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第52章 出会いは一刀石
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嵐子が厳四郎を背負って走る、釜無川に沿って。一里(約四キロメートル)ほど行くと釜無川と塩川の合流点に至る。今度は塩川沿いに北へ八町(約八百八十メートル)。そこで渡河した。川幅二十間(約三十六メートル)。水量の少ない時期とは言え、場所によっては小柄な彼女の胸まで浸かった。傷口を濡らしてはいけない。厳四郎の体を二本の腕で高く持ち上げ、彼女は川を渡り切った。
ここまで来れば韮崎の宿場はすぐである。
韮崎は甲斐北部の要地。長篠で大敗した武田勝頼が退勢挽回の拠点として新府城を築いた地である。古くから水運の一大拠点でもあり、江戸時代、甲州街道韮崎宿は大いに栄えた。故に旅籠の数も多い。中には金さえ出せば訳ありの者を泊めてくれる宿もあるだろう。診てくれる医者もいるに違いない。
とにかく急がなきゃ。血は止めたけど、傷口をしっかり洗わないと駄目だ。薬も要る。傷が膿んでしまったら、助かるものも助からない。
嵐子が韮崎宿のはずれに着いたとき、すでに日が沈み、暗くなり始めていた。途中、水神を祀る小さな祠で一度だけ休憩した。そこで初めて気付いたが、彼女自身も血まみれになっていた。戦闘中の返り血ではなく、背負っている厳四郎から彼女の着物にうつったのだ。そのまま走り続けたものだから、汗と泥も加わりひどい有様である。
これじゃ人前には出られないよ。せめて、もう少し暗くならないかな。でも、急がなきゃ・・・。
正面の門を避け、脇の藪をすり抜けて宿場に潜入した。宿場の中心部、本陣や脇本陣の周囲にある旅籠は格も高く、筋のいい客しか泊めない。狙い目は端の方である。
路地裏を伝って進んだ。それらしい宿屋が二軒あった。どちらも店の前の客引きが如何にも胡散臭い。一方は痩せたやくざ風の男で、もう一方は後ろ姿しか見えないが、小太りの中年女だ。
嵐子は中年女を選んだ。厳四郎を路地裏の塀にもたせかけ、一人で中年女にそっと近寄った。後ろから彼女の肩を軽く叩く。振り返ったその女は、露骨に嫌な顔をした。
「あんた、それ、血じゃないか。面倒は困るんだ。しっしっ、あっちに行きな。行かないとお役人を呼ぶよ」
嵐子は、「金なら出すから」と食い下がろうとしたが、やめた。女の冷たい視線に脈のないことを悟ったのだ。嵐子も今や疲労困憊、下手に揉めて本当に役人を呼ばれたら取り返しがつかない。
仕方なく厳四郎のところに戻った。意識は戻らない。ぐったりうなだれた厳四郎の横顔は青白く、死神の足音が聞こえるようだ。
ふいに涙が込み上げてきた。ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が止まらない。自分の顔のどこにこんなに水が溜まっているのだろうかと思うほど、次から次へと涙が流れ落ちる。
助けて。助けて。助けて。誰でもいい、厳四郎様を助けて。誰か・・・。
嵐子が厳四郎に出会ったのは、彼女が十四歳の秋であった。当時、彼女は孤独だった。嵐子の先祖は南北朝時代に活躍した河内楠木党の武士で、「水分」という名字もそこに由来するらしい。その後、どういう経緯で大和に流れてきたかは分からないが、祖父の代から柳生藩の足軽であった。しかし、両親は嵐子が物心つく前に死んでいたから、彼女は孤児同然に山里の共同体の中でかろうじて生き延びてきたのだった。
