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取引
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いつもより随分遅い時間に目が覚めると、家の中はしんとしていた。
結界の内にもユーゴの気配はない。
それはそうだろう。昨夜、私の様子がおかしな事に気付いたユーゴに問い詰められて、はっきりと、『あなたの望み通りにした後、袂を分かつつもりだった』と告げたのだから。
あんなに傷付いたユーゴは見た事がなかった。
あの顔を思い出すと、胸が痛い。
でもこれで良いのだ。
私の為になど、大事な人生の時を使わないで欲しい。
「…今日は魔法薬の仕上げをしなくちゃ…」
重怠い体を起こして朝の身支度をし、いつもの作業に取り掛かろうとしたものの、気力が湧かない。
まるで何かがごっそり抜けてしまったみたいに。
それでも何とか魔法薬の調合をしていたら――――結界に魔法が触れる気配を感じた。
「これは…『伝言』の魔法?」
この魔力波動には覚えがある。
いつも王宮から依頼を送って来る老魔導師の物だ。確か、王国の筆頭魔導師だった筈。
また依頼だろうか。
今はとてもそんな気になれないのに…
そう思いながら、結界を少し開いて手元に引き寄せる。
手紙を開くように魔法を開封して、刻まれた伝言を聞いた瞬間、
「…え?なんですって…?」
心臓が大きく跳ねて、全身から血の気が引いた。
私がユーゴを拾った時から心のどこかで危惧していた事、一番起きて欲しくなかった事が、現実になってしまった。
ずっと一人でいいと思っていた。これまでもこれからも、ずっと一人で生きて行くのだと決めていた。
なのに…ユーゴが私を慕ってくれる気持ちや、彼の優しさ、暖かさに、私は甘えていたのだ。
拒絶しても拒絶しても、それでも一緒に居ようとするユーゴに、心のどこかで喜びを感じていた。
本当は、一人が寂しかった。
本当は、私…
「…ごめんなさい、ユーゴ…」
私の心が弱かったせいで、結局あなたを巻き込んでしまった…
後悔の念に苛まされるが、今はそんな事を悔やんでいる暇などない。
絶対にユーゴを助け出してみせる。
「…こんな卑劣な真似をした事を、後悔させてあげるわ」
恐れが怒りに変わり震えていた体に力が戻って来ると、私は急いで魔法薬の棚からいくつも瓶を取り上げて、全て飲み干した。
そして最後に一つだけ残っていた瓶をポケットに入れると、すぐさま伝言で指示された場所へ『転移』した。
☆☆☆
そこは、王都の東にある森の中だった。
昼だというのに、木々が茂り過ぎて薄暗く、夜のようだ。
「来たわよ。出て来なさい!」
声を張ると木の陰から、年老いた魔導師が現れた。やはり、何度か見た事がある王宮仕えの筆頭魔導師だ。
老魔導師は、嫉妬とも羨望とも付かない目で私を見た。
「相変わらず、全く年を取らず若いままか。だが、のこのこと結界の外に出て来るとはな。よほどあの男が大事だとみえる」
「ユーゴはどこ?」
老魔導師が横を向いて顎をしゃくると、二人の男がユーゴを引っ張って木の陰から出て来た。
ユーゴの首や手足には鉄の枷が付けられ、その枷からは魔法の気配がする。おそらく、術者が呪文を唱えると、反応して苦痛を与える類のものだ。
そしてユーゴの衰弱した様子からして、何度もそれを使用されたのだろう。
酷い。許せない。
その姿を見ると、改めて身の内から怒りが湧いて来る。
「シャル…どうして来たの…俺の事なんて見捨てて、早く逃げて…」
ユーゴが辛そうに顔を顰めながらそう言うと、隣に居た男が「黙ってろ」と剣の柄でユーゴを突こうとした。
『やめなさい!』
言葉に魔力を乗せて叫ぶと、男はビクッとして固まった。
来る前に飲んだ魔力増幅の霊薬のお陰で、今の私は普段よりも高位の魔法を使用できる。年に一つしか作れない貴重な霊薬だが、こんな時に使わないでいつ使うのだ。
「待て、竜双樹の魔女よ。余計な事をするなら、この男の命はないぞ」
「その子を傷付けるなら、あなたの欲しがっている物は叩き割るわよ」
すかさずそう返してやると、老魔導師は憎々し気に私を睨んだ。
「…忌々しい魔女め。分かった、分かった、何もせぬわ。であれば、要求した物は持って来たのだろうな?」
「…『魔女の秘薬』の事かしら?生憎、私のこれまでの人生を掛けても、一つしか作れなかったわ」
私はそう言うと、ポケットからゆっくり薬瓶を取り出した。
「お、おおお…!!」
老魔導師は目を見開いて、わなわなと両手を差し伸ばす。
