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第67章 唐突な台命
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江戸の町に木枯らしが吹き始めた頃のこと。京橋の料亭・手嶌屋の奥座敷で交わされる会話を床下にもぐり込んだ三毛猫が聞いていた。
「増上寺の次は浅草寺ですか。代参もこう度々じゃ骨が折れますな」
「なぁに、外に出られる機会が多いのはいいことさ」
「それにしても、遂に網にかかりましたか。刃傷事件の裁きが大不評、その上、慰め役の桂昌院まで倒れちまってるとくれば、将軍の気鬱もひどくなる一方。時間の問題とは思ってましたが」
「まあね」
「でも姐さん。将軍って、もう六十近いんでしょ。しかもそんな弱った状態で、ちゃんと出来たんですか」
「馬鹿。あたしを誰だと思ってるんだよ」
「へへ、そうでした。失礼しました」
「まあ、いいさ。これであたしも晴れて将軍のお手付きだ。いや、これからは、あたし等の間でも、上様、と呼んでやるか、はっははは」
「はいはい。しかし、局の称号を賜り、役の面でも年寄にご昇進。大奥御年寄・大典侍局様の誕生ですか。恐れ入りました」
「何言ってんだい。面白くなるのはこれからさ。こっから大芝居が始まるんだ」
「えっ、まだ始まってなかったんですか」
「ふふ。ところで、内藤新宿の件、どうなってる?」
「すみません。そっちはどうも。宿場役人を抱き込んで、いい場所の旅籠を買収しようとしたんですが、土壇場で邪魔が入りました」
「誰が?」
「佐野屋茂兵衛という宿場の顔役です。有り体に言えば、柳沢出羽守の代理人ですな。宿場役人なんかより余程力を持ってます。正直、甘く見てました」
「ふぅん。内藤新宿の開設に許可を出したのが柳沢だったことは知ってるけど、まだそんなに影響力が?」
「ええ。金の生る木ですから、手放すことはないでしょう」
「ちっ、気に食わないねぇ」
男を誑すときにはとろりと甘い印象になる切れ長の目に険が出る。彼女はしばらく一人で黙々と酒を飲んでいたが、不意に真っ赤な唇をぺろりと舐めた。
「そうだ、そうだよ。手に入れた玩具があるじゃないか。ふふ、ちょっと試してやるか」
そして、元禄十五年(一七〇二年)十二月五日。昼過ぎ、狩野吉之助と相棒の島田竜之進は、用人・間部詮房の御用部屋に出向いた。
「お呼びとか」
「ええ。急なことですが、台命(将軍の命令)が下りました。殿は、十日後の師走十五日、公方様に代わって六義園の視察に行かれます。お二人には警護を頼みます。番頭殿とよく相談しておいて下さい」
「承知しました」
「六義園とは、柳沢出羽守様が造ったという庭園のことですよね。駒込の川越藩下屋敷の」と竜之進。以前、新見典膳の足取りを追って同屋敷を見張った際はまだ工事中であった。
元禄時代は文化芸術面で様々な発展を見せた時代だが、「庭園の時代」とも言える。
岡山の後楽園、高松の栗林荘(現・栗林公園)など、現代にも残る名庭園が前後して完成している。また、江戸城下の大名屋敷においても競って庭が整備された。
「しかし、十日後とは随分急ですな。もしや、鶴御成のときのように何か裏でも?」と吉之助。
「いや、今回はないでしょう。出羽守様の昨今のやり方を見ていると、世の安定を第一に考えているようです。自ら騒動を起こすとは思えません」
そして、十二月十四日の昼前、吉之助たちは主君から御成書院に呼び出された。
「先ほど、明日の視察の副使を務める側用人・本庄豊後守から、行列の経路について言ってきた」
「行列の経路をわざわざ、ですか」
「ああ。予の行列に途中で合流し、後に従って六義園に入りたいとのことだ。それで経路を指定してきた」
「それはご丁寧に」
「詮房。豊後守とは、先年急死した因幡守の息子だったか」