唯一の幸運は、彼女が生まれた柳生の里が剣の聖地であったことである。
ここでは、一定の年齢になれば、身分性別を問わず剣術の指導を受けた。嵐子も使い走りや農作業を手伝う傍ら、それを受けた。彼女は、天才であった。
嵐子は、普通の刀でも女性用の小太刀でもなく、その中間の脇差を好んで使った。そして、ずば抜けた敏捷さを活かす独特な抜刀術を編み出し、自らそれを磨き上げた。何せ山の中である。鍛錬の場には困らない。
当初、里の大人たちは面白がって見ていたが、彼女の年齢が十を超え、大人でさえ誰も彼女に勝てなくなると、彼女に対する評価は悪い方に向かった。すなわち、嵐子の剣は新陰流にあらず。邪剣である、と。
次第に誰もが彼女から距離を取り、まるで存在しないかのように扱われるようになった。ただ、そのことについて、嵐子はどこ吹く風であった。元々が一人なのだ。
十三歳になって大人として扱われるようになると、時折、陣屋(藩庁)から仕事を命じられるようになった。快足を活かした伝令である。柳生藩の当主は初代・宗矩以降、代々幕府の大目付を務めている。従って、藩士を諸国に派遣し情報収集を行っており、伝令は藩庁とそうした者たちとの連絡係であった。
ところで、柳生の山中にひとつの奇観がある。
日中でも薄暗い深い杉林の中、幅四間(約七メートル)もある巨石が中央で真っ二つに割られているのだ。柳生石舟斎が修行時代に天狗もろとも一刀両断したという。石舟斎は、新陰流の開祖・上泉信綱から流派の正式な継承者の一人と認められ、柳生の名を天下に広めた剣豪である。為に、この石は「柳生の一刀石」と呼ばれる。
陣屋の仕事をするようになって一年ほど経った秋の午後、嵐子はその巨石の周囲で一人鍛錬に励んでいた。
そこに、見知らぬ若者がふらりと来て、「手合わせを頼む」と言った。白面総髪の彼は、嵐子より二つ三つ上の十代後半と思われた。
嵐子は無言で頷くや、その若者に向かって突進した。そして、ぶつかる直前で抜刀、体を鋭く旋回させた。殺す気はない。こうして時折突っかかって来る連中は、袴の紐でも切って脅してやればいい。
しかし、案に相違して嵐子の斬撃は空を切った。若者は刃が触れる直前に自らも同じ方向に回り、跳び退いて間合いを取った。嵐子が正面を向いたとき、若者はすでに中段に構え直し、その切っ先は嵐子の喉元を捉えていた。少しでも動けば喉を突かれる。
「えっ?!」
「何を驚く? お前、自分が天下で一番強いとでも思っているのか」
「そ、そんな・・・」
「動きが直線的過ぎるんだ。もう少し工夫しろ。しかし、面白い太刀筋だな。誰に習った?」と言いながら、若者は刀を鞘に納めた。
「誰にも。これは、自分で考えたんだ」
「ほう、それは凄い。お前、十兵衛三厳様以来、この里が生んだ天才かもしれんぞ」
「ほんと? でも、あたしの剣は邪剣だって・・・」
「邪剣、誰がそんなことを? 剣に正も邪もあるか。あるのは鍛錬の成果だけだ。理に適った筋目正しい剣と雖も、悪事に使えばそれは邪剣だ。剣の正邪は、剣そのものにはない。それを使う人で決まるんだ」
「そう、なの?」
「そうだ。さらに言えば、新陰流は、将軍家御家流として今やすっかり型にはまっているが、本来は変幻自在、実戦の中で先人たちが練り上げてきたものだ。俺もお前もその流れの中にいることに違いはない。己の剣に誇りを持て」
静かだが、自らにも言い聞かせるようにはっきりした口調で言い切ると、若者はくるりと背を向けて山を下りて行った。
