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ホームラン
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結局帰りに第一校舎脇にある自販機に寄って二人でジュースを買った。また人のいない教室内で紙パックで乾杯し、和泉がアップルティーを、あたしはピーチティーを飲む。和泉とはたわいもない話ばかりした。今日の英単語の小テストはできた、化学の元素周期表を歌で覚えるのがちょっと恥ずかしい、古文の已然形の「已」の字が書きにくい、等々。教室の時計が四時を回ったとき、お互い紙パックを飲み干した。
「イズミン、答えたくなかったら言わなくていい。でも聞く」
和泉があたしの台詞に手を止める。その和泉を真正面から見た。
「碓氷とは付き合ってない。でもそういうことは合意。つまり、セフレってことだよね」
一生口にするとは思わなかった単語を口にすると、体の中で冷たいものがひやりと駆け抜ける。和泉は諦めたかのような顔で、静かに「そういうことになるね」と同意した。あたしはよし、と座っていた椅子から立ち上がって、腰の位置で数回まくり上げたスカートの長さを確認した。昨日塗り直したばかりだから、紫陽花色のネイルも今日は完璧だ。今日のあたしは百パーセント。そう自分を鼓舞して、腕を上に引っ張って伸びをした。
「じゃ、女子と遊んだっていいよね。ウチ、どっか遊びに行ってスカッとしたい。イズミン、どっか行かない? 気晴らしに遊ぼうよ」
えっと驚くはず。そう思って和泉を見たが、彼はちょっと考えるようにして「それがいいかも」と呟いた。
「どうせ、図書館とか行って家に帰るのはいつも夜遅いから」
「いいの?」
思わず声が大きくなって、はっとして顔を赤らめた。誤魔化すように口をとがらす。
「罰清掃のあとってストレスが溜まるんだよね。なにがいい? ボーリング? カラオケ? ゲーセン? バッティングセンター?」
男子が好きなものが分からなかったので、学校近辺で遊べるものを挙げる。すると和泉は急に笑顔になって「バッティングセンター!」と即答した。
「俺、これでも中学は野球部」
「えっ、マジ? それ、今日イチの驚き」
「文化部っぽいって思われてるだろうなって思った。でも、姫宮さんは制服じゃ難しいかな」
和泉がこちらの短いスカートをちらっと見たので、さっき百パーセントなんて思った自分に恥ずかしくなった。急いで折り返した部分を直して、スカートの長さをチェックする服装検査のときのように膝丈に戻す。
「これで大丈夫!」
ぱんぱんとスカートを払ったあたしに、和泉はくすっと笑ってカバンを持った。教室のゴミ箱に紙パックを捨てて、電車で二駅のところにあるバッティングセンターへ行く。髪をシュシュでまとめると、先にバッターボックスに入った。
「実はウチ、初めてなんだけど」
すると和泉がネットの向こうの通路側で「まず一球やってみて」と言う。だが、案の定スパーンと音がしたときは空振りで、かすりもしない。もう一度とバットを構える。その後ろから和泉が明るい声を出した。
「今体育でテニスやってるでしょ。テニスのラケットだと思って振って。絶対当たる!」
「オッケー、任せて!」
足を広げてボールが飛んできた瞬間、テニスの要領で腕を振った。腕の先にかかる重い手応えとともにキーンと金属の鈍い音がした。向かいの緑のネットにぼすっと球が当たって落ちる。
「すっご! ホントに当たった!」
思わず声をあげると、「後ろからその調子!」と声援が来る。その楽しそうな声に「めっちゃ嬉しい!」とバットを構えた。急に体中が熱くなって額に汗が出てくる。だが、メイクが落ちるといったことは考えなかった。一球打つごとに実験室での画像が薄れていく。
十球打つと、「交代ね」と網で仕切られたボックスから出た。和泉はボックスの並んだ一番端の、左利き用の人のところへ移動した。和泉がそこにあるバッドを眺めて選びながら、ちらっと向かいのネットを見た。その目線の先に、ここに当たればホームランと書かれた丸い白い部分がある。
「姫宮さん」
バットを選んだ後ろ姿の和泉がボックスに立って、バットを構える。左利きを強調する構えが、和泉の和泉らしさをくっきりと浮かび上がらせる。
「俺がもしあそこのホームランに球を当てたら」
だが、それ以上言葉は続かず、和泉の振ったバットがカキーンとお手本みたいな音がしてボールを飛ばす。その髪の揺れも、振り切ったあとのバッドを持つ手も、教室では見られない和泉だ。ぼすっとネットに突き刺さる威力に和泉の本気が出ている。ああ、かっこいい。そう思ったら思わず叫んでいた。
「イズミン、すごい!」
「これだけは自信があるから」
笑う和泉は決してこちらを振り返らなかった。多分、さっきの言葉の続きが言えないからだろう。でも、振り返らないでくれてよかった。トマトのように真っ赤になっているに違いない顔は見られたくなかった。
「楽しかったよ。また明日ね」
駅で笑顔の和泉と別れ、あたしは夕日の沈む景色を眺めながら電車に揺られた。腕が若干痛くなっていて、手のひらもこすれてなんだかひりひりする。
