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第38章 甲州街道関野宿
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狩野吉之助が、相棒の島田竜之進、用人・間部詮房らと共に甲斐に向けて浜屋敷を出立したのは、元禄十二年(一六九九年)四月二十日の朝であった。
一行は、昼間の八つ半(ほぼ午後三時)には甲州街道の府中宿に入った。府中は甲州街道を歩き始めた旅人が最初に泊まる宿場である。八王子まで行ける者でも旅の初日は無理をしないことが多く、府中宿は江戸期を通じて大いに栄えた。
吉之助たちは、旅籠で少し早めの夕食を摂りながら作戦会議を開いている。
「敵の襲撃があるとすれば、関野宿の前後ではないかと思います」と、間部が切り出した。
「なぜですか。相手は幕府の実力者・柳沢出羽守。八王子近辺など、天領(幕府の直轄地)を出る前の方が都合がいいのでは?」
この段階で吉之助たちは今回の敵が出羽守の川越藩であると特定していた。竜之進が襲われた後、様々な可能性を考慮して各方面に探りを入れたが、しばらく後、新見典膳が川越藩下屋敷を根城にしていることを確認したのだ。
「いや。ひと口に天領と言っても、朱引の外は関東郡代の支配下にあります。関東総奉行・伊奈家は、東照大権現からその地位を与えられた家です。出羽守様も遠慮するでしょう」
「では、なぜ関野宿なのですか。あそこも、ギリギリですが天領に入りますよ」
「確かに。しかし、関野宿の辺りは武蔵、相模、甲斐の交接地で、天領に組み込まれてから日が浅い。元の領主の影響が強く残っています。そして、その元領主とは、出羽守様に近い若年寄の稲葉大和守様です」
「なるほど」
「しかし、私が襲う立場なら、絶対に小仏峠ですよ。あそこなら小人数でも袋の鼠に出来ます」と竜之進。
「確かにな。しかし、春になって通行人も増えてる。あんな一本道で斬り合いになれば大騒動だ。それに、小仏の関は詰めいている役人の数も桁違いに多い。捕物をするならともかく、闇討ちには向かないよ」
「関所役人がグルなら?」
その疑問にも間部が明確な回答をくれた。
「心配ないでしょう。出羽守様の特徴はその慎重さにあります。公儀の権力を行使する際、法令・先例・慣例を踏み外すことはありません。一時の権勢におごって傍若無人に振る舞うような方なら、とっくに足元をすくわれています。公に出来ない活動についてはご自身の手兵しか使いません。今回も川越藩一手で来るはずです」
「分かりました。では、襲撃を受ける場所を関野宿と想定して警戒します。明日の泊りは小原、その次が関野。明日以降、間部様が出立する一時(二時間)前に先行班を出すようにします」と、吉之助が締めた。
甲府藩の一行は、間部を長として総勢十二名。甲府藩庁の業務監査のために同行する間部の部下三名を含む。従って、戦力は侍が八名。
一応、吉之助が警護隊長である。しかし、八名の内四名は番頭配下の藩士であり、身分的に同格、経歴上はむしろ先輩になる。使い辛い。従って、彼等には間部にぴったり付いてもらうことにしている。
吉之助にとって、竜之進と残りの二人が手駒と言ってよい。翌朝、吉之助は竜之進を間部の元に残し、あとの二人を率いて先行した。
「駒木、射ろ!」
吉之助の声に応じて、細身の若者が矢を放った。その矢は一瞬外れたように見えたが、駆け去る町人風の男の袖を貫き、通りに面した土産物屋の柱に縫い付けた。行き交う人々が、「お見事!」と歓声を上げる。
「何しやがる!」
