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第6章 今日から俺は
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新見正友は、三人の追い剥ぎを斬り捨てた後、街道沿いに二日歩き、加納宿に至った。
加納宿は、中山道五十三番目の宿場である。関ヶ原の戦いの後、岐阜城が破却され、新たに加納に築城されて以来、この地が美濃(岐阜県)の中心となった。この時も、戸田松平家七万石の城下町として大いに栄えていた。
ここなら、剣術道場の二つや三つありそうだ。道場破りでもしてやろう。
そんなことを思いながら、正友は一軒の飯屋に入った。
「おい、店主。この地の名物は何だ?」
「そりゃあ、鮎のなれ寿司ですよ。その昔、権現様(徳川家康)と二代様(秀忠)が、長良川で鵜飼を御覧になりましてね。その場でお出ししたところ、お褒めの言葉をいただいたということで。土地の自慢でさぁ」
「では、それを貰おう。ところで、この辺りに剣術道場はあるか。いくつかあるなら、一番強いのはどこだ?」
半時(一時間)後、正友は、飯屋の主に教えてもらった道場の前に立っていた。看板は大きな檜の一枚板。そこに、「二天一流・垣沼道場」と堂々墨書してある。
宮本武蔵の孫弟子だという道場主は、数年前の御前試合で見事第一席を勝ち取った。城下に五つある道場の中で門人も一番多い、という。どうやら嘘ではないらしい。木剣の打ち合う音や多数の声が門外まで聞こえている。
玄関で弟子らしき若者に稽古の見学を願い出て、見学料として、包み金(小判二十五枚の包)をひとつ渡す。若者は、無造作に渡された大金に驚きの顔になった。しかし、そのまま受け取ると、道場に案内してくれた。
正友が道場の隅に座り、しばらく稽古を見ていると、先程の若者を引き連れ、ずんぐりとした中年男がやって来た。如何にも大道場の主という押し出しの強さがある。
「私が当道場の主・垣沼典膳だ。貴殿は?」
「甲州浪人・新見正友と申します」
「随分と多額の見学料をいただいたようで。それで、如何かな、当道場の稽古は?」
「いや、皆さまお強い。私など、やはり井の中の蛙でございました」
正友は、裕福な郷士のボンボンを装い、出来るだけ背を丸め、殊勝な物言いをした。無論、誘いである。垣沼典膳は、あっけなく引っ掛かった。
「新見氏、せっかく遠路参られたのだ。一手ご教授いたそう」
「それはありがたい。お願いいたす」と言うや、正友は、ぐんと勢いを付けて立ち上がった。自分よりも頭ひとつ大きな背丈、分厚い胸板に丸太のような腕だ。垣沼典膳は驚いたものの、弟子たちの手前、今更やめるとも言えない。二人は、道場の中央で向き合った。
「新見氏。木剣とは言え、当たり所が悪ければ死ぬ。よろしいか」
「俺が死ねば、そこらの河川敷にでも捨ててくれ」
「ぬぬっ、その覚悟やよし」
垣沼は、当然ながら二刀流である。左剣を前、右剣を上段に、ビシッと構える。
「宮本武蔵先生直伝、二天一流、天地陰陽活殺の構えである。恐れ入ったか」
「恐れ入りはしないが、いや、ちょっと待て。そなた、武蔵の孫弟子ではなかったか。直接教えを受けたことがあるのか」
「そ、それは。ど、どうでもよかろう! さ、さ、参れ!」
「かなり重要なところだと思うが。まあ、いい。では、行くぞ」
新見正友は、木剣の中ほどを右肩に載せる構えを取った。騎兵が左手で手綱を持ち、右手に持った刀で斬り付けるための準備姿勢の応用だ。その後、左手も木剣の柄に添える。
