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第60章 妖婦暗躍
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相撲の聖地・両国国技館の北に墨田区立旧安田庭園がある。
元禄時代、ここは笠間藩の下屋敷であった。そして、この見事な池泉回遊式庭園の原型を造ったのが時の藩主・本庄宗資。
取り柄はただひとつ、将軍生母・桂昌院の異父弟であること。全くもって無気力かつ無能な男だが、姉には気に入られていた。それだけで、京都で公家屋敷の警備などしていた下級武士が今や五万石の大名である。黙っていても、人も金も寄って来る。
元禄十四年(一七〇一年)一月二十日、昼の九つ半(ほぼ午後一時)、大きな池に面した壮麗な客殿の玄関から、豪華な女物の駕籠が出立しようとしていた。本庄宗資がその駕籠脇に片膝を付く。
「桂昌院様。本日は御来駕を賜り、感謝に堪えません。寒さ厳しき折、どうかお風邪など召しませぬように、姉上」
最後の、姉上、を周囲にも聞こえるように強調するのがこの男らしい。すると、すぐ横に控えていた一人の奥女中が立ち上がり、配下の者にひと声かけた。
「わたくしは桂昌院様がお望みの今宮神社へのご寄進について、因幡守様と相談してから戻ります。わたくしが戻るまで桂昌院様のお世話を頼みます。くれぐれもお体を冷やさぬよう。また、お薬の時間を間違えないように」
行列が門の外に消えると、本庄宗資はその奥女中を客殿の中に招き入れ、彼女の前に紫の帛紗に包まれた切り餅(小判二十五枚の紙包)を置いた。
「因幡守様、このようなお気遣い無用のことですわ」
「いやいや。お陰で久しぶりに姉上に来ていただけた。以前は上様とご一緒によく遊びに来て下さったが、近年は上様がお城に籠り切り。それに従って姉上も・・・」
「上様は厚き孝心から、桂昌院様のために女性として過去最高の官位を得ようとご苦心なさってこられました。それが思し召し通りに進まず、お気鬱に。桂昌院様もご自身のためにご苦心なさっている上様のご様子にお心を痛められ・・・」
「そうじゃのう。されど、叙位の件はようやく目途が付いたと聞く。めでたいことじゃ」
「誠、かくの如きお互いを思いやる麗しきお二方を上に戴き、天下は万々歳でございます」
「げにもげにも」
「ほほほ、何を他人事のように。因幡守様のお骨折りも功を奏してのことではございませんか」
「い、いや、わしは何も・・・」
「ご謙遜を。此度の件、さもご老中様(柳沢出羽守)お一人の手柄のように言われていますが、都に伝手のある因幡守様のお働きあったればこそ。わたくしはそう考えております。そして、桂昌院様にもそのように申し上げております」
「何と!? し、しかし・・・」
「因幡守様。出羽守様は忠臣なれど、所詮は他人。此度の慶事実現のため、出羽守様だけでなく、ご親族もお働きになったとした方が、桂昌院様のお喜びは増しましょう」
「なるほど。そうじゃな、その通りじゃ」
「そして、上様を今以上にお支えするためにも、因幡守様のご昇進をお勧めしたところ、桂昌院様もご同意を。恐らく、年明けには侍従に昇られましょう」
侍従の官職は、通常、国持大名クラスに与えられた。譜代大名であれば石高に関わりなく与えられるが、三河以来の名門か抜群の働きでもない限り無理である。
「ま、誠か。わしが侍従に?!」
「はい。次にお会いするときには、因幡守様ではなく、侍従様とお呼びせねばなりませんね。ほほほ」
「ありがたい、ありがたいことじゃ。いつもながら、心配りに感謝する」
「何の。わたくしが桂昌院様のお世話係になれたのも、因幡守様のご推挙あったればこそ。今後とも、桂昌院様、因幡守様、ひいては上様の御ため、身を粉にして働く所存でございます」