「はい。笠間藩主・本庄資俊様。桂昌院様の甥、つまり公方様の母方の従弟になります。側用人は長年出羽守様が兼務していましたが、大老格となって以降、出羽守様が推挙する旗本がその職に就いてきました。ところが今回、桂昌院様たってのご希望ということで豊後守様が就任したと聞いております」
「すると、久々に出羽守の言いなりにならない側用人ということか」
「さて、どうでしょうか。公方様、桂昌院様、そして出羽守様。御三方のこれまでの親密さを考えますと・・・」
その時、吉之助や番頭と共に地図を見て行列の経路を確認していた竜之進が顔を上げ、不思議そうに首をひねった。
「変ですね。なぜ、わざわざ西回りで? これでは遠回りだ」
「東回りだと幕閣の方々の屋敷地区を突っ切らねば、西回り以上に遠くなる。だからだろう」と、番頭の鳴海帯刀が返した。
「それこそ変です。殿のご身分は幕閣の上ではありませんか。本庄様だけならともかく、殿がなぜ遠慮せねばならいのですか」
そこで、さらに詳しく経路を地図上になぞっていた吉之助が一点を指した。
「竜さん。ここ、覚えてないか」
「どこです?」
「ここだ、四谷の」
「さて?」
「ほら、英一蝶と通ったとき」
「あっ、そうか。一蝶が言ってた御犬小屋の跡地だ。確か、その前は川越藩の下屋敷だったはずだ」
「その通り。示された道を使えば、ここを通ることになる」
少し離れて半分眠ったようにしていた江戸家老・安藤美作が寄ってきた。綱豊も身を乗り出す。
「吉之助。どういうことだ?」
「はい。この地には数年前まで広大な御犬小屋がありました。施設を囲う柵と元の屋敷の塀が残っており、通過中に襲われれば袋の鼠です」
「つまり、そこで、出羽守が、予の行列を襲うということか」
「それは・・・」
「はっきり申せ」
「断言は出来ませんが、その恐れは多分にあるかと」
「島田はどう思う?」と安藤家老。
「はい。狩野殿に同意いたします。あの辺りは、場所によっては高低差で視界が遮られます。さらに、撤去されずに残っている犬小屋なども含め、身を隠す場所に困りません。襲撃場所として最適かと」
それに対して間部が反論。「お待ち下さい。襲撃など、今そのような強硬策に出て出羽守様に得があるとは思えません」
すると、これまで静かに綱豊の横に座っていた御前様・近衛熙子が口を開いた。
「ここで議論しても仕方あるまい。明日のことです。もし襲撃を企てているなら、何がしかの準備をしているはず。狩野、島田、そなたら直ちに行って見て参れ」
「はっ」
「そうじゃ。時子、あれを渡して上げなさい」
熙子の後ろに控える平松時子が小さくため息を吐く。主のいつもながらの美しい横顔に、ほんのわずかだが、楽し気な様子を見て取ったから。経験上、こういう場合は十中八九、碌なことにはならない。
およそ半時(一時間)後、吉之助と竜之進は四谷に向け急いでいた。伝令役の駒木勇佑も一緒だ。駒木の背には細長い箱。玄関で平松時子から渡された遠眼鏡(望遠鏡)である。
それはオランダ製の船乗り用で、長崎奉行から綱豊に献上された。綱豊は分解して構造を調べさせた後、組み直すときにレンズ以外の部品を取り換えさせた。真鍮製の部品は純金に。本体の筒は美麗な螺鈿細工で覆った。その上で、最高級の西陣織の袋と高台寺蒔絵の桐箱に入れ、愛する熙子に贈ったのだった。
「駒木、気を付けろよ。背中の奴、傷でも付けたら切腹だぞ」と竜之進。
「嫌だな。怖いこと言わないで下さい」
ところで、元禄八年(一六九五年)に設置された四谷の御犬小屋は、約一万九千坪の広さがあった。しかし、中野にさらに巨大な御犬小屋が新設されると、わずか二年で閉鎖されてしまった。今は薄気味悪い廃墟と化している。
三人は谷ひとつ挟んだ御犬小屋跡地を一望できる丘に上がって身を伏せた。駒木が恐々遠眼鏡を箱から出すと、竜之進がさっと取り上げ目に当てた。
「半信半疑でしたが、これはやる気ですよ。連中は本気だ」