その男は袖を引き千切ると懐から短刀を出し、吉之助に向かって来た。吉之助は、得物の杖(身長より少し短い木の棒)をひと振り、男を難なく取り押さえた。
すると、建ち並ぶ商家の陰から仲間らしい者たちが四、五人出てきた。
「狩野様。私が」と言うや、今度はずんぐりした中年武士がその一団に向かって駆け出した。抜刀し、キラッ、キラッと刃を閃かせると、男たちがバタバタと倒れる。これまた見事な腕だが、通りの見物人たちは、今度は歓声を上げるより震え上がってしまった。
「い、いや、峰打ちだ。皆、安心せよ。さあ、通れ。通るがよい」
中年武士が刀を鞘に納め、交通整理を始めたところで、騒ぎを聞きつけた宿場役人が駆けてきた。
「おい、何事だ。お手前方、どこの家中か。番所まで一緒に・・・」
それに対して吉之助が一歩前に出た。そして、懐から某時代劇の印籠よろしく、葵の御紋の入った手形を出して言う。
「私は、甲府中納言様家臣・狩野吉之助である。中納言様の御用で甲府に向かっている。疑念があれば、関東郡代を通して中納言様まで問い合わせてくれ」
「こ、これは失礼しました。どうかお通り下さい」
「結構。この者たちは巾着切だ。後は任せる。春となり往来が増えればこの手の者も出て来よう。お役目大義」
役人たちが小悪党どもを引っ立てて行くと、吉之助は連れの二人に顔を向け、ニヤリと笑った。
「偉そうだろ」
「い、いえ」
「こういう場合、下手に出ると話が長くなる。中納言様のお名前を出して、思いっ切り上から言ってやる方がいいのだ。そなたらも、道中何かあれば、中納言様のお名前を使っていいからな」
吉之助が連れている二人。最初に矢を放った若者は、名を駒木勇佑という。二十歳になったばかり。父親は出向で甲府藩士となっている御家人(将軍に拝謁する資格のない下級幕臣)で、彼はその三男である。
偶然、彼が浜屋敷の武具の手入れを手伝っているところを見かけ、丁寧な手付きが印象に残った。調べると弓の名手だということも知れ、吉之助が間部に推挙したのだ。
駒木は本来文官志望なのだが、それはともかく、自分自身の働き場所を与えられたことに感激している。
一方、ずんぐり体型の中年剣士は、赤沢伝吉という。毎日浜屋敷の大手門の前に立っている四十半ばの足軽である。こちらは竜之進からの紹介だ。赤沢は、竜之進も世話になっている一刀流石川道場の高弟である。
吉之助が竜之進を伴って会いに行くと、当初、彼は誘いを断った。足軽身分で出世は望めない。門番の勤めを果たし、道場に通えれば満足だ、と。しかし、翌日、申し訳なさそうな顔で訪ねてきた。せっかくの機会を棒に振るとは何事かと妻女に叱られたらしい。
吉之助と竜之進が新見典膳を追って市中の浪人のたまり場などを巡る間、この二人が駒込の川越藩下屋敷を見張っていた。典膳らしき者の存在に最初に気付いたのは赤沢の方であった。
「駒木、赤沢さん。関野宿に入ったら、今夜泊まる旅籠の周辺の確認を頼む。私は宿場の西端まで行ってみる」
「承知しました」
「その前に片付けるか、あれを」と、吉之助は右手の親指を背後に向けた。
小原宿を出て、次の与瀬宿を通過する際、通行人の懐から財布を抜き取った巾着切とその仲間を捕えた。すると、宿場を出た直後から、痩せっこけた小娘が後ろからついて来るようになった。川越藩の手先とも思えないので放置していたが、さすがに目障りだ。
「そこの茶店に入ろう。駒木、用を足すふりをして茶店の裏から出て、あれの背後に回れ」
「承知」
「子供のようだ。手荒な真似はするなよ」
「分かっています」
