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第五篇  彼岸幼女と寄道傾城――メイデン・リコリスとアイデン・クライシス

終幕  現の国のアイリス

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 まなこをしっかりと開いて、水たまりをひょいと飛び越えた。その勢いを使って、石畳を一歩、二歩と弾みながら踏んでいく。きらきらと輝く、大扉の外の大広場。その端の壁まで寄って、手を触れる。余の背丈よりわずかに高いだけになった壁。凹凸をなぞって右に進むと、彼がいた。地上へと下る、細く長い階段にゆったりと腰かけている。いつ見ても怪しい作務衣とやらが、無造作な髪とともに柔らかな風に吹かれた。

 いったい、何を考えているのやら。

 近づくと、首を右に回して彼はこちらを振り返る。

「準備はもういいのかい、リコリス」
「ああ、問題ない」
「珊瑚ちゃんと乃音湖さんは?」
「見納めに、城を隈なく歩いてから来るそうだ」
「あはは、そういう自由なところは変わらないなあ、あの子も」

 登山用の荷袋を背負い直して、高く結わえた蒼銀をその上から被せ置く。毛先がさらさらと彼のもとへと流れていった。

「主は、いつから気づいていたのだ?」
「はてさて、何のことだろう」
「とぼけているうちに、本当に呆けてしまうぞ」

 あはは、ナツメは観念したように立ち上がって、階段を降りだした。

「昔ね、ロンブルが言ってたんだよ。リコリスは自分の本質にまだ気づいていないってね」
「あやつは本当に得体が知れんな」

 おかしくなって、クスクスと笑いあう。

「なあ、ナツメ」
「乃音湖さんのことかい?」
「主も大概、得体が知れんよ」
「類は友を呼ぶらしいからねえ」

 大扉が閉まる音が頭上から聞こえた。

「乃音湖さんのことは、僕らが口出しすることじゃないよ。あのふたりの問題だ」
「そうか」
「そうなんだよ」

 そこからは穏やかな沈黙とともに歩いて、正門の前で止まる。

「お待たせしました」
「構わんよ。満喫できたか?」
 ええ、と満面の笑みが広がった。

「春ですね、気づけば」
「そうだな。城の外も雪解けだ。もう当分降りはしまい」

 雪は雨へと変わり、その雨ももう止んだ。

 正門を押し広げ、うん、と背伸びする。足元の水たまりが、その先に異なる世界でもあるかのように、余を映している。陽を背にした紅のドレスがなんだか眩しい。

「うん?」
 顔を上げて、城郭のかなたに目を細める。
 厚い雲がとれはじめて、広がっていく青空。山向こうに架かる、五色(ごしき)の橋。

「乃音湖さん、乃音湖さん、見てください」
 珊瑚が爛々と瞳を輝かせて、片手を天のアーチへずいと伸ばす。その姿はどこか幼子のようで、きっとそれ故に余の姿が彼女のそれに重なった。

「あの日、村は雨とともに凍て付いていたのだったな」

 再出立の日が雨上がりになるとは思いもしなかった。だが、回帰する原点として、これ以上にはじまりの象徴らしいものはない。あの日からの一歩。凍て付く幼女アリス幼女からの前進。雪を終えた雨のあと。若輩者の紀元の神様とやらも、たまには粋な計らいをするものだ。

「アリス? どうかしましたか?」
「いや、大したことではない」

 緩んだ頬を両の手で持ち上げて、それから余の住まいを端から端まで隈なく見渡す。門戸、城壁、水路、石橋、庭園、畑地、そして孤城。見飽きるほどに眺め、留まり暮らしたこの居城を訪れることはあっても、戻ることはきっとない。

 さよなら。
 余を守る城塞としての役目は、今日を以て、仕舞いだ。

 似たようなことでも考えていたのだろう。珊瑚が一筋、涙を流した。誰も住まわなくなった家城の行末のことを、乙女は余以上に知っている。居所をこよなく愛する者に、それを棄て往くことを惜しむ言の葉をかけることなどあってはいけない。棄て去る決意のきっかけが、乙女の存在だったからこそ、余は別れを惜しむわけにはいかないのだ。

 美しき乙女が訪れ、住まう者が己の幼さを棄てた。先に進む選択の結果として城は傾いた。
 因果ではなく、そういう関係性であるべきだと余は思う。

「では、往こうか。珊瑚、ナツメ、乃音湖」

 虹――Irisアイリス。雪が解けたあとの、新たなはじまりの象徴。

 余は、これから進む。
 アリスが指す、永遠とわを漂う幼女としてではなく。
 リコリスが示す、永久とこしえに死者を見送り続ける彼岸の紅色菊としてでもなく。
 ひとりの限りある者として、時を巡りに再び一歩を踏み出すのだ。

 だから、もしもまだ余のことを覚えていてくれるのなら。
 あと数十年と少しあと、余が彼岸そちらを訪れるその日――その丘を再び登るその日には。
 長い長い夢現の生涯に、少し耳を傾けてはくれないか?

 余の最愛だったヒトシルウィアクスよ。

                       【閉幕】
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