上 下
128 / 154
第五章 宿命【英雄への道編】

第06話 大根役者

しおりを挟む
 闇が蔓延はびこるダンジョンの一五階層。
 先程までの重たくピリついていた空気が嘘のように、明るい雰囲気に包まれている。

 エルサは僕に胸の内を伝えて満足したのか、エヴァと談笑している。
 僕は僕で、スマフォで無邪気に辺りを撮影して回っているイルマの様子がおかしくって口元を綻ばせる。

 僕は、一人離れていたミラが近付いて来るのに気付いた。僕たちの会話が終わるのを見計らったかのようなタイミングだ。

 なぜ離れていたんだろう、と僕は思ったけど、ミラの表情を見て聞かずにはいられなかった。

「えーっと、何かな? ミラもやっぱり怒ってるよね?」

 目の前で立ち止まったミラの表情は、なぜか凄いニコニコ顔で少し不気味だった。

 エルサにコッテリ絞られたばかりの僕は、正直、勘弁してほしいと思った。

 僕の少ない経験上という限定的なものだけど、自信がある。不気味な笑みを浮かべながら近付いて来る人は、大抵怒っているのが相場だ。

 けれども、意外や意外、僕の予想は見事に外れた。

「いえ、コウヘイさんの行動は素晴らしいと思います」
「そ、そうだよね、素晴らしいよね……って、え?」

 まさか、褒められると思わなかった僕は、完全に肩透かしを食らった。

 驚いたのは僕だけではないようだ。スマフォに夢中になっていたイルマがその手を止め、訝しむような視線を向けている。エルサとエヴァも会話を止めてこちらに注目している。

 ミラの言葉の意味を理解できず、僕はそれが何を指しているのか確認せずにはいられなかった。

「えーっと、ごめん。素晴らしいって、何が?」
「だって、あのアースドラゴンを怯えさせたのですから」
「怯えさせた?」

 さも当然と言うようなミラの言葉に、僕は疑問符を浮かべる。

「はい、あの咆哮には恐怖が混じっていましたもの」

 そう断言したミラが口を円弧に裂き、悦に浸ったような笑みを浮かべる。

 そんなミラを見たのははじめてのことで、僕は思わず顔が引きつるのを感じた。

 あの咆哮をいまでも覚えている。アースドラゴンとの戦闘を思い返しても、恐怖していたようには受け取れなかった。力の波動を伴わせて大気をも震わせたアレは、恐怖などではない。怒りだった。

 考えれば考えるほどミラの意味深な言葉に納得できず、僕は首を傾げる。

「ちょっと待って。その話も興味深いけど、それよりもミラちゃんにはアースドラゴンとのことを聞きたいんだけど」

 そう言って話に割って入ったのは、エヴァだった。

 そうだ!

 エルサに問い詰められてしまい忘れていたけど、本来であればアースドラゴンがどうなったのか、エヴァから話を聞く予定だったじゃないか。

 この場にアースドラゴンがいないのは、やっぱりミラが深く関わっているようだ。もしかしたら、あの人格が再び姿を現したのかもしれない。

「何かしら?」

 ミラの声音は冷たく、表情も冷めたように目を細めている。

 エヴァに対するミラの口調がいつもより強気で、僕は確信せずにはいられない。

 もう、何なんだよー! と僕はミラの豹変に胃が痛む。

 重苦しい空気からやっと解放され、やっと一息ついたと思ったのも束の間。どことなく落ち着かない雰囲気が漂いはじめる。

「何かしら、って……アースドラゴンをどうしたのよ?」
「ああ、あの小童ならボクがっ――」

 ミラは、エヴァの質問にそこまで言ってから、周りの視線に気付いたのだろう。深紅の双眸をしばたたかせてから口に両手を持っていき、それ以降は何も言わない。

 もしかして、いまのミラは別人格だと知られたくないのだろうか。

 もしそうだとしても、両手を腰に突いて話す偉そうな仕草然り、一人称がであることから、目の前のミラがいつものミラでないのは明白だ。

 だから、僕としては、いや……もう遅いって、と言うのが正直な感想である。

 ただそれも、悠長に構えていられる余裕はない。一気に緊迫した空気が、僕、エルサとイルマの三人の間を駆け巡った。

 一方でエヴァは、ミラの異変に戸惑っているようだった。

「ミラちゃんどうしちゃったのよ! 小童? ボク?」

 この状態のミラとはじめて会話するエヴァがパニックになるのは、無理もないだろう。
 まるで、真面目で大人しかった我が子からはじめて反抗されて面を食らっている母親のように、エヴァが目を見開いて慌てふためいている。