暫時にらみ合った後、正友は、「やっ!」と一声発して、木剣を肩からほぼ水平に、垣沼典膳の首筋目掛けて振り抜いた。垣沼は当然、左剣でこれを受ける。
左剣で相手の攻撃を受けると同時に、右剣で打ち込むのが二刀流の常套である。しかし、正友の打ち込みは凄まじく、これを受けた垣沼の左剣は、彼の手を離れ、道場の隅に吹っ飛んだ。態勢も大きく右前方に崩れる。
正友は、第一撃を打ち込んだ反動を利用して大きく上段に振りかぶり、今度は、「えいっ!」という裂帛の気合と共に木剣を打ち下ろした。
垣沼典膳は、かろうじて右剣でこれを受けたが、自分の木剣ごと左肩に叩きつけられることになった。彼は、「ぎゃっ!」と叫び声を発して、道場の床に尻餅をついた。
正友は素早く上段に構え直し、とどめの一撃を放つ。その瞬間、垣沼典膳が叫んだ。
「参った! 私の負けだ!」
木剣は、垣沼の脳天を叩き割る寸前で、ぴたりと止まった。
「何だと、これで終わりか。立て! 木剣を取れ! もう一手だ!」
「いや、参った。私の負けだ」
「ふざけるな! いくら何でも、これで二十五両は高過ぎるぞ」
「無論だ。返す、無論返す。おい、誰か。早く、早く持って来い!」と、居並ぶ弟子たちに向かって垣沼がもう一度叫んだ。
四半時(三十分)後、新見正友は、加納宿の西端に向かって歩いていた、敢えてゆっくりと。
おかしいな。辻講釈の剣豪譚だと、こうした場合、師匠の仇を討つために弟子たちが追って来るはずなのだが、来やしない。もう宿場を出ちまうぞ。
その時、烈女・亀姫ゆかりの光国寺の鐘が七つ(ほぼ午後四時)を告げた。立ち止まって振り返ると、正面に加納の城。堀の水面に西日が反射し、三層の天守を薄っすら橙色に染め始めていた。
「しかし、あの程度で御前試合第一席か。まあ、いい。とにかく、俺は強いらしい。垣沼典膳、腕はともかく、典膳という名前は気に入った。うん、記念にその名を貰おう。よし、今日から俺は、新見典膳だ」
加納宿は、中山道五十三番目の宿場である。関ヶ原の戦いの後、岐阜城が破却され、新たに加納に築城されて以来、この地が美濃(岐阜県)の中心となった。この時も、戸田松平家七万石の城下町として大いに栄えていた。
ここなら、剣術道場の二つや三つありそうだ。道場破りでもしてやろう。
そんなことを思いながら、正友は一軒の飯屋に入った。
「おい、店主。この地の名物は何だ?」
「そりゃあ、鮎のなれ寿司ですよ。その昔、権現様(徳川家康)と二代様(秀忠)が、長良川で鵜飼を御覧になりましてね。その場でお出ししたところ、お褒めの言葉をいただいたということで。土地の自慢でさぁ」
「では、それを貰おう。ところで、この辺りに剣術道場はあるか。いくつかあるなら、一番強いのはどこだ?」
半時(一時間)後、正友は、飯屋の主に教えてもらった道場の前に立っていた。看板は大きな檜の一枚板。そこに、「二天一流・垣沼道場」と堂々墨書してある。
宮本武蔵の孫弟子だという道場主は、数年前の御前試合で見事第一席を勝ち取った。城下に五つある道場の中で門人も一番多い、という。どうやら嘘ではないらしい。木剣の打ち合う音や多数の声が門外まで聞こえている。
玄関で弟子らしき若者に稽古の見学を願い出て、見学料として、包み金(小判二十五枚の包)をひとつ渡す。若者は、無造作に渡された大金に驚きの顔になった。しかし、そのまま受け取ると、道場に案内してくれた。
正友が道場の隅に座り、しばらく稽古を見ていると、先程の若者を引き連れ、ずんぐりとした中年男がやって来た。如何にも大道場の主という押し出しの強さがある。
「私が当道場の主・垣沼典膳だ。貴殿は?」
