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第二篇 魔女人形と模造少女――ゴシックドールとコピーガール
File.1 13 sheets The Summer Essay
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お姉ちゃんと、りつと、夏の思い出。
四年一組 二十五番 美崎りつ
りつには、お姉ちゃんがいます。美崎珊瑚という名前の、とってもとってもきれいなお姉ちゃんです。今は、アルバイトをしながら、勉強をしに大学に通っています。大学三年生です。りつにはちょっとむずかしくて、よくわからないけど、毎日夜遅くに楽しそうに帰ってきます。りつは、楽しそうにしているお姉ちゃんが大好きなので、とってもうれしいです。でも、最近、あんまりおしゃべりできないのは悲しいなあって思います。
だから、りつはこの間、お姉ちゃんに、
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。りつはいっしょに遊びに行きたいのです」
とお願いしてみました。「願い事があるときははっきり言わないと伝わらないことが多いのかもしれませんよ。素直は善の一歩なのですよ」と、前にお姉ちゃんが教えてくれたからです。お姉ちゃんは、魔法使いさんみたいにすてきでかっこいい、物知りな乙女なのです。言葉づかいも魔法使いさんみたいで、りつもしょっちゅうまねをしてしまうのです。
「そういえば、もうだいぶ長いこと、りつと一緒におでかけすることもなかったですね」
「うん。テンなんとかっていう、お星さまを見にいったのが最後なのだよ」
「天文台ですね」
「それ!」
「とすると、わたしが大学に入学した年の夏だから……二年前ですか」
「うん」
ちょっぴり小さな声になってしまいました。
そしたら、ぼふっと後ろからだきしめられて、
「じゃあ、りつ。わたしが最近よく行くところについてきたいですか?」
と聞いてくれました。
ああ、お姉ちゃんはりつのこと、なんでもお見通しなんだなあ、やっぱりすごいなあって思いました。だから、りつは、思わず飛びはねてしまいました。今だったら、魔法使いさんみたいに空を飛べるかもしれないって思うほどでした。
*******
お姉ちゃんはまず、大学につれていってくれました。大学は、横秤線で終点の横崎駅まで行って、ちがう電車に乗りかえて二駅目のところにありました。りつの住んでいる秤ヶ原府のとなりの、東神奈川県にある横崎市立大学というところです。とっても頭がいい人がたくさんいる大学だって、テレビでときどき見かけるところです。
「りつたちは算数とか国語とか、一年間同じ教室、同じクラスメートで勉強するでしょう? でも、大学では違うんです」
「どーゆーこと?」
「簡単に言ってしまえば、算数なら算数の教室や建物、国語なら国語の教室や建物で、毎回バラバラの人たちと授業を受けるんです」
「うん? よくわかんないけど、すこしふしぎなのですね」
「ふふ、そうですね。りつにとってはSFみたいなものですね」
一気にいろいろなことを教えてもらったので、りつはすこしなやんでしまいました。それをわかってくれたお姉ちゃんは、「学部」や「学科」という言葉でもう一度教えてくれました。あそこは神学部、あそこは文学部、そしてここが建築学部なのだとぐるぐる歩き回りながらです。りつは、「そうなのですね」、「納得です」、とがんばってたくさんあいづちを打ちました。
「ねえ、りつ」
ふっとお姉ちゃんが立ち止まりました。
「無理にわたしの言葉づかいを真似なくてもいいんだよ」
「……無理、じゃないもん」
「ほら、無理してる。そこは、わたしのように言うなら『無理なんてしていませんよ』です」
うー、っとしか言えませんでした。お姉ちゃんは魔法使いさんみたいなふわふわの服を着ているけど、ほんとうにほんとうに、強くてかしこいのです。まるで魔女さんです。
「いい、りつ。お姉ちゃんの真似をしてくれるのは、お姉ちゃんは、とてもうれしい。だけど、無理やりは絶対ダメ」
「どうして?」
