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第8章 十六年ぶりの江戸
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元禄九年(一六九六年)十二月十五日、かの大事件が起きる六年前のこと。早朝に甲州街道の府中宿を発った狩野吉之助・志乃の夫婦は、昼過ぎに江戸に着いた。
吉之助が江戸藩邸への出頭命令を受領したのは約二ヶ月前。後任はあっと言う間に決まった。それでも、吉之助としては、しっかり引継ぎをし、せめて翌年の長雨対策に目途をつけてから動きたいと思っていた。
しかし、十二月に入ると、なんと、甲府の藩庁から山奉行が直々やって来た。そして、早々に移動せよ、と催促されてしまった。
日頃、何事につけ腰の重い藩庁の迅速な対応に少々面喰いつつ、吉之助は志乃を連れて甲斐を出たのである。
府中宿を出て内藤新宿を過ぎれば、もはや江戸の町である。
先が見えぬほど長大な白壁に囲まれた大名屋敷、軒を連ねる立派な商家、何より、行き交う人の多いこと。さらに、江戸の町は、煤払いも済ませ、完全に年末モードだ。一層忙しない。甲府以上の賑わいを知らない志乃は、少し怯えるような顔になっていた。
甲州街道の終点(江戸から出る場合は起点)は、言うまでもなく、日本橋である。
江戸の象徴とも言えるその橋が見えてきたところで、志乃が前方を指さした。
「あなた、ほら、あそこ。凄い人が。何かあったのでしょうか、あんなに集まって」
「あれは、高札を見ているのだろう。新しい御触れ(法令)でも出たのかな」
橋のたもとには何本も高札が立っており、人々は、その内の一番新しい一本を見上げていた。それは御触れではなく、町奉行が下した裁き(判決)であった。
左官職人・幸吉 死罪
右の者、一切の生類に仁愛をもって接すべしとの上の思し召しも弁えず、路上で休みたる御犬を邪魔とし、これに投石、殺害したる段、残忍非道、不届き至極に付き、死罪を申し付ける。
町名主・大和屋善兵衛 遠島
右の者、幸吉の狼藉を知りながら、番所への通報を怠り、さらに御犬の亡骸を隠匿せんと工作したる段、上を蔑ろに致し重々不届きに付き、役儀取り上げ、家産没収の上、遠島を申し付ける。
志乃が驚いて目を瞠る。
「話には聞いていましたけど、江戸では本当に、犬を殺して人が死罪になるのですね。こんなことって・・・」
この時、江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世は十六年目に入っていた。そして、天下の悪法として名高い生類憐れみの令の初施行から九年が経っている。
吉之助が、黙って志乃の袖を引く。奉行所の同心とその手下とおぼしき者たちが群衆を遠巻きに見ていることに気付いたからだ。
不在の十数年間で江戸の経済は飛躍的に成長したようである。ただ、人々の表情にはいまひとつ明るさがない。吉之助は、そのことが気になった。
「とにかく、藩邸に向かおう」
「はい」
夫婦は、四半時(三十分)後、日本橋からさらに南に半里(約二キロメートル)行った目的地に至った。
甲府藩の藩邸は、江戸湾に面した立地から、「甲府浜屋敷」と呼ばれている。
夫婦は、その正面に架かる立派な石橋を渡る。ちょうど大手門が開いていた。太鼓状の橋の中ほどまで来ると奥まで見通せた。すると、江戸に入ってから不安そうにしていた志乃が表情を一転させ、歓声を上げた。
「あ、あ、あなた、あれ。ご覧になって。御殿が湖面に浮かんでいますよ。何て素敵なんでしょう!」
「志乃、落ち着きなさい。そう見えるかもしれんが、別に建物が水に浮いてるわけじゃない。あくまで人口の池だよ。奥は築地の運河。そして、その先は江戸湾、つまり、海だ」
