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番外編 はじめまして①
しおりを挟む第一印象は、恥ずかしがり屋。母親の後ろにくっついて離れない。そんな甘えん坊な四歳の男の子。
「ほら、お世話になるんだから、お兄ちゃんにきちんと挨拶しなさい」
その印象が覆されたのは、その子が母親の言葉にビクッと肩を震わせたから。それはまるで条件反射のようで。いつも厳しい物言いをされているんだと、すぐに分かった。
男の子は恐る恐る俺の方を見て、小さな口を動かす。
「しん、です……」
それは、蚊の鳴くような、小さくて弱々しい声だった。
「じゃあ、お母さん行くから、蓮と心くん頼むわね。なるべく早く帰ってくるけど、お腹空いたら冷蔵庫に軽食入ってるから」
和装をした母さんが、「もー、なんでこんな時に」とバタバタと玄関に向かう。お世話になっている先生から、急に手伝いの要請がきたとかなんとか。
「ゆっくりでいいよ。心くん大人しそうだし、蓮は寝たばっかりだし。俺一人でも大丈夫」
「そう?」
「うん」
「ふふっ。頼もしくなったわねぇ、お兄ちゃん」
からかうように言われて、恥ずかしくなった俺は「うるさいな」と悪態をついたが、それでも尚、母さんは楽しそうに笑った。
「じゃあ、頼むわよ」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はぁ……分かったよ。いってらっしゃい」
そうして母さんが家を後にして、この家には俺と蓮と心くんの三人だけになったわけだけど。
「えーと、心くん?正座崩していいんだよ?」
家に上がってから、ずっとカーペットの上で正座し続けている心くんに、苦笑を向ける。しかし、心くんはうつむきながら首をふるふると振って、頑なにそこから動こうとしない。
「足痺れない?」
しゃがんで顔を覗き込むと、心くんはぷるぷると身体を震わせながら、涙目でこっちを見た。
「……おかあさんが、おぎょうぎよくしなさいって……」
「……」
(なんだかなぁ……)
その家によって教育の仕方が異なるのは重々承知だが、これはいかがなものか。
(さっきの挨拶のときも、すごく怖がってたし)
俺はおばさんに疑問を抱きながら、心くんをひょいっと抱き上げて自分の膝に座らせた。
「……?」
突然抱えられて、怯えた様子の心くん。まだまだ心を開いてもらうには程遠い。俺は涙目になる心くんに微笑みかけて、小さな頭をできるだけ優しく撫でた。少しでも怖さが薄れるように、優しくゆっくりと。
「行儀悪いなんて言わないよ」
「でも……」
「蓮なんか、いつも家の中で走り回ってるよ」
「れん……?」
「ほら、あそこで寝てる」
部屋の隅に敷いたお昼寝布団で、スピスピ寝息を立てている蓮を指差すと、心くんは急に目を輝かせ、そわそわし始めた。恐らく、自分より幼い子に興味があるのだろう。そんな様子が可愛くて、つい笑みを漏らしてしまう。
「小さい子、好きなの?」
「わ、わかわんない……」
心くんは曖昧な返事をしたものの、依然として蓮の方に目を向けたままだった。
「近くに行く?」
そう問いかけると、心くんはパアッと顔を輝かせたが、すぐにハッとした表情を浮かべてうつむいてしまった。
「……いかない」
「行かないの?」
「ん……だって、おきちゃうもん……」
「ああ、それは大丈夫。あの子、びっくりするほど寝続けるから」
「うぅ……」
本当は間近で見たい。そんな顔をしてる。
(この歳でそんな遠慮なんてしなくていいのに)
俺はそう思いながら、なかなか答えを出せないでいる心くんの頭を撫でた。
「したいことは正直にしたいって言っていいんだよ」
「いいの……?」
「もちろん」
優しく微笑むと、心くんはもう一度不安そうに瞳を揺らしてから、キュッと唇を噛んで、そしておずおずと口を開いた。
「じゃあ、ね……しんね」
「うん」
「れんくんのちかく、いきたい……」
「ん。分かったよ」
「ひゃっ」
俺は小さな頭をもうひと撫でしてから、心くんを抱っこしたまま立ち上がり、蓮の横に降ろした。心くんは緊張した面持ちで蓮の寝顔をまじまじと見つめて、そしてふにゃりと顔を緩めた。
「れんくん……かわいいね」
その表情は、何かに例えるなら天使一択で。俺はそんな心くんこそが可愛いと思ったのだが、あまりにも真剣な表情で蓮のほっぺたをぷにぷにしてるので、口には出さないでおいた。せっかく柔らかい表情を壊したくなかったから。
その後は、蓮の寝顔をたっぷり堪能した心くんと、お絵描きやら積み木やらで遊ぶことになった。心くんは、最初は戸惑った表情を浮かべていたものの、しばらく経てば遊びに夢中になって、時折笑顔も見せてくれるようになった。その最中に聞かせてくれた話によると、お父さんの仕事が休みの時は一緒に公園に遊びに行ってくれるのだとか。
「おとうさんはね、すごくやさしいの」
「へえ。良いお父さんなんだね」
「うんっ」
嬉しそうに頷く心くん。その笑顔は見ているこっちまで嬉しくなるくらい幸せそうで。だけどその一方で、心くんの口から母親の名前は一回も出てこなかった。無意識に出た『お父さん“は”』の言い方が、全てを物語っているようだった。
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