「りつが、りつのなかからいなくなってしまうから。『無理じゃない』って思うりつ、『どうして』って思うりつ。りつは、いつも何かを考えたり思ったりしてる。けどね、そうやってりつが自分で感じたことを伝えるとき、お姉ちゃんの真似をしてはダメ。それはりつじゃなくて、お姉ちゃんが……わたしが感じたことになってしまう。りつはりつ。わたしはわたし。りつは、わたしじゃない」
お姉ちゃんの話はときどきとってもむずかしい。
「むずかしそうだから、そうですね、さっきの国語と算数の話に戻してみよっか」
「国語と算数?」
「りつは、その二つは同じものだと思う?」
「ううん。思わないよ。国語は漢字とかやって、算数は計算とかするもん。全然ちがうよ」
「そうだよね。じゃあ、りつ。もし、国語が漢字とかをまったくやらなくなって、算数とまったく同じことをするようになったら、それは国語だと思う?」
りつはいろいろと考えてみました。かけ算をする国語とか、百ます計算をする国語とかです。それから、お姉ちゃんに答えました。
「思わない。計算をするのは算数だよ」
「ええ。そうですよね。無理やり全部算数の真似をした国語は、算数になってしまうんです」
だんだん、お姉ちゃんが何を言いたいのか、りつにもわかってきました。
「じゃあ、りつはお姉ちゃんのまねをしないほうがいいの?」
「そういうわけではないですよ。国語でも、算数の考え方が必要なときもあります。そうですね……たとえば、物語の登場人物が何人いるかを数えるときや、漢字のへんとつくりの画数の合計を数えるときは、足し算の考え方です」
お姉ちゃんには、りつが困っているように見えたみたいです。優しく頭をなでられました。
「全部を真似して、そのものになってしまうことはやってはいけないよ、ということです。真似をするのは、自分もそうしたいと思えるその相手の良いところだけです。もし、りつがそうやって真似した部分を使いこなすことができたら、きっとわたしよりもずっとずっとすてきな人になれると思いますよ」
お姉ちゃんの笑顔はとってもきれいで、でも、ほんのちょっぴり悲しそうにも見えました。
*******
それからお姉ちゃんは、根柱駅にある喫茶店というところと、その近くの美術館につれていってくれました。二つとも、お姉ちゃんがアルバイトをしているところでした。
喫茶店は「3sL&」という名前でした。「サーゼルエンド」って読むんだよ、とお店の人が教えてくれました。お姉ちゃんは、ここでウェイトレスというお仕事をしているそうです。「ウェイトレスって?」とお姉ちゃんに聞くと、灰色のかっこいいスーツを着たポニーテールのお姉さんが、
「こうやって注文を聞きにきたり、飲み物とかを運んだりする人のことだよ」
とウインクしてくれました。
「なんかミサがそこに座ってると変な感じなんだけど」
「お客に向かって失礼千万なウェイトレスですね。ねえ、沙良。就活が終わったからって、気が緩んでるんじゃないですか?」
「うっ、それは若干ある。もうあの面接はコリゴリ」
ぐるんぐるんと、お姉ちゃんのバイト仲間の沙良さんは肩を回しました。
「で、そんなことより、この子が前に言ってた妹ちゃんだよね? 絶対そうだよね?」
「ええ。妹のりつです」
「み、美崎りつです。お姉ちゃんの妹です!」
今思い出すと、緊張して変なことを言ってしまったみたいです。
「こんにちは、りつちゃん。りっちゃんのほうが呼びやすいから、りっちゃんでもいい?」
りつはうなずきました。りつは学校でも、お父さんとお母さんにも、そう呼ばれることが多いのです。
「写真では見たことあったけど、ホントにミサそっくり。ねこっぽい目とか、すっごい似てる」
りつはとてもうれしく思いました。はしゃがないようにするのが大変でした。
「あー、あたしもこんなかわいい妹ほしいなー。ねえねえ、ミサ」
「ダメです」
「まだ何も言ってないんだけどー」
「りつはあげませんから」
「じゃあ、しょうがない。ミサで手を打とう。今夜から我が家に」
「それもお断りです」
お姉ちゃんはバッサバッサと沙良さんの言葉を切ってしまいました。魔法使いのお侍さんみたいでした。それからお姉ちゃんと沙良さんはじっとにらみあって、ふたりともプッとふき出しました。りつは、目がまんまるになりました。
「こんなめんどくさいゴスロリの妹はあたしだって困るって。あ、じゃあ、注文来たから」
「ええ」
「りっちゃん、また今度ゆっくり話そうね」
そう言って、沙良さんはひらひらとお店の奥に行ってしまいました。
