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腕輪

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「蒼真、やったよ」
「すげぇなニール、またストライクじゃん」

嬉しそうな顔でハイタッチを求めて来るニールに応えながら、俺も負けてらんねぇ、と気合を入れてボウリングの球を持ち上げる。

講義が終わった後、二人でアミューズメント施設にやって来た。
ニールが体を使った遊びをしたいというので、大学の近くにあるここがちょうどいいかと思ったのだ。

ニールはガタイもいいし、スポーツ全般いけそうな雰囲気を醸し出していたけど、やっぱり運動神経はいいみたいだった。
でも俺も体動かす系は得意だからな。

球を滑るように転がして、見事にストライクを取った。
カコーン、と小気味いい音が場内に響いて、「よっしゃ!」と拳を突き上げる。

そんな俺をにこにこと見ていたニールだけど、ふと何かを思い付いたように悪戯っぽい顔になった。

「ねえ蒼真。勝負しない?負けた方が何でも一つ言う事聞くってどう?」

俺もにやっと笑い返した。

「いいぜ!でも俺、言っとくけど腕には自信があるからな」
「ふふ、俺もだよ。―――ちょっと本気出しちゃおうかな」

・・・ん?
そう言うニールの体の周りに、なんか陽炎みたいなものが見えるような・・・
室内なのに、目の錯覚か?

俺が目を擦っている間に、二ールは流れるような動きでストライクを取って俺を振り返る。
自信に満ちたその顔を見たら、俺は俄然やる気になった。

「やるじゃねぇかよ。けど―――」

気合を入れると、あれほど騒がしかった場内の音が遠のいて行って、針の穴を通すように意識が細く鋭くなっていくのを感じる。
自分の体を完璧にコントロール出来るような感覚。
その静けさの中で俺は構えた球をレーンに滑らせた。

ややあって、ボウリングのピンが一つ残らず倒れる音と、場内の騒音が一気に戻って来ると、俺は我に返ったような気持ちになった。

「―――へぇ、やるね。さすが蒼真だよ」

パチパチとニールが手を叩いて、にっこり笑う。

「おう、お前には負けねぇよ」

俺は久しぶりにわくわくと体中の血が滾るような感覚を味わっていた。
全力で何かをやったのって、中学以来かもしれない。
人より運動能力が上だと知ってから、目立つのが嫌で全力を出すことを避けて来たからな。

スゲー!って言われるのはともかく、あんまりにも過ぎた能力は、恐れを抱かせる。
中学の時、走り幅跳びで砂場を飛び越えて硬い地面に難なく着地した時の、周りのみんなの驚愕と、尊敬と、そして畏怖の顔を見た時から、俺は本能的に自分の力を押さえるようになったんだった。

だけど相手がニールなら、なぜだか全力を出しても大丈夫な気がした。

とは言ったものの、結局ボウリングでは勝負が付かなかった。同点で引き分けになった俺達は、その後もバッティング、ワンオンワンと勝負を続けたが、全て引き分けで終わってしまった。

「はぁ、これじゃ決着が付かないね」

笑いながらニールが寄越したペットボトルの水を受け取って、俺も笑い返す。

「だなー。ったく、お前運動神経良過ぎだろ。お前みたいなやつ、初めて会ったよ」

そう言うとニールはふふっと笑った。

「そう?でも蒼真も凄いよ。ああ、さすがに暑くなったね」

ペットボトルの水を半分くらい飲み干したニールが、ぱたぱたとシャツの胸元を引っ張って扇ぐと、ふわっと甘い花のような香りがした。
嗅いだことのないような、ものすごくいい香りだ。

汗臭くても別に何とも思わねぇけど、あんなに汗かいたのにこんないい匂いするなんて、こいつどうなってんだろう。
香水でも付けてんのかな?

どこか遠くを見ているニールの横顔をそっと盗み見る。

・・・それにしても、イケメンだな。すげぇ顔、整ってるし、モテるんだろうなぁ。

そんな事を思っていたら、ふいにニールが俺を振り向いた。

「ああ、そうだ。スポーツじゃ勝負付かないから違う事にしようか」

びっくりした。なんかじっと見ちまってたよ。変に思われなかったか?