「甲州浪人・新見正友と申します」
「随分と多額の見学料をいただいたようで。それで、如何かな、当道場の稽古は?」
「いや、皆さまお強い。私など、やはり井の中の蛙でございました」
正友は、裕福な郷士のボンボンを装い、出来るだけ背を丸め、殊勝な物言いをした。無論、誘いである。垣沼典膳は、あっけなく引っ掛かった。
「新見氏、せっかく遠路参られたのだ。一手ご教授いたそう」
「それはありがたい。お願いいたす」と言うや、正友は、ぐんと勢いを付けて立ち上がった。自分よりも頭ひとつ大きな背丈、分厚い胸板に丸太のような腕だ。垣沼典膳は驚いたものの、弟子たちの手前、今更やめるとも言えない。二人は、道場の中央で向き合った。
「新見氏。木剣とは言え、当たり所が悪ければ死ぬ。よろしいか」
「俺が死ねば、そこらの河川敷にでも捨ててくれ」
「ぬぬっ、その覚悟やよし」
垣沼は、当然ながら二刀流である。左剣を前、右剣を上段に、ビシッと構える。
「宮本武蔵先生直伝、二天一流、天地陰陽活殺の構えである。恐れ入ったか」
「恐れ入りはしないが、いや、ちょっと待て。そなた、武蔵の孫弟子ではなかったか。直接教えを受けたことがあるのか」
「そ、それは。ど、どうでもよかろう! さ、さ、参れ!」
「かなり重要なところだと思うが。まあ、いい。では、行くぞ」
新見正友は、木剣の中ほどを右肩に載せる構えを取った。騎兵が左手で手綱を持ち、右手に持った刀で斬り付けるための準備姿勢の応用だ。その後、左手も木剣の柄に添える。
暫時にらみ合った後、正友は、「やっ!」と一声発して、木剣を肩からほぼ水平に、垣沼典膳の首筋目掛けて振り抜いた。垣沼は当然、左剣でこれを受ける。
左剣で相手の攻撃を受けると同時に、右剣で打ち込むのが二刀流の常套である。しかし、正友の打ち込みは凄まじく、これを受けた垣沼の左剣は、彼の手を離れ、道場の隅に吹っ飛んだ。態勢も大きく右前方に崩れる。
正友は、第一撃を打ち込んだ反動を利用して大きく上段に振りかぶり、今度は、「えいっ!」という裂帛の気合と共に木剣を打ち下ろした。
垣沼典膳は、かろうじて右剣でこれを受けたが、自分の木剣ごと左肩に叩きつけられることになった。彼は、「ぎゃっ!」と叫び声を発して、道場の床に尻餅をついた。
正友は素早く上段に構え直し、とどめの一撃を放つ。その瞬間、垣沼典膳が叫んだ。
「参った! 私の負けだ!」
木剣は、垣沼の脳天を叩き割る寸前で、ぴたりと止まった。
「何だと、これで終わりか。立て! 木剣を取れ! もう一手だ!」
「いや、参った。私の負けだ」
「ふざけるな! いくら何でも、これで二十五両は高過ぎるぞ」
「無論だ。返す、無論返す。おい、誰か。早く、早く持って来い!」と、居並ぶ弟子たちに向かって垣沼がもう一度叫んだ。
四半時(三十分)後、新見正友は、加納宿の西端に向かって歩いていた、敢えてゆっくりと。
おかしいな。辻講釈の剣豪譚だと、こうした場合、師匠の仇を討つために弟子たちが追って来るはずなのだが、来やしない。もう宿場を出ちまうぞ。
その時、烈女・亀姫ゆかりの光国寺の鐘が七つ(ほぼ午後四時)を告げた。立ち止まって振り返ると、正面に加納の城。堀の水面に西日が反射し、三層の天守を薄っすら橙色に染め始めていた。
「しかし、あの程度で御前試合第一席か。まあ、いい。とにかく、俺は強いらしい。垣沼典膳、腕はともかく、典膳という名前は気に入った。うん、記念にその名を貰おう。よし、今日から俺は、新見典膳だ」
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