*******
お姉ちゃんは紅茶を、りつはリンゴジュースを飲んだあとは、美術館です。お姉ちゃんはここで、何かのお仕事をしているそうです。だからすぐになかに入るのかな、と思ったのですが、お姉ちゃんは入り口で足を止めました。周りの人はどんどんなかに入ってしまって、りつは不安になりました。お姉ちゃんがつかれてしまったと思ったのです。
けど、そうではありませんでした。ほかのお客さんがみんないなくなったあとのことです。
「お前が人間と一緒に来るのは珍しいな」
入り口の横にいる青い服のお兄さんがお姉ちゃんに話しかけてきました。話し方が怖くて、思わずぎゅっとお姉ちゃんのスカートをにぎってしまいました。テレビとかに出ていそうな、かっこいいけど悪そうな人です。絶対に悪い人です。
きっと、お姉ちゃんも怖くて動けないのだと思いました。だとしたら、正義のヒーローみたいに、りつががんばってお姉ちゃんを守らないといけない、と考えました。
わあっ、と飛び出そうとしたら、
「もう少し気の利いたあいさつはないんですか?」
とお姉ちゃんがおかしそうに笑う顔が見えました。
「……どうも、こんにちは」
「今さら言われても仕方ありませんよ」
「お前もたいがい失礼だな」
「そう? こんなにも丁寧な物腰だというのに」
お兄さんはハエを追いはらうみたいに手をひらひらさせました。
「で、サキ。今日は妹と美術館デートか?」
「ええ。どうです、しこたまかわいい妹でしょう?」
「かわいい妹に使う表現じゃねーよ」
じろっとりつを見て、お兄さんが、ザッ、ザッ、と近づいてきました。お父さんよりもずっと大きくて、タワーみたいです。
「あー、そんなに怖がらなくていい」
お兄さんは、よっこいしょ、としゃがみました。
「俺はここの警備員だから。警備員つってもわかんねーか? ようは……美術館の警察だな。ポリスマンだ。だいたい外にいて、なんかトラブったら解決する。だいたいがクレーマーだな。あー、んで、お前のこの姉ちゃんは、なかの警察みたいなもんだ」
「なかの警察?」
「道案内みたいなもんだな。なかには絵だったり、像だったりいろいろあんだが、たいていの連中はそれが何なのかさっぱりわかってねー。ようは、美術館迷子だ。迷子には道案内が必要だろ?」
へー、と言ってしまっていました。言葉はびっくりするくらい怖いけど、とても説明がわかりやすかったからです。怖いけど、この人は本当は優しい人なのかもしれないって思えました。
「まあ、なんだ? いい歳してこんなかっこうしてっけど、案外ちゃんと仕事してんよ、お前の姉ちゃんは。性格悪くてもな」
「一言余計」
「事実だ、事実」
むう、とお姉ちゃんがすこしふくれました。なぜだか、りつのむねがズキッと痛みました。
「まあ、いいです。じゃあ、わたしたちは行きますから」
「ああ。あ、そういや、あいつはどうした?」
「あいつ? ……ああ、今はおじさまと一緒にお昼寝でもしている頃合いかもしれません」
「いいご身分だな」
「だからこそ、すてきなのだとは思いません?」
お姉ちゃんはお兄さんとふしぎなやりとりをしてから、りつの手を引っ張ってなかに入っていきました。
*******
りつは今まで、お姉ちゃんはりつといっしょにいるときみたいに、どんな人の前でも魔法使いさんみたいにすてきでかっこいい、物知りな乙女さんなのだと思っていました。でも、お姉ちゃんとお外に出かけたり、お姉ちゃんとふだんいっしょにいる大人の人と話したりして、そうじゃないのだとわかりました。
りつの知らないお姉ちゃんがたくさんいました。
りつの知らない場所にいるお姉ちゃん。
りつの知らない人といるときのお姉ちゃん。
りつの知ることができない気持ちのお姉ちゃん。
それはとてもとてもつらくて、悲しいことでした。
お姉ちゃんはりつのことがお見通しなのに、りつはお姉ちゃんのことをちょっとしかわかっていなかったのです。りつは、一番大好きな人のことをちょっぴりしかわからないのです。それだと、ほかの人のことはもっとわかりません。
じゃあ、どうやったらわかるようになるのかな、と考えました。
そして、思いつきました。
りつのことがお見通しなのは、お姉ちゃんのいいところです。だったら、それをまねして、りつのものにできたら、りつはきっとみんなのことをわかるようになれると思います。そのためには、ただ何も考えないでお姉ちゃんのまねをするのではなくて、どうしてお姉ちゃんはそうするのかを考えていくことが大事かなと思います。
