先生、おねがい。

あん

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 「落ち着いた?」
 「……うっせえ」

 あれからしばらく抱きしめられたままだった。だいぶ正気をとり戻して来た俺は、センセイの胸を押しやって、赤い目を擦る。
 望月は相変わらず小さな寝息を立てていた。この状況で寝たままとか、相変わらずの鈍感ぶり。まあ、泣き疲れたってもあるんだろうけど。

 (笑った顔のが、似合ってんのにな……)

 それなのに、自分のせいで泣かせてしまった。そう思うと、チリッと胸のあたりが痛くなった。

 「てかさ」

 と、センセイが言う。
 
 「親御さん?何しにきたんだ?」
 「……」
 「こーら、心のこと泣かせといて、だんまりはなしだろ」

 センセイはさっき俺が端折った部分の説明を求めながら、望月の泣き腫らしたまぶたを優しく撫でた。

 「……さっきは、言いたくないなら良いって言っただろ」
 「さっきとは状況が違うだろ。君がそこまで弱ってるとは思ってなかった」
 「……弱ってねえし」

 俺はそっぽを向いて強がってしまう。泣いといて何言ってるんだって感じだけど。
 本当はこの人にこれ以上自分のダサい話なんかしたくない。けど、さっきは望月の腫れた目をスルーしたのに、わざわざ引き合いに出してきたのは、きっと俺が言いやすいように配慮したんだって思ったら、言わないわけにもいかなかった。

 (ずるい大人……)

 「……成績、落としたから」

 しぶしぶ言った俺に、センセイは首を傾げる。

 「成績?」
 「この前の模試……」
 「ああ、模試か。結果見せて」
 「はぁ⁉︎なんでアンタに……」
 「良いから。これでも教師だよ」

 有無を言わせないセンセイの態度に、俺は眉をひそめながらも、模試の結果のプリントを引き出しから出して、差し出した。

 「へぇ、医学部かぁ」

 第一志望校、国公立医学部。結果はB判定。
 気にするほど悪い結果ではないが、現時点で周りの奴らよりはマシな点数が取れてるってだけで、過去問と照らし合わせると点数はまだまだ合格には及ばない。これが本番なら落ちてる。
 今までずっとA判定だったこともあって、学校の教師には馬鹿にされた。まずはその赤い頭をどうにかしろって。生活態度が成績に悪影響を及ぼしてるって。

 (まあ、ただ嫌われてるってのもあるんだろうけど)

 この人は、なんて言うのだろう。プリントに目を落としたままのセンセイを、俺はジッと見つめる。少しして、先生の口がわずかに開いた。

 「なんだ。上出来じゃないか」
 「……は?」

 (上出来……?)

 「下手な慰めならやめろ」
 「いや、医学部B判定って普通にすごいでしょ」
 「けど、その点数じゃ受から──」
 「そりゃそうだ。まだ二年生なんだそし。けど、これから努力してけば届かない範囲ではないってことだろ」
 「……?」

 センセイの言ってることがいまいち分からない。いつだって『今』を否定されて、『完璧』を求められてきた俺には、確定していないこれからの未来を評価されても困惑するだけだった。

 「はぁ」

 固まる俺に、センセイがため息を漏らす。

 「君はさ、人のことアホアホ言うわりに、自己肯定感が低いよね。そして、素直すぎる」
 「は?俺のどこがだよ。目ぇ腐ってんじゃねえの」
 「腐ってないよ。おおかた、小さい頃から言われ続けて、自分が馬鹿だと思い込んじゃてるんだろ?」
 「……っ」
 「戸塚君は頭いいよ。俺が保証する」
 「あ、アンタに保証されても嬉しくねえし……」

 つい悪態を吐くと、センセイはポンっと頭を叩いてきた。この人は、人の頭をすぐ撫でたがる。
 いつだか、望月もそんなことを言っていた。嬉しそうに頬を赤らめながら。俺はそれにイラついた覚えがある。だけど、不思議なことに今はイラつかなかった。

 「……なあ、センセイ」
 「ん?」
 「俺、これ以上やる意味あんのかな」

 その問いに、先生は特に考える様子も見せず、すぐに口を開いた。

 「戸塚君のやりたいようにやれば良いと思うよ」
 「……教師の言う言葉かよ、それ」
 「はは、確かに。……けど、ここまで頑張ってこれた戸塚君が、本気で勉強を嫌いだとは思えないな」
 「……っ」
 「目的は辛くても、それなりに楽しいことがあったから続けてこれたんじゃないか?」

 (楽しいこと……)

 親のために勉強するのは辛い。頑張っても認められないのは辛い。
 けど、目の前の問題に向き合って、解けなくても粘って粘って、やっと解決した時の快感は、よく知っている。どんなに辛くても、それがあったから、毎日のように机に向かってられたんだ。
 好きじゃないのなら、もうとっくに投げ出してただろう。

 「もし勉強続けたいなら、今まで通り一人で頑張ってもいいし、もっと上目指したいなら塾に行ってみるのも検討したら?」
 「……けど、金かかるだろ」
 「もちろん厳しいなら無理にとは……」
 「いや、あいつらは喜んで出すだろうけど……」

 (けど、これ以上あいつらの世話にはなりたくねえ)

 「なら、頼るのも手だと思うけどな」
 「は?頼る?」
 「うん。どうせ学生のうちは親に頼らなきゃ生きていけないんだから、どんなに馬が合わなくても、いっそ利用してやるくらいの気持ちでいれば良いんだよ」

 (利用って……こういうとこあるよな、センセイって)

 教育者らしからぬ言動。でも、なんだかその言葉は、ストンと胸に落ちてきた。
 俺だって、今まで散々道具みたく扱われてきたんだ。
 
 (けど……)

 「やめとく。あいつらには、これ以上絶対に頼らない」
 「……」
 「頼らないで、結果出して、吠え面かかせてやる」
 「……はは。戸塚君らしいな。まあ、困ったら、夜にでもうちにおいで。出来る限りの協力はするから」

 センセイは「君の学校の先生よりレベル低いと思うけど」と苦笑した。確証はないが、それはきっと謙遜だろう。そう思うくらいには、俺はこの人を尊敬していた。悔しいから、絶対本人には言わないけれど。
 俺としては、遠慮なしに質問できる相手がいるのは助かるが。

 (でも……)

 「なんで、俺なんかのためにそこまで?」

 いつも思う。この人は、いつも何かしら俺を気にかけてくれるけれど、この人にとって、望月のことを想う俺は邪魔な存在のはずで。それなのに、こんなに親切にしてくれる意味が、よくわからない。

 「んー、そうだなぁ。なんかほっとけないんだよね、戸塚君って」

 と、意味のわからないことを言ったセンセイは、兄貴みたいに優しく笑った。
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