「増上寺の次は浅草寺ですか。代参もこう度々じゃ骨が折れますな」
「なぁに、外に出られる機会が多いのはいいことさ」
「それにしても、遂に網にかかりましたか。刃傷事件の裁きが大不評、その上、慰め役の桂昌院まで倒れちまってるとくれば、将軍の気鬱もひどくなる一方。時間の問題とは思ってましたが」
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「でも姐さん。将軍って、もう六十近いんでしょ。しかもそんな弱った状態で、ちゃんと出来たんですか」
「馬鹿。あたしを誰だと思ってるんだよ」
「へへ、そうでした。失礼しました」
「まあ、いいさ。これであたしも晴れて将軍のお手付きだ。いや、これからは、あたし等の間でも、上様、と呼んでやるか、はっははは」
「はいはい。しかし、局の称号を賜り、役の面でも年寄にご昇進。大奥御年寄・大典侍局様の誕生ですか。恐れ入りました」
「何言ってんだい。面白くなるのはこれからさ。こっから大芝居が始まるんだ」
「えっ、まだ始まってなかったんですか」
「ふふ。ところで、内藤新宿の件、どうなってる?」
「すみません。そっちはどうも。宿場役人を抱き込んで、いい場所の旅籠を買収しようとしたんですが、土壇場で邪魔が入りました」
「誰が?」
「佐野屋茂兵衛という宿場の顔役です。有り体に言えば、柳沢出羽守の代理人ですな。宿場役人なんかより余程力を持ってます。正直、甘く見てました」
「ふぅん。内藤新宿の開設に許可を出したのが柳沢だったことは知ってるけど、まだそんなに影響力が?」
「ええ。金の生る木ですから、手放すことはないでしょう」
「ちっ、気に食わないねぇ」
男を誑すときにはとろりと甘い印象になる切れ長の目に険が出る。彼女はしばらく一人で黙々と酒を飲んでいたが、不意に真っ赤な唇をぺろりと舐めた。
「そうだ、そうだよ。手に入れた玩具があるじゃないか。ふふ、ちょっと試してやるか」
そして、元禄十五年(一七〇二年)十二月五日。昼過ぎ、狩野吉之助と相棒の島田竜之進は、用人・間部詮房の御用部屋に出向いた。
「お呼びとか」
「ええ。急なことですが、台命(将軍の命令)が下りました。殿は、十日後の師走十五日、公方様に代わって六義園の視察に行かれます。お二人には警護を頼みます。番頭殿とよく相談しておいて下さい」
「承知しました」
「六義園とは、柳沢出羽守様が造ったという庭園のことですよね。駒込の川越藩下屋敷の」と竜之進。以前、新見典膳の足取りを追って同屋敷を見張った際はまだ工事中であった。
元禄時代は文化芸術面で様々な発展を見せた時代だが、「庭園の時代」とも言える。
岡山の後楽園、高松の栗林荘(現・栗林公園)など、現代にも残る名庭園が前後して完成している。また、江戸城下の大名屋敷においても競って庭が整備された。
「しかし、十日後とは随分急ですな。もしや、鶴御成のときのように何か裏でも?」と吉之助。
「いや、今回はないでしょう。出羽守様の昨今のやり方を見ていると、世の安定を第一に考えているようです。自ら騒動を起こすとは思えません」
そして、十二月十四日の昼前、吉之助たちは主君から御成書院に呼び出された。
「先ほど、明日の視察の副使を務める側用人・本庄豊後守から、行列の経路について言ってきた」
「行列の経路をわざわざ、ですか」
「ああ。予の行列に途中で合流し、後に従って六義園に入りたいとのことだ。それで経路を指定してきた」
「それはご丁寧に」
「詮房。豊後守とは、先年急死した因幡守の息子だったか」
「はい。笠間藩主・本庄資俊様。桂昌院様の甥、つまり公方様の母方の従弟になります。側用人は長年出羽守様が兼務していましたが、大老格となって以降、出羽守様が推挙する旗本がその職に就いてきました。ところが今回、桂昌院様たってのご希望ということで豊後守様が就任したと聞いております」
