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第一章 始動【旅立ち編】

第16話 身隠しのローブ

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 デミウルゴス神歴八四六年、六月二八日、更始こうし――テイラーの曜日。

 朝陽が鎧戸の隙間から差し込んでいるのだろう。僕は瞼の裏に光を感じで朝が来たことに気付く。けれども、初夏の湿り気を帯びた生温い風とは違う身体の芯からポカポカする感覚に未だ夢の中なのだろうと納得した。

 だって、もの凄く気持ちいいんだもん。

「あっ、んっ……あっ、ああっ……」

 うんうん。いつもの軋む安っぽい作りのベッドはこんないい感じではない。木製の台に藁が敷かれてた上に厚手の敷物を敷いただけで、日本のベッドと比較すると決して寝心地が良いとは言えないのだ。

「ひあっ……やあぁ……やっ……」

 それにしても、なんだろう? この、ものすごく柔らかい、モノは……

「んんんっ、ンッっ、んんーっ」

 夢の中だと思いながらも、確かな感触を右手に感じで僕は一気に覚醒する。そして、その正体を知って驚愕の声を上げた。

「なっ!」

 こともあろうか、僕は左手でエルサの肩を抱くように腕枕をしており、もっちりと弾力があるエルサの胸を右手で揉みしだいているのだった。

「あ、コウヘイおはよう。おかげでこんなに気持ちの良い朝ははじめて」

 き、気持ち良い? な、何が……?

 声を掛けられて視線を向けると、上目遣いで見上げてくるエルサはうっとりとした表情を浮かべている。

「あ、えっ、おはよう。それは良かった……そ、そうじゃなくて……ごめん」

 そう言いながらも僕の右手はその胸に吸い付いたように離れない。
 こ、これは魔力吸収の効果によるものなのか? と混乱していると。

 唐突に、けたたましいアラーム音が鳴った。

「な、なに……この音?」

 音の正体がわからないからだろう。エルサが飛び起きて音がする方を警戒するように構える。それでも、僕にとっては懐かしい音である。むしろ、そのおかげで右手が離れたことに安堵した。

「エルサ、大丈夫だよ。僕のだから」

 僕はエルサを安心させるように言いつつも、「まさかそんなはずは……」と内心で驚いている。

 そのアラーム音の鳴る感覚がだんだん小刻みになり、それに連れて音も大きくなる。
 僕は確かめるためベッドから出て音の発生源であるチェストにゆっくりと近付いて引き出しを開ける。そこには、柔道着の他に貴重品やタオルを入れるために部活で使っていた手提げ袋が仕舞ってあった。

「やっぱり、電源が復活している……」

 僕は、手提げ袋に仕舞っていたスマートフォンを取り出し、目覚ましアプリをフリックして音を止める。

「あ、止まった」
「充電切れで使えなくなったはずなのに……」

 僕は、チェストの前に突っ立ったままスマフォを調べ始める。画面右上の電池マークを見てみると、断線しかけた充電器で充電したときのように充電マークがついたり消えたりしていた。

「エルサ、こっちに……ってごめん」

 振り向いてエルサを呼ぼうとしたけど、一糸纏わぬ姿であることに気付いて急いで顔を背ける。

 エルサが服を着たのを確認してから、僕たちは肩を並べてベッドに腰掛けた。

「それで、これを持てばいいの?」
「うん、これは僕が元居た世界の道具で、電気……こっちでいう魔力みたいなエネルギーで動く道具なんだ」

 僕は、簡単な説明だけしてスマフォをエルサに手渡す。

「へー、コウヘイの世界の魔道具……」

 エルサはそれを受け取るや否や、裏返したりして不思議そうに眺めはじめる。

「どれどれ、予想通りだと良いんだけど……」

 僕がエルサの手にあるスマフォを覗き込むと、やんと充電されているようだ。さっきみたいに充電マークが点滅することもない。

「やっぱりそうだったんだ」
「そ、それでどうなの? これは重要なもの?」

 僕が考え込むように腕を組んだからなのか、エルサが説明してほしそうにスマフォを自分の顔の横に両手で持って尋ねてくる。僕は、同じ物を持っている人と連絡を取り合う道具であること等、一般的な機能の説明をしてあげた。

「それって、マジックウィンドウの魔法石と同じってこと?」
「うーん、似てるけど、ちょっと違うかな。マジックウィンドウとは違って、基本は音声だけなんだ。相手の様子も見えるけど、この画面の中にしか映らないんだよ」
「でも、凄いよ! うん、すごーいっ!」

 それを聞いたエルサが興奮したように驚いている。

「うーん、どうだろうね。ちょっと待っててね」

 ダメ元で僕が葵先輩宛に電話を掛ける。さあ、どうだろうか――

『おかけになった電話は、電波の届かない場所に――』

 やっぱり駄目だった。

 音声案内の途中で電話を切った僕が首を左右に振ってダメだったことを伝えると、エルサが残念そうに下唇を突き出している。そもそも、衛星がないのだから無理な話だろう。

 僕としては、陽の高さで時間を計るまどろっこしさから解放されたことがわかっただけで満足だ。
 時間の概念は、不思議なことに地球とまったく同じだった。日数の数え方は一週間が五日間。一ヶ月は六週で三〇日という違いがあるものの、一二月に当たる最後の月が三五日だから一年は三六五日となる。

