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第42章 夜襲!勝沼宿脇本陣(後段)
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江戸時代、各街道の主要な宿場には本陣と脇本陣が置かれていた。本陣と脇本陣は同じ間取りであることが多い。参勤交代の行き帰り、二家の大名がかち合ったとき、家格の上の大名が本陣に、下の方が脇本陣に泊まる。どちらも大名のための宿泊施設であるから、敷地の広い狭いなど、多少の違いはあっても基本的な造りは同じに出来ているのだ。
正面には立派な門があり、少し入ると玄関。敷地の最奥の庭に面した部屋が大名の居室となる上段之間である。その隣に近習と重臣が泊まる部屋。そして、廊下は大名仕様の畳を敷き詰めた畳廊下で、廊下沿いに行列を宰領する役人と警護の侍が詰める小部屋が並ぶ。勝沼宿の脇本陣も概ね同じであった。
青柳厳四郎が裏手から庭に回り、上段之間に面した障子戸の前に着いた。引手の位置を確認し、準備よし。すると、どんぴしゃりのタイミングで玄関の方から複数の悲鳴が聞こえ、俄かに騒がしくなった。
お嵐の奴、神通力でも持ってるのか。
そう思いつつ、厳四郎は静かに障子戸を開け、上段之間に体を滑り込ませる。そして、隣の部屋に繋がる襖を静かに開けた。見れば、白い寝間着姿の男が、ちょうど床の間の刀掛けから佩刀を取り上げようとしているところであった。聞いた通り、人形のように白く整った顔をしている。
間違いない。これが間部だ!
厳四郎は無言で抜刀。その白面の男に向かって駆け出し、流れのまま斜め下から鋭く斬り上げた。
しかし、その瞬間である。脇の襖が開き、一人の少女が入って来た。厳四郎は、刃の軌道上に少女の細い首を見て反射的に振りを止めた。刃は、少女の首に触れるか触れないかのところで止まった。少女がその場にへたへたと座り込む。
厳四郎は一度剣を引き、次の攻撃態勢に入る。しかし、斬撃を繰り出すことは出来なかった。その前に背後の襖が誰かに蹴られ、厳四郎に向かって飛んで来たのである。それを跳び退いて避け、標的を捉え直したとき、すでに厳四郎と間部の間には一人の武士が立っていた。
その長身の武士は、刀ではなく、背丈より少し短い木の棒を手にしている。短槍か。いや、刃がない。棒術の遣い手か。いずれにせよ、負けるとは思わない。しかし、機を逸したことは明白であった。
得物の杖を手に間部の居室に踊り込んだ狩野吉之助は、間部を背に守りつつ、杖の先端を賊の喉元に定めてその動きを封じた。吉之助はまず間部に傷の有無を確認しようとしたが、間部の方が先に声を出した。
「おりん殿、ご無事か」
「は、は、は、いぃ」
吉之助は賊との間合いを注意深く計りつつ、状況の把握に努める。賊は一人。間部は無事。そして、おりんは間部の横でへたり込んでいるが、どうやら無事らしい。
「間部様、おりんと共に隣へ!」
「あ、あたい、こ、こ、腰が抜けて、う、動けない」
「馬鹿! しっかりしろ! 這ってでも行け!」
すると、番方の藩士が一人、間部を守るために駆けて来て吉之助の横に並んだ。続いて中年剣士・赤沢伝吉も賊の背後に来た。
「川越藩の刺客か。袋の鼠だ、観念しろ」
反応なし。暗い中、目鼻立ちまでは分からないが、若い気がする。中肉中背。隙のない正眼の構え。しかし、こちらに向けられている刀は、至って普通の刀である。竜之進から聞いていた新見典膳の特徴と合致しない。
吉之助がその旨問い質そうとした矢先、番方の侍が斬り掛かってしまった。賊は軽く受け流す。吉之助も突きを入れたが、ギリギリでかわされた。賊は後方の赤沢を目だけで押さえ、すっと構え直す。吉之助たちも賊を三人で囲む態勢に戻った。
その時である。
「厳四郎様!」という短く鋭い声と共に、黒いつむじ風が室内に流れ込んできたように感じた。そして、その黒い旋風が、目の前でくるりと回転したかと思うと、吉之助の横にいた番方の侍が、血しぶきを上げて倒れた。同時に、部屋の外、畳廊下の方から竜之進の叫び声。
「みんな、気を付けろ! 変なのがいるぞ。妙な抜刀術で二人やられた! おい、灯りだ。屋敷中の灯りをつけるんだ!」
その黒い旋風と思った物体は、侍姿の賊の右脇にぴたりと寄り添った。小さいが、間違いなく人である。闇にも強く光る二つの目が黒覆面からのぞいている。
黒い何者かが再び動き出そうとしたとき、侍姿の賊が、「お嵐、退くぞ」と低く発した。彼はそのまま隣の上段之間に走り、障子戸を蹴破って庭へ。黒装束もそれに続いた。
吉之助は後を追おうとしたが、どうにも体が動かない。二人が塀を越えて逃げ去るのを呆然と見送るしかなかった。隣を見ると、赤沢も同じように立ち尽くしている。
あの黒い奴は一体?! 片方の、退けの合図が一瞬でも遅れていたら・・・。
吉之助はひとつ大きく息を吐き、冷や汗が浮き出た額を左手の甲で拭った。賊を追って玄関から外に出た竜之進たちの声が聞こえる。
「追え! 逃がすな!」
「待て! 門前に何人か潜んでるぞ」
「矢だ。射ってきたぞ。不用意に出るな! こっちも弓だ。駒木、弓を持って来い。急げ!」
吉之助たちは辛くも敵を撃退することが出来た。しかし、これはさらなる激闘の呼び水に過ぎない。間もなく、元禄十二年(一六九九年)四月二十七日の朝が来る。
正面には立派な門があり、少し入ると玄関。敷地の最奥の庭に面した部屋が大名の居室となる上段之間である。その隣に近習と重臣が泊まる部屋。そして、廊下は大名仕様の畳を敷き詰めた畳廊下で、廊下沿いに行列を宰領する役人と警護の侍が詰める小部屋が並ぶ。勝沼宿の脇本陣も概ね同じであった。
青柳厳四郎が裏手から庭に回り、上段之間に面した障子戸の前に着いた。引手の位置を確認し、準備よし。すると、どんぴしゃりのタイミングで玄関の方から複数の悲鳴が聞こえ、俄かに騒がしくなった。
お嵐の奴、神通力でも持ってるのか。
そう思いつつ、厳四郎は静かに障子戸を開け、上段之間に体を滑り込ませる。そして、隣の部屋に繋がる襖を静かに開けた。見れば、白い寝間着姿の男が、ちょうど床の間の刀掛けから佩刀を取り上げようとしているところであった。聞いた通り、人形のように白く整った顔をしている。
間違いない。これが間部だ!