【おわり】
四年一組 二十五番 美崎りつ
りつには、お姉ちゃんがいます。美崎珊瑚という名前の、とってもとってもきれいなお姉ちゃんです。今は、アルバイトをしながら、勉強をしに大学に通っています。大学三年生です。りつにはちょっとむずかしくて、よくわからないけど、毎日夜遅くに楽しそうに帰ってきます。りつは、楽しそうにしているお姉ちゃんが大好きなので、とってもうれしいです。でも、最近、あんまりおしゃべりできないのは悲しいなあって思います。
だから、りつはこの間、お姉ちゃんに、
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。りつはいっしょに遊びに行きたいのです」
とお願いしてみました。「願い事があるときははっきり言わないと伝わらないことが多いのかもしれませんよ。素直は善の一歩なのですよ」と、前にお姉ちゃんが教えてくれたからです。お姉ちゃんは、魔法使いさんみたいにすてきでかっこいい、物知りな乙女なのです。言葉づかいも魔法使いさんみたいで、りつもしょっちゅうまねをしてしまうのです。
「そういえば、もうだいぶ長いこと、りつと一緒におでかけすることもなかったですね」
「うん。テンなんとかっていう、お星さまを見にいったのが最後なのだよ」
「天文台ですね」
「それ!」
「とすると、わたしが大学に入学した年の夏だから……二年前ですか」
「うん」
ちょっぴり小さな声になってしまいました。
そしたら、ぼふっと後ろからだきしめられて、
「じゃあ、りつ。わたしが最近よく行くところについてきたいですか?」
と聞いてくれました。
ああ、お姉ちゃんはりつのこと、なんでもお見通しなんだなあ、やっぱりすごいなあって思いました。だから、りつは、思わず飛びはねてしまいました。今だったら、魔法使いさんみたいに空を飛べるかもしれないって思うほどでした。
*******
お姉ちゃんはまず、大学につれていってくれました。大学は、横秤線で終点の横崎駅まで行って、ちがう電車に乗りかえて二駅目のところにありました。りつの住んでいる秤ヶ原府のとなりの、東神奈川県にある横崎市立大学というところです。とっても頭がいい人がたくさんいる大学だって、テレビでときどき見かけるところです。
「りつたちは算数とか国語とか、一年間同じ教室、同じクラスメートで勉強するでしょう? でも、大学では違うんです」
「どーゆーこと?」
「簡単に言ってしまえば、算数なら算数の教室や建物、国語なら国語の教室や建物で、毎回バラバラの人たちと授業を受けるんです」
「うん? よくわかんないけど、すこしふしぎなのですね」
「ふふ、そうですね。りつにとってはSFみたいなものですね」
一気にいろいろなことを教えてもらったので、りつはすこしなやんでしまいました。それをわかってくれたお姉ちゃんは、「学部」や「学科」という言葉でもう一度教えてくれました。あそこは神学部、あそこは文学部、そしてここが建築学部なのだとぐるぐる歩き回りながらです。りつは、「そうなのですね」、「納得です」、とがんばってたくさんあいづちを打ちました。
「ねえ、りつ」
ふっとお姉ちゃんが立ち止まりました。
「無理にわたしの言葉づかいを真似なくてもいいんだよ」
「……無理、じゃないもん」
「ほら、無理してる。そこは、わたしのように言うなら『無理なんてしていませんよ』です」
うー、っとしか言えませんでした。お姉ちゃんは魔法使いさんみたいなふわふわの服を着ているけど、ほんとうにほんとうに、強くてかしこいのです。まるで魔女さんです。
「いい、りつ。お姉ちゃんの真似をしてくれるのは、お姉ちゃんは、とてもうれしい。だけど、無理やりは絶対ダメ」
「どうして?」
「りつが、りつのなかからいなくなってしまうから。『無理じゃない』って思うりつ、『どうして』って思うりつ。りつは、いつも何かを考えたり思ったりしてる。けどね、そうやってりつが自分で感じたことを伝えるとき、お姉ちゃんの真似をしてはダメ。それはりつじゃなくて、お姉ちゃんが……わたしが感じたことになってしまう。りつはりつ。わたしはわたし。りつは、わたしじゃない」
お姉ちゃんの話はときどきとってもむずかしい。