「さすがは大典侍殿、忠義者じゃ。これからも頼みますぞ」
そこで女の切れ長の目が妖しく光った。
「時に因幡守様、ご執心の浅野家の奥方の件、よい思案がございます」
「誠に?! あれぞ正に高嶺の花。以前、犬神憑きと申す輩を使って近づこうとしたんじゃが、上手く行かなんだ。挙句、出羽守から皮肉交じりに小言まで言われる始末よ」
「ほほほ、因幡守様の愉快なこと」
「う、うむ。まあ、よい。賢きそなのたことじゃ、名案に違いない。是非聞かせてくれ」
「朝廷の年賀返礼の使者を迎える場を使いましょう。桂昌院様たってのご希望ということで、勅使饗応役を内匠頭に変更させます。内匠頭は指南役の吉良様と犬猿の仲だとか。必ずひと悶着起こすでしょう。浅野家が窮地に陥ったところで・・・」
一時(二時間)後、大典侍と呼ばれた奥女中は、京橋の料亭・手嶌屋の奥座敷にいた。流水に扇と梅をあしらった華麗にして上品な薄紫の打掛が畳の上に脱ぎ捨てられている。それを横目に彼女は脇息に体を預け、一人酒を飲んでいた。朱塗りの盃を持つ白く長い指が艶めかしい。
障子戸が開き、店の主人が入ってきた。
「乙星の姐さん、お疲れ様でした」
「何だって」
「これは失礼を。大奥筆頭御中臈・大典侍様」
「赤兵衛、どこで誰が聞いてるか知れない。気を付けな」
「すみません。しかし姐さん、それならもうちょっとちゃんとして下さいよ」
「うるさいね。御殿勤めは肩が凝るんだよ」
世の中には、ほんの些細な出来事をきっかけに大化けする者がいる。大典侍こと乙星太夫はその典型と言えよう。
彼女は元々、破戒僧と安女郎の間に出来た子であった。父は消息不明、母は出産時に死亡。彼女は母親が勤めていた京都島原の妓楼で育てられ、自然な流れで遊女となった。彼女には何もなかったが、ただ、天与の美貌があった。並み居る先輩遊女を押しのけ、店一番の太夫にのし上がる。
そして、四年と少し前、ほんの数日、三日月のように反りの深い刀を差した浪人者と床を共にした。その客は、彼女が冗談めかして言ったことを真に受け、妓楼の主夫婦を殺してくれたのである。彼女は機会を逃さず、かねての計画通り店を乗っ取った。
この時から、彼女自前の人生の幕が上がったと言っていい。
京都の上流階級には公家や神職・僧侶など、大っぴらに遊べない者が多くいる。彼女は、そうした者に密かに遊べる場を積極的に提供し、店を繁盛させた。
ある時、客の一人の下級公家が借金で首が回らなくなり、彼女に泣き付いてきた。その公家は、支度金目当てで自分の姪を奥女中として江戸に差し出すことにしていた。ところが、その姪が江戸に下る直前に病死してしまった。それが公になれば、京都所司代から受け取った支度金を返却しなければならない、という。
乙星はここで思い切った挙に出た。彼女自身がその姪に成りすまし江戸に赴くことにしたのだ。
まず、青い顔をした貧乏公家の目の前に千両箱を三つ、どんと置いた。利息だけでなく借金の元本まで帳消しにできる額だ。そして、その美しい顔に微笑をたたえながら協力を迫った。そうして彼女が江戸城大奥に入り込んだのは約二年前、勅額火事の直後のことであった。
今いる京橋の料亭は、京都から呼び寄せた腹心の赤兵衛に経営させている。
最初、彼女は妓楼で下働きをしていた大女の熊だけを連れて江戸に来た。必要な金はその都度京都から送らせていたが不便でならない。そこで、江戸での拠点としてこの料亭を開いた。開店間もないが、本格的な京料理と公家屋敷を思わせる瀟洒な設えが好評で、すでに富裕層の社交場として定着しつつある。
一方、島原の妓楼はもう一人の腹心・竜蔵と妹分の遊女・ともを娶せ、その夫婦に任せている。あちらの商売も順調で、祇園に支店を出すべく準備中。
大奥に入った乙星は、公家の姪として当初から中臈(上級の中間管理職)とされた。ただし、同職中の序列は最下位であった。