「すると、久々に出羽守の言いなりにならない側用人ということか」
「さて、どうでしょうか。公方様、桂昌院様、そして出羽守様。御三方のこれまでの親密さを考えますと・・・」
その時、吉之助や番頭と共に地図を見て行列の経路を確認していた竜之進が顔を上げ、不思議そうに首をひねった。
「変ですね。なぜ、わざわざ西回りで? これでは遠回りだ」
「東回りだと幕閣の方々の屋敷地区を突っ切らねば、西回り以上に遠くなる。だからだろう」と、番頭の鳴海帯刀が返した。
「それこそ変です。殿のご身分は幕閣の上ではありませんか。本庄様だけならともかく、殿がなぜ遠慮せねばならいのですか」
そこで、さらに詳しく経路を地図上になぞっていた吉之助が一点を指した。
「竜さん。ここ、覚えてないか」
「どこです?」
「ここだ、四谷の」
「さて?」
「ほら、英一蝶と通ったとき」
「あっ、そうか。一蝶が言ってた御犬小屋の跡地だ。確か、その前は川越藩の下屋敷だったはずだ」
「その通り。示された道を使えば、ここを通ることになる」
少し離れて半分眠ったようにしていた江戸家老・安藤美作が寄ってきた。綱豊も身を乗り出す。
「吉之助。どういうことだ?」
「はい。この地には数年前まで広大な御犬小屋がありました。施設を囲う柵と元の屋敷の塀が残っており、通過中に襲われれば袋の鼠です」
「つまり、そこで、出羽守が、予の行列を襲うということか」
「それは・・・」
「はっきり申せ」
「断言は出来ませんが、その恐れは多分にあるかと」
「島田はどう思う?」と安藤家老。
「はい。狩野殿に同意いたします。あの辺りは、場所によっては高低差で視界が遮られます。さらに、撤去されずに残っている犬小屋なども含め、身を隠す場所に困りません。襲撃場所として最適かと」
それに対して間部が反論。「お待ち下さい。襲撃など、今そのような強硬策に出て出羽守様に得があるとは思えません」
すると、これまで静かに綱豊の横に座っていた御前様・近衛熙子が口を開いた。
「ここで議論しても仕方あるまい。明日のことです。もし襲撃を企てているなら、何がしかの準備をしているはず。狩野、島田、そなたら直ちに行って見て参れ」
「はっ」
「そうじゃ。時子、あれを渡して上げなさい」
熙子の後ろに控える平松時子が小さくため息を吐く。主のいつもながらの美しい横顔に、ほんのわずかだが、楽し気な様子を見て取ったから。経験上、こういう場合は十中八九、碌なことにはならない。
およそ半時(一時間)後、吉之助と竜之進は四谷に向け急いでいた。伝令役の駒木勇佑も一緒だ。駒木の背には細長い箱。玄関で平松時子から渡された遠眼鏡(望遠鏡)である。
それはオランダ製の船乗り用で、長崎奉行から綱豊に献上された。綱豊は分解して構造を調べさせた後、組み直すときにレンズ以外の部品を取り換えさせた。真鍮製の部品は純金に。本体の筒は美麗な螺鈿細工で覆った。その上で、最高級の西陣織の袋と高台寺蒔絵の桐箱に入れ、愛する熙子に贈ったのだった。
「駒木、気を付けろよ。背中の奴、傷でも付けたら切腹だぞ」と竜之進。
「嫌だな。怖いこと言わないで下さい」
ところで、元禄八年(一六九五年)に設置された四谷の御犬小屋は、約一万九千坪の広さがあった。しかし、中野にさらに巨大な御犬小屋が新設されると、わずか二年で閉鎖されてしまった。今は薄気味悪い廃墟と化している。
三人は谷ひとつ挟んだ御犬小屋跡地を一望できる丘に上がって身を伏せた。駒木が恐々遠眼鏡を箱から出すと、竜之進がさっと取り上げ目に当てた。
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(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
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