その娘は、駒木にあっさり捕まった。茶店で待っていた吉之助は、連れて来られた娘を見ると、みたらし団子が三本載った皿の向かいの席を指した。
「そこに座れ。お前さん、何者だ?」
「別に」
「別にって何だ? あの巾着切の仲間か」
「違うよ。まあ、手伝いはさせられていたから、仲間と言えば仲間だけどさ、好きでやってたわけじゃない。とにかく、あんたらに礼を言いたかったんだ」
「礼?」
「うん。あたい、連中に捕まってたんだ」
「どこかの家から、さらわれて来たとか、そういうことか」
「そうじゃない。売られたんだ。」
「親は?」
「いないよ。親はあたいを売った後、行方知れずさ」
「帰るところはあるのか」
「あるわけないだろ。このまま連中のねぐらに戻ったら、姐さんたちと同じで、いずれは宿場女郎にでもされちまう」
「それで、どうするつもりだ?」
しかし、そこで娘は我慢できなくなったか、目の前の団子にかぶりついた。団子の串を両手に持ち、みたらしのタレを器用に舐め上げながら夢中で食べる。
「聞いてるのか。ほら、茶を飲め。のどに詰まるぞ」
「うん、ありがとう。で、何だっけ?」
「だから、この後どうするつもりかと訊いているんだ」
「そうそう、それだよ。あたいを雇ってくれないか。あんた偉いんだろ。いつも威張り腐ってる宿場役人がペコペコしてたもの。雇ってよ。荷物運びでも何でもするからさ」
「あきれたな」
「掃除洗濯は勿論、料理も出来るよ」
そこで吉之助は、痩せた小汚い少女をもう一度見た。目だけが妙にキラキラしている。
「うむ、料理が出来るか。どうせ向こうで誰か雇うつもりだったからな。よかろう。ついて来い」
「やった。ありがとう、中納言様」
「馬鹿! 中納言様とは、私のご主君のことだ」と言った吉之助の後ろで、駒木と赤沢が堪らず吹き出した。
夕方、間部らも無事に関野宿に到着し、旅籠で合流した。
「それで連れてきたんですか。呆れたな。吉之助さんは甘過ぎますよ」と竜之進。さらに娘に目を向け、少し厳しい口調で言った。
「おい、名前は?」
「人に名前を尋ねるときはまず自分が名乗りな」
「何だと。俺は島田竜之進だ。で、お前は?」
「りん」
「おりんか。字は?」
「知らないよ。りんはりんさ」
「歳は?」
「十四」
「ほんとか」
「十二だよ。言っとくけど、あたい、夜伽はしないからね」
「お前みたいな子供、誰が。しかし、夜伽なんて言葉、どこで? 吉之助さん、本当に連れて行くんですか」
そこに入浴を済ませ、身なりを整えた間部が入ってきた。この男、旅の道中でも全く隙がない。そんな間部には吉之助も真面目に説明せざるを得ない。
「勝沼宿から我々は別行動となり、塩山から北へ、隠し金山の手掛かりを探しに行く予定です。どこかに拠点を設けることになるでしょう。そこの留守番に使うつもりです。その後は、旧知の庄屋に預けようと思っています」
「なるほど。そこまでお考えなら結構。お任せします」
翌朝、吉之助と竜之進が月代を剃る準備をしていると、おりんが鼻歌まじりでやって来た。
「ああ、よく寝た。おや、あたいがやってやろうか」
「出来るのか」
「うん。お武家の頭は剃ったことないけど、毛を剃る分には侍も町人もないだろ」
おりんは剃刀を受け取ると、二人の月代を慣れた手付きで剃り上げた。
「器用なものだ。うん、これはいい」と、竜之進が自分の頭をぽんと叩く。
すると間部が、「私もお願いします」と。その後は身分順に列ができ、おりんはさっさと剃って行く。その様子を見ながら間部が呟いた。
「これは、よい拾い物をしたようです」
「中納言様。あたいは物じゃないよ」
「いや、失礼した。しかし、私も中納言様ではありません。間違わないように」