三代将軍家光の時代、有名な春日局によって整備された江戸城大奥。天下人の花園と呼ぶに相応しく、美しく着飾った奥女中がおよそ千人。いずれも身元の確かな公家や武家の娘ばかり。大庄屋や御用商人の娘などもいたが、名目上、旗本や御家人の養女として送り込まれた。
無論、人間の生活の場である以上、力仕事や外回りの清掃、さらには汚物の処理なども必要。それらを担ったのは庶民出の下女たちである。
大奥に入った乙星は、まず、奥女中から人扱いされていないこの下女たちを手なずけた。自分自身が社会の最底辺から出ているから、彼女たちの気持ちは手に取るように分かる。ちょっとした労わりの言葉と働きに応じた報酬を与え、そして、仕事上のストレスと欲求不満をぶつけてくる意地悪い奥女中たちから守ってやればいい。
その後、下女たちから得た情報を縦横に使い、奥女中の中にも勢力を伸ばす。
島原の名門妓楼の太夫ともなれば、ひと通りの教養と行儀作法は身に付けている。乙星は下級公家の姪に見事に化けた。
しかし、大典侍などという大層な名乗りにしても、所詮は女郎上がり。いい意味でも悪い意味でも根性が違う。奥女中は先に述べた通り、お姫様やお嬢様の集団である。子羊の群れに狼が放たれたも同然であった。
買収、脅迫、さらに色仕掛け。それでも駄目なら力尽く。馬鹿力のお熊が勢い余って殺してしまった者も二、三いる。しかし、広大な大奥、死体の隠し場所には困らない。何人かが口裏を合わせてしまえば、神隠しで通せる時代であった。
そして、彼女は瞬く間に筆頭中臈に昇り、今や将軍生母・桂昌院の世話係となっている。大奥の職制上、彼女の上には二名の御年寄(表の老中に相当)しかいない。ただし、力業でたどり着けるのはここまで。さらに上を目指すには別次元の力が要る。
「ところで赤兵衛。藪入りで里帰りする子はいるのかい?」
「はい。開店間もなくですから今年はいいかとも思いましたが、勤め人の楽しみですからね。休みはやろうと思ってます」
「ちゃんと・・・」
「分かってますよ。小遣いは弾んでおきます」
「ならいいけど。で、例の物、手に入ったかい?」
「はい。でも、しびれ薬なんてどうするんですか。あれじゃ人は殺せませんよ」
「殺してどうする? 桂昌院に死なれちゃ元も子もないだろ」
「げっ、桂昌院に使うんですか。姐さんは、あの婆さんの世話係でしょ。元気でいてくれた方が楽じゃないですか」
「馬鹿だね。今にも死にそうな婆さんを甲斐甲斐しく世話してこそ、あたしの評判が上がるんだよ。その先の道も拓けるってもんだ。それにあの婆さん、偉そうなこと言っても、元はあたしらと同じ庶民の出だからね。元気なんだよ。放っておいたら百まで生きちまう。こっちまで婆になっちまうよ」
「ははは、確かに。分かりました。薬はお熊に渡しておきます」
二十九歳、匂い立つような色気をまとう大典侍は、前に置かれた銚子をつまみ上げた。最近流行の色絵の伊万里焼だ。そして、盃に酒を満たしてひと息に飲み干す。真っ白い喉がぐびりと動く。
「で、本庄の若殿と会う手筈はどうだい?」
「それはいつでも。桂昌院に挨拶に行ったとき、三之丸で姐さんにひと目惚れしたそうで。どうせ何かしたんでしょ?」
「うるさい」
「へへ。とにかく、話を持って行ったら、よだれ垂らさんばかりに二つ返事で。しかし、父親の方はもう用済みですか」
「因幡守ねぇ。あの狒々爺、野心がなさ過ぎるんだよ。これ以上は役に立ちそうもない。成り行き次第だけど、浅野の奥方の件を使って詰め腹を切らせちまってもいいかな。若殿次第だね。使える奴だといいけど」
そう言い放つと、彼女は細く長い舌で形のいい上唇をぺろりと舐めた。
月が替わって元禄十四年(一七〇一年)二月四日、幕府は、朝廷の年賀返礼の使者を迎えるための人事を発表した。内示段階から一部何の相談もなく変更されており、面食らった者もいたが、台命(将軍の命令)として発せられた以上是非もなし。
