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ラズベリーケーキとアップルパイ-1
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「姫宮さん、着替えをありがとう」
兄のお古のスウェットを着た和泉が風呂から出てきたのは、四十分ほどたってからだった。遠慮がちな足取りであたしの部屋に入ってくると、ドアの前で首をすぼめて正座する。ちらっとなにかを見たと思ったら、コレクションしているネイルの並べた棚だった。ピンクのルームウェアでベッドに座っていたあたしは、足を組んで太ももに頬杖をついた。
「なんでそんなとこに座んの?」
「女子の部屋になんて入れないよ」
「お風呂使ったのに今更じゃん。ウチは別に構わないんだけど」
一軒家でも狭い一人部屋に二人分の椅子はない。床のクッションに座ると、あたしは部屋の真ん中にある小さなローテーブルの向かいを指さした。そのローテーブルにはアップルパイとラズベリーケーキが置いてある。和泉が風呂に入っている間に、急いで近所のケーキ屋で買ってきたものだ。
「イズミン、ケーキ食べない? 甘いもの食べて嫌なこと忘れようよ」
そう言ってしまってからはっとする。
「簡単に言ってごめん。忘れることはできないかもしれないけど」
つい声が小さくなる。すると和泉が目をぱちぱちとさせ、ようやくくすりと笑ってローテーブルの向かいに膝をついた。
「姫宮さんはどっちを食べるの」
「イズミンはどっち食べたいの。ここのケーキ屋さん、ラズベリーケーキはガチでおいしいから。でもアップルパイは鉄板っしょ? 外れナシ」
すると和泉は笑って「じゃあラズベリーケーキにしようかな」と深いピンクのケーキを指さした。じゃあウチはこっちとアップルパイの載った皿を引き寄せ、ペットボトルのお茶を二人分のグラスに注ぐ。そして明るい声を出した。
「じゃあいただきまーす!」
「いただきます」
和泉は丁寧に手を合わせ、フォークで一口すくってぱくりと食べた。ラズベリーと生クリーム、焦げ茶色のチョコレートのスポンジ。味の濃いケーキが和泉の口の中で溶けるのを想像していると、「これ、おいしいね」と和泉がちょっと目を丸くさせた。甘いものは人を笑顔にさせる。和泉の口元が微笑んだのを確認し、あたしもアップルパイを食べた。しゃきしゃきとしたリンゴと幾重にも重なったパイ生地がサクサクしている。ギシギシと軋んでいた体に甘みが染みこんでいく。
「すごいや。ケーキを食べるなんて何ヶ月ぶりだろう」
「イズミン家、誕生日にケーキとか食べないの」
「俺、誕生日は冬だから。食べたのは半年くらい前だよ」
「ウチも冬。最悪なのは今年は高校入試の当日だったってこと」
すると和泉はフォークを動かしながら笑った。
「俺は毎年つらいよ。俺、クリスマスが誕生日だから。買いに行ってもショートケーキがほとんど」
「マジ? お母さんもサンタもプレゼント考えんの大変じゃん」
「残念ながらうちにサンタは来たことないよ。誕生日の人には言葉でお祝いするらしくて、メリークリスマスの手紙が来たことがあるだけ」
思わず笑うと、和泉もつられたように笑った。そしてようやく部屋の中をゆっくりと見回す。
「女子の部屋って俺の部屋と全然違う。なんていうか、雑誌に出てきそう」
枕元のぬいぐるみや床に積み上げて置きっぱなしにしてあった雑誌を見て、和泉はそう感想を述べた。
「イズミン、お姉ちゃんとかいないの?」
「一人っ子だから。……いや、もうすぐ二人になるけど」
「ウチと同じになるんだ。ウチ、お兄ちゃんとの二人兄妹だから」
あたしのあっけらかんとした口調に、和泉がまた目を細めて「そっか」と同意した。
「でも、俺、いきなり十六も離れた妹ができるって想像がつかない。赤ちゃんも身近で見たことないし」
和泉が素の口調でそう話し始めたので、あたしは「ふうん」と相槌を打った。
「ウチが同じ立場でもそう思ったかも。でも、多分赤ちゃんってかわいいんじゃない。名前とかもう決まってんの?」
するとようやく和泉がそこで照れたように口元をほころばせた。
「母親と柊馬君のお父さんが俺になにかいい案はないかって聞いてくる。俺みたいな性別に関係なく使える名前がいいからって」
新しい家庭。さっきそう言った和泉の言葉を思い出し、思わず脱力したくなった。ちゃんと家に和泉の居場所はある。そう聞き出せただけで、ケーキは充分役割を果たした。緩んだ部屋の空気に首を傾げる。
「薫とかかなあ? イズミンと揃えるなら漢字二文字がいいかも。未来とか」
「真琴とかどうだろう。あとは飛鳥とか」
「イズミン、飛鳥、いいと思う! 千尋と飛鳥って和風な名前ですっごく好き」
思わず声をあげてから、好きの単語を発したことに我に返る。ごまかすようにケーキにフォークを刺して、にっこりしてみせた。
「でも、ウチの璃々子みたいに画数が多いと、将来テストのときに恨まれるかもしれないし。今から覚悟しといたほうがいいよ」
和泉がははっと笑い、ズレた眼鏡を押さえてまたケーキを口に運ぶ。
「姫宮さんはなんで璃々子なの」
「ウチは母親が菜々子だから。直接は言わないけど、お揃いの名前ってちょっと嬉しいもんだよ」