嵐子は、彼の背中を呆然と見送っていた。その辺りの山々は常緑樹の杉林で、秋も特別色彩を変えることはない。しかしこの時、どこからか、一枚の真っ赤な楓の葉が、嵐子の遥か頭上に舞い飛んできた。
彼女は衝動的に走り出すと、不遜にも剣聖・石舟斎ゆかりの一刀石を足場に高く跳んだ。
空中で抜刀し、はらはらと舞う楓の葉を真っ二つに切り裂く。そして、不規則な岩場も苦にせず綺麗に着地すると、そのまま山道を里に向って全力で駆け下って行った。
里では、小高い丘の上にある陣屋の周囲が、楓や紅葉、銀杏によって赤や黄に色付いている。毎年同じ景色。今朝まで何とも思わなかったが、その時の嵐子には、それがこの上なく美しく輝いて見えた。
翌朝、嵐子は珍しく自分から陣屋に赴いた。何人かの藩士に若者の風体を告げると、彼の素性はすぐに知れた。
名は柳生厳四郎、前藩主の末子だという。身分のあまりの違いに暗澹たる気持ちになったが、聞けば、彼は不遇らしい。
柳生藩は定府であるので、藩主が柳生に戻ることはめったにない。前藩主は老いて隠居する直前、わずか数日、柳生の里に立ち寄った。厳四郎はその時に手を付けた下女が産んだ子で、認知はされたものの江戸に呼ばれることはなく、公式にはいないも同然の扱いを受けているという。
しかし、皮肉にも厳四郎には剣の才能があった。時代は変わっても柳生は剣の家である。家中の人望は剣技に比例する。であればこそ、厳四郎が剣の腕を上げれば上げるほど、江戸の兄たちに一層疎まれ、無視され続けた。
あたしと同じだ、と嵐子は思った。
厳四郎は陣屋から谷ひとつ隔てた山裾に小さな庵を結び、道場で稽古をする以外、そこで書見などをして過ごしているらしい。
翌日から嵐子は、厳四郎の住まいを覗きに行くようになり、その都度、柿や栗など、山の恵みを庵の入り口に置いた。そして、冬が近くなったある日のこと。伝令を務めた帰りに伏見の菓子屋で落雁を求め、その小さな紙袋を同じように置こうとしたところを見つかった。
「あ、あの、あたし、菓子を・・・」
「はっはは、お前だったのか。以前山中で罠にかかった狸を逃がしてやったことがあるから、てっきり狸の恩返しかと思っていたよ。どういうつもりか知らんが、まあ、お入り。茶でも入れよう」
以来、二人は友となった。
それから七度の秋を経て、今、柳生の里から遥か彼方の甲州街道韮崎宿、嵐子の目の前で、厳四郎の命の火が消えようとしている。
厳四郎様が死んだら、あたし、また一人ぼっちになっちゃう。嵐子は、生まれて初めて恐怖という感情を持った。
その時である。背後から声を掛けられた。
「おい、そこのお前、何をしている?」
嵐子が恐々振り向くと、もうひとつの宿屋のやくざ風の客引きが立っていた。
「女? うわっ、血だらけじゃないか。喧嘩か。そっちの男は、死んでるのか」
「死んでない!」
「そうか。ここで待ってろ。今、番所から人を呼んでくる」
嵐子の両眼に力が戻った。しかし、彼女が腰の後ろの脇差に手を掛けると同時に、男のさらに後ろから艶っぽい女の声が。
「源八、どうしたんだい? 行き倒れかい?」
「いえ、違います。喧嘩でもしたのか、血だらけなんですよ。一人はもう死んでます」
「死んでない!」
「どっちなんだよ。まあ、いいや。源八、とにかく店に運びな」
「でも、女将さん。こ奴ら、やばいですぜ」
「いいから、さっさとしな。娘さん、あんたも、その物騒なものから手を離すんだよ」
嵐子は、ハッとして脇差の柄から手を離した。女将さんと呼ばれた女は表通りの淡い灯りを背にしており、嵐子にはそれが、後光を背負った観音菩薩のように見えた。反射的に柳生の道場で神棚に向かってするようにきちっと正座し、頭を下げた。