主な三役には、勅使饗応役に播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩、院使饗応役に予州吉田藩主・伊達左京亮宗春。そして、指南役には旗本高家筆頭・吉良上野介義央が充てられた。
元禄時代、ここは笠間藩の下屋敷であった。そして、この見事な池泉回遊式庭園の原型を造ったのが時の藩主・本庄宗資。
取り柄はただひとつ、将軍生母・桂昌院の異父弟であること。全くもって無気力かつ無能な男だが、姉には気に入られていた。それだけで、京都で公家屋敷の警備などしていた下級武士が今や五万石の大名である。黙っていても、人も金も寄って来る。
元禄十四年(一七〇一年)一月二十日、昼の九つ半(ほぼ午後一時)、大きな池に面した壮麗な客殿の玄関から、豪華な女物の駕籠が出立しようとしていた。本庄宗資がその駕籠脇に片膝を付く。
「桂昌院様。本日は御来駕を賜り、感謝に堪えません。寒さ厳しき折、どうかお風邪など召しませぬように、姉上」
最後の、姉上、を周囲にも聞こえるように強調するのがこの男らしい。すると、すぐ横に控えていた一人の奥女中が立ち上がり、配下の者にひと声かけた。
「わたくしは桂昌院様がお望みの今宮神社へのご寄進について、因幡守様と相談してから戻ります。わたくしが戻るまで桂昌院様のお世話を頼みます。くれぐれもお体を冷やさぬよう。また、お薬の時間を間違えないように」
行列が門の外に消えると、本庄宗資はその奥女中を客殿の中に招き入れ、彼女の前に紫の帛紗に包まれた切り餅(小判二十五枚の紙包)を置いた。
「因幡守様、このようなお気遣い無用のことですわ」
「いやいや。お陰で久しぶりに姉上に来ていただけた。以前は上様とご一緒によく遊びに来て下さったが、近年は上様がお城に籠り切り。それに従って姉上も・・・」
「上様は厚き孝心から、桂昌院様のために女性として過去最高の官位を得ようとご苦心なさってこられました。それが思し召し通りに進まず、お気鬱に。桂昌院様もご自身のためにご苦心なさっている上様のご様子にお心を痛められ・・・」
「そうじゃのう。されど、叙位の件はようやく目途が付いたと聞く。めでたいことじゃ」
「誠、かくの如きお互いを思いやる麗しきお二方を上に戴き、天下は万々歳でございます」
「げにもげにも」
「ほほほ、何を他人事のように。因幡守様のお骨折りも功を奏してのことではございませんか」
「い、いや、わしは何も・・・」
「ご謙遜を。此度の件、さもご老中様(柳沢出羽守)お一人の手柄のように言われていますが、都に伝手のある因幡守様のお働きあったればこそ。わたくしはそう考えております。そして、桂昌院様にもそのように申し上げております」
「何と!? し、しかし・・・」
「因幡守様。出羽守様は忠臣なれど、所詮は他人。此度の慶事実現のため、出羽守様だけでなく、ご親族もお働きになったとした方が、桂昌院様のお喜びは増しましょう」
「なるほど。そうじゃな、その通りじゃ」
「そして、上様を今以上にお支えするためにも、因幡守様のご昇進をお勧めしたところ、桂昌院様もご同意を。恐らく、年明けには侍従に昇られましょう」
侍従の官職は、通常、国持大名クラスに与えられた。譜代大名であれば石高に関わりなく与えられるが、三河以来の名門か抜群の働きでもない限り無理である。
「ま、誠か。わしが侍従に?!」
「はい。次にお会いするときには、因幡守様ではなく、侍従様とお呼びせねばなりませんね。ほほほ」
「ありがたい、ありがたいことじゃ。いつもながら、心配りに感謝する」
「何の。わたくしが桂昌院様のお世話係になれたのも、因幡守様のご推挙あったればこそ。今後とも、桂昌院様、因幡守様、ひいては上様の御ため、身を粉にして働く所存でございます」
