先生、おねがい。

あん

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 「それで、その後お兄さんとは順調?」

 戸塚君がノートにペンを走らせるのを横で眺めながら、先生が問いかけた。ちなみに俺は、二人の向かいに座って自分の勉強をしていたのだけど、話題が気になったので一度シャーペンをダイニングテーブルの上に置く。

 あの感動の再会の日から一週間が経った。
 戸塚君の高校と雅斗さんの大学は、まあまあ近いところにあるらしく、雅斗さんが住んでたマンションに戸塚君も引っ越すことになったらしい。流石にまだ全ての荷物は運べていないけど、もうすでにそっちの家で寝泊まりしてるようだ。

 (本当に、仲直りできて良かった……これでもう、戸塚君が寂しい思いをしなくて済むもんね)

 きっと兄弟水入らずで楽しく暮らしているのだろう。どんなほっこりした話を聞けるのかと期待してたら、戸塚君は一気に苦虫を噛み潰したような顔になって、わなわなと肩を震わせはじめた。

 「アイツ……朝になったら人の布団に潜り込んでやがるんだ……」
 
 (ん?)

 「隙あらば、頭撫でてきたり、抱きついてきたり……もうベッタベタベッタベタと暑苦しい……。口を開けば『可愛い』なんて言うし……子ども扱いなのか何なのか知らねえけど、マジでうざい……」

 (んん?)

 なんか、俺が会ったときの雅斗さんとはギャップが……。
 俺のイメージする雅斗さんは、なんかもっとこう、大人で落ち着いていて、そんなおちゃめな感じはしなかった。

 「はは……まあ、最後に会ったのが小学生のときだったんでしょ?それもあるんじゃない?」
 「はぁ?どこからどう見ても、小学生には見えねえだろ。目ぇ腐ってんじゃねえの、あのバカ兄貴」

 げんなりしながら言う戸塚君だけれど、たぶん本気で嫌がってるわけではないと思う。

 (だって……)

 「で、でもっ、戸塚君、ちょっと嬉しそう」

 そう思ったまま口にすると、戸塚君がギッとそれはそれは恐ろしい顔で睨んできた。

 「うるせえ黙れアホ望月殺すぞ」
 「ひぃっ、ごめんなさい!」

 本当に殺められてもおかしくないくらいの剣幕で言われて、俺は涙目になりながらペコペコと謝り通す。そんな俺たちのやりとりに苦笑を浮かべた先生が、「こらこら」と戸塚君を宥めてくれた。

 「でも、じゃあ、わざわざうちに来ないで、お兄さんに勉強教わった方がいいんじゃないか?現役医大生だろ?」
 「……それはまあ、そうだけど」

 気まずそうに先生から目を逸らす戸塚君。先生は最初は不思議そうに頭を傾げてたけど、ふと思いついたように「ああ」と声を上げた。

 「心と勉強したいんだったら、別に俺に遠慮せずに、外でしてきたって良いんだよ?」
 「ふぇ?」

 (俺?)

 急に名前が出て驚いてしまう。戸塚君は先生の言ったことことを理解できたらしく、一瞬意味ありげに俺を見て、そしてまた不機嫌そうに先生の方を見た。

 「別に、こいつと会うのにあんたに遠慮なんかしねえよ。調子乗んな」
 「……それもそうか。ごめんごめん」
 「つーか、今さらそんなこと言うなんて、やっぱ迷惑なのかよ?」
 「え?いやいや、そんなことある訳ないだろ。俺でもお兄さんでも、より君のためになる方を選びなってこと」

 そうだよね。先生の教え方はとっても分かりやすいけれど、数年前まで受験生だったお兄さんだからこそ教えれることもあるにちがいない。戸塚君ちからここに来るのだって時間がかかるし、効率は良い方がいい。

 (けど、戸塚君がもう家に来なくなるのは寂しいな……)