 うーん、と唸りながら僕は、エヴァの問いにミラがどう答えるのか様子を窺う。

 ミラは口を閉じた後、瞼もかたく閉ざしている。何かを思案しているのだろうか?
 時間が止まったかのようにミラは無反応だった。
 
 ミラの別人格が現れたのは、世界樹で一方的に捲し立てられたときと、五階層でのオーガとの戦闘のときの二回だけだ。

 そのときは、会話をすることが叶わなかった。

 ミラ本人も知らない別人格……その正体を暴く絶好のチャンスかもしれない。

 そう思った僕が間に入るべく口を開いた。

「ごめん、エヴァ。悪いけど、ここからは僕に話をさせてもらえないかな?」

 僕の言葉に、エヴァは何も言わず、コクコクと頷いてあっさりと引いてくれた。
 おそらく、理解が及ばず、そうしてほしいと思っていたのかもしれない。

「ねえ、ミラ……いや、そうじゃないよね」

 名を呼んでから、僕がすぐに否定してミラの反応を待つ。

 いくばくかしてミラが目を開いた。闇の中に灯る焔のように煌めく深紅の瞳があらわになる。
 その瞳と視線を結んだ瞬間、僕は背筋に冷たいものが走るのを感じ、思わず一歩後退ってしまった。