「お願い。厳四郎様を助けて。いえ、助けて下さい! お願いします!」
「分かったよ。分かったから、ほら、立ちな」
そう言った女は、仏に例えるには色気のあり過ぎる声と容姿をしていたが、このときの嵐子にそこまで考える余裕はなかった。
ここまで来れば韮崎の宿場はすぐである。
韮崎は甲斐北部の要地。長篠で大敗した武田勝頼が退勢挽回の拠点として新府城を築いた地である。古くから水運の一大拠点でもあり、江戸時代、甲州街道韮崎宿は大いに栄えた。故に旅籠の数も多い。中には金さえ出せば訳ありの者を泊めてくれる宿もあるだろう。診てくれる医者もいるに違いない。
とにかく急がなきゃ。血は止めたけど、傷口をしっかり洗わないと駄目だ。薬も要る。傷が膿んでしまったら、助かるものも助からない。
嵐子が韮崎宿のはずれに着いたとき、すでに日が沈み、暗くなり始めていた。途中、水神を祀る小さな祠で一度だけ休憩した。そこで初めて気付いたが、彼女自身も血まみれになっていた。戦闘中の返り血ではなく、背負っている厳四郎から彼女の着物にうつったのだ。そのまま走り続けたものだから、汗と泥も加わりひどい有様である。
これじゃ人前には出られないよ。せめて、もう少し暗くならないかな。でも、急がなきゃ・・・。
正面の門を避け、脇の藪をすり抜けて宿場に潜入した。宿場の中心部、本陣や脇本陣の周囲にある旅籠は格も高く、筋のいい客しか泊めない。狙い目は端の方である。
路地裏を伝って進んだ。それらしい宿屋が二軒あった。どちらも店の前の客引きが如何にも胡散臭い。一方は痩せたやくざ風の男で、もう一方は後ろ姿しか見えないが、小太りの中年女だ。
嵐子は中年女を選んだ。厳四郎を路地裏の塀にもたせかけ、一人で中年女にそっと近寄った。後ろから彼女の肩を軽く叩く。振り返ったその女は、露骨に嫌な顔をした。
「あんた、それ、血じゃないか。面倒は困るんだ。しっしっ、あっちに行きな。行かないとお役人を呼ぶよ」
嵐子は、「金なら出すから」と食い下がろうとしたが、やめた。女の冷たい視線に脈のないことを悟ったのだ。嵐子も今や疲労困憊、下手に揉めて本当に役人を呼ばれたら取り返しがつかない。
仕方なく厳四郎のところに戻った。意識は戻らない。ぐったりうなだれた厳四郎の横顔は青白く、死神の足音が聞こえるようだ。
ふいに涙が込み上げてきた。ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が止まらない。自分の顔のどこにこんなに水が溜まっているのだろうかと思うほど、次から次へと涙が流れ落ちる。
助けて。助けて。助けて。誰でもいい、厳四郎様を助けて。誰か・・・。
嵐子が厳四郎に出会ったのは、彼女が十四歳の秋であった。当時、彼女は孤独だった。嵐子の先祖は南北朝時代に活躍した河内楠木党の武士で、「水分」という名字もそこに由来するらしい。その後、どういう経緯で大和に流れてきたかは分からないが、祖父の代から柳生藩の足軽であった。しかし、両親は嵐子が物心つく前に死んでいたから、彼女は孤児同然に山里の共同体の中でかろうじて生き延びてきたのだった。
唯一の幸運は、彼女が生まれた柳生の里が剣の聖地であったことである。
ここでは、一定の年齢になれば、身分性別を問わず剣術の指導を受けた。嵐子も使い走りや農作業を手伝う傍ら、それを受けた。彼女は、天才であった。
