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5巻【一】

6 字のプレゼント

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「エスカレーターで俺が一段高いほうに立ってるときのぴったり感がすげえんだわ」
「昨日の文房具屋で、エスカレーターのときは話しやすくていいなって思ってた」

 朔也がそう言ってちらし寿司を口に運ぶと、山宮がはあと大袈裟に息をつく。

「儚い夢を提供するエスカレーターは罪深いわ。一瞬背が高くなった感覚を味わったあとの俺の気持ちを二十字以内で述べよ」
「それ、句読点を含む?」
「多くの問題はカウントするんじゃね」

 山宮の言葉に笑ってウーロン茶を飲む。ハムときゅうりの組み合わせが口の中で違うテイストをかみ合わせた。

 食べ終わって食器を片づけると、夏以来の朔也の部屋に行った。山宮が窓から見える木に気づいたのか、「おお」と声を漏らす。「いい?」と確認してから靴下を脱いで朔也のベッドへあがり、外を見下ろした。

「折原家の庭ってこっち側にあるのか。あのピンクの花が咲きそうな木、なに。夏には全然気づかなかった」
「ハナカイドウだったかな? もうちょっとしたら咲く。桜よりピンクで、母親が気に入ってる。でも、正直家と塀の間って感じで、山宮の家の庭みたいに広くないよ」

 すると山宮が二階のそこから下を見下ろした。

「通路っぽい感じだけど、お洒落。レンガを使った花壇にいろんな色の花を植えるとか外国風だわ。ウサギのオブジェまであんのか。和風の俺ん家とは全然違うな」
「通りからわざと見えるような格子型の塀だろ。花が好きなご近所さんが見に来たりする。一時期お金はいらないから持ってってくださいって、小さな黒いプラスチックの鉢に株分けして家の外に置いて配ったりしてたな。そういうので母親は近所に馴染んだのかも」
「お前のお母さん、なにしてる人?」
「書道教室の先生。たまにボランティアでいろんなところへ書道を教えに行ってる。児童館とか。それでおれも書道を小さい頃からやってたってわけ」

 そこで山宮はなるほどと言って嬉しそうに絨毯の床へ降りた。ベッドを背に体育座りして、朔也から見えない位置に靴下を置いた。

「そのおかげで今日俺はお前に字を書いてもらえるわけだけど」
「やっぱり山宮のほしいものもささやか。合格祈願を書いた半紙がほしいって、びっくりしちゃった」
「お前が書くところって、夏にここで見た次は体育館での予選演技だった。お前は俺の下校放送をよく見てるけど、俺はお前が書いてるところはなかなか見られねえわ。折原家に来られるなんてチャンスじゃね」

 修学旅行が終わり、次のイベントはお互いの誕生日だとなったとき、山宮は真っ先にまた目の前で字を書いてほしいと言った。それを見ながら勉強するから合格祈願が書かれた半紙がいい、と。そんなことでいいなら、と山宮の誕生日は朔也の家で書道を見せるというミッションが発生したのだ。机から書いたメモを取って山宮に渡す。

「合格祈願って言っても、どんなのがいい? 頑張れ、とかよりも四字熟語がいいのかなと思ったんだけど」

 先日調べた四字熟語の一覧を隣に手渡すと、山宮は「きれいな字」と目を細めながら真剣に上から見始めた。一応、全ての熟語は一通り練習したが、緊張する。足の上で手のこぶしを握ると、山宮がおやというように片眉をあげた。

「あれ、『一所懸命』って一生懸命じゃねえの?」
「一所懸命が元々の言葉で、そこから一生懸命って言葉ができたって感じかな」
「全然知らなかったわ」

 いっしょけんめい、いっしょけんめい。ぶつぶつ呟きながら山宮が目線を動かす。スマホを取り出して、いくつか四字熟語の意味を調べる。朔也はカーディガンを脱ぎつつ、椅子の背にかけておいた書道用のシャツを上から被った。山宮の様子に山宮が昨日贈る言葉を読んでくれたことを思い出してじんとする。自分と同じなのだ。山宮も自分が些細だと思うことを喜んでくれる。お互いの情熱は感じ取ることができている。

「うーん、初志貫徹か一意専心か……でも、切磋琢磨、とかよくね?」

 山宮が顔をあげてこちらを見た。

「お前もやってる。俺もやろう、みたいな感じがするわ」
「あ、いいね! 全然思いつかなかった」
「じゃあ切磋琢磨で頼む」

 朔也が「オーケー」と部屋の隅に置いてある紙袋から毛氈や文鎮を取り出すと、山宮がまた毛氈の頭のほうへ移動した。だが、内心緊張する。切磋琢磨は練習していない。

「あ、お前の好きなレイ書がいい。普通の楷書じゃないやつ」

 半紙を広げながらそれを聞いて、ぴたっと手が止まった。きっと分かりやすい楷書がいいだろうと思って、他の四字熟語も楷書しか練習していない。思わずピンクのシャツの山宮に「え、隷書?」聞き返す。足首のところで紺色のチノパンが交差した膝に山宮が組んだ腕を乗せる。

「うん、レイ書。お前が好きなやつ」
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