 やっぱり、いつものミラじゃない。

 息を呑んで僕が身構えると、エルサとイルマが両脇を固めるように身を寄せてくる。 
 二人を交互に見て頷くと、二人が頷き返す。

 僕は、無駄なことをせずにはじめから直球勝負で挑んだ。

「君が誰なのかわからなくて、ミラ自身も困っているんだよ。だから、教えてほしい。君が誰なのか……ねえ、君は誰なの?」

 さあ、なんて答えるのか……

「私は……」

 ミラが口を開く。

 いよいよか、と僕は静かに唾を呑む。いまにも心臓の音が聞こえてきそうなほどに緊迫感が漂う。

 が、

「私はミラですけど、なぜそんなことを聞くのですか?」

 こともあろうか、ミラはしらばっくれるつもりのようだ。媚びるような声音と共に、左の頬に人差し指を添えてコテンと小首を傾げている。

「なっ!」

 口調はいつものミラだけど、そんなぶりっ子みたいな仕草を絶対にしない。
 相手がそのつもりなら、いいだろう……

 深呼吸をしてから、僕はエヴァの言葉を借りた。

「わかったよ。じゃあ聞くけど、アースドラゴンはどうなったの? ミラが倒してくれた、ということでいいのかな?」

 バカな質問をしているのは、僕だってわかっている。でも、ならば、そんな可能性が十分にありえるのだ。

 真剣にそう問い掛けた僕に対し、そのミラは、

「えーっと、お、おお、お兄ちゃんは何を言ってるんですか? 私が竜神の守護竜を相手出来る訳ないですって……」

 と説明してから、あはははと笑うその様は、猿芝居もかくやとベタな演技だった。

 特に、お兄ちゃんと言うときにかなり恥ずかしそうにしていた。

 いつものミラも、はじめこそは同じ感じだった。それでも、何回か僕をお兄ちゃんと呼ぶ内に、今回のような恥じらいを見せることはなくなっていた。

 おそらく、噂で聞き及んでいたように陰で僕をお兄ちゃんと呼んでいたからなのだろう。

 ただそれも、いまさらである。

「あれ? さっきは名前呼びに戻っていたのに、やっぱりそれが気に入ったんだね」

 僕がそれを指摘してあげると、

「えっ、あー、そ、そうです、お兄、ちゃん……」

 などと、裏ミラは狼狽してから頬を真っ赤に染め、ついにはシュンとして俯いてしまう。

 その様子だけなら、ミラらしい仕草なんだけどな。

 百面相の如く変わるミラの表情と仕草に呆けているエヴァを他所に、僕の両脇からクスクスと笑い声が聞こえてくる。

 緊迫した空気から一転、和やかムードが漂う。

「まあ、そんなことよりも……竜神の守護竜って、アースドラゴンのことを言っているんだと思うんだけど、それをどこで知ったの?」

 僕が屈んでミラの顔を覗き込むようにして尋ねると、ミラの表情が「しまった」とでも言うように歪んだ。

「そ、それはアレなんです。住処に踏み込んでしまったことをごめんなさいと謝罪したら、そのようなことを言っていたんです。そして、どこかへ去って行ったんです」

 どうやら、裏ミラはまだ諦めていないようだ。

 竜種は他の魔獣より知能が高いと言われている。古竜に分類されているアースドラゴンなら、人語を操れてもさほど不自然ではないかもしれない。

「ふーん、そうなんだ……アースドラゴンと会話、ね」

 頷きながらも僕は、その説明に納得した訳じゃない。

「それなら、なんで最初からそうならなかったんだろう?」
「最初から、とは?」

 少しだけ首を傾げた裏ミラの表情は、困惑気味だった。

「うん、そうだよ。会話できるなら、威嚇するみたいに吠えないで、最初から問い掛けてくれれば、こんなことにはならなかったハズじゃない?」
「ふむ、それもそうじゃが、お主の正体の方が今は気になるのう」

 話題が逸れかけたのをイルマが上手くカットインして軌道修正する。

 危ない危ない、気になることが多すぎて僕は話をまとめられずにいた。

 何事も、一つずつだよね。

「ああ、そうだね。いなくなったドラゴンより、いまは君の方が気になるよ」

 立ち上がった僕は、両腕を組んでからミラの深紅の瞳を見据える。

「あー、いえ、ですから何を仰っているのかわからないんですけど……」

 裏ミラは、両手を後ろで組んで肩を揺らして再び俯いた。

 なるほど、まだシラを切るつもりなんだね、と僕は嘆息してから言い方を変えた。

「べつに責めているつもりはないんだよ。実際、前回は危ないところを助けてもらっている訳だし――」

 害意が無いことを説明しようとしたときだった。

「あっ、ごめんなさいっ。ま、魔力が足りなくて、も、もう立っていら、れ……」

 途端、裏ミラがパタリと僕の方に倒れ込んでくる。僕は、咄嗟に屈んでミラを抱きとめて呟いた。

「え、ナニコレ……」

 ついに、ミラの別人格の正体が判明するのかと思いきや。知らぬ存ぜぬを決め込む彼女に、僕は調子がくるってしまう。

 僕が後ろを振り向くと、イルマがヤレヤレと言うように首を左右に振り、エルサは苦笑い。

 正直な所、勘繰られるような発言をしなければよかったのにと僕は思いつつ、誰も彼女の真意を推し量れるハズもなかった。

 だがしかし、この茶番が何かの予兆であることは、間違いないだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される

日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。 そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。 HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!

命を救った美女令嬢の家でVRMMOをプレイする。いつか彼女と付き合いたい。

茜色 一凛
ファンタジー
広瀬 ユウキは『Lack the world 』という新作のVRMMOゲームの発売日を楽しみにしていた。 ところが、当日、仕事をクビになり、ブチ切れた親にゲームを拳骨で粉砕されてしまう。 泣きながら出掛けた道中、超絶美女令嬢『宮内 恵里香』の命を救ったことで、「VRMMO一緒にやりませんか」と、誘われた。 そして、彼女のお屋敷でVRMMOをプレイするが、ログアウトできなくなってしまったのだ。 ログアウトの方法は『10の扉』にいるボスを攻略するか、リアルで眼鏡型のハードを外してもらうこと。 二人は何故、眼鏡型のハードが外されないのか不思議に思いながらも、この世界でおバカな知恵を絞りながら扉のボスを撃破していく。 応援よろしくお願い致します。

「クズスキルの偽者は必要無い!」と公爵家を追放されたので、かけがえのない仲間と共に最高の国を作ります

古河夜空
ファンタジー
「お前をルートベルク公爵家から追放する――」それはあまりにも突然の出来事だった。 一五歳の誕生日を明日に控えたレオンは、公爵家を追放されてしまう。魔を制する者“神託の御子”と期待されていた、ルートベルク公爵の息子レオンだったが、『継承』という役立たずのスキルしか得ることができず、神託の御子としての片鱗を示すことが出来なかったため追放されてしまう。 一人、逃げる様に王都を出て行くレオンだが、公爵家の汚点たる彼を亡き者にしようとする、ルートベルク公爵の魔の手が迫っていた。「絶対に生き延びてやる……ッ!」レオンは己の力を全て使い、知恵を絞り、公爵の魔の手から逃れんがために走る。生き延びるため、公爵達を見返すため、自分を信じてくれる者のため。 どれだけ窮地に立たされようとも、秘めた想いを曲げない少年の周りには、人、エルフ、ドワーフ、そして魔族、種族の垣根を越えたかけがえの無い仲間達が集い―― これは、追放された少年が最高の国を作りあげる物語。 ※他サイト様でも掲載しております。

