先生、おねがい。

あん

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 (あ、先生……)

 俺はそう思ったのと同時くらいに、さっき叫んだ女の子が先生のスーツの裾をクイクイと引っ張って、先生のことを引き寄せた。先生はされるがまま、教室に入ってくる。

 「ちょっと高谷先生!あれ!あれあの子!弟ってほんと⁉︎」
 「弟?」

 女の子の指を追った視線が捉えるのは、俺の後ろにくっついている男の子。先生は蓮君を見た瞬間、納得したように苦笑を浮かべる。

 「……って、蓮か」
 「ということはやっぱり!」
 「ああ、弟だよ」
 「きゃー!」

 女の子たちは湧き上がり、先生はいっそう苦笑いを深くする。そして、やんわりと女の子の手から逃れて、俺たちの方に歩いてきた。
 俺に用があってのことではないのは、重々承知している。それなのに、一歩近づくごとに鼓動が速くなるのだから、俺は完全に先生の虜になっているのだと、改めて自覚した。黄色い悲鳴を上げる女の子よりも、もっと、ずっと。

 「れーん、二年の教室で何してるの」
 「兄ちゃん。心に会いにきたの」
 「いや、それは見れば分かるんだけど……」

 先生は未だ不機嫌そうに眉を寄せてる栗原君を見て──兄弟だから、蓮君が何をしたのかすぐに分かったのだろう──何かを察したように頭をかいた。そして、教師仕様の真面目な顔を蓮君に向ける。

 「蓮……いや、高谷。そろそろホームルーム始まるから戻りなさい」
 「……ん、分かった、ました」

 たどたどしいながらも敬語を使った蓮君は、素直に頷いて、俺の肩から腕を離した。

 「ばいばい、心」
 「う、うん、またねっ。あっ、委員会!もっとちゃんと考えてみるからっ」
 「……うん」

 そうして、控えめな笑みを見せてくれた蓮君は、入り口でもう一度手を振ってから、自分の教室へと戻って行った。

 (新学期早々にクラスに来てくれるなんて、蓮君はやっぱり可愛いなぁ)

 思わず緩んでしまいそうなほっぺに手を当てて、ニヨニヨを堪えていると、隣から大好きな穏やかな声が。

 「委員会?」
 「あ……蓮君、俺と同じのがやりたいらしくて……やっぱり初めてだから不安なんでしょうか?」
 「え、いや、そういうことじゃな……くもないかも。あはは」
 「?」

 なんだか煮え切らない返答に首を傾げると、先生は誤魔化すように笑って、今度は栗原君の方を見た。

 「ごめんな、栗原。蓮がなんか言ったんだろ」
 「え?」
 「あの子、ちょっと思ったこと口に出しすぎてさ……後で俺から言っとくから」
 「ああいえ、別に。こっちこそ、ついイラついちゃってすみません」

 先生に謝られたことで落ち着きを取り戻したのか、栗原君はいつも通りの表情に戻って、先生にペコっと頭を下げた。

 「じゃあ俺も自分の教室行くかな」

 先生が教室を出て行こうとすればブーイングの嵐。これを見れば、いかに先生が人気教師なのかは明白だった。

 「えー、なんで高谷先生が担任じゃないのー。このままうちらの担任になってよー」
 「こーら、無茶言わない。あと、あんまり学校で叫び声上げるなよーびっくりするから」
 「ちぇー。はーい」

 しぶしぶ納得する女の子たち。先生はさりげなく俺の方を見て微笑んで、教室から出て行った。
 俺だって、本当は先生に担任をやって欲しい。だけど、それはどうしようもないことだから。せめて、化学は先生が担当だったら良いなって、新たな望みを胸に秘める。

 そんなこんなで、俺たちの担任は、高谷先生もとい広君ではない誰かになる。名簿に書いてあった名前は、全く知らない名前で、きっと新任の先生なんだろうなってみんなが噂して。嫌な先生だったら困るね、なんて言う子もいたりして。みんな期待や不安のなかで、その時を待つ。

 ──キンコーンカーンコーン

 ついにチャイムが鳴って、教室に入ってきた新たな先生。
 初めて見るその人は、息を呑んでしまうくらい美しくて。その場の雰囲気が一気に変わる。実際、教室は静まり返って、みんなその人に釘付けとなった。

 後ろで一つにまとめられた、艶のある黒髪。お人形さんみたいな小さな顔に、そこから続く細い首。目も鼻も口も、全てが可愛らしくて清楚で可憐で。

 「担任の、茅野舞子(かやのまいこ)です。みなさん、一年間よろしくお願いしますね」

 声までも可愛らしい、その女の人が、俺たちの担任だった。
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