厳四郎は無言で抜刀。その白面の男に向かって駆け出し、流れのまま斜め下から鋭く斬り上げた。
しかし、その瞬間である。脇の襖が開き、一人の少女が入って来た。厳四郎は、刃の軌道上に少女の細い首を見て反射的に振りを止めた。刃は、少女の首に触れるか触れないかのところで止まった。少女がその場にへたへたと座り込む。
厳四郎は一度剣を引き、次の攻撃態勢に入る。しかし、斬撃を繰り出すことは出来なかった。その前に背後の襖が誰かに蹴られ、厳四郎に向かって飛んで来たのである。それを跳び退いて避け、標的を捉え直したとき、すでに厳四郎と間部の間には一人の武士が立っていた。
その長身の武士は、刀ではなく、背丈より少し短い木の棒を手にしている。短槍か。いや、刃がない。棒術の遣い手か。いずれにせよ、負けるとは思わない。しかし、機を逸したことは明白であった。
得物の杖を手に間部の居室に踊り込んだ狩野吉之助は、間部を背に守りつつ、杖の先端を賊の喉元に定めてその動きを封じた。吉之助はまず間部に傷の有無を確認しようとしたが、間部の方が先に声を出した。
「おりん殿、ご無事か」
「は、は、は、いぃ」
吉之助は賊との間合いを注意深く計りつつ、状況の把握に努める。賊は一人。間部は無事。そして、おりんは間部の横でへたり込んでいるが、どうやら無事らしい。
「間部様、おりんと共に隣へ!」
「あ、あたい、こ、こ、腰が抜けて、う、動けない」
「馬鹿! しっかりしろ! 這ってでも行け!」
すると、番方の藩士が一人、間部を守るために駆けて来て吉之助の横に並んだ。続いて中年剣士・赤沢伝吉も賊の背後に来た。
「川越藩の刺客か。袋の鼠だ、観念しろ」
反応なし。暗い中、目鼻立ちまでは分からないが、若い気がする。中肉中背。隙のない正眼の構え。しかし、こちらに向けられている刀は、至って普通の刀である。竜之進から聞いていた新見典膳の特徴と合致しない。
吉之助がその旨問い質そうとした矢先、番方の侍が斬り掛かってしまった。賊は軽く受け流す。吉之助も突きを入れたが、ギリギリでかわされた。賊は後方の赤沢を目だけで押さえ、すっと構え直す。吉之助たちも賊を三人で囲む態勢に戻った。
その時である。
「厳四郎様!」という短く鋭い声と共に、黒いつむじ風が室内に流れ込んできたように感じた。そして、その黒い旋風が、目の前でくるりと回転したかと思うと、吉之助の横にいた番方の侍が、血しぶきを上げて倒れた。同時に、部屋の外、畳廊下の方から竜之進の叫び声。
「みんな、気を付けろ! 変なのがいるぞ。妙な抜刀術で二人やられた! おい、灯りだ。屋敷中の灯りをつけるんだ!」
その黒い旋風と思った物体は、侍姿の賊の右脇にぴたりと寄り添った。小さいが、間違いなく人である。闇にも強く光る二つの目が黒覆面からのぞいている。
黒い何者かが再び動き出そうとしたとき、侍姿の賊が、「お嵐、退くぞ」と低く発した。彼はそのまま隣の上段之間に走り、障子戸を蹴破って庭へ。黒装束もそれに続いた。
吉之助は後を追おうとしたが、どうにも体が動かない。二人が塀を越えて逃げ去るのを呆然と見送るしかなかった。隣を見ると、赤沢も同じように立ち尽くしている。
あの黒い奴は一体?! 片方の、退けの合図が一瞬でも遅れていたら・・・。
吉之助はひとつ大きく息を吐き、冷や汗が浮き出た額を左手の甲で拭った。賊を追って玄関から外に出た竜之進たちの声が聞こえる。
「追え! 逃がすな!」
「待て! 門前に何人か潜んでるぞ」
「矢だ。射ってきたぞ。不用意に出るな! こっちも弓だ。駒木、弓を持って来い。急げ!」
吉之助たちは辛くも敵を撃退することが出来た。しかし、これはさらなる激闘の呼び水に過ぎない。間もなく、元禄十二年(一六九九年)四月二十七日の朝が来る。
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