 だって、そしたらもう、戸塚君に会える機会がなくなっちゃうから。高校が違う俺たちは、元々はバイトしか接点がなかった。それが今、先生のおかげで週に三回は会えてる。

 (戸塚君はなんて言うんだろう……)

 少しドキドキしながら待っていると、戸塚君は渋々といった様子で口を開いた。

 「まあ……あんたの教え方、嫌いじゃないし……」

 その言葉に、俺と先生は目を見合わせた。失礼を承知で言うと、戸塚君が先生に素直なことを言うのが、とっても珍しかったのだ。『嫌いじゃない』が素直かどうかは置いておくとして。

 「……俺って実は結構、戸塚くんに好かれてる?」

 先生がわざとらしく、目をパチパチと瞬かせる。

 「は⁉︎べ、別にそんなんじゃねえし!気色悪いこと言ってんじゃねえ!この淫行教師!」

 戸塚君はすぐさま否定したけど、そのムキになりようは、まるで肯定を意味してるようにも見える。それは先生も同じ考えだったようで、嬉しそうに戸塚君の頭に手を伸ばした。

 「ははは。そんなに照れなくても。かわいーなー戸塚くんは」
 「撫でんじゃねえ!」

 そんな二人の様子を、俺は微笑ましく思いながら眺める。最初は決して仲が良いとは言えなかった二人が、今ではこんなに仲良しさんになってるのが、とっても嬉しい。

 (俺も、進路のことちゃんと考えないとなぁ)

 戸塚君は夢に向かって頑張ってる。だから俺も、これからも先生と一緒にいられるように、ちゃんと考えなくちゃ。
 そんなことを思っていると、無言の俺を心配してくれたのか、いつのまにか二人がこっちを見ていた。

 「心?どうした、ボーッとして」
 「……アンタが俺ばっかり構ってるから妬いたんじゃねえの」

 戸塚君が先生の手を払って、こちらに身を乗り出してくる。

 「戸塚君……?」

 突然どうしたんだろうと考えている間に、戸塚君は俺のアゴをクイっと上げて、思わず見惚れちゃうくらいの大人っぽい顔で微笑んだ。

 「こんな浮気者ほっといて、俺にしとけば?」
 「ふぇ?」

 戸塚君の綺麗な顔が近づいてくる。視界の端には驚愕してる先生の姿が映ってる。動けないうちに、目の前に迫った長いまつ毛が伏せられて、それから──

 「ちょ、どさくさに紛れて何してんの」

 間一髪、先生の手が俺たちの間に入り込み、戸塚君は「チッ」と舌打ちをしたのち、淡々とした顔で離れていった。

 「はぁ……ただの冗談だろ」

 (なんだ、冗談か……びっくりしたぁ)

 今回も戸塚君お決まりの冗談だったようで、俺はホッと胸をなで下ろす。だけど、先生はまだ納得できないらしく、戸塚君に詰め寄った。

 「いやいやシャレになんないから。あんまり変なことするなら、出禁にするよ?」
 「はっ、言うこところころ変えてんじゃねえよ。いい大人が情けねえ」
 「き、君ねぇ……」

 (あれ?なんか……)

 不穏な空気に不安が募る。バチバチと睨み合う姿はまるで、一年前の二人みたいだ。

 (さっきまで仲良しだったのに……!)

 「あ、あの、二人とも……仲良くし──」

 そんな俺の訴えは虚しく、二人はなおも言い合いを続ける。

 「まあ、今は冗談にしといてやるけど、二年後覚悟しとけよ、センセイ」
 「ははは。それは楽しみだな~。ま、負ける気は全然全くこれっぽっちもしないけど」
 「はっ、伸び代ないおっさんが強がってんじゃねえよ」

 会話の意味は全然理解できないけど、二人がいがみ合ってるという事実は見ての通りで。

 (うぅ~、なんで~⁉︎)

 俺はその急変ぶりに困惑し、ひとり頭を抱えるのでした。

 
《完》

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