「えっ?! じゃあ、中納言様って一体誰なんだい」
この後、一行は険しい渓谷沿いの道を進み、甲州街道を代表する名所・猿橋を通って大月宿を目指すことになる。
一行は、昼間の八つ半(ほぼ午後三時)には甲州街道の府中宿に入った。府中は甲州街道を歩き始めた旅人が最初に泊まる宿場である。八王子まで行ける者でも旅の初日は無理をしないことが多く、府中宿は江戸期を通じて大いに栄えた。
吉之助たちは、旅籠で少し早めの夕食を摂りながら作戦会議を開いている。
「敵の襲撃があるとすれば、関野宿の前後ではないかと思います」と、間部が切り出した。
「なぜですか。相手は幕府の実力者・柳沢出羽守。八王子近辺など、天領(幕府の直轄地)を出る前の方が都合がいいのでは?」
この段階で吉之助たちは今回の敵が出羽守の川越藩であると特定していた。竜之進が襲われた後、様々な可能性を考慮して各方面に探りを入れたが、しばらく後、新見典膳が川越藩下屋敷を根城にしていることを確認したのだ。
「いや。ひと口に天領と言っても、朱引の外は関東郡代の支配下にあります。関東総奉行・伊奈家は、東照大権現からその地位を与えられた家です。出羽守様も遠慮するでしょう」
「では、なぜ関野宿なのですか。あそこも、ギリギリですが天領に入りますよ」
「確かに。しかし、関野宿の辺りは武蔵、相模、甲斐の交接地で、天領に組み込まれてから日が浅い。元の領主の影響が強く残っています。そして、その元領主とは、出羽守様に近い若年寄の稲葉大和守様です」
「なるほど」
「しかし、私が襲う立場なら、絶対に小仏峠ですよ。あそこなら小人数でも袋の鼠に出来ます」と竜之進。
「確かにな。しかし、春になって通行人も増えてる。あんな一本道で斬り合いになれば大騒動だ。それに、小仏の関は詰めいている役人の数も桁違いに多い。捕物をするならともかく、闇討ちには向かないよ」
「関所役人がグルなら?」
その疑問にも間部が明確な回答をくれた。
「心配ないでしょう。出羽守様の特徴はその慎重さにあります。公儀の権力を行使する際、法令・先例・慣例を踏み外すことはありません。一時の権勢におごって傍若無人に振る舞うような方なら、とっくに足元をすくわれています。公に出来ない活動についてはご自身の手兵しか使いません。今回も川越藩一手で来るはずです」
「分かりました。では、襲撃を受ける場所を関野宿と想定して警戒します。明日の泊りは小原、その次が関野。明日以降、間部様が出立する一時(二時間)前に先行班を出すようにします」と、吉之助が締めた。
甲府藩の一行は、間部を長として総勢十二名。甲府藩庁の業務監査のために同行する間部の部下三名を含む。従って、戦力は侍が八名。
一応、吉之助が警護隊長である。しかし、八名の内四名は番頭配下の藩士であり、身分的に同格、経歴上はむしろ先輩になる。使い辛い。従って、彼等には間部にぴったり付いてもらうことにしている。
吉之助にとって、竜之進と残りの二人が手駒と言ってよい。翌朝、吉之助は竜之進を間部の元に残し、あとの二人を率いて先行した。
「駒木、射ろ!」
吉之助の声に応じて、細身の若者が矢を放った。その矢は一瞬外れたように見えたが、駆け去る町人風の男の袖を貫き、通りに面した土産物屋の柱に縫い付けた。行き交う人々が、「お見事!」と歓声を上げる。
「何しやがる!」
その男は袖を引き千切ると懐から短刀を出し、吉之助に向かって来た。吉之助は、得物の杖(身長より少し短い木の棒)をひと振り、男を難なく取り押さえた。
すると、建ち並ぶ商家の陰から仲間らしい者たちが四、五人出てきた。
