミラを背負っていくよ。それでいいよね」
「ええ、それで構わないわ。ただ、気配察知に反応があったらあたしが代わるからね」

 立ち上がって歩き出した僕は、「了解」と言ってエヴァの背中越しから彼女の左肩を右手で軽く叩き、エルサの脇に背中を向けて屈む。エルサに手伝ってもらい、僕はミラをしっかりと背負ったのを確認して再び立ち上がった。

「よし、一五階層では色々とあったけど、先ずは一四階層まで上がって安全な場所で野営をしよう。十分止んだら一〇階層に向かうけど、そのときは、アースドラゴンが途中で現れるかもしれないから、気を抜かないように」

 僕が改めてみんなに予定を告げると、エルサは心配そうに僕の腕に手を添えてきた。眉を僅かにハの字にさせたエルサに、僕は冗談めかして微笑み掛けた。

「大丈夫だよ。今度は全速力で逃げるから」
「うー、そーじゃないんだけど……まいっか」

 小さな唇を尖らせつつも、最終的にはエルサも微笑んでくれた。

「ちゃんとわかってるから心配しないで。約束通り、もう無茶はしない。これからはみんなで一緒に強くなろう!」

 そう、みんなと一緒に!

 この宣言は今日で二度目。最初のを合わせると三度目になる。

 それは、中級魔族がテレサに現れるという知らせを受け、勇者パーティーがテレサへ救援に来ると知ったときだ。
 そのときの僕は、先輩たちに会う心の準備ができておらず、半ばパニック状態に陥りかけた。

 弱音を吐いた僕をエルサが励まし、元気付けてくれたときの約束。

 しかし、強くなったと勘違いして天狗になった僕は、その約束をすっかり忘れて今回の大失態をやらかした。

 今回は、慰めではなく叱責により気付かされた訳だけど、やっぱりエルサには敵わない。優しいだけではない。本気で叱ってくれる厳しさも兼ね備えたエルサは、内気な僕を良い方向へ導き、心の隙間を埋めてくれるかけがえのない存在となっていたのだ。

 僕は、もう二度と失望させまいと決心して再びエルサを見つめる。

 すると、僕の想いが通じたのか、エルサはニコッと笑ってくれた。

「一緒にガンバローね、コウヘイっ」
「うん」
「あたしも負けないわよー」
「まあ、ほどほどにするんじゃぞ」

 エルサの掛け声に釣られるようにエヴァも気合を入れ、イルマは相も変わらず保護者面をする。

「よし、行こっか――」

 僕が掛け声を上げ、一歩を踏み出したときだった。

『こっち……こっちよ――』
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