「そ、それが、お前達魔女にしか作れない『魔女の秘薬』…!あらゆる病を癒し、老いを止め、死者さえも蘇らせる霊薬!どんなに魔導を追求したとて、時の流れを止める術はなかった。儂はその秘薬を手に入れる為にお前のいるこの王国に移り住み、機会を伺い、筆頭魔導師にまでなり、こんな歳まで下らぬ王国に仕えて来たのだ!ようやく、ようやくだ!さあ!早くそれを儂に寄越せ!」
「ユーゴに付けている枷を全て外して、こちらに引き渡して。ユーゴさえ無事なら何も小細工などしないわ」
そう言ったが、老魔導師は首を振って何かをローブの袂から取り出した。
「信用出来るものか。枷を外した途端、魔法で攻撃されては困る。だからお前には儂の作りだした傑作、魔封じの腕輪を先に付けて貰おう」
「魔封じの腕輪…?」
問い返すと、老魔導師は得意げに腕輪を撫でながら笑った。
「そうとも。これを嵌めておる間は、いかなる魔法も使う事は出来ぬ。自分で散々試してみたのだからな。そして外すには鍵が必要だ。鍵はこの男に持たせよう。枷を外し、お前の傍に連れて行ってやる。そこで魔女の秘薬と男を交換だ」
私は老魔導師の持つ腕輪をじっと見つめ、ふっと息を吐くと頷いた。
「分かったわ。その腕輪を嵌めるわ」
「だ…駄目だシャルナ…そんな事したら…殺される。逃げろ!俺の事なんか捨てて行け!」
悲痛な顔で声を絞り出すユーゴに、私は微笑む。
「大丈夫よ、ユーゴ。必ず助けてあげる」
「殊勝な心掛けだの。リノ、これを魔女の手首に嵌めて来い」
「分かりました」
老魔導師がユーゴを取り押さえていた男の一人に腕輪を渡し、リノと呼ばれた男が私の所まで歩いて来た。
好奇な視線で不躾に私を眺める男が腕輪を嵌めるのを、黙って見守る。
確かに腕輪を着けた途端、魔力が吸われるような感覚がした。
「よし、枷を外したら、お前達はこやつを運ぶのを手伝え」
「はい」
枷が全て外されるとリノという男ともう一人がユーゴを担ぎ、老魔導師と共にこちらに歩いて来た。
緊張が漂う。
3人は私の目の前までやって来ると、ユーゴを土の上に下ろした。
「その男達を遠くへ下がらせて。でないと秘薬は渡さないわよ」
そう言うと、老魔導師は頷いて後ろの二人に顎をしゃくった。
その時だった。
二人の男は離れて行こうとして――――急にリノという男が踵を返すと、素早い動きでもう一人の男を斬り捨て、老魔導師に斬りかかった。
結界の内にもユーゴの気配はない。
それはそうだろう。昨夜、私の様子がおかしな事に気付いたユーゴに問い詰められて、はっきりと、『あなたの望み通りにした後、袂を分かつつもりだった』と告げたのだから。
あんなに傷付いたユーゴは見た事がなかった。
あの顔を思い出すと、胸が痛い。
でもこれで良いのだ。
私の為になど、大事な人生の時を使わないで欲しい。
「…今日は魔法薬の仕上げをしなくちゃ…」
重怠い体を起こして朝の身支度をし、いつもの作業に取り掛かろうとしたものの、気力が湧かない。
まるで何かがごっそり抜けてしまったみたいに。
それでも何とか魔法薬の調合をしていたら――――結界に魔法が触れる気配を感じた。
「これは…『伝言』の魔法?」
この魔力波動には覚えがある。
いつも王宮から依頼を送って来る老魔導師の物だ。確か、王国の筆頭魔導師だった筈。
また依頼だろうか。
今はとてもそんな気になれないのに…
そう思いながら、結界を少し開いて手元に引き寄せる。
手紙を開くように魔法を開封して、刻まれた伝言を聞いた瞬間、
「…え?なんですって…?」
心臓が大きく跳ねて、全身から血の気が引いた。
私がユーゴを拾った時から心のどこかで危惧していた事、一番起きて欲しくなかった事が、現実になってしまった。
ずっと一人でいいと思っていた。これまでもこれからも、ずっと一人で生きて行くのだと決めていた。
なのに…ユーゴが私を慕ってくれる気持ちや、彼の優しさ、暖かさに、私は甘えていたのだ。
拒絶しても拒絶しても、それでも一緒に居ようとするユーゴに、心のどこかで喜びを感じていた。
本当は、一人が寂しかった。
本当は、私…
「…ごめんなさい、ユーゴ…」
私の心が弱かったせいで、結局あなたを巻き込んでしまった…
後悔の念に苛まされるが、今はそんな事を悔やんでいる暇などない。
絶対にユーゴを助け出してみせる。
「…こんな卑劣な真似をした事を、後悔させてあげるわ」
恐れが怒りに変わり震えていた体に力が戻って来ると、私は急いで魔法薬の棚からいくつも瓶を取り上げて、全て飲み干した。
そして最後に一つだけ残っていた瓶をポケットに入れると、すぐさま伝言で指示された場所へ『転移』した。