あそこのホームランに球を当てたら。結局そんなことは起こらなかったが、もし当てていたらどうだったのだろう。和泉はわざと当てないようにバットを振っていたのだろうか。
切ない胸の痛みとともに息を吐き出す。ようやくそこで今日のジュースの画像を撮り忘れたことに気づいた。
「イズミン、答えたくなかったら言わなくていい。でも聞く」
和泉があたしの台詞に手を止める。その和泉を真正面から見た。
「碓氷とは付き合ってない。でもそういうことは合意。つまり、セフレってことだよね」
一生口にするとは思わなかった単語を口にすると、体の中で冷たいものがひやりと駆け抜ける。和泉は諦めたかのような顔で、静かに「そういうことになるね」と同意した。あたしはよし、と座っていた椅子から立ち上がって、腰の位置で数回まくり上げたスカートの長さを確認した。昨日塗り直したばかりだから、紫陽花色のネイルも今日は完璧だ。今日のあたしは百パーセント。そう自分を鼓舞して、腕を上に引っ張って伸びをした。
「じゃ、女子と遊んだっていいよね。ウチ、どっか遊びに行ってスカッとしたい。イズミン、どっか行かない? 気晴らしに遊ぼうよ」
えっと驚くはず。そう思って和泉を見たが、彼はちょっと考えるようにして「それがいいかも」と呟いた。
「どうせ、図書館とか行って家に帰るのはいつも夜遅いから」
「いいの?」
思わず声が大きくなって、はっとして顔を赤らめた。誤魔化すように口をとがらす。
「罰清掃のあとってストレスが溜まるんだよね。なにがいい? ボーリング? カラオケ? ゲーセン? バッティングセンター?」
男子が好きなものが分からなかったので、学校近辺で遊べるものを挙げる。すると和泉は急に笑顔になって「バッティングセンター!」と即答した。
「俺、これでも中学は野球部」
「えっ、マジ? それ、今日イチの驚き」
「文化部っぽいって思われてるだろうなって思った。でも、姫宮さんは制服じゃ難しいかな」
和泉がこちらの短いスカートをちらっと見たので、さっき百パーセントなんて思った自分に恥ずかしくなった。急いで折り返した部分を直して、スカートの長さをチェックする服装検査のときのように膝丈に戻す。
「これで大丈夫!」
ぱんぱんとスカートを払ったあたしに、和泉はくすっと笑ってカバンを持った。教室のゴミ箱に紙パックを捨てて、電車で二駅のところにあるバッティングセンターへ行く。髪をシュシュでまとめると、先にバッターボックスに入った。
「実はウチ、初めてなんだけど」
すると和泉がネットの向こうの通路側で「まず一球やってみて」と言う。だが、案の定スパーンと音がしたときは空振りで、かすりもしない。もう一度とバットを構える。その後ろから和泉が明るい声を出した。
「今体育でテニスやってるでしょ。テニスのラケットだと思って振って。絶対当たる!」
「オッケー、任せて!」
足を広げてボールが飛んできた瞬間、テニスの要領で腕を振った。腕の先にかかる重い手応えとともにキーンと金属の鈍い音がした。向かいの緑のネットにぼすっと球が当たって落ちる。
「すっご! ホントに当たった!」
思わず声をあげると、「後ろからその調子!」と声援が来る。その楽しそうな声に「めっちゃ嬉しい!」とバットを構えた。急に体中が熱くなって額に汗が出てくる。だが、メイクが落ちるといったことは考えなかった。一球打つごとに実験室での画像が薄れていく。
十球打つと、「交代ね」と網で仕切られたボックスから出た。和泉はボックスの並んだ一番端の、左利き用の人のところへ移動した。和泉がそこにあるバッドを眺めて選びながら、ちらっと向かいのネットを見た。その目線の先に、ここに当たればホームランと書かれた丸い白い部分がある。
「姫宮さん」
バットを選んだ後ろ姿の和泉がボックスに立って、バットを構える。左利きを強調する構えが、和泉の和泉らしさをくっきりと浮かび上がらせる。
「俺がもしあそこのホームランに球を当てたら」
だが、それ以上言葉は続かず、和泉の振ったバットがカキーンとお手本みたいな音がしてボールを飛ばす。その髪の揺れも、振り切ったあとのバッドを持つ手も、教室では見られない和泉だ。ぼすっとネットに突き刺さる威力に和泉の本気が出ている。ああ、かっこいい。そう思ったら思わず叫んでいた。
「イズミン、すごい!」
「これだけは自信があるから」
笑う和泉は決してこちらを振り返らなかった。多分、さっきの言葉の続きが言えないからだろう。でも、振り返らないでくれてよかった。トマトのように真っ赤になっているに違いない顔は見られたくなかった。
「楽しかったよ。また明日ね」
駅で笑顔の和泉と別れ、あたしは夕日の沈む景色を眺めながら電車に揺られた。腕が若干痛くなっていて、手のひらもこすれてなんだかひりひりする。
あそこのホームランに球を当てたら。結局そんなことは起こらなかったが、もし当てていたらどうだったのだろう。和泉はわざと当てないようにバットを振っていたのだろうか。
切ない胸の痛みとともに息を吐き出す。ようやくそこで今日のジュースの画像を撮り忘れたことに気づいた。
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