「え、あ、ああ、そうだな」

少し焦ってそう言うと、ニールは「何にしようか」と考えるそぶりを見せていたけど、ややあってまた悪戯っぽい顔を俺に向けた。

「こういうのはどうかな?俺と蒼真、どっちが相手の事をより、ドキドキさせられるか、勝負してみない?」
「あ、ああ・・・」

言われた言葉の意味を掴めずに、何となくそう言いかけて俺はハタ、と止まった。
ん・・・?ドキドキさせる?どういう意味だ?

「え?お化け屋敷みたいに、お前をびっくりさせればいいってこと?」

怪訝な顔になってたんだろう、ニールがぷっと噴き出す。

「あはっ、蒼真の顔面白いな。違うよ、もっとロマンティックな事でだよ。ほら、こんな風に」

ニールがその大きな手ですっと俺の頬に触れたかと思うと、端正な顔が近付いて来た。
ん?何だ?
呆気に取られてぼーっとそれを見ている間に、半分目を閉じかけたニールの唇が俺の唇に触れそうになった瞬間、首筋がチリッと痛んで俺は我に返った。

「わ、わーーーーーっっ!!!」

ドンッ!

驚きのあまり思わず、手加減なしでニールを突き飛ばしてしまったけど、ニールのやつはガタイがいいだけあって、軽くのけぞっただけだった。
その顔には何の感情も浮かんでおらず、何を考えてるのか分からない。

「わっ、悪い―――け、けどお前、なにす・・・」

焦ってそんな事を言いかけたら、ニールがふはっと笑い出した。

「は、あははっ、蒼真、面白い。ねぇ、ドキドキしてくれた?」
「は、はぁ!?お前、なに考えてんだ!?別の意味でドキドキしたわ!こんなの、男の俺相手にすんなよな!」

ああ、びっくりした。やっぱフランス人だな、こいつ。いつも女にこんな事やってんのか?まあモテそうだもんな。
くそぅ、経験のない童貞の俺には、逆立ちしたってこんな事出来ねぇよ!

まだドキドキしている胸を押さえてニールを睨むと、ニールは笑いながら俺の髪を撫でた。

「俺の国じゃ、男同士でも何の問題もないんだけどなぁ」

えっ、フランスってそうだっけ?もうそんな進んでる?

疑問に思って戸惑っている間にも、ニールは俺の髪、頬をくすぐるように撫で続ける。
その触れ方はどう考えても、普通に友達同士でじゃれてやってるような感じじゃなかった。

え、こいつひょっとして・・・

「お、お前、もしかして男が好きなやつ、なのか?」

恐る恐るそう聞いてみたら、ニールは俺を見つめながら言った。

「そういう訳じゃないよ。相手が蒼真だから、こうしたいんだ」
「えっ!?」

え・・・?もしかしてさっき言ってた勝負、もう始まってる?
いや、でも俺、やるってまだ言ってなかったよな?

「ちょ、ちょっと待った!こんな勝負、俺が圧倒的不利じゃねぇか!そりゃお前はめちゃくちゃモテるんだろうし、経験値豊富そうだけどな、俺なんかまだ童貞なんだからな!」

しまった、焦って余計な個人情報まで自ら暴露しちまった。童貞なんて、言わなくて良かったじゃねぇかよ!
ああ、恥ずかしい。

体から火が出るような思いでぎゅっと目を閉じたけど、何のリアクションもないからそっと目を開けてみたら、ニールはそんな俺を呆気に取られたように見つめていた。
しばらく俺とニールはそのまま見つめ合っていたけど、ふっとニールが柔らかく微笑んだ。

「童貞って純潔の証だよね。それって素晴らしい事じゃない?蒼真の身も心も、これまで誰にも穢されずに済んだなんて、俺は神に感謝するよ。それに今のは別に勝負でも何でもないよ。ただ、俺がそうしたくてしただけ」