「さすがは大典侍殿、忠義者じゃ。これからも頼みますぞ」
そこで女の切れ長の目が妖しく光った。
「時に因幡守様、ご執心の浅野家の奥方の件、よい思案がございます」
「誠に?! あれぞ正に高嶺の花。以前、犬神憑きと申す輩を使って近づこうとしたんじゃが、上手く行かなんだ。挙句、出羽守から皮肉交じりに小言まで言われる始末よ」
「ほほほ、因幡守様の愉快なこと」
「う、うむ。まあ、よい。賢きそなのたことじゃ、名案に違いない。是非聞かせてくれ」
「朝廷の年賀返礼の使者を迎える場を使いましょう。桂昌院様たってのご希望ということで、勅使饗応役を内匠頭に変更させます。内匠頭は指南役の吉良様と犬猿の仲だとか。必ずひと悶着起こすでしょう。浅野家が窮地に陥ったところで・・・」
一時(二時間)後、大典侍と呼ばれた奥女中は、京橋の料亭・手嶌屋の奥座敷にいた。流水に扇と梅をあしらった華麗にして上品な薄紫の打掛が畳の上に脱ぎ捨てられている。それを横目に彼女は脇息に体を預け、一人酒を飲んでいた。朱塗りの盃を持つ白く長い指が艶めかしい。
障子戸が開き、店の主人が入ってきた。
「乙星の姐さん、お疲れ様でした」
「何だって」
「これは失礼を。大奥筆頭御中臈・大典侍様」
「赤兵衛、どこで誰が聞いてるか知れない。気を付けな」
「すみません。しかし姐さん、それならもうちょっとちゃんとして下さいよ」
「うるさいね。御殿勤めは肩が凝るんだよ」
世の中には、ほんの些細な出来事をきっかけに大化けする者がいる。大典侍こと乙星太夫はその典型と言えよう。
彼女は元々、破戒僧と安女郎の間に出来た子であった。父は消息不明、母は出産時に死亡。彼女は母親が勤めていた京都島原の妓楼で育てられ、自然な流れで遊女となった。彼女には何もなかったが、ただ、天与の美貌があった。並み居る先輩遊女を押しのけ、店一番の太夫にのし上がる。
そして、四年と少し前、ほんの数日、三日月のように反りの深い刀を差した浪人者と床を共にした。その客は、彼女が冗談めかして言ったことを真に受け、妓楼の主夫婦を殺してくれたのである。彼女は機会を逃さず、かねての計画通り店を乗っ取った。
この時から、彼女自前の人生の幕が上がったと言っていい。
京都の上流階級には公家や神職・僧侶など、大っぴらに遊べない者が多くいる。彼女は、そうした者に密かに遊べる場を積極的に提供し、店を繁盛させた。
ある時、客の一人の下級公家が借金で首が回らなくなり、彼女に泣き付いてきた。その公家は、支度金目当てで自分の姪を奥女中として江戸に差し出すことにしていた。ところが、その姪が江戸に下る直前に病死してしまった。それが公になれば、京都所司代から受け取った支度金を返却しなければならない、という。
乙星はここで思い切った挙に出た。彼女自身がその姪に成りすまし江戸に赴くことにしたのだ。
まず、青い顔をした貧乏公家の目の前に千両箱を三つ、どんと置いた。利息だけでなく借金の元本まで帳消しにできる額だ。そして、その美しい顔に微笑をたたえながら協力を迫った。そうして彼女が江戸城大奥に入り込んだのは約二年前、勅額火事の直後のことであった。
今いる京橋の料亭は、京都から呼び寄せた腹心の赤兵衛に経営させている。
最初、彼女は妓楼で下働きをしていた大女の熊だけを連れて江戸に来た。必要な金はその都度京都から送らせていたが不便でならない。そこで、江戸での拠点としてこの料亭を開いた。開店間もないが、本格的な京料理と公家屋敷を思わせる瀟洒な設えが好評で、すでに富裕層の社交場として定着しつつある。
一方、島原の妓楼はもう一人の腹心・竜蔵と妹分の遊女・ともを娶せ、その夫婦に任せている。あちらの商売も順調で、祇園に支店を出すべく準備中。
