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4巻【一】
4 中村の提案
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中村が「ちょっと休憩しようか」と目配せした。合図を受け取り、「二年生はちょっと出てくるね」と教室に投げかけて五人で外へ出る。階段を下りて書道室前から中庭へ移動し、自販機の並ぶところへ行った。晴れやかな風の中、一つずつ紙パックのジュースを買う。春に姿を消した今井の好きなイチゴ・オレが自販機にあるのを発見し、もうそんな時期なのかと驚いた。秋。冬が訪れる隙間の空の高さがきれいな季節だ。青空の下に剪定された生け垣のサザンカがちらほらと花をつけ始めている。イチョウの木もケヤキの木も、なんだか姿勢を伸ばしているように見えた。
「それで、中村ちゃんの話って? 今朝突然『話し合いをしたい』なんてグループ連絡が来たからびっくりしたよ」
「このタイミングってことは山月記のことだよね」
ベンチに座ってパックにストローを差した二人がそう言い、その前に立っていた中村は頷いて今井と顔を合わせた。今井が一口イチゴ・オレを飲んでため息をつく。そして持っていた国語の教科書を開いた。山月記の冒頭を読み上げる。
「隴西の李徴は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」
以前よりはすらすらと発音したが、まだ心許ない。今井は授業や学園祭準備の傍ら、山月記の勉強もして資料を作成していた。その上音読も練習しなければならなかったのだから、とにかく時間が足りなかっただろう。今井はそれをため息一つで表現し、ぱたんと教科書を閉じた。
「あたしの力不足なんだけど、どうしても音読でつっかえちゃうの。とても一年生を引き込むような読み方は無理。でも、山月記は有名な作品でしょ。朗読のCDとか動画があるはずだと思って探してみた」
だけど、と今井が困り眉になった。イチゴ・オレのピンクの紙パックが、今日はなんだかくすんで見える。ストローのついていたビニールの部分を爪で引っ掻きながら言う。
「目の前で読むのと再生するんじゃ、臨場感が違うよね。上手い人のを再生するのがいいなら、国語の先生はそうしてるはずでしょ。だからどうしようと思って中村ちゃんにこぼしたの。そうしたら、考えがあるって言うから」
そこで今井を含めた皆が中村を見る。中村はアップルティーを買っていたが、まだストローを差していなかった。見ていたジュースのパッケージから顔をあげる。
「三月の卒業式パフォーマンスのことを思い出してほしいの」
皆の視線を集めた中村が切り出す。
「卒業式パフォーマンスのとき、先輩への贈る言葉を代読してくれた声が校庭に流れたでしょ。あの声はうちのクラスの山宮君だった。ほら、パフォーマンスのあとに職員室前へ音源を返しに来てくれて、今井ちゃんがお礼を言ってたじゃない」
するとベンチの二人がああと納得した顔をした。後ろの一本の三つ編みと長い二つ結びが頷く。
「山宮君って、朔が借り物競走のときに一緒に走った男子でしょ? ちょっと小柄な子」
「そう言えば職員室前に男子が来たね。山宮君だってことは覚えてなかったけど」
中村が落ち着いた様子で続ける。
「文化祭でうちのクラスがやった脱出ゲームも思い出してほしい。動画を再生すると、画像の他にナレーションが流れたでしょ。中村凛子もその一人だった、とか、次の動画へ進め、とか。あれを喋ってるのも山宮君なの」
「えっそうなの?」
今井が驚いたように目を見開いた。ちらっとその顔を見る。今井は山宮の下校放送の印象が強いだろうから、声色の違うそれに気づいていなかったようだ。中村がこくんと頷いた。
「もしかして、山宮君って文章を読むのが上手いんじゃないかな? 山宮君に山月記を読んでほしいって、書道部としてお願いしてみたらどうだろうって。図々しい話だから、山宮君が無理って言うならそこまで。まずは山宮君に打診するかどうか、それを相談したかったんだ」
