先生、おねがい。

あん

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番外編 みなりつ4

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 「……」


 部屋が静寂に包まれる。
 言い返したいのに、何も言えないでいると、背後でモゾモゾと動く音が聞こえてきた。振り向くと、望月が寝ぼけ眼を擦りながら、ソファから起き上がっていたところだった。


 「……!」


 パチっと目が合い、望月はふにゃりと笑う。


 「あ、よかったぁ……戸塚くん、まだいた。ごめんね、俺、寝ちゃって……」


 ふらふらとこっちへ歩いてくる望月。そのおぼつかない足取りに、危なっかしさを覚える。


 「──わっ!」
 「っ!」


 予感は的中。何もないところで躓き、転びそうになる望月を、とっさに立ち上がって抱き止めた。


 「心、大丈夫⁉︎」
 「は、はいっ。戸塚くんが支えてくれたので……ご、ごめんね戸塚くんっ。大丈夫?」
 「……」


 センセイは望月の心配を、その望月は俺の心配をしていたけれど、俺はそれどころではなかく、コイツを抱き締めたのはいつぶりだろうかと、そんなことを考えていた。
 いつぶりで──いつから、こうなっていたのかと。
 力を入れたら折れてしまいそうなほど華奢な体。
 思わず撫でたくなるような柔らかな黒髪。
 ふわりと漂う優しい香り。
 狂おしいほど愛おしい──俺の青春のすべて。
 それが今、腕の中にある。あるはず、なのに。


 (あぁ……)


 その瞬間、俺は、もう言い逃れできないことを悟った。センセイが言いたいのはこういう事だったのだと、悟らざるを得なかった。
 昔の俺は、望月のことを思うと、堪らなくなって、苦しかったはずなんだ。欲しくて欲しくてたまらないのに、絶対に俺のものにならないことを、どれほど疎ましく思ったことか。
 だけど、いま感じるのは、そういう感情ではなかった。


 (さっきだって……)


 思い返せば、先程センセイが望月のことを愛おしそうに見ていた時、俺は嫉妬も羨望もしていなかった。それどころか、俺は長らく、そういう類の感情を、コイツに向けていなかったんじゃないか?
 もちろん、望月のことを守りたいと思うのは、今でも変わらない。
 大切だ。ものすごく大事に思ってる。
 泣いていたら駆けつける。泣かせたやつはぶん殴る。
 ずっと笑っていて欲しいのも、幸せでいて欲しいと願うのも、前と一緒だ。


 (けど──)


 こんな穏やかな気持ち、恋なわけがない。これは──親愛、だ。
 俺らしくもない、なんて小っ恥ずかしい響きだろう。だけど、これこそが、今の気持ちを表す最適な言葉のように思えた。


 「と、戸塚くん?本当に大丈夫……?」


 不安そうに見上げてくる望月。その瞳に、気持ちが反射的にぐらつきそうになるのは、これはもう執着の域で。これが“そう”じゃないことに、俺はもう気付くことが出来たから。
 だから、今ここで、自分の手で、自分の意思で、ちゃんと終わらせるべきなのだろう。そうしなければきっと、俺はこの先、自分の気持ちに素直に向き合えない。


 「……望月」
 「うん?」
 「好きだ」


 全て手放すように。置き去るように。
 今までの想い全部を込めて、強く抱きしめる。
 名残惜しいけれど、どこか誇らしい。
 そんな気持ちで、強く強く。


 「……えへへ、俺も戸塚くんのこと大好きだよ」


 背中に回された小さな手。無邪気な声に、涙が出そうなほど安堵した。
 望月が俺と同じ気持ちならって何度も思った。コイツと両想いになれたら、どんなに幸せなんだろうと。
 それはついに叶わなかったけれど、いつの間にか、俺の方が望月と同じ“好き”を持つようになってた。そして、たった一つの“特別”は、ひっそりと、けれど確実に、アイツへのものに変わっていたんだ。


 (今さら気付くなんて、馬鹿じゃねえの、俺)


 俺なんかが望月に釣り合うはずがないと、負い目もあった。大人で完璧なセンセイに敵うはずがないと、諦めもあった。


 (でも、この気持ちだって嘘じゃない)


 きっと、俺の一番近くにいたのが、アイツだったから。お節介なアイツに、散々支えられてきたから。何より、アイツの笑顔が好きだったから。だから俺は──いつの間にか、律がそばにいないと駄目になってたんだ。





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