 いまのところスマフォの使い道は時間を確認するのと写真を撮るくらいだろうか。

 一先ず、スマフォが戦闘で壊れないように魔法の鞄に仕舞って持ち歩くことにするのだった。


――――――


 昨夜に決めた通り今日の予定は、エルサの装備品購入と冒険者登録をしてサーベンの森で魔法の訓練をすることだ。朝食を終えた僕たちは、早速マシューさんの武具店へと向かった。

「いらっしゃい。おお、コウヘイか、ラウンドシールドの調子はどうだい?」
「おはようございます、マシューさん。ええ、とても使いやすくて気に入りました」
「そうかそうか、それは良かった。今日はどうした?」
「実はこの子、エルサの装備品を揃えたくて……」

 僕はそう言ってからエルサが被っているフードを外す。

「おお、いつの間に! それはもしかして身隠しのローブか? どこで手に入れたんだよそんなもん!」

 マシューさんは、昨日のチルちゃんと同様に突如姿を現したエルサに驚いたけど、僕の予想とは違って直ぐに理由を言い当てたのだった。

 が、

「身隠しのローブ? 幻影のローブじゃなくてですか?」

 僕は、イルマから聞いていたローブの名前と違ったため確認する。

「まあ、それと同種の物だといえるが、この距離まで接近して存在自体に気付けないってことは、身隠しのローブのはずだ。これでも俺は元冒険者だからな、それなりに気配には敏感な方なんだよ」
「え、冒険者だったんですか?」
「なんだよ。そんなに驚くことか?」

 確かに、ガッチリした体躯で戦士のように見えなくもない。ただ単に僕は、鍛冶作業で鍛えられたのだろうと勝手に思っていたのだ。

「あ、いえ。そう言われればそうですね。それでなんですが、幻影のローブは、ふつうだったらどんな感じなんですか?」

 僕は笑って誤魔化してから、折角なのでマシューさんにローブの効果の違いを尋ねる。

「そうだな――」

 視認障害のローブは、大きく分けて三種類――幻影、身隠し、迷彩――があるようだ。

 幻影のローブは、フォレストフロッグやケイヴフロッグなどのシルバーランク魔獣の素材が主要材料。
 効果は、視界がぼやけるといった認識し辛い程度で接触すれば認識されてしまう。

 身隠しのローブは、イルマが言っていたマンイートカミーリョンが代表的な素材で、ゴールドランクの魔獣の素材が主要材料。
 効果は、接触されない限り認識されないという優れもの。それでも、嗅覚に敏感な魔獣を騙すことはできないため注意が必要なんだとか。

 迷彩のローブは、幻想級に分類されるマッジクアイテムらしい。
 その素材は、アダマンタイトランクのカーモサーペントドラゴンの鱗が必要だと噂されているらしく、何をしてもばれない効果があるらしい。
 全て「らしい」というのは、過去の文献に記載されている情報しかないため詳細が不明なんだとか。そもそも、存在するかも怪しいレベルだとマシューさんは教えてくれた。

 ともなると、身隠しのローブ自体もの凄い貴重品なのではないだろうか。そう思った僕は、その価値を尋ねることにした。

「ところで、身隠しのローブはどれくらいの値打ちがあるんですか? 僕たちは知り合いの錬金術師からただでもらったんですけど――」
「はあーっ!」

 マシューさんの雄叫びともいえる大声に僕は思わず耳を塞ぎながらも、しっかりと補足説明をした。

「ただって言っても、貸し? があって、その償い的な感じでもらったんですよ」
「はっ! バカ言ってんじゃねえぞ!」

 補足説明は無駄というか僕の無知を宣言するようなものだった。今度は怒るようにマシューさんから怒鳴られてしまう。

「ふつうだったら、それ一つでこの前コウヘイが売りに来たミスリルの大楯が一〇じょうは買えるぞ! 貸し借りの清算で渡す代物じゃねえよ!」
「へ!」

 僕は必死に計算する。あの大楯が金貨三枚と小金貨五枚だったからその一〇倍で金貨三五枚だ。

 金貨一枚が一〇〇万円だとして……え? ……三五〇〇万円!

 精々金貨数枚だろうと思っていたのに、とんでもない! 魔法書より高額じゃないか!