転生して捨てられたけど日々是好日だね。【二章・完】

ぼん@ぼおやっじ
ファンタジー
おなじみ異世界に転生した主人公の物語。 転生はデフォです。 でもなぜか神様に見込まれて魔法とか魔力とか失ってしまったリウ君の物語。 リウ君は幼児ですが魔力がないので馬鹿にされます。でも周りの大人たちにもいい人はいて、愛されて成長していきます。 しかしリウ君の暮らす村の近くには『タタリ』という恐ろしいものを封じた祠があたのです。 この話は第一部ということでそこまでは完結しています。 第一部ではリウ君は自力で成長し、戦う力を得ます。 そして… リウ君のかっこいい活躍を見てください。

ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い

平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。 ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。 かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。

外れスキル《コピー》を授かったけど「無能」と言われて家を追放された~ だけど発動条件を満たせば"魔族のスキル"を発動することができるようだ~

そらら
ファンタジー
「鑑定ミスではありません。この子のスキルは《コピー》です。正直、稀に見る外れスキルですね、何せ発動条件が今だ未解明なのですから」 「何てことなの……」 「全く期待はずれだ」 私の名前はラゼル、十五歳になったんだけども、人生最悪のピンチに立たされている。 このファンタジックな世界では、15歳になった際、スキル鑑定を医者に受けさせられるんだが、困ったことに私は外れスキル《コピー》を当ててしまったらしい。 そして数年が経ち……案の定、私は家族から疎ましく感じられてーーついに追放されてしまう。 だけど私のスキルは発動条件を満たすことで、魔族のスキルをコピーできるようだ。 そして、私の能力が《外れスキル》ではなく、恐ろしい能力だということに気づく。 そんでこの能力を使いこなしていると、知らないうちに英雄と呼ばれていたんだけど? 私を追放した家族が戻ってきてほしいって泣きついてきたんだけど、もう戻らん。 私は最高の仲間と最強を目指すから。

食うために軍人になりました。

KBT
ファンタジー
 ヴァランタイン帝国の片田舎ダウスター領に最下階位の平民の次男として生まれたリクト。  しかし、両親は悩んだ。次男であるリクトには成人しても継ぐ土地がない。  このままではこの子の未来は暗いものになってしまうだろう。  そう思った両親は幼少の頃よりリクトにを鍛え上げる事にした。  父は家の蔵にあったボロボロの指南書を元に剣術を、母は露店に売っていた怪しげな魔導書を元に魔法を教えた。    それから10年の時が経ち、リクトは成人となる15歳を迎えた。  両親の危惧した通り、継ぐ土地のないリクトは食い扶持を稼ぐために、地元の領軍に入隊試験を受けると、両親譲りの剣術と魔法のおかげで最下階級の二等兵として無事に入隊する事ができた。  軍と言っても、のどかな田舎の軍。  リクトは退役するまで地元でのんびり過ごそうと考えていたが、入隊2日目の朝に隣領との戦争が勃発してしまう。  おまけに上官から剣の腕を妬まれて、単独任務を任されてしまった。  その任務の最中、リクトは平民に対する貴族の専横を目の当たりにする。  生まれながらの体制に甘える貴族社会に嫌気が差したリクトは軍人として出世して貴族の専横に対抗する力を得ようと立身出世の道を歩むのだった。    剣と魔法のファンタジー世界で軍人という異色作品をお楽しみください。

パーティから追放された雑用係、ガチャで『商才』に目覚め、金の力で『カンストメンバー』を雇って元パーティに復讐します!

yonechanish
ファンタジー
雑用係のケンタは、魔王討伐パーティから追放された。 平民に落とされたケンタは復讐を誓う。 「俺を貶めたメンバー達を最底辺に落としてやる」 だが、能力も何もない。 途方に暮れたケンタにある光り輝く『ガチャ』が現れた。 そのガチャを引いたことで彼は『商才』に目覚める。 復讐の旅が始まった!

処理中です...