狩野岑信 元禄二刀流絵巻

仁獅寺永雪

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第11章 謀反人の子

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 吉之助が体を廊下の方に向けると、ちょうど一人の男がやってきた。先程試合をした若者である。
「ああ、来ましたか。島田殿、こちらへ」
 間部に言われて、その若者は吉之助の横に腰を下ろした。その際、軽く会釈してくれたので、吉之助も自然に返した。

 やはり二十代半ばくらいだろう。少し皺になっているが、さっぱりした無地の小袖に縞柄の袴。中肉中背、間部ほどではないが、なかなかの男前だ。

「狩野殿。こちらは島田殿です。今後、同役として、殿の御ため、共に働いてもらうことになります。覚えておいて下さい」
「そうでしたか。狩野吉之助です。よろしくお願いします」
「島田竜之進です。こちらこそ、よろしく頼みます」

 そこで隣室から声がした。
「御用人様、よろしいですか。帳簿の確認を・・・」
 間部は部下を目で制し、その上で前に座る二人に対して事務的に告げた。
「では、本日はこれにて。明日以降、私の使いなどを務めてもらいます。まずは江戸の町に慣れて下さい。本格的な仕事はその後です」

 吉之助は、島田竜之進と名乗った若侍と並んで、御長屋への廊下を歩いていた。黙っているのも気まずい。

 話題、話題。やはり、さっきの試合のことだろう。

「ところで、島田殿は、かなりの腕前と拝察しましたが、剣術の修行はどちらで?」
「身延の剣術道場です」
「身延? すると、島田殿も甲斐から?」
「はい」
「こちらにはいつ?」
「昨日です」
「そうでしたか」

「私は、狩野さんにお礼を言わねばなりません」
「はて、どういうことですか」
「私は、狩野さんの付録なんです。あなたと組ませるのに他に適当な人物がいなかったから、私が呼ばれた。そういうことです」
「それは謙遜が過ぎる。まさか、間部様が、そうおっしゃったのですか」
「いえ、そうではありません。でも、そうなのですよ」

 二人は、浜屋敷の西側を守る御長屋の一番奥まで来た。
「へえ、ここは扉なんだ。ぐるりと回って来たけど、鍵を開けてここを通れば、奥に一番に駆け付けられるのか。やはり、狩野さんは期待されていますよ」
「あなたも同じでしょう」
「いや、私は。狩野さんは今日着いたばかりでしょ。お疲れだろうから、話はまた明日にでも」
「そうですね。おっと。島田殿、待って下さい。志乃、戻った。ちょっと来てくれ」

 掃除中だったようで、志乃が雑巾を手に持ったまま出てきた。
「こちら、同役となる島田殿だ。お向かいにもなるから、ご挨拶を」
「あら。狩野の家内の志乃と申します。よろしくお願いいたします」
「島田竜之進です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 志乃は、島田を上から下までさっと見て、「島田様はお独りですか」と言った。
「ははは、分かりますか」と、島田は少し皺の寄った小袖を手でさする。
「よろしければ、お夕飯、ご一緒に如何ですか。お掃除もひと段落して、これから用意するところなのです。もっとも、お握りとお味噌汁だけですけど」
「それは助かります」と、島田が初めて若者らしい明るい声を出した。

 吉之助が塩山から背負ってきた大きな木箱。絵筆などが入った道具箱である。それを長火鉢の横に置いて膳代わりにした。島田は、よほど空腹だったようで、大き目の塩むすびを三つ、ぺろりと平らげた。
「いや、本当です。私は、狩野さんの付録に過ぎないんです」
「そんな。島田様はお若いし、期待されているのですよ」
 そう言ってお茶を入れ直す志乃と目が合い、吉之助も頷く。

「ありがとうございます。しかし、普通なら、私が官途に就く機会は、これからも無かったでしょう」
「なぜですか」
「なぜって。私は、謀反人の子なのです」

 島田の唐突な告白に志乃の表情が固まる。吉之助は腕を組んだまま表情を消した。
「私の父は、殿の元側近の島田時之です」
「では、あの・・・」
「はい。父は、殿を、網豊様を不義の子であると公儀に讒訴した二人の片割れです」
「そうでしたか。確か、殿のご恩情により罪一等を減じられたと聞きましたが」
「はい。死罪は免れましたが、父は改易の上、身延山麓の村で無期限の謹慎となりました」