「まあ、あれが海?!」
「そうか。志乃は甲斐の生まれだから、海を見るのは初めてか」
「はい。えっ、では、この先には大明国やお釈迦様のいらっしゃる西方浄土が?」
「明国はとっくに滅んでいるし、西方浄土もちょっと違うと思うが、まあ、そういうことだ」
ずんぐりした中年の門番に声を掛けると、すぐに脇の通用口から入れてくれた。玄関で名乗り、しばらく待つ。すると、いかにも大藩の重役という風采の紳士が出てきた。
「元塩山地区山廻与力・狩野吉之助です。藩命により出頭いたしました」
「おお、やっと来たか。遠路ご苦労。わしは、家老職を務める安藤だ」
「えっ、ご、ご家老様? そのようなお偉い方に直々にお出迎えいただくなど、恐れ多いことでございます」
志乃はその場に膝を付こうとしたが、安藤は、「ああ、よいよい。着物が汚れる」と止めた。
甲府藩の江戸家老は、名を安藤美作という。働き盛りの四十七歳。吉之助は、大きな背負子に巻いた掛け軸を何本も括りつけている。見ようによっては針鼠のようだ。しかし、安藤は、それについては何も言わず、吉之助が右手に持つ赤樫の杖に目を向けた。
「おお、それか。よしよし、持っているな」
「は?」
「いや、何でもない。ついて来なさい」
安藤は、吉之助と志乃を従えてどんどん廊下を進んで行く。
「この先が御長屋だ。こちらの西側の棟には、藩士とその家族、二十組ほどが暮らしておる。仲良くやってくれ」
「こ、これが長屋ですか。ご立派なこと」と、志乃が目を丸くする。
「ははは。外側は御殿に合わせて立派な造りだが、中は至って普通の侍長屋じゃ」
一番奥の部屋の前まで来た。
「ここだな。今日からここがそなたらの家となる」
「お心配り、ありがとう存じます。ご家老様に案内していただくなど、恐れ多いことでございます」と、志乃はまだ恐縮している。
「御新造、遠慮無用じゃ。当家では、政治向きのことは用人の間部を中心にやっておって、わしは家老と言っても、藩士の世話係のようなものだ。何かあれば、遠慮なく言ってくれ」
志乃は素直な性質なので、言われれば、そうなのかと思ってしまう。
「では、どこかよい道具屋をご存知ありませんか。必要な物を揃えないとお夕飯の支度も出来ませんので」
江戸時代の引っ越しでは、余程の貴重品を除き、家具や布団、細々した日用品まで近くの道具屋で売り払い、身軽になって移動した。そして、転居先の道具屋でまた買い直すのが普通であった。
「志乃、そんなことは後で・・・」と、吉之助が慌てて止める。
「ははは。よいよい。火鉢は中にあるはずだ。他の物は、すぐ近くに築地本願寺の門前町がある。あそこに行けば何でも揃うだろう。ただ、その前に裏の倉庫を見てみなさい。前に暮らしていた連中が使っていた物が色々あると思うぞ」
「重ね重ね、恐れ入ります」
「よいよい。あとは、江戸の暮らしで一番怖いのは火事だな。御新造、火の用心だけは、しっかり頼むぞ」
「かしこまりました」
「では、狩野。八つ(ほぼ午後二時)の鐘が鳴ったら、わしの部屋まで来てくれ」
「承知しました」
すると、志乃が軽く咳払いして目配せしてきた。
「おっと、そうだな。安藤様、その際、装束はどのようにすればよろしいでしょうか」
「おお、よく聞いてくれた。忘れるところであった。実はな、殿が、そなたの腕を見たいと仰せじゃ。動きやすい格好でよい。今のままでもよいぞ。そなたの得物は、その木の棒と聞いているが、相違ないか」
「はい」
「では、それをな。いや、待てよ。場合によっては、殿からお言葉を賜るかもしれんな。一応、紋付だけは持って行くか」
「承知しました」
安藤が去ると、志乃が心配そうに尋ねてきた。