嵐子は、普通の刀でも女性用の小太刀でもなく、その中間の脇差を好んで使った。そして、ずば抜けた敏捷さを活かす独特な抜刀術を編み出し、自らそれを磨き上げた。何せ山の中である。鍛錬の場には困らない。
当初、里の大人たちは面白がって見ていたが、彼女の年齢が十を超え、大人でさえ誰も彼女に勝てなくなると、彼女に対する評価は悪い方に向かった。すなわち、嵐子の剣は新陰流にあらず。邪剣である、と。
次第に誰もが彼女から距離を取り、まるで存在しないかのように扱われるようになった。ただ、そのことについて、嵐子はどこ吹く風であった。元々が一人なのだ。
十三歳になって大人として扱われるようになると、時折、陣屋(藩庁)から仕事を命じられるようになった。快足を活かした伝令である。柳生藩の当主は初代・宗矩以降、代々幕府の大目付を務めている。従って、藩士を諸国に派遣し情報収集を行っており、伝令は藩庁とそうした者たちとの連絡係であった。
ところで、柳生の山中にひとつの奇観がある。
日中でも薄暗い深い杉林の中、幅四間(約七メートル)もある巨石が中央で真っ二つに割られているのだ。柳生石舟斎が修行時代に天狗もろとも一刀両断したという。石舟斎は、新陰流の開祖・上泉信綱から流派の正式な継承者の一人と認められ、柳生の名を天下に広めた剣豪である。為に、この石は「柳生の一刀石」と呼ばれる。
陣屋の仕事をするようになって一年ほど経った秋の午後、嵐子はその巨石の周囲で一人鍛錬に励んでいた。
そこに、見知らぬ若者がふらりと来て、「手合わせを頼む」と言った。白面総髪の彼は、嵐子より二つ三つ上の十代後半と思われた。
嵐子は無言で頷くや、その若者に向かって突進した。そして、ぶつかる直前で抜刀、体を鋭く旋回させた。殺す気はない。こうして時折突っかかって来る連中は、袴の紐でも切って脅してやればいい。
しかし、案に相違して嵐子の斬撃は空を切った。若者は刃が触れる直前に自らも同じ方向に回り、跳び退いて間合いを取った。嵐子が正面を向いたとき、若者はすでに中段に構え直し、その切っ先は嵐子の喉元を捉えていた。少しでも動けば喉を突かれる。
「えっ?!」
「何を驚く? お前、自分が天下で一番強いとでも思っているのか」
「そ、そんな・・・」
「動きが直線的過ぎるんだ。もう少し工夫しろ。しかし、面白い太刀筋だな。誰に習った?」と言いながら、若者は刀を鞘に納めた。
「誰にも。これは、自分で考えたんだ」
「ほう、それは凄い。お前、十兵衛三厳様以来、この里が生んだ天才かもしれんぞ」
「ほんと? でも、あたしの剣は邪剣だって・・・」
「邪剣、誰がそんなことを? 剣に正も邪もあるか。あるのは鍛錬の成果だけだ。理に適った筋目正しい剣と雖も、悪事に使えばそれは邪剣だ。剣の正邪は、剣そのものにはない。それを使う人で決まるんだ」
「そう、なの?」
「そうだ。さらに言えば、新陰流は、将軍家御家流として今やすっかり型にはまっているが、本来は変幻自在、実戦の中で先人たちが練り上げてきたものだ。俺もお前もその流れの中にいることに違いはない。己の剣に誇りを持て」
静かだが、自らにも言い聞かせるようにはっきりした口調で言い切ると、若者はくるりと背を向けて山を下りて行った。
嵐子は、彼の背中を呆然と見送っていた。その辺りの山々は常緑樹の杉林で、秋も特別色彩を変えることはない。しかしこの時、どこからか、一枚の真っ赤な楓の葉が、嵐子の遥か頭上に舞い飛んできた。
彼女は衝動的に走り出すと、不遜にも剣聖・石舟斎ゆかりの一刀石を足場に高く跳んだ。