「改易か。島田家は家老まで務めた名門、それが役職や家禄はもちろん、武士の身分そのものを失うとなれば、死罪より厳しいな」
「では、島田様もやはり、お殿様のことをお恨みで?」
「お、おい、志乃、何を。失礼だぞ」

 吉之助の慌てぶりとは逆に、志乃はむしろ島田を真正面から見据えて、言葉を続けた。
「この先、ご同役としてお殿様のために働くのでしょう。それなら、はっきりさせておかないと。島田様もご自身からお話し下さったのは、そうお思いになったからではございませんか」

 島田は、志乃の言葉にむしろ救われたかのように、少し表情を緩めた。
「はい。私は決して殿を恨んでおりません。その材料もありません。私は江戸生まれですが、生まれてすぐあの事件が。ですから、私には江戸の記憶がないのです。そして、身延での暮らしは穏やかなものでした。自然豊かで人も優しく、父と母も仲がよかった」
「ご両親は?」
「父は私が十五のときに、母もその三年後に」
「そうでしたか」

「父は、内心は知りませんが、最後の最後まで、恨みがましいことを申しておりませんでした。母も同じです」
「恨み言など漏らして、若い島田様に変な思いが引き継がれることをお厭いになったのでしょう。ご両親のお心遣いですよ。それに違いありません」と志乃。

「そうかもしれません。そして今回、殿は島田家を士分に戻し、私に機会を下さいました。私は私として、そのご恩に報いたい。そう思っています」
「ご立派です!」と言って、志乃が、パンとひとつ膝を打った。
「恐れ入ります」

 ひと区切りついたところで、志乃が話題を換える。
「ところで、お殿様はどんな御方でしたか。将軍様の甥御様ですもの、さぞご立派な御方なのでしょうね」
「さあ」
「さあって。お二人とも、お会いになったんですよね」と、志乃がまず島田を見た。

「い、いや。私は、試合の後、すぐに下がってしまいましたから。庭からでは、お顔どころかお召し物すら分かりません」
「あなたは? お部屋に上がって御目通りしたのでしょう?」
「まあな。しかし、ずっと平伏していたからなぁ。二、三度顔を上げる機会はあったが、それは殿に私の顔を見ていただくためで、こちらの目線は畳の上だ。どんなお顔だったか、正直、分からん」
「頼りないこと。大丈夫ですか」
「失礼な。我らの殿は、それだけ尊い御方、ということだ。それより、お茶をもう一杯頼むよ」

 長屋と雖も武士の住まいであるから、一応、簡単な床の間がある。掃除を済ませ、志乃がすでに一幅掛けていた。
「あれは、甲斐から見た富士ではありませんか」と島田。
「ええ、塩山からの富士です」
「見事な画ですね。どなたの筆ですか」
「いや。恥ずかしながら、私が描いたものです」

「えっ?! もしかして、狩野さんの狩野って、あの狩野ですか」
「ははは。それ、さっきも言われたな。島田殿に色々あったように、私にも色々あったわけです。そちらが話してくれた以上、こちらも話しておくべきでしょうね」

 吉之助は、かつて西田春之丞に話した通り、自分の身の上について島田にも語り聞かせた。
「・・・というわけです。島田殿、改めて、よろしく頼みます」
「狩野さん。こちらこそ、です」

「お二人とも硬いですね。もっと打ち解けないと、お役に障りますよ。いっそ兄弟分ということにして、下の名前で呼びましょう。あなたが年長ですから、島田様は、あなたのことを吉之助さん。あなたは、島田様のことを、竜之進だから、そう、竜さんにしましょう」
「おいおい。会ったばかりでそんな」
「私は構いませんよ」

「はい、決まり! 吉之助さんと竜さん、お二人とも、しっかり励んで下さいませ。ところで、お禄はどうなるのかしら? 御用人様ともお話したのでしょう。何と?」

「さあ」と、またしても男二人の声が被った。
「一番肝心なところではありませんか。ほんと、しっかりして下さいませ!」
 吉之助と竜之進は、顔を見合わせて苦笑する。この後、様々な難局に共に立ち向かう二人の、これが出会いであった。
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