「狩野様。私が」と言うや、今度はずんぐりした中年武士がその一団に向かって駆け出した。抜刀し、キラッ、キラッと刃を閃かせると、男たちがバタバタと倒れる。これまた見事な腕だが、通りの見物人たちは、今度は歓声を上げるより震え上がってしまった。
「い、いや、峰打ちだ。皆、安心せよ。さあ、通れ。通るがよい」
中年武士が刀を鞘に納め、交通整理を始めたところで、騒ぎを聞きつけた宿場役人が駆けてきた。
「おい、何事だ。お手前方、どこの家中か。番所まで一緒に・・・」
それに対して吉之助が一歩前に出た。そして、懐から某時代劇の印籠よろしく、葵の御紋の入った手形を出して言う。
「私は、甲府中納言様家臣・狩野吉之助である。中納言様の御用で甲府に向かっている。疑念があれば、関東郡代を通して中納言様まで問い合わせてくれ」
「こ、これは失礼しました。どうかお通り下さい」
「結構。この者たちは巾着切だ。後は任せる。春となり往来が増えればこの手の者も出て来よう。お役目大義」
役人たちが小悪党どもを引っ立てて行くと、吉之助は連れの二人に顔を向け、ニヤリと笑った。
「偉そうだろ」
「い、いえ」
「こういう場合、下手に出ると話が長くなる。中納言様のお名前を出して、思いっ切り上から言ってやる方がいいのだ。そなたらも、道中何かあれば、中納言様のお名前を使っていいからな」
吉之助が連れている二人。最初に矢を放った若者は、名を駒木勇佑という。二十歳になったばかり。父親は出向で甲府藩士となっている御家人(将軍に拝謁する資格のない下級幕臣)で、彼はその三男である。
偶然、彼が浜屋敷の武具の手入れを手伝っているところを見かけ、丁寧な手付きが印象に残った。調べると弓の名手だということも知れ、吉之助が間部に推挙したのだ。
駒木は本来文官志望なのだが、それはともかく、自分自身の働き場所を与えられたことに感激している。
一方、ずんぐり体型の中年剣士は、赤沢伝吉という。毎日浜屋敷の大手門の前に立っている四十半ばの足軽である。こちらは竜之進からの紹介だ。赤沢は、竜之進も世話になっている一刀流石川道場の高弟である。
吉之助が竜之進を伴って会いに行くと、当初、彼は誘いを断った。足軽身分で出世は望めない。門番の勤めを果たし、道場に通えれば満足だ、と。しかし、翌日、申し訳なさそうな顔で訪ねてきた。せっかくの機会を棒に振るとは何事かと妻女に叱られたらしい。
吉之助と竜之進が新見典膳を追って市中の浪人のたまり場などを巡る間、この二人が駒込の川越藩下屋敷を見張っていた。典膳らしき者の存在に最初に気付いたのは赤沢の方であった。
「駒木、赤沢さん。関野宿に入ったら、今夜泊まる旅籠の周辺の確認を頼む。私は宿場の西端まで行ってみる」
「承知しました」
「その前に片付けるか、あれを」と、吉之助は右手の親指を背後に向けた。
小原宿を出て、次の与瀬宿を通過する際、通行人の懐から財布を抜き取った巾着切とその仲間を捕えた。すると、宿場を出た直後から、痩せっこけた小娘が後ろからついて来るようになった。川越藩の手先とも思えないので放置していたが、さすがに目障りだ。
「そこの茶店に入ろう。駒木、用を足すふりをして茶店の裏から出て、あれの背後に回れ」
「承知」
「子供のようだ。手荒な真似はするなよ」
「分かっています」
その娘は、駒木にあっさり捕まった。茶店で待っていた吉之助は、連れて来られた娘を見ると、みたらし団子が三本載った皿の向かいの席を指した。
「そこに座れ。お前さん、何者だ?」
「別に」
「別にって何だ? あの巾着切の仲間か」
