狩野岑信 元禄二刀流絵巻

仁獅寺永雪

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第26章 鶴来る

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 津山藩の改易騒ぎから半月ほど経った。十月中旬、もはや秋と言っていい。余所行きの紋付を着た狩野吉之助が浜屋敷の通用門をくぐる。そして、真っ直ぐ間部の御用部屋へ。

「ただいま戻りました」
「ご苦労様でした。それで、水戸藩は何と?」
「はい。あちらの用人・水沼様と面会し、お話を伺ってきました。やはり、内藤家のご隠居様が御老公に書状を送って下さったようです」
「では、御老公が出府を?」

「いえ。御老公には八月下旬に夏風邪をお召しになり、以来、ご体調が優れぬよし。御老公ご自身の参加は無理なようです」
「そうですか」
 間部は表情こそ変えないが、心中落胆しているに違いない。吉之助は、彼を励ますように後を続けた。
「その代わり、御老公から書状にてお指図があった、とのことです」
「なんと?! それで、そのお指図の中身については明かしていただけたのですか」

「はい。江戸家老・土田頼母様をご当主・綱條様のご名代として、鶴御成に列席させるように、とのことです」

「そうですか。それはありがたい」
「よろしいのですか、名代で妥協してしまって。御老公はともかく、水戸様のご列席について重ねてお願いするべきではないでしょうか」
「いや、深追いは藪蛇になる恐れが。ご名代で十分、ええ、十分です。ともかく、これで形になります」

 間部がそう言うならそうなのだろう。そうなると、残る問題は、鷹狩そのものである。

 ところで、甲府藩は二十五万石だが、本拠の甲斐(山梨県)には十五万石しかない。残りは飛び地で、武蔵(東京都、埼玉県及び神奈川県の一部)、駿河(静岡県)、近江(滋賀県)などに数万石ずつあった。

 そして、武蔵の領地・羽生は、甲府藩主専用の御狩場になっていた。江戸周辺で鷹狩の出来る狩場を持つのは、将軍家と御三家を含め数家しかない。分かりやすい特権と言える。

 しかし、病的に殺生を嫌う将軍綱吉によって鷹狩が禁止されて久しい。綱豊にしても十年やってない。しかも、その十年前のたった一度の経験も物見遊山に毛の生えた程度のものであったから、ほぼ初心者と言っていい。


 水戸藩主の名代が鶴御成に参列すると決まった数日後、甲府藩主・松平綱豊は家臣を連れて羽生に赴き、事前訓練としての鷹狩を行った。

 当然の如く、結果は惨憺たるものであった。

 綱豊は顔を背け、鷹匠から恐々自身の腕に鷹を移してもらい、獲物に向けて放とうとしても、思うように飛び立たない。ようやく飛んだと思ったら、鷹は明後日の方向に飛び去り、網豊の腕には二度と帰って来なかった。

 側近一同が大きなため息を吐く。吉之助もその中にいた。以後、竜之進と共に浜屋敷で訓練に励む綱豊の介添えを務めながら過ごす。

 そして、江戸湾から吹き込む風がいよいよ冷たくなってきた十一月下旬、将軍家の三河島御狩場を管理する伊賀同心から連絡が届いた。今年最初の鶴が飛来した、と。

 その三日後、浜御殿の御成書院において、用人・間部詮房が主君に報告する。
「昨日、幕閣と協議した結果、鶴御成の実施は、大安吉日、師走の五日と決まりました」
「そうか。決まったか」と、綱豊が大きく頷く。

 間部は、決意みなぎる顔の綱豊に軽く会釈すると、体を吉之助ら家臣たちに向けた。
「そして、その三日前、師走二日に甲府藩のみにて予行を実施します。当日の動きを確認するため、各々の役目に従い動いていただきます」
「承知しました」

