狩野岑信 元禄二刀流絵巻

仁獅寺永雪

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第74章 絵師の情報活動

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 さて、どうしたものか。

 狩野吉之助は考えあぐねていた。将軍綱吉と柳沢出羽守、水魚の交わりと言われてきた両者の関係が悪化しているのではないか。その疑問を御前様・近衛熙子と共有したことにより、柳沢家の内情を探る羽目に。
 しかし、出羽守の動静については常々間部が気を配っている。正攻法でそれ以上の成果を得られる見込みはない。

 間部と異なる視点。やはり、絵画がらみか。吉之助は、とりえず高輪の町絵師・伊藤文竹を訪ねることにした。江戸庶民の情報源として定着しつつある読売。文竹はその版元のひとつと協業していた。

「ほう、六義園を担当した絵師ですか」
「ええ。庭だけでなく、書院や茶室も見事なものだと聞きます。襖絵などは誰の筆だろうか。川越藩は絵師を召し抱えていないはず。公儀の御用絵師に頼んだと思うのだが・・・」

「いや、知りませんな。そうだ。風神堂さんが、今、大名庭園の番付を作っていますよ。いろいろ調べていますから、知っているかもしれません」

 吉之助は文竹に伴われて向かいの読売版元を訪ねた。前回不在であった主人がこの日はいるという。奥の座敷に通された。

 ほどなく一人の中年紳士がやって来た。吉之助の前に丁寧に手を付く。
「お初にお目にかかります。風神堂義助と申します」

 商売柄、豪傑然とした男を想像していたが、やせ型で穏やかな教養人という印象。寺子屋の先生が似合いそうだ。ただ、両手首に痛々しい傷跡がある。吉之助の視線に気付いたか、風神堂は苦笑しつつ、左右の手首を交互になでた。
「お恥ずかしい。これは、手鎖の跡で」

 手鎖とは江戸時代の刑罰のひとつ。手錠で両手首を拘束した上での自宅謹慎である。比較的軽い罪に科されたが、現代の手錠がスマートなアルミ合金製であるのに対して、江戸時代の手錠は厳つい鉄製でかなりの重量があった。装着したままの生活は不便極まりなく、精神的にも苦痛であったろう。風神堂は三十日の刑を受けた。後年、戯作者の山東京伝や浮世絵師の喜多川歌麿などもこの刑に処されているが、彼等は五十日であった。

「読売のせいですか」
「はい」
「ははは。逃げ上手の風神堂さんが、あの時はしくじりましたな」と文竹。
「いや、まったく。出羽守様のご気性を読み違えました」

「それはどういう? 売れ残りでもあれば見せてもらえませんか」
「いや、店にあったものは一枚残らず前の通りで焼かれてしまいました。版木も没収です」

 聞けば、柳沢家の嫡子が実は将軍綱吉の種で、出羽守がその子を次の将軍に据えようと画策しているという内容だったそうだ。無論、実名ではなく、室町時代のある大名家の跡目争いに置き換えた話にしていたという。

「出羽守様は、英一蝶の件を見ても分かる通り、公方様に関しては非常に厳しい。一方、ご自身については結構甘いのです。それまでは、公方様や桂昌院様に対する阿諛追従ぶりを揶揄したり、商人寄りの金権政治を批判する話を出版しても、口頭注意くらいで済まされていたのですが、あれは逆鱗に触れたようで・・・」

 風神堂が力なく笑った。これも興味深い話だ。しかし、まず訊くべきは・・・。

「なるほど、六義園の造営に関わった絵師をお探しですか」
「ご存知ありませんか」
「何人もの絵師が関わっているでしょうが、頭取は、御用絵師の狩野福信様だったと思います。号は洞春」

 吉之助は風神堂に丁重に礼を述べ、文竹の工房に戻った。
「文竹先生。私は、狩野福信という名を知らない。号に洞の字を用いているということは、駿河台ですか」
「左様。弟子の中から選ばれて洞雲益信様の婿養子となったのが、七、八年前でしたかな。ですから、狩野様がご存知ないのも当然でしょう」
「腕は?」
「洞雲様同様、華麗さには欠けるものの、堅実な、いい仕事をするという評判です」

「なるほど。ともかく助かった。ところで、以前こちらで会った餅屋の少年は息災ですかな」
 吉之助は、机の上の小皿に盛られた安倍川餅を見て言った。

「米田の金七ですか。ええ、元気ですよ。ああ、よかったらおひとつ」
「いや、結構。そうではなく、おりんは、しばらく休むことになるでしょう」
「まあ、ここに来れば嫌でも赤穂浪人のことが耳に入りますからな」
「ええ。そこで、代わりと言っては変ですが、その金七少年の指導をお願いしたい。束脩(月謝)は私が出します」
「何と?」
「いや、施しではない。先行投資です」
「ほう」
「私もいずれは絵師として大きな仕事をしてみたい。しかし、いざその時となって、弟子がおりん一人では話にならんでしょう」

 江戸画壇を支配する狩野派は、幕府御用絵師の約二十家を中心に成立している。そしてその頂点を占めるのが、狩野探幽・尚信・安信の三兄弟を祖とする三家(鍛冶橋家・竹川町家・中橋狩野宗家)である。