文化祭の設営が終わったあと、書道室で中村がこのことを切り出したときは驚いた。中村は文化祭の脱出ゲームでは主役のジュリエット役で、教室で話し合いをするときはナレーターの山宮と同じ班だった。山宮が台本を読むのを目の当たりにしたのだろう。
山宮は上手そうだよねと朔也は同意し、もし頼むなら他の女子と意見を揃えてからにしようと言った。
三つ編みの長谷川萌が困り眉になって、風にほつれた髪を指で押さえた。
「山宮君ってそういうのを引き受けてくれそうな子なの? 私、山宮君がどんな子なのか知らないから」
「わざわざ書道部に付き合ってもらうわけでしょ? 大人数の前で読んでくれるかな」
二つ結びの渡辺さくらの疑問に、今井が「もしかしたら引き受けてくれるかも」と考えるように口元に手をやった。その指先が心許なげにくちびるを触る。
「山宮君、去年あたしと朔ちゃんと同じクラスだったんだよね。今年は中村ちゃんと朔ちゃんと同じクラスでしょ。卒業式パフォーマンスとか書道部との関わりもあるし、書道部を身近に感じてくれてるとは思う。山宮君って結構行動力のある子だよ。それに、できないことを安請け合いする子でもないと思う」
昨年のクラスでも委員長を務めていた今井の一押しに、ようやく皆が頷き合った。中村がほっとしたような顔をし、だがすぐに不安そうな表情を浮かべる。
「私、山宮君と殆ど喋ったことがないんだよね。文化祭の打ち合わせのときくらい。いきなりお願いに行ったら唐突すぎるかな」
するとベンチの長谷川があっけらかんと「朔が一緒に行けばいいんじゃない?」とこちらを見上げた。
「クラスメイトの男子がいたら山宮君も話しやすいかも。書道部五人で行くと山宮君が断ににくくなっちゃうから、二人で打診しに行くくらいがちょうどいいんじゃない?」
すると中村がそうだねと頷き、こちらを見上げた。
「山宮君と今話せるなら、直接会って話したい。朔、山宮君に電話してくれない? いきなり私からじゃびっくりされちゃう。クラスのグループから連絡先は分かるでしょ」
「え? あ、分かった」
三分の一ほど残ったジュースのパックをベンチに置き、ポケットからスマホを出す。多分、山宮は放送室にいるだろう。下校放送までいつも通り椅子を机代わりにして勉強しているはずだ。
「それで、中村ちゃんの話って? 今朝突然『話し合いをしたい』なんてグループ連絡が来たからびっくりしたよ」
「このタイミングってことは山月記のことだよね」
ベンチに座ってパックにストローを差した二人がそう言い、その前に立っていた中村は頷いて今井と顔を合わせた。今井が一口イチゴ・オレを飲んでため息をつく。そして持っていた国語の教科書を開いた。山月記の冒頭を読み上げる。
「隴西の李徴は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」
以前よりはすらすらと発音したが、まだ心許ない。今井は授業や学園祭準備の傍ら、山月記の勉強もして資料を作成していた。その上音読も練習しなければならなかったのだから、とにかく時間が足りなかっただろう。今井はそれをため息一つで表現し、ぱたんと教科書を閉じた。
「あたしの力不足なんだけど、どうしても音読でつっかえちゃうの。とても一年生を引き込むような読み方は無理。でも、山月記は有名な作品でしょ。朗読のCDとか動画があるはずだと思って探してみた」
だけど、と今井が困り眉になった。イチゴ・オレのピンクの紙パックが、今日はなんだかくすんで見える。ストローのついていたビニールの部分を爪で引っ掻きながら言う。
「目の前で読むのと再生するんじゃ、臨場感が違うよね。上手い人のを再生するのがいいなら、国語の先生はそうしてるはずでしょ。だからどうしようと思って中村ちゃんにこぼしたの。そうしたら、考えがあるって言うから」