俺はぽかーんとアホ面さらしてニールの顔を見ていた。

なんだ、これ。
こいつの頭ン中、どうなってんだ。
童貞の肯定の仕方、やばくねぇ?こんな、抒情的な言い方、聞いたことあるか?俺はねぇ。

っつーか、さっきからどうなってんだ、ニールのやつ、どんなつもりでこんなことばっかり言うんだ・・・?
勝負じゃねぇって言うし、じゃあ何でこんなこと・・・
ああ、もうさっぱり分かんねぇ。

「わ、分かった。とにかく、勝負じゃねぇんならいい。こういうこと以外で決めようぜ」

何とかそう言うと、ニールはニコッと笑った。

「いいよ。じゃあまた今度、何かいいの考えておくからね。お腹も空いたし何か食べに行こうよ」
「あ、ああ、そうだな!行こうぜ」

その言葉に乗っかって、俺はごちゃごちゃ考えるのをやめた。分かんねぇこと考えてたって、疲れるだけだからな。

「腕輪、いつも着けてるんだね」

並んで歩き出しながら、目についたのかニールがそんなことを言った。

「ああ、これな。一応、お守りだし。まあ中二病のオヤジのために着けてやってる、って感じなんだけどな」

右腕を上げて、手首に嵌まっている銀色の幅の広いバングルを見つめる。何かの紋章みたいなのが彫りこまれてて、真ん中には青くて小さい宝石が一つ付いているバングルだ。結構カッコ良くて、中学の頃までは大のお気に入りだった。
今でも普通にお洒落で着けてます、って言っても通るくらいだとは思う。

「すごく、カッコいいよね。ちょっと外して見せて貰ってもいいかな?」
「あ?ああ・・・」

そう言われて、腕輪を取ろうと左手でバングルに触れて、少し躊躇した。
子供の頃から、これを外したことがないからだ。

オヤジが口うるさく「絶対に外しちゃダメだよ!」って言ってたのを、律儀に守って来て、オヤジの言う事が全部妄想って分かってからも、何となくそれを無意識に守り続けている。

外したって別に何もない。

そのはずなのに、いざそうしようと思うと何故だかやっぱり、抵抗があった。

「うーん、やっぱりなんか取らない方がいい気がするわ。ガキの頃からオヤジに絶対取んな、って言われててさ、ごめんな」

そう言うと、ニールは「ううん、全然いいよ」と言いながら、俺の右手を握った。

「えっ」
「じゃあちょっとだけ触らせて貰っていいかな。その紋章みたいなの、どうなってるのか見てみたいんだ」

ああ、まあこの紋章、なんかカッコイイもんな。ゲームに出て来る重要アイテムみたいでさ。

「いいよ」

だから、そう言ってニールにされるがままにしてやったら、ニールは俺の手を自分の目の前まで持って来て、じっとバングルを見つめていた。
しばらくそうしていたけど、少し躊躇ってから腕輪に指を伸ばして触れた瞬間、バチッと電気がショートしたみたいな音と衝撃がした。

「うわっ!!」

痛くはなかったけどびっくりして手を引っ込め、腕輪ごと手首を握りこむ。

「く・・・」

気付くと、ニールは触れた指を反対の手で握って、しゃがみ込んでいた。

「に、ニール!?大丈夫か!?」

慌てて背中に触れると、ニールは苦笑いした。

「静電気でやられちゃった。俺、帯電体質なんだよね」
「え、そうなんだ。あれ痛いよな」
「うん、ごめんね、もう大丈夫だから行こう」

ニールはスッと立ち上がると、「何食べようか?」なんて言いながら歩き出した。

「ラーメンとかどうだ?」
「いいね、俺、ラーメン好きだよ。お腹空いてるし替え玉しようかな」
「あはは、炭水化物、あんま食い過ぎると太るぜー」
「大丈夫だよ、運動してるし」

そんなことを言い合いながら歩いている内に、俺はさっき感じた違和感のことなんてすっかり忘れてしまった。

俺は自分の、物事を深く考えない性格は好きだけど、やっぱり時にはちゃんと考えないとダメだよなあ。後でそんな風に反省することになるなんて思わずに。
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