 駿河台狩野家は、その三家に次ぐ第四位の家格を誇っていた。身分としては三家が旗本格であるのに対して将軍に拝謁することの出来ない御家人格に過ぎない。しかし、狩野派が幕府の仕事を請け負う際、駿河台家は時として三家の上に立って仕事に当たることもあった。

 理由がある。駿河台家の初代・洞雲益信は、狩野探幽の養子であった。長く実子に恵まれなかった探幽は、跡取りにする約束で友人の子を養子に迎えた。それが益信であった。

 ところが、五十を過ぎてから後妻との間に二人の男子(探信守政と探雪守定)を得た。幕臣である以上、家督相続は公のこと。すでに益信を跡取りと届出済み。単に実子が出来たというだけでは差し替えの理由にならない。実子がまだ幼児となれば尚更。
 無論、探幽の幕府内における人脈と政治力をもってすれば、無理を通すことは可能だが、外聞に響く。晩節を汚したと言われかねない。

 その時、益信自身が、義父であり師でもある探幽の悩む姿を見かね、跡取りの座を辞退した。探幽はこれに心から感謝し、益信を分家させて一家の主とした。その上、鍛冶橋家を継ぐ探信守政と他の二家の当主に対し、自分の死後も決して益信を粗略に扱わないように約束させたのだ。

 九段坂の中程に高級料亭とは呼べないが、そこそこ上等な料理屋があった。周辺は旗本屋敷が多く、ちょっとした会合によく使われる。その日の昼過ぎ、頭巾を被った茶人風の男が訪れた。女中に案内されて奥へ。

「わざわざのお運び、かたじけない。そちらにどうぞ」
 竜之進がそう言って部屋に入って来た男を上座に誘導した。

「狩野洞春です。さて、書状を下さった甲府藩の島田殿とはどちらですかな?」
「私です」
「中納言様の御用とのこと。画の注文ですか。それでしたら・・・」

 幕府の御用絵師が描く画は、江戸城の御殿を飾るだけでなく、将軍が家臣に与える恩賞としても使われた。権威の象徴なのである。従って、大名などから注文を受ける場合も幕府を通さねばならず、個人営業は許されていない。

「いや、そうではありません。実は用があるのは私ではなく、こちらなのです」と、竜之進が横に振った。
「初めまして。同じく甲府藩士・狩野吉之助と申します」

 名乗った吉之助の顔を見るや、洞春が驚きの表情となり頭巾を取った。綺麗に剃り上げた坊主頭が現れた。

 駿河台狩野家二代目当主・洞春福信。この時四十四歳。法橋の官位を有する。

 ところで、分家して駿河台狩野家の初代となった洞雲益信は、その後も変わらず探幽によく仕えた。故に、探幽は死に臨み、益信の手を取って息子たちの後見を頼んだ。さらにである。探幽は容易ならざることを打ち明けた。すなわち、探幽にはもう一人、外の女に産ませた隠し子がおり、武蔵の八王子で暮らしている。何とか身の立つようにしてやって欲しい、と。

 益信はこれも請け負った。探幽の四十九日が済むと、彼は密かに八王子を訪ね、その隠し子を見つけ出した。名前は五右衛門。立派に成人していたことは喜ばしいが、名は体を表す。窃盗の前科があり、腕に墨を入れられていた。

 こんな者を迎え入れては鍛冶橋の家名に瑕がつく。五右衛門については諦めざるを得ない。一方、五右衛門には十歳になったばかりの男子がおり、これはまだ悪に染まっていないように見えた。益信は、偶然を装って五右衛門に近付き、その子を己の弟子として引き取った。最終的にその子を娘の婿とし、駿河台狩野家の二代目に据えたのである。

 ここまでされると、益信の善人ぶりには少々気味悪ささえ感じるが、世に底抜けの悪人がいる以上、底抜けの善人もいていいだろう。

 従って、当人も知らないことだが、吉之助と竜之進の前に座っている洞春福信は、狩野探幽の孫でもあった。

「狩野? もしや、貴方様は竹川町のご次男では?」
「私のことをご存知ですか」
「はい。私は、元は洞雲様の弟子です。失礼のないよう、三家のご当主とご親族の方々については、お名前とお顔を頭に叩き込んでおりました。これでも絵師ですから、一度覚えた顔は忘れません」

「恐れ入ります。申し訳ないが、私は貴方のことを・・・」
「当然です。しかし、甲府藩に御用絵師がいるとは聞いたことがありません。お姿を見れば・・・」
「ええ。殿から隨川岑信の筆名を賜り、時折軸用の画など描くことはありますが、主に番方の武士としてお仕えしています」
「なるほど。では、絵画の仕事ではない? すると、どの様なご用件で?」

 吉之助は正直に話した。すなわち、六義園の絵画制作を担当した洞春に柳沢家の内情について訊きたいと。しかし、職業倫理に反することである。当然、洞春は難しい顔になった。

「無理は承知の上です。されどこれは、我が主君の命運にかかわることなのです」

 甲府藩主・松平綱豊は次期将軍職の最有力候補。この時期、綱豊の命運にかかわることと前置きされれば、世捨て人でもない限り、何に関する話かは察しが付く。

「うぅん、しかし・・・」
「そこを曲げて、是非」

 吉之助の真剣な眼差しを受け、洞春も表情を引き締める。しばらく考えた後、覚悟を決めたように言った。
「分かりました。ただし、こちらにも頼みがあります。聞いていただけますか」
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