そこで今井を含めた皆が中村を見る。中村はアップルティーを買っていたが、まだストローを差していなかった。見ていたジュースのパッケージから顔をあげる。
「三月の卒業式パフォーマンスのことを思い出してほしいの」
皆の視線を集めた中村が切り出す。
「卒業式パフォーマンスのとき、先輩への贈る言葉を代読してくれた声が校庭に流れたでしょ。あの声はうちのクラスの山宮君だった。ほら、パフォーマンスのあとに職員室前へ音源を返しに来てくれて、今井ちゃんがお礼を言ってたじゃない」
するとベンチの二人がああと納得した顔をした。後ろの一本の三つ編みと長い二つ結びが頷く。
「山宮君って、朔が借り物競走のときに一緒に走った男子でしょ? ちょっと小柄な子」
「そう言えば職員室前に男子が来たね。山宮君だってことは覚えてなかったけど」
中村が落ち着いた様子で続ける。
「文化祭でうちのクラスがやった脱出ゲームも思い出してほしい。動画を再生すると、画像の他にナレーションが流れたでしょ。中村凛子もその一人だった、とか、次の動画へ進め、とか。あれを喋ってるのも山宮君なの」
「えっそうなの?」
今井が驚いたように目を見開いた。ちらっとその顔を見る。今井は山宮の下校放送の印象が強いだろうから、声色の違うそれに気づいていなかったようだ。中村がこくんと頷いた。
「もしかして、山宮君って文章を読むのが上手いんじゃないかな? 山宮君に山月記を読んでほしいって、書道部としてお願いしてみたらどうだろうって。図々しい話だから、山宮君が無理って言うならそこまで。まずは山宮君に打診するかどうか、それを相談したかったんだ」
文化祭の設営が終わったあと、書道室で中村がこのことを切り出したときは驚いた。中村は文化祭の脱出ゲームでは主役のジュリエット役で、教室で話し合いをするときはナレーターの山宮と同じ班だった。山宮が台本を読むのを目の当たりにしたのだろう。
山宮は上手そうだよねと朔也は同意し、もし頼むなら他の女子と意見を揃えてからにしようと言った。
三つ編みの長谷川萌が困り眉になって、風にほつれた髪を指で押さえた。
「山宮君ってそういうのを引き受けてくれそうな子なの? 私、山宮君がどんな子なのか知らないから」
「わざわざ書道部に付き合ってもらうわけでしょ? 大人数の前で読んでくれるかな」
二つ結びの渡辺さくらの疑問に、今井が「もしかしたら引き受けてくれるかも」と考えるように口元に手をやった。その指先が心許なげにくちびるを触る。
「山宮君、去年あたしと朔ちゃんと同じクラスだったんだよね。今年は中村ちゃんと朔ちゃんと同じクラスでしょ。卒業式パフォーマンスとか書道部との関わりもあるし、書道部を身近に感じてくれてるとは思う。山宮君って結構行動力のある子だよ。それに、できないことを安請け合いする子でもないと思う」
昨年のクラスでも委員長を務めていた今井の一押しに、ようやく皆が頷き合った。中村がほっとしたような顔をし、だがすぐに不安そうな表情を浮かべる。
「私、山宮君と殆ど喋ったことがないんだよね。文化祭の打ち合わせのときくらい。いきなりお願いに行ったら唐突すぎるかな」
するとベンチの長谷川があっけらかんと「朔が一緒に行けばいいんじゃない?」とこちらを見上げた。
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すると中村がそうだねと頷き、こちらを見上げた。
「山宮君と今話せるなら、直接会って話したい。朔、山宮君に電話してくれない? いきなり私からじゃびっくりされちゃう。クラスのグループから連絡先は分かるでしょ」
「え? あ、分かった」
三分の一ほど残ったジュースのパックをベンチに置き、ポケットからスマホを出す。多分、山宮は放送室にいるだろう。下校放送までいつも通り椅子を机代わりにして勉強しているはずだ。
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