大奥に入った乙星は、公家の姪として当初から中臈(上級の中間管理職)とされた。ただし、同職中の序列は最下位であった。
三代将軍家光の時代、有名な春日局によって整備された江戸城大奥。天下人の花園と呼ぶに相応しく、美しく着飾った奥女中がおよそ千人。いずれも身元の確かな公家や武家の娘ばかり。大庄屋や御用商人の娘などもいたが、名目上、旗本や御家人の養女として送り込まれた。
無論、人間の生活の場である以上、力仕事や外回りの清掃、さらには汚物の処理なども必要。それらを担ったのは庶民出の下女たちである。
大奥に入った乙星は、まず、奥女中から人扱いされていないこの下女たちを手なずけた。自分自身が社会の最底辺から出ているから、彼女たちの気持ちは手に取るように分かる。ちょっとした労わりの言葉と働きに応じた報酬を与え、そして、仕事上のストレスと欲求不満をぶつけてくる意地悪い奥女中たちから守ってやればいい。
その後、下女たちから得た情報を縦横に使い、奥女中の中にも勢力を伸ばす。
島原の名門妓楼の太夫ともなれば、ひと通りの教養と行儀作法は身に付けている。乙星は下級公家の姪に見事に化けた。
しかし、大典侍などという大層な名乗りにしても、所詮は女郎上がり。いい意味でも悪い意味でも根性が違う。奥女中は先に述べた通り、お姫様やお嬢様の集団である。子羊の群れに狼が放たれたも同然であった。
買収、脅迫、さらに色仕掛け。それでも駄目なら力尽く。馬鹿力のお熊が勢い余って殺してしまった者も二、三いる。しかし、広大な大奥、死体の隠し場所には困らない。何人かが口裏を合わせてしまえば、神隠しで通せる時代であった。
そして、彼女は瞬く間に筆頭中臈に昇り、今や将軍生母・桂昌院の世話係となっている。大奥の職制上、彼女の上には二名の御年寄(表の老中に相当)しかいない。ただし、力業でたどり着けるのはここまで。さらに上を目指すには別次元の力が要る。
「ところで赤兵衛。藪入りで里帰りする子はいるのかい?」
「はい。開店間もなくですから今年はいいかとも思いましたが、勤め人の楽しみですからね。休みはやろうと思ってます」
「ちゃんと・・・」
「分かってますよ。小遣いは弾んでおきます」
「ならいいけど。で、例の物、手に入ったかい?」
「はい。でも、しびれ薬なんてどうするんですか。あれじゃ人は殺せませんよ」
「殺してどうする? 桂昌院に死なれちゃ元も子もないだろ」
「げっ、桂昌院に使うんですか。姐さんは、あの婆さんの世話係でしょ。元気でいてくれた方が楽じゃないですか」
「馬鹿だね。今にも死にそうな婆さんを甲斐甲斐しく世話してこそ、あたしの評判が上がるんだよ。その先の道も拓けるってもんだ。それにあの婆さん、偉そうなこと言っても、元はあたしらと同じ庶民の出だからね。元気なんだよ。放っておいたら百まで生きちまう。こっちまで婆になっちまうよ」
「ははは、確かに。分かりました。薬はお熊に渡しておきます」
二十九歳、匂い立つような色気をまとう大典侍は、前に置かれた銚子をつまみ上げた。最近流行の色絵の伊万里焼だ。そして、盃に酒を満たしてひと息に飲み干す。真っ白い喉がぐびりと動く。
「で、本庄の若殿と会う手筈はどうだい?」
「それはいつでも。桂昌院に挨拶に行ったとき、三之丸で姐さんにひと目惚れしたそうで。どうせ何かしたんでしょ?」
「うるさい」
「へへ。とにかく、話を持って行ったら、よだれ垂らさんばかりに二つ返事で。しかし、父親の方はもう用済みですか」
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本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
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