「違うよ。まあ、手伝いはさせられていたから、仲間と言えば仲間だけどさ、好きでやってたわけじゃない。とにかく、あんたらに礼を言いたかったんだ」
「礼?」
「うん。あたい、連中に捕まってたんだ」
「どこかの家から、さらわれて来たとか、そういうことか」
「そうじゃない。売られたんだ。」
「親は?」
「いないよ。親はあたいを売った後、行方知れずさ」
「帰るところはあるのか」
「あるわけないだろ。このまま連中のねぐらに戻ったら、姐さんたちと同じで、いずれは宿場女郎にでもされちまう」
「それで、どうするつもりだ?」
しかし、そこで娘は我慢できなくなったか、目の前の団子にかぶりついた。団子の串を両手に持ち、みたらしのタレを器用に舐め上げながら夢中で食べる。
「聞いてるのか。ほら、茶を飲め。のどに詰まるぞ」
「うん、ありがとう。で、何だっけ?」
「だから、この後どうするつもりかと訊いているんだ」
「そうそう、それだよ。あたいを雇ってくれないか。あんた偉いんだろ。いつも威張り腐ってる宿場役人がペコペコしてたもの。雇ってよ。荷物運びでも何でもするからさ」
「あきれたな」
「掃除洗濯は勿論、料理も出来るよ」
そこで吉之助は、痩せた小汚い少女をもう一度見た。目だけが妙にキラキラしている。
「うむ、料理が出来るか。どうせ向こうで誰か雇うつもりだったからな。よかろう。ついて来い」
「やった。ありがとう、中納言様」
「馬鹿! 中納言様とは、私のご主君のことだ」と言った吉之助の後ろで、駒木と赤沢が堪らず吹き出した。
夕方、間部らも無事に関野宿に到着し、旅籠で合流した。
「それで連れてきたんですか。呆れたな。吉之助さんは甘過ぎますよ」と竜之進。さらに娘に目を向け、少し厳しい口調で言った。
「おい、名前は?」
「人に名前を尋ねるときはまず自分が名乗りな」
「何だと。俺は島田竜之進だ。で、お前は?」
「りん」
「おりんか。字は?」
「知らないよ。りんはりんさ」
「歳は?」
「十四」
「ほんとか」
「十二だよ。言っとくけど、あたい、夜伽はしないからね」
「お前みたいな子供、誰が。しかし、夜伽なんて言葉、どこで? 吉之助さん、本当に連れて行くんですか」
そこに入浴を済ませ、身なりを整えた間部が入ってきた。この男、旅の道中でも全く隙がない。そんな間部には吉之助も真面目に説明せざるを得ない。
「勝沼宿から我々は別行動となり、塩山から北へ、隠し金山の手掛かりを探しに行く予定です。どこかに拠点を設けることになるでしょう。そこの留守番に使うつもりです。その後は、旧知の庄屋に預けようと思っています」
「なるほど。そこまでお考えなら結構。お任せします」
翌朝、吉之助と竜之進が月代を剃る準備をしていると、おりんが鼻歌まじりでやって来た。
「ああ、よく寝た。おや、あたいがやってやろうか」
「出来るのか」
「うん。お武家の頭は剃ったことないけど、毛を剃る分には侍も町人もないだろ」
おりんは剃刀を受け取ると、二人の月代を慣れた手付きで剃り上げた。
「器用なものだ。うん、これはいい」と、竜之進が自分の頭をぽんと叩く。
すると間部が、「私もお願いします」と。その後は身分順に列ができ、おりんはさっさと剃って行く。その様子を見ながら間部が呟いた。
「これは、よい拾い物をしたようです」
「中納言様。あたいは物じゃないよ」
「いや、失礼した。しかし、私も中納言様ではありません。間違わないように」
「えっ?! じゃあ、中納言様って一体誰なんだい」
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