 ただ、簡単に信じることが出来ず、僕はもう一度疑問に感じたことをマシューさんに尋ねた。

「で、でも、ゴールドランクの魔獣なら上級冒険者で狩れるってことですよね? なんでそんなに高価なんですか?」
「コウヘイの言う通り、マンイートカミーリョンは大した魔獣じゃない。でも、その擬態能力から先ず発見することができないし、生息地がヘヴンスマウンテンの向こう側のエルフの森だ。サーデン帝国で素材が出回ることがほとんどないんだ」

 ヘヴンスマウンテンとは、ここファンタズム大陸の中央に聳える山だ。頂上は雲を突き抜けるほどでそこに行けば神々に会えると噂されている。
 サーデン帝国もその山に面しており、東に向かえばその麓に行くことができる。

 ただそれも、サーデン帝国の南に面しているバステウス連邦王国との仲は険悪なのだ。バステウス連邦王国よりも南東にあるエルフの森には、外交的な問題で行くことさえできない。

「な、なるほど……確かにその人はエルフでしたけど、それと関係があるかもしれませんね」

 僕は、イルマが何か隠すような性格でもないことからそう納得しようとする。

「なるほど、それならわからなくもないな……って、そんな訳あるかよ!」

 どうやら、マシューさんは納得できなかったらしい。しかも、身隠しのローブは、一般的に暗殺等特定の職業で重宝されるためそれだけ高価なのだとマシューさんが補足説明をしてくれた。

「騙されていやしないだろうな?」
「はい、大丈夫だと思いますよ」
「まったく、本当かよ……」

 マシューさんの心配は尤もなことだろう。それでも、イルマに悪意はないと思う。
 イルマは、罪滅ぼしだと言っていたし、そのままの意味と受け取っても良いと思う。そもそも、僕を騙したところでイルマには何の得にもならないハズだ。

 それはさておき、そろそろ本題に入らないと日が暮れてしまう。

「ご心配ありがとうございます。それで、話を戻しますが、軽装防具と弓をこれで買える範囲でないでしょうか? あと、足りれば剣も……」

 僕の手の平には、全財産の三分の一に相当する小金貨八枚、銀貨八枚と小銀貨四枚が乗っている。
 ローブの金額を知ってしまった手前、僕は少しでもイルマに渡そうと思って残りを出さないでおいたのだ。

「うーん、これだと大したものは選べないと思うぞ……ちょっと待ってろ」

 マシューさんはカウンターから出ると、鎧が並べられている場所まで移動する。
 エルサの体型に合うものを探してくれているのだろう。商品を眺めながら、エルサの方へ時折視線を向けている。

「それにしてもそんなに高価だったんだね。わたしびっくりしちゃった」

 僕がマシューさんのところに向かって歩き出すと、エルサが幻影のローブ、もとい身隠しのローブの価値について感想を言ってくる。

「そうだね。むやみに誰かに教えるのは止めにしよう」

 僕は、肩越しに顔だけ振り向きそれに同意する。
 今回、マシューさんに対してやったことは完全に悪戯心からである。
 その結果、本来の価値を知ることができて良かったけど、身隠しのローブが暗殺に使われる代物だと聞いたからには、用心するに越したことはないだろう。

 そもそも、よくこんな悪戯をする気になったよなと思う。本来、僕の性格からしたらあり得ないことだ。
 おそらく、魔法が使えることがわかったり、昨日のチルちゃんの反応が面白くてつい浮かれてしまったのかもしれない。

 自重しなくては……

 僕がそんなことを考えていると、マシューさんは防具ではなく弓を持って来てくれた。

「エルサちゃんだったっけか? きみの身長だとロングボウだと扱い辛いと思うから、このショートボウなんてどうだろうか?」

 その弓は、長さ八〇センチほどでグリップが金色に装飾されたショートボウのようだ。
 マシューさんからショートボウを受け取ったエルサは、使い心地を確かめるようにそれを構えて弦を引いた。

「うん、大丈夫。元々これくらいのを使っていたから」
「それは、うらはずともとはずが鋼鉄で補強されているから、持ちが良いはずだ。次は防具だな……」

 鎧は、黒を基調とした露出が多い胸当と革の腰鎧。腹部と手足が完全にあらわになっている。エルサの胸が大きすぎるせいか、胴体全てを隠せる革鎧が無いのかもしれない。いや、資金が足りなかったようだ。

「ロングブーツとアームカバーはおまけしてやる。悪いが、剣までは無理だな」
「あ、いえ。十分です。むしろ、申し訳ないです」

 マシューさんの好意に甘えてロングブーツとドレスグローブのような肘まで隠せて中指にリングではめる手袋を受け取る。レッドリザードマンが素材らしく、赤色のそれはエルサの褐色の肌にマッチしていた。

 それを見たマシューさんが頻りに頷いて納得の表情をしている。もしかして、マシューさんの趣味じゃないよね、と僕は疑ってしまう。

 一先ず、露出した肌を隠してもらうためエルサにはローブを羽織ってもらい、マシュー武具店をあとにする。

 僕は、マシューさんの店を出たところで手元に残った硬貨を眺めて一人暗くなる。

「残り銀貨一枚と小銀貨四枚か……」

 冒険者登録にもお金が掛かる。それを考えると残りは小銀貨九枚にしかならない。

 四日分を先払いしているため寝床に困ることはないけど、悠長に魔法の訓練をしている場合じゃないかも、と僕は心配になった。

「イルマの好意に甘えるか? いやいや、それはダメだ」

 金貨二枚はイルマに渡すべきだとかぶりを振った僕は、エルサと共に身隠しのローブのフードを被り、冒険者ギルドを目指すのだった。
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