「むずかしそうだから、そうですね、さっきの国語と算数の話に戻してみよっか」
「国語と算数?」
「りつは、その二つは同じものだと思う?」
「ううん。思わないよ。国語は漢字とかやって、算数は計算とかするもん。全然ちがうよ」
「そうだよね。じゃあ、りつ。もし、国語が漢字とかをまったくやらなくなって、算数とまったく同じことをするようになったら、それは国語だと思う?」
りつはいろいろと考えてみました。かけ算をする国語とか、百ます計算をする国語とかです。それから、お姉ちゃんに答えました。
「思わない。計算をするのは算数だよ」
「ええ。そうですよね。無理やり全部算数の真似をした国語は、算数になってしまうんです」
だんだん、お姉ちゃんが何を言いたいのか、りつにもわかってきました。
「じゃあ、りつはお姉ちゃんのまねをしないほうがいいの?」
「そういうわけではないですよ。国語でも、算数の考え方が必要なときもあります。そうですね……たとえば、物語の登場人物が何人いるかを数えるときや、漢字のへんとつくりの画数の合計を数えるときは、足し算の考え方です」
お姉ちゃんには、りつが困っているように見えたみたいです。優しく頭をなでられました。
「全部を真似して、そのものになってしまうことはやってはいけないよ、ということです。真似をするのは、自分もそうしたいと思えるその相手の良いところだけです。もし、りつがそうやって真似した部分を使いこなすことができたら、きっとわたしよりもずっとずっとすてきな人になれると思いますよ」
お姉ちゃんの笑顔はとってもきれいで、でも、ほんのちょっぴり悲しそうにも見えました。
*******
それからお姉ちゃんは、根柱駅にある喫茶店というところと、その近くの美術館につれていってくれました。二つとも、お姉ちゃんがアルバイトをしているところでした。
喫茶店は「3sL&」という名前でした。「サーゼルエンド」って読むんだよ、とお店の人が教えてくれました。お姉ちゃんは、ここでウェイトレスというお仕事をしているそうです。「ウェイトレスって?」とお姉ちゃんに聞くと、灰色のかっこいいスーツを着たポニーテールのお姉さんが、
「こうやって注文を聞きにきたり、飲み物とかを運んだりする人のことだよ」
とウインクしてくれました。
「なんかミサがそこに座ってると変な感じなんだけど」
「お客に向かって失礼千万なウェイトレスですね。ねえ、沙良。就活が終わったからって、気が緩んでるんじゃないですか?」
「うっ、それは若干ある。もうあの面接はコリゴリ」
ぐるんぐるんと、お姉ちゃんのバイト仲間の沙良さんは肩を回しました。
「で、そんなことより、この子が前に言ってた妹ちゃんだよね? 絶対そうだよね?」
「ええ。妹のりつです」
「み、美崎りつです。お姉ちゃんの妹です!」
今思い出すと、緊張して変なことを言ってしまったみたいです。
「こんにちは、りつちゃん。りっちゃんのほうが呼びやすいから、りっちゃんでもいい?」
りつはうなずきました。りつは学校でも、お父さんとお母さんにも、そう呼ばれることが多いのです。
「写真では見たことあったけど、ホントにミサそっくり。ねこっぽい目とか、すっごい似てる」
りつはとてもうれしく思いました。はしゃがないようにするのが大変でした。
「あー、あたしもこんなかわいい妹ほしいなー。ねえねえ、ミサ」
「ダメです」
「まだ何も言ってないんだけどー」
「りつはあげませんから」
「じゃあ、しょうがない。ミサで手を打とう。今夜から我が家に」
「それもお断りです」
お姉ちゃんはバッサバッサと沙良さんの言葉を切ってしまいました。魔法使いのお侍さんみたいでした。それからお姉ちゃんと沙良さんはじっとにらみあって、ふたりともプッとふき出しました。りつは、目がまんまるになりました。
「こんなめんどくさいゴスロリの妹はあたしだって困るって。あ、じゃあ、注文来たから」
「ええ」
「りっちゃん、また今度ゆっくり話そうね」
そう言って、沙良さんはひらひらとお店の奥に行ってしまいました。
*******
お姉ちゃんは紅茶を、りつはリンゴジュースを飲んだあとは、美術館です。お姉ちゃんはここで、何かのお仕事をしているそうです。だからすぐになかに入るのかな、と思ったのですが、お姉ちゃんは入り口で足を止めました。周りの人はどんどんなかに入ってしまって、りつは不安になりました。お姉ちゃんがつかれてしまったと思ったのです。