☆☆☆
そこは、王都の東にある森の中だった。
昼だというのに、木々が茂り過ぎて薄暗く、夜のようだ。
「来たわよ。出て来なさい!」
声を張ると木の陰から、年老いた魔導師が現れた。やはり、何度か見た事がある王宮仕えの筆頭魔導師だ。
老魔導師は、嫉妬とも羨望とも付かない目で私を見た。
「相変わらず、全く年を取らず若いままか。だが、のこのこと結界の外に出て来るとはな。よほどあの男が大事だとみえる」
「ユーゴはどこ?」
老魔導師が横を向いて顎をしゃくると、二人の男がユーゴを引っ張って木の陰から出て来た。
ユーゴの首や手足には鉄の枷が付けられ、その枷からは魔法の気配がする。おそらく、術者が呪文を唱えると、反応して苦痛を与える類のものだ。
そしてユーゴの衰弱した様子からして、何度もそれを使用されたのだろう。
酷い。許せない。
その姿を見ると、改めて身の内から怒りが湧いて来る。
「シャル…どうして来たの…俺の事なんて見捨てて、早く逃げて…」
ユーゴが辛そうに顔を顰めながらそう言うと、隣に居た男が「黙ってろ」と剣の柄でユーゴを突こうとした。
『やめなさい!』
言葉に魔力を乗せて叫ぶと、男はビクッとして固まった。
来る前に飲んだ魔力増幅の霊薬のお陰で、今の私は普段よりも高位の魔法を使用できる。年に一つしか作れない貴重な霊薬だが、こんな時に使わないでいつ使うのだ。
「待て、竜双樹の魔女よ。余計な事をするなら、この男の命はないぞ」
「その子を傷付けるなら、あなたの欲しがっている物は叩き割るわよ」
すかさずそう返してやると、老魔導師は憎々し気に私を睨んだ。
「…忌々しい魔女め。分かった、分かった、何もせぬわ。であれば、要求した物は持って来たのだろうな?」
「…『魔女の秘薬』の事かしら?生憎、私のこれまでの人生を掛けても、一つしか作れなかったわ」
私はそう言うと、ポケットからゆっくり薬瓶を取り出した。
「お、おおお…!!」
老魔導師は目を見開いて、わなわなと両手を差し伸ばす。
「そ、それが、お前達魔女にしか作れない『魔女の秘薬』…!あらゆる病を癒し、老いを止め、死者さえも蘇らせる霊薬!どんなに魔導を追求したとて、時の流れを止める術はなかった。儂はその秘薬を手に入れる為にお前のいるこの王国に移り住み、機会を伺い、筆頭魔導師にまでなり、こんな歳まで下らぬ王国に仕えて来たのだ!ようやく、ようやくだ!さあ!早くそれを儂に寄越せ!」
「ユーゴに付けている枷を全て外して、こちらに引き渡して。ユーゴさえ無事なら何も小細工などしないわ」
そう言ったが、老魔導師は首を振って何かをローブの袂から取り出した。
「信用出来るものか。枷を外した途端、魔法で攻撃されては困る。だからお前には儂の作りだした傑作、魔封じの腕輪を先に付けて貰おう」
「魔封じの腕輪…?」
問い返すと、老魔導師は得意げに腕輪を撫でながら笑った。
「そうとも。これを嵌めておる間は、いかなる魔法も使う事は出来ぬ。自分で散々試してみたのだからな。そして外すには鍵が必要だ。鍵はこの男に持たせよう。枷を外し、お前の傍に連れて行ってやる。そこで魔女の秘薬と男を交換だ」
私は老魔導師の持つ腕輪をじっと見つめ、ふっと息を吐くと頷いた。
「分かったわ。その腕輪を嵌めるわ」
「だ…駄目だシャルナ…そんな事したら…殺される。逃げろ!俺の事なんか捨てて行け!」
悲痛な顔で声を絞り出すユーゴに、私は微笑む。
「大丈夫よ、ユーゴ。必ず助けてあげる」
「殊勝な心掛けだの。リノ、これを魔女の手首に嵌めて来い」
「分かりました」
老魔導師がユーゴを取り押さえていた男の一人に腕輪を渡し、リノと呼ばれた男が私の所まで歩いて来た。
好奇な視線で不躾に私を眺める男が腕輪を嵌めるのを、黙って見守る。
確かに腕輪を着けた途端、魔力が吸われるような感覚がした。
「よし、枷を外したら、お前達はこやつを運ぶのを手伝え」
「はい」
枷が全て外されるとリノという男ともう一人がユーゴを担ぎ、老魔導師と共にこちらに歩いて来た。
緊張が漂う。
3人は私の目の前までやって来ると、ユーゴを土の上に下ろした。
「その男達を遠くへ下がらせて。でないと秘薬は渡さないわよ」
そう言うと、老魔導師は頷いて後ろの二人に顎をしゃくった。
その時だった。
二人の男は離れて行こうとして――――急にリノという男が踵を返すと、素早い動きでもう一人の男を斬り捨て、老魔導師に斬りかかった。
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