「詮房。予も参加するぞ」
「殿、本番前にお風邪でも召しては・・・」
「何を言う。鷹を連れて現地を見ておかねばなるまい。厳有院様(四代将軍・徳川家綱)は、ご病弱であられたため、実際に鷹を放ったのは叔父の会津侯(三代家光の異母弟・保科正之)であったと聞く。さぞご無念であったろう。それに引き換え、予は健康そのものだ。予は、自らの拳から放った鷹で鶴を仕留めたい。いや、必ず仕留める。でなければ、このひと月余りの苦労は何だったのか。まったくの無駄ではないか」

 綱豊は、決してわがままな主ではないが、ここぞという時は頑固になる。それを十分わきまえている間部は、無駄な抗弁はしない。
「かしこまりました。では、殿にもご参加いただく方向で準備させていただきます」

 上野の北に位置する三河島の御狩場は、将軍家専用の狩場である。現代で言うと、日暮里駅、三河島駅及び三ノ輪駅を囲む一帯で、当時は広大な湿地であった。その様子は、江戸後期、歌川広重が名所江戸百景に描いている。

 予行の日、甲府藩一行が三河島御狩場の南側に到着したのは、昼九つ(ほぼ正午)のことであった。
「おお、見ろ。鶴じゃ、鶴がおる」と、網豊が声を上げる。
「驚いたな。こんなにいるものですか」と竜之進。

 湿地では、すでに数十羽の丹頂鶴が羽を休めていた。さらに、澄んだ冬の青空を背景に真っ白な翼を広げ、次々と舞い降りて来る。見事な光景だ。

 すると、行列の最後尾にいた鷹匠の頭が、綱豊の横に駆け寄り、遠慮がちに言った。
「殿、この辺りで下馬していただけませんか。当日まで、鶴に警戒心を持たせたくありません」
「おお、そうか。分かった」

 馬から下り近習に手綱を預けた綱豊が吉之助を手招きした。
「帰ったら、この景色を画に描け。お照に見せてやりたい。今日も一緒に来たいとせがまれたが、鷹狩は遊びではない。軍事教練の場でもあると言って許さなかったからな。後が怖い」
「かしこまりました」
 吉之助は、主君を守るため警戒の目を周囲に配っていたが、景色を写し取る絵師の目に切り替え、湿地の方を改めて見た。その時、つがいと思われる二羽の鶴が、呼吸を揃えてさっと着地してきた。

 一行が本陣を置く予定地に着くと、間部は、綱豊に対して一礼した後、全員を整列させた。
「これより、ご主君の命により、鶴御成の予行を開始します。私は、あちらで儀式の段取りや諸侯の接遇要領を確認いたします。皆様には、鷹狩の方をお願いします。一時(二時間)でこの場所に戻るように。鳴海様、殿のご身辺、くれぐれもお気を付け下さい」
「承知した」

 この日の警護隊長は、番頭・鳴海帯刀である。彼の指揮する十五名が、綱豊を遠巻きにして曲者の接近を阻むことになっている。
 鷹狩の実施部隊は八名。鷹匠頭とその弟子が先行し、近習頭、綱豊、近習二名と続く。そして、最後尾に身辺警護が二名付く。この二名が吉之助と竜之進だ。

 網豊は、鶴御成当日は正式な狩装束となるが、今日は野袴に羽織、頭には菅笠という略式の格好である。吉之助をはじめ武士階級のお供は、さらに動きやすい裁付袴に揃いの無地の羽織姿。

 鷹匠頭の指導の下、一行は、鶴を驚かさないように姿勢を低くし、当日、鷹を放つ位置などを確認しながら湿地の外縁を移動して行く。約半時(一時間)後、一行は湿地帯の西側に来た。

 読みが当たったな。天祐とはこのことか。

 鷹匠頭が振り返って綱豊に言った。
「殿。当日の風向きにもよりますが、ここが鷹を放つ適地と思われます」

 その時、湿地のあぜの側面に身を横たえ、半ば泥に埋まりながら半弓に矢をつがえる男がいた。彼は網豊の背に狙いを定める。思いが声になって出た。
「呪われし血を継ぐ似非君子・松平綱豊、いや、新見左近。ここで死ね!」
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