「じゃあ飛鳥はどうかなって言ってみようかな。……柊馬君が嫌じゃないといいんだけどね。一応、柊馬君の妹でもあるんだから」
兄のお古のスウェットを着た和泉が風呂から出てきたのは、四十分ほどたってからだった。遠慮がちな足取りであたしの部屋に入ってくると、ドアの前で首をすぼめて正座する。ちらっとなにかを見たと思ったら、コレクションしているネイルの並べた棚だった。ピンクのルームウェアでベッドに座っていたあたしは、足を組んで太ももに頬杖をついた。
「なんでそんなとこに座んの?」
「女子の部屋になんて入れないよ」
「お風呂使ったのに今更じゃん。ウチは別に構わないんだけど」
一軒家でも狭い一人部屋に二人分の椅子はない。床のクッションに座ると、あたしは部屋の真ん中にある小さなローテーブルの向かいを指さした。そのローテーブルにはアップルパイとラズベリーケーキが置いてある。和泉が風呂に入っている間に、急いで近所のケーキ屋で買ってきたものだ。
「イズミン、ケーキ食べない? 甘いもの食べて嫌なこと忘れようよ」
そう言ってしまってからはっとする。
「簡単に言ってごめん。忘れることはできないかもしれないけど」
つい声が小さくなる。すると和泉が目をぱちぱちとさせ、ようやくくすりと笑ってローテーブルの向かいに膝をついた。
「姫宮さんはどっちを食べるの」
「イズミンはどっち食べたいの。ここのケーキ屋さん、ラズベリーケーキはガチでおいしいから。でもアップルパイは鉄板っしょ? 外れナシ」
すると和泉は笑って「じゃあラズベリーケーキにしようかな」と深いピンクのケーキを指さした。じゃあウチはこっちとアップルパイの載った皿を引き寄せ、ペットボトルのお茶を二人分のグラスに注ぐ。そして明るい声を出した。
「じゃあいただきまーす!」
「いただきます」
和泉は丁寧に手を合わせ、フォークで一口すくってぱくりと食べた。ラズベリーと生クリーム、焦げ茶色のチョコレートのスポンジ。味の濃いケーキが和泉の口の中で溶けるのを想像していると、「これ、おいしいね」と和泉がちょっと目を丸くさせた。甘いものは人を笑顔にさせる。和泉の口元が微笑んだのを確認し、あたしもアップルパイを食べた。しゃきしゃきとしたリンゴと幾重にも重なったパイ生地がサクサクしている。ギシギシと軋んでいた体に甘みが染みこんでいく。
「すごいや。ケーキを食べるなんて何ヶ月ぶりだろう」
「イズミン家、誕生日にケーキとか食べないの」
「俺、誕生日は冬だから。食べたのは半年くらい前だよ」
「ウチも冬。最悪なのは今年は高校入試の当日だったってこと」
すると和泉はフォークを動かしながら笑った。
「俺は毎年つらいよ。俺、クリスマスが誕生日だから。買いに行ってもショートケーキがほとんど」
「マジ? お母さんもサンタもプレゼント考えんの大変じゃん」
「残念ながらうちにサンタは来たことないよ。誕生日の人には言葉でお祝いするらしくて、メリークリスマスの手紙が来たことがあるだけ」
思わず笑うと、和泉もつられたように笑った。そしてようやく部屋の中をゆっくりと見回す。
「女子の部屋って俺の部屋と全然違う。なんていうか、雑誌に出てきそう」
枕元のぬいぐるみや床に積み上げて置きっぱなしにしてあった雑誌を見て、和泉はそう感想を述べた。
「イズミン、お姉ちゃんとかいないの?」
「一人っ子だから。……いや、もうすぐ二人になるけど」
「ウチと同じになるんだ。ウチ、お兄ちゃんとの二人兄妹だから」
あたしのあっけらかんとした口調に、和泉がまた目を細めて「そっか」と同意した。
「でも、俺、いきなり十六も離れた妹ができるって想像がつかない。赤ちゃんも身近で見たことないし」
和泉が素の口調でそう話し始めたので、あたしは「ふうん」と相槌を打った。
「ウチが同じ立場でもそう思ったかも。でも、多分赤ちゃんってかわいいんじゃない。名前とかもう決まってんの?」
するとようやく和泉がそこで照れたように口元をほころばせた。
「母親と柊馬君のお父さんが俺になにかいい案はないかって聞いてくる。俺みたいな性別に関係なく使える名前がいいからって」
新しい家庭。さっきそう言った和泉の言葉を思い出し、思わず脱力したくなった。ちゃんと家に和泉の居場所はある。そう聞き出せただけで、ケーキは充分役割を果たした。緩んだ部屋の空気に首を傾げる。
「薫とかかなあ? イズミンと揃えるなら漢字二文字がいいかも。未来とか」
「真琴とかどうだろう。あとは飛鳥とか」
「イズミン、飛鳥、いいと思う! 千尋と飛鳥って和風な名前ですっごく好き」
思わず声をあげてから、好きの単語を発したことに我に返る。ごまかすようにケーキにフォークを刺して、にっこりしてみせた。
「でも、ウチの璃々子みたいに画数が多いと、将来テストのときに恨まれるかもしれないし。今から覚悟しといたほうがいいよ」
和泉がははっと笑い、ズレた眼鏡を押さえてまたケーキを口に運ぶ。
「姫宮さんはなんで璃々子なの」
「ウチは母親が菜々子だから。直接は言わないけど、お揃いの名前ってちょっと嬉しいもんだよ」
「じゃあ飛鳥はどうかなって言ってみようかな。……柊馬君が嫌じゃないといいんだけどね。一応、柊馬君の妹でもあるんだから」
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