「腕をご覧になりたいって、もし、お殿様のお気に召さなかったらどうなるのでしょうか」
「さあな。明朝、甲斐に逆戻りかもしれんぞ」
「それは困ります! 村の皆さんからお餞別をいただいてしまいましたもの。あなた、しっかり頑張って下さいませ」
吉之助が江戸藩邸への出頭命令を受領したのは約二ヶ月前。後任はあっと言う間に決まった。それでも、吉之助としては、しっかり引継ぎをし、せめて翌年の長雨対策に目途をつけてから動きたいと思っていた。
しかし、十二月に入ると、なんと、甲府の藩庁から山奉行が直々やって来た。そして、早々に移動せよ、と催促されてしまった。
日頃、何事につけ腰の重い藩庁の迅速な対応に少々面喰いつつ、吉之助は志乃を連れて甲斐を出たのである。
府中宿を出て内藤新宿を過ぎれば、もはや江戸の町である。
先が見えぬほど長大な白壁に囲まれた大名屋敷、軒を連ねる立派な商家、何より、行き交う人の多いこと。さらに、江戸の町は、煤払いも済ませ、完全に年末モードだ。一層忙しない。甲府以上の賑わいを知らない志乃は、少し怯えるような顔になっていた。
甲州街道の終点(江戸から出る場合は起点)は、言うまでもなく、日本橋である。
江戸の象徴とも言えるその橋が見えてきたところで、志乃が前方を指さした。
「あなた、ほら、あそこ。凄い人が。何かあったのでしょうか、あんなに集まって」
「あれは、高札を見ているのだろう。新しい御触れ(法令)でも出たのかな」
橋のたもとには何本も高札が立っており、人々は、その内の一番新しい一本を見上げていた。それは御触れではなく、町奉行が下した裁き(判決)であった。
左官職人・幸吉 死罪
右の者、一切の生類に仁愛をもって接すべしとの上の思し召しも弁えず、路上で休みたる御犬を邪魔とし、これに投石、殺害したる段、残忍非道、不届き至極に付き、死罪を申し付ける。
町名主・大和屋善兵衛 遠島
右の者、幸吉の狼藉を知りながら、番所への通報を怠り、さらに御犬の亡骸を隠匿せんと工作したる段、上を蔑ろに致し重々不届きに付き、役儀取り上げ、家産没収の上、遠島を申し付ける。
志乃が驚いて目を瞠る。
「話には聞いていましたけど、江戸では本当に、犬を殺して人が死罪になるのですね。こんなことって・・・」
この時、江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世は十六年目に入っていた。そして、天下の悪法として名高い生類憐れみの令の初施行から九年が経っている。
吉之助が、黙って志乃の袖を引く。奉行所の同心とその手下とおぼしき者たちが群衆を遠巻きに見ていることに気付いたからだ。
不在の十数年間で江戸の経済は飛躍的に成長したようである。ただ、人々の表情にはいまひとつ明るさがない。吉之助は、そのことが気になった。
「とにかく、藩邸に向かおう」
「はい」
夫婦は、四半時(三十分)後、日本橋からさらに南に半里(約二キロメートル)行った目的地に至った。
甲府藩の藩邸は、江戸湾に面した立地から、「甲府浜屋敷」と呼ばれている。
夫婦は、その正面に架かる立派な石橋を渡る。ちょうど大手門が開いていた。太鼓状の橋の中ほどまで来ると奥まで見通せた。すると、江戸に入ってから不安そうにしていた志乃が表情を一転させ、歓声を上げた。
「あ、あ、あなた、あれ。ご覧になって。御殿が湖面に浮かんでいますよ。何て素敵なんでしょう!」
「志乃、落ち着きなさい。そう見えるかもしれんが、別に建物が水に浮いてるわけじゃない。あくまで人口の池だよ。奥は築地の運河。そして、その先は江戸湾、つまり、海だ」
「まあ、あれが海?!」
「そうか。志乃は甲斐の生まれだから、海を見るのは初めてか」
「はい。えっ、では、この先には大明国やお釈迦様のいらっしゃる西方浄土が?」