けど、そうではありませんでした。ほかのお客さんがみんないなくなったあとのことです。
「お前が人間と一緒に来るのは珍しいな」
入り口の横にいる青い服のお兄さんがお姉ちゃんに話しかけてきました。話し方が怖くて、思わずぎゅっとお姉ちゃんのスカートをにぎってしまいました。テレビとかに出ていそうな、かっこいいけど悪そうな人です。絶対に悪い人です。
きっと、お姉ちゃんも怖くて動けないのだと思いました。だとしたら、正義のヒーローみたいに、りつががんばってお姉ちゃんを守らないといけない、と考えました。
わあっ、と飛び出そうとしたら、
「もう少し気の利いたあいさつはないんですか?」
とお姉ちゃんがおかしそうに笑う顔が見えました。
「……どうも、こんにちは」
「今さら言われても仕方ありませんよ」
「お前もたいがい失礼だな」
「そう? こんなにも丁寧な物腰だというのに」
お兄さんはハエを追いはらうみたいに手をひらひらさせました。
「で、サキ。今日は妹と美術館デートか?」
「ええ。どうです、しこたまかわいい妹でしょう?」
「かわいい妹に使う表現じゃねーよ」
じろっとりつを見て、お兄さんが、ザッ、ザッ、と近づいてきました。お父さんよりもずっと大きくて、タワーみたいです。
「あー、そんなに怖がらなくていい」
お兄さんは、よっこいしょ、としゃがみました。
「俺はここの警備員だから。警備員つってもわかんねーか? ようは……美術館の警察だな。ポリスマンだ。だいたい外にいて、なんかトラブったら解決する。だいたいがクレーマーだな。あー、んで、お前のこの姉ちゃんは、なかの警察みたいなもんだ」
「なかの警察?」
「道案内みたいなもんだな。なかには絵だったり、像だったりいろいろあんだが、たいていの連中はそれが何なのかさっぱりわかってねー。ようは、美術館迷子だ。迷子には道案内が必要だろ?」
へー、と言ってしまっていました。言葉はびっくりするくらい怖いけど、とても説明がわかりやすかったからです。怖いけど、この人は本当は優しい人なのかもしれないって思えました。
「まあ、なんだ? いい歳してこんなかっこうしてっけど、案外ちゃんと仕事してんよ、お前の姉ちゃんは。性格悪くてもな」
「一言余計」
「事実だ、事実」
むう、とお姉ちゃんがすこしふくれました。なぜだか、りつのむねがズキッと痛みました。
「まあ、いいです。じゃあ、わたしたちは行きますから」
「ああ。あ、そういや、あいつはどうした?」
「あいつ? ……ああ、今はおじさまと一緒にお昼寝でもしている頃合いかもしれません」
「いいご身分だな」
「だからこそ、すてきなのだとは思いません?」
お姉ちゃんはお兄さんとふしぎなやりとりをしてから、りつの手を引っ張ってなかに入っていきました。
*******
りつは今まで、お姉ちゃんはりつといっしょにいるときみたいに、どんな人の前でも魔法使いさんみたいにすてきでかっこいい、物知りな乙女さんなのだと思っていました。でも、お姉ちゃんとお外に出かけたり、お姉ちゃんとふだんいっしょにいる大人の人と話したりして、そうじゃないのだとわかりました。
りつの知らないお姉ちゃんがたくさんいました。
りつの知らない場所にいるお姉ちゃん。
りつの知らない人といるときのお姉ちゃん。
りつの知ることができない気持ちのお姉ちゃん。
それはとてもとてもつらくて、悲しいことでした。
お姉ちゃんはりつのことがお見通しなのに、りつはお姉ちゃんのことをちょっとしかわかっていなかったのです。りつは、一番大好きな人のことをちょっぴりしかわからないのです。それだと、ほかの人のことはもっとわかりません。
じゃあ、どうやったらわかるようになるのかな、と考えました。
そして、思いつきました。
りつのことがお見通しなのは、お姉ちゃんのいいところです。だったら、それをまねして、りつのものにできたら、りつはきっとみんなのことをわかるようになれると思います。そのためには、ただ何も考えないでお姉ちゃんのまねをするのではなくて、どうしてお姉ちゃんはそうするのかを考えていくことが大事かなと思います。
【おわり】
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