空中で抜刀し、はらはらと舞う楓の葉を真っ二つに切り裂く。そして、不規則な岩場も苦にせず綺麗に着地すると、そのまま山道を里に向って全力で駆け下って行った。
里では、小高い丘の上にある陣屋の周囲が、楓や紅葉、銀杏によって赤や黄に色付いている。毎年同じ景色。今朝まで何とも思わなかったが、その時の嵐子には、それがこの上なく美しく輝いて見えた。
翌朝、嵐子は珍しく自分から陣屋に赴いた。何人かの藩士に若者の風体を告げると、彼の素性はすぐに知れた。
名は柳生厳四郎、前藩主の末子だという。身分のあまりの違いに暗澹たる気持ちになったが、聞けば、彼は不遇らしい。
柳生藩は定府であるので、藩主が柳生に戻ることはめったにない。前藩主は老いて隠居する直前、わずか数日、柳生の里に立ち寄った。厳四郎はその時に手を付けた下女が産んだ子で、認知はされたものの江戸に呼ばれることはなく、公式にはいないも同然の扱いを受けているという。
しかし、皮肉にも厳四郎には剣の才能があった。時代は変わっても柳生は剣の家である。家中の人望は剣技に比例する。であればこそ、厳四郎が剣の腕を上げれば上げるほど、江戸の兄たちに一層疎まれ、無視され続けた。
あたしと同じだ、と嵐子は思った。
厳四郎は陣屋から谷ひとつ隔てた山裾に小さな庵を結び、道場で稽古をする以外、そこで書見などをして過ごしているらしい。
翌日から嵐子は、厳四郎の住まいを覗きに行くようになり、その都度、柿や栗など、山の恵みを庵の入り口に置いた。そして、冬が近くなったある日のこと。伝令を務めた帰りに伏見の菓子屋で落雁を求め、その小さな紙袋を同じように置こうとしたところを見つかった。
「あ、あの、あたし、菓子を・・・」
「はっはは、お前だったのか。以前山中で罠にかかった狸を逃がしてやったことがあるから、てっきり狸の恩返しかと思っていたよ。どういうつもりか知らんが、まあ、お入り。茶でも入れよう」
以来、二人は友となった。
それから七度の秋を経て、今、柳生の里から遥か彼方の甲州街道韮崎宿、嵐子の目の前で、厳四郎の命の火が消えようとしている。
厳四郎様が死んだら、あたし、また一人ぼっちになっちゃう。嵐子は、生まれて初めて恐怖という感情を持った。
その時である。背後から声を掛けられた。
「おい、そこのお前、何をしている?」
嵐子が恐々振り向くと、もうひとつの宿屋のやくざ風の客引きが立っていた。
「女? うわっ、血だらけじゃないか。喧嘩か。そっちの男は、死んでるのか」
「死んでない!」
「そうか。ここで待ってろ。今、番所から人を呼んでくる」
嵐子の両眼に力が戻った。しかし、彼女が腰の後ろの脇差に手を掛けると同時に、男のさらに後ろから艶っぽい女の声が。
「源八、どうしたんだい? 行き倒れかい?」
「いえ、違います。喧嘩でもしたのか、血だらけなんですよ。一人はもう死んでます」
「死んでない!」
「どっちなんだよ。まあ、いいや。源八、とにかく店に運びな」
「でも、女将さん。こ奴ら、やばいですぜ」
「いいから、さっさとしな。娘さん、あんたも、その物騒なものから手を離すんだよ」
嵐子は、ハッとして脇差の柄から手を離した。女将さんと呼ばれた女は表通りの淡い灯りを背にしており、嵐子にはそれが、後光を背負った観音菩薩のように見えた。反射的に柳生の道場で神棚に向かってするようにきちっと正座し、頭を下げた。
「お願い。厳四郎様を助けて。いえ、助けて下さい! お願いします!」
「分かったよ。分かったから、ほら、立ちな」
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