「明国はとっくに滅んでいるし、西方浄土もちょっと違うと思うが、まあ、そういうことだ」
ずんぐりした中年の門番に声を掛けると、すぐに脇の通用口から入れてくれた。玄関で名乗り、しばらく待つ。すると、いかにも大藩の重役という風采の紳士が出てきた。
「元塩山地区山廻与力・狩野吉之助です。藩命により出頭いたしました」
「おお、やっと来たか。遠路ご苦労。わしは、家老職を務める安藤だ」
「えっ、ご、ご家老様? そのようなお偉い方に直々にお出迎えいただくなど、恐れ多いことでございます」
志乃はその場に膝を付こうとしたが、安藤は、「ああ、よいよい。着物が汚れる」と止めた。
甲府藩の江戸家老は、名を安藤美作という。働き盛りの四十七歳。吉之助は、大きな背負子に巻いた掛け軸を何本も括りつけている。見ようによっては針鼠のようだ。しかし、安藤は、それについては何も言わず、吉之助が右手に持つ赤樫の杖に目を向けた。
「おお、それか。よしよし、持っているな」
「は?」
「いや、何でもない。ついて来なさい」
安藤は、吉之助と志乃を従えてどんどん廊下を進んで行く。
「この先が御長屋だ。こちらの西側の棟には、藩士とその家族、二十組ほどが暮らしておる。仲良くやってくれ」
「こ、これが長屋ですか。ご立派なこと」と、志乃が目を丸くする。
「ははは。外側は御殿に合わせて立派な造りだが、中は至って普通の侍長屋じゃ」
一番奥の部屋の前まで来た。
「ここだな。今日からここがそなたらの家となる」
「お心配り、ありがとう存じます。ご家老様に案内していただくなど、恐れ多いことでございます」と、志乃はまだ恐縮している。
「御新造、遠慮無用じゃ。当家では、政治向きのことは用人の間部を中心にやっておって、わしは家老と言っても、藩士の世話係のようなものだ。何かあれば、遠慮なく言ってくれ」
志乃は素直な性質なので、言われれば、そうなのかと思ってしまう。
「では、どこかよい道具屋をご存知ありませんか。必要な物を揃えないとお夕飯の支度も出来ませんので」
江戸時代の引っ越しでは、余程の貴重品を除き、家具や布団、細々した日用品まで近くの道具屋で売り払い、身軽になって移動した。そして、転居先の道具屋でまた買い直すのが普通であった。
「志乃、そんなことは後で・・・」と、吉之助が慌てて止める。
「ははは。よいよい。火鉢は中にあるはずだ。他の物は、すぐ近くに築地本願寺の門前町がある。あそこに行けば何でも揃うだろう。ただ、その前に裏の倉庫を見てみなさい。前に暮らしていた連中が使っていた物が色々あると思うぞ」
「重ね重ね、恐れ入ります」
「よいよい。あとは、江戸の暮らしで一番怖いのは火事だな。御新造、火の用心だけは、しっかり頼むぞ」
「かしこまりました」
「では、狩野。八つ(ほぼ午後二時)の鐘が鳴ったら、わしの部屋まで来てくれ」
「承知しました」
すると、志乃が軽く咳払いして目配せしてきた。
「おっと、そうだな。安藤様、その際、装束はどのようにすればよろしいでしょうか」
「おお、よく聞いてくれた。忘れるところであった。実はな、殿が、そなたの腕を見たいと仰せじゃ。動きやすい格好でよい。今のままでもよいぞ。そなたの得物は、その木の棒と聞いているが、相違ないか」
「はい」
「では、それをな。いや、待てよ。場合によっては、殿からお言葉を賜るかもしれんな。一応、紋付だけは持って行くか」
「承知しました」
安藤が去ると、志乃が心配そうに尋ねてきた。
「腕をご覧になりたいって、もし、お殿様